初詣に行く台牧のお話 どこにいても主役にしかなれない人間がいるとしたら、きっと彼のことなんだろう。
カップの半分ほどになったコーヒーを惜しむように飲みながら、ウルフウッドは腕時計を見る。指定された約束の時間は既に三十分過ぎている。
年が明けて早々だが、行きつけの喫茶店はそこそこ混み合っていた。このあたりで、昼間から喫煙可能な場所は少ない。
その喫茶店は交通量の多い道路と舗装された歩道に面しており、その間には街路樹が等間隔に植えられていた。
夏には木陰を作り秋には紅葉、今の時期はクリスマスシーズンの余韻を残したLEDの電飾に彩られていた。
すっかり葉を落とした広葉樹が電飾のコードを巻きつけられて、じっと春を待っている。寒々しくも思えるが、四季で一番地味な冬木立の景色もウルフウッドは気に入っている。
ガラス窓に面した席に陣取ったウルフウッドは、何本目かの煙草に火を点けて深く吸い込んだ。
本でも持ってくればよかった。
そう思って目を伏せた瞬間、店内に小さな歓声が起こった。驚いて顔を上げると、咥えていた煙草から灰が落ちそうになる。
慌てて灰皿で追いかけて掬い上げ周囲を見渡すと、店員を始め客たちの視線はガラス窓の先へ向けられていた。
まさかと視線を通りにやると、案の定ウルフウッドが待ちぼうけを食らっている相手、ヴァッシュに皆の視線は集まっていた。
昔よりずいぶん地味になった出で立ちをしているが、それでも目を引く容姿に変わりはない。
深緋のコートをさらりと着こなし、その手には似つかわしくない可愛らしいバルーンが握られている。
初詣の参拝客で賑わう神社の境内で売られているものだろう。ヴァッシュのコートの裾がふわりと揺れているのがウルフウッドからも見えた。
「何しとんのや」
買ってもらったばかりのバルーンを飛ばしてしまった子どもを見つけ、並外れた大ジャンプでもして見せたのだろう。
それを店内から見かけた客が歓声を上げた事は、顛末を見届けていないウルフウッドにも手に取るようにわかった。
少女の目線にまでしゃがみ込んで、ヴァッシュは宝物を手渡すようにバルーンを握らせた。少女の側にいた両親も感謝よりも驚きが勝っているようでしばらく固まった後、何度も頭を下げている。
当の本人は困ったような顔で後頭部をなでつけるばかりで、両親からのお礼を固辞しているように見えた。
咥えていた煙草を最後に大きく吸い込んで煙を吐き出してから、灰皿に押しつけてウルフウッドは根が生えそうだった尻をやっと持ち上げた。
「こんの遅刻魔が」
「ごめんごめん、早めに家は出たんだけどちょっといろいろあってさ」
「まぁ、嬢ちゃん喜んどったから、許したるわ」
初詣にでも行こうと突然誘ってきたのはこの主人公然とした男、ヴァッシュから。時間も待ち合わせ場所も決めたのもヴァッシュだ。
それなのに、三十分以上の遅刻ときている。デートだとしたら、とんでもない大失態だがこれくらいの遅刻は日常茶飯事なのだ。
「え、見られてたの?」
「おどれ自分が“目立つ”ちうことをもう少し自覚せえよ」
「そりゃ、お前もだろ」
「んなわけあるか」
集合場所の喫茶店から歩いてすぐ大きな神社が今日の目的地だ。人が集まる三が日の内は、長い境内には出店が並んでいる。
元日と二日を過ぎているので、参拝客も落ち着いているようで大鳥居から参道、境内まで伸びる参拝客の列もそれほど長くない。
ふたりは手水舎で寒い寒いと騒ぎながら、身を清め人の流れに従ってヴァッシュとウルフウッドも参拝の列に並ぶ。
人の流れも順調で他愛もない話をしていると、あっという間に目の前に賽銭箱と本坪鈴が現れた。
ウルフウッドはあらかじめ用意していた賽銭をポケットから取り出すと、賽銭箱へと投げ入れる。小気味よい音を立てて小銭が落ちたのを確認して手を合わせた。
ヴァッシュと合わせて柏手を打とうとするのに、いつまでもヴァッシュが賽銭を投げる様子がない。
「あれ、あれ?」
体中をまさぐっては、コートのポケット、ズボンのポケット、終いには下着の中にまで手を入れそうになっていてウルフウッドは慌てる。
「おいおいおい、なにしとんのや」
「……財布わすれちゃったかも」
「あ?」
「だって、最近キャッシュレスで」
「あぁもう、後ろつっかえとるから、わいが出すからそれで済ませえ」
ウルフウッドはコートの内ポケットから財布を取り出すと、小銭入れをひっくり返してまるごとヴァッシュに握らせた。
「助かったよ、後で返すから」
ヴァッシュはばつが悪そうに言って、握っていた小銭全部を賽銭箱へ投じた。
大量の小銭がジャラジャラと景気の良い音を立てて吸い込まれていく。
二人はそろって、手を合わせた。
「……ねぇ、ウルフウッド」
「………」
「ねぇってば」
「……ちゃんとせぇって」
「ちゃんとしたって。ウルフウッドがあんまりにも長いこと手合わせてるからさぁ。何お祈りしてるのかなって」
肘で突き合いながらこそこそやりながら、二人そろって頭を下げる。たっぷり時間を取って深い一礼をしてその場を離れた。
「で、そんな真剣に何を祈ってたの?」
よほど気になるらしく、人の波を逆らって歩きながらヴァッシュはウルフウッドに問う。
「おどれの悪い癖が直りますようにって、神さんにお願いしとったんや」
「えぇ、俺の悪い癖? そんなもの、ないでしょ」
「こいつの遅刻癖を直してください言うてな」
「そんなこと、神様にお願いするなよ」
ヴァッシュは、少女にバルーンを渡したときと同じ顔で眉を下げて笑うと、後頭部を撫でる。
「もう諦めとるけどな、おどれのお節介焼きは」
「困ってる人、ほっとけないだろ」
「主人公は遅れて登場するのが、セオリーやからな。いつの時代も」
ヴァッシュの眉間の間に深く寄った皺にウルフウッドは人差し指を当てて、ぐりぐりと押して笑う。
その笑顔に自然とヴァッシュの表情も綻んで、口角が大きく上がる。
「それじゃ、来年は俺が君のために祈るから、期待してて」
「なんや、わいに悪癖なんかないやろ」
「煙草が減らせますようにって」
「いらんことしな、減煙も禁煙も無理やからな!」
今年は本を持ち歩く癖をつけようと、ウルフウッドは心に決めた。