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    HL_ikeit

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    HL_ikeit

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    卒業イベストを受けて解釈違いで出さないことにしたかずばん本の原稿のかけらです!3年前くらいに「かずばんのバッドエンド」というテーマを掲げて書いてました。センパイの天美卒業と同時にお別れするかずばんの話です。まともに書けてるところまで上げるので突然終わります

    八日目、君のいない部屋でプロローグ

     最初に一成との別れを意識したのは、あいつの目の下から隈が消えなくなった頃だった。

    「――そのツラのやつと出かけるとかありえねーんだわ」
    「や、大丈夫だって! ちょっと寝てないだけだし!」
     声を抑えた押し問答が昼前の廊下に響く。ちょっと寝てないだけ、とはとても思えない顔色をしている一成と、それを部屋まで押し戻そうとしている俺が原因だ。
    「ほら、今日やめたらもうドタキャン四回目じゃん? さすがにそれは申し訳ないしさ、」
     下がった眉と申し訳なさそうな目のセットで押されても、ここで譲るわけにはいかない。ね、とダメ押ししてくる一成も引く気は無さそうだが、俺だってこいつの我儘を許す気なんて更々無かった。
     一成の仕事の都合でリスケにリスケを重ね、今回で連続四回目のドタキャン。もちろん一成の仕事――外部でのデザイナー業や役者、その他団内の諸々――の不規則さは理解しているし、それを理由に約束を反故にされることを不快に思ったりもしない。つまり俺としては、無理して出かけるよりとにかく寝てくれというのが本音なわけで。
     しかし、無理をしてでも俺との――恋人との時間を作ろうとするのが、この三好一成という男だ。こいつの優しさとか気を遣いすぎるところとかは、この二年で嫌というほど感じてきた。……まあ、俺が一成の立場だったとしてもさすがに気にするし、無理してでも約束の方優先するだろうけど。
     わかってやりたいのも山々だが、空元気じゃないとも言いきれないテンションに気づいてしまえば、やっぱりここは譲れない。隈をくっきりつけた顔で、それでも食い下がる一成をどうにか宥めながら、部屋の方へ進ませようと肩を掴む。
    「徹夜キツくなってきたっつってたろ」
    「そ、れはそうだけど〜……」
     元々華奢だった身体が以前よりさらに細くなっているのに気づいて、言わんこっちゃないと心の中で舌打ちした。仕事と芝居の両立で疲れが溜まっているのは明らかなのに、俺との時間を優先させようとするのは、こいつの悪い癖だ。
     きっと別れるまで変わんねーんだろうな。そんなことを思いながら、ようやく文句を言わなくなった細い身体を押して階段を上がっていく。
    「……ねー、セッツァー」
     もうすぐ卒業だね。ぽつりと吐き出された言葉に、そうだな、と返した。
     騒がしいバレンタインも終わり、二月も残り半分を切った。一成の言う通り、俺の大学卒業が近づいている。考査や卒制が終わって卒業が確定した今は、バイトやら客演やらに精を出す日々だ。あとは卒業式を待つのみ。黄金のモラトリアム、なんて言われる時期も、もうすぐ終わりを迎える。
     一成の寂しげな声が何を指しているのかは、すぐにわかった。俺の卒業が近づくということは、即ち付き合い始めた頃に交わした約束のリミットも近づいているわけで。ああ、そろそろ本気で向き合わねーと、なんて柄にもなくセンチメンタルな気分になるくらいには、俺もその約束のことを気にしていたのだった。

     ――いつかお互いの存在が重荷になっちゃう時って、絶対来ると思うんだよね。
     そう切り出した一成の真剣な表情を、二年経った今でも鮮明に覚えている。お互い恋愛第一で生きるタイプでもないし、悩むのは分かりきっているから先に終わりを決めておこう、と。そう提案したのは一成の方だった。
     その話を聞かされたのは、一成が天美を卒業する少し前のことだった。二年生だった当時は、付き合ったばかりでもう別れ話かと苦笑した覚えがあるが、卒業を間近に控えた今となってはあの頃の一成の思いがよくわかる。相手の重荷になりたくないし、相手に心配をかけたくない。けど、仕事や芝居以上に恋愛を優先するような気はないし、相手にそうしてほしいわけでもない。詰まるところ、選択肢は別れを選ぶ方しか残されていないわけだ。
     卒業する頃までに上手くコントロールできるようになっていれば、なんて淡い期待を抱いたこともあったが、今の一成を見ていれば自分たちがどの道に進むべきかは明白だった。

     二〇二号室を開けると、部屋は無人だった。椋はどこかへ出かけているらしい。
    「おら、さっさと寝ろ」
    「ごめんねぇ、セッツァー……」
    「別に。気にしてねーから」
     ふやけきった声を吐き出しながら梯子を上っていく後ろ姿を眺める。もたもたとベッドへ滑り込んでいったあと、少し置いて、情けない顔がこっちを覗いた。
    「ね、夜は空いてる?」
    「おー、空いてる」
     外から差す陽の光に照らされた目が僅かに細まるのを見て、あ、と思った。
    「じゃあさ、久しぶりに夜ご飯行こーよ」
     話したいことあるんだ。どこかぎこちなさが滲む声が言う。なんとなく想像のつくその内容を咀嚼するように、俺は大人しく頷いた。
    「そのクマ消えてなかったら行かねーけどな」
    「え!?」
     急にひっくり返った声に思わず噴き出す。文句を言い出す寸前の顔に向けて、早く寝ろ、と手をしっしと動かすと、情けない表情のまま奥へと引っ込んでいった。どうやらそろそろ活動限界らしい。おやすみぃ、と今にも眠ってしまいそうな蕩けた声が降ってくる。
    「おやすみ」
     返してやると、今度こそ静かになった部屋の中で、衣擦れの音が小さく響いた。息をするのも慎重になるくらいの静寂の中、貴重な睡眠の邪魔をしないよう、そっとドアへ向かう。ドアノブを捻る直前、陽の光に誘われて、俺まで欠伸が漏れ出た。

     ドアが閉まる音を背中で聞いて、ひとつ息を漏らした。今日の寮内はやけに静かだ。まあ寝こけてる奴にとっては願ってもない環境だろうし、それはそれで良いんだけど。でも代わりに、謝り倒す一成の声が生活音にかき消されることのないまま、いやに耳に残っている。
    「どーすっかな……」
     ぽっかり空いてしまった夜までの予定を思えば、自然と独り言も漏れる。夜になればおそらく別れ話をされるだろうに、どういう心持ちで過ごせばいいのかわかんねーし。
     買い物にでも出かけようか、それとも誰か誘って夜まで暇を潰すか、考えながら歩き出す。階段を下り、談話室のドアを開けながらスマホにすいと指を滑らせたところで、ようやく人の気配がした。
    「あれ、万里じゃん」
     気の抜けるような声の方に視線を向けると、至さんがオフ丸出しの姿でこっちを見ていた。緩く束ねられた前髪に、くたびれた部屋着、片手にはコーラのペットボトル。どう見ても今から部屋に戻ってゲームやります、って感じのスタイルだ。
     何故か不思議そうな顔をしている至さんは、ぺたぺたとこっちに近寄ってきてから、俺の後ろをちらりと見た。
    「あれ、出かけるとか言ってなかったっけ」
    「あー、取りやめ……的な?」
    「ふーん」
     興味なさげな返事をしながら、至さんはソファにすとんと腰を下ろした。あ、これ会話モードか。俺と一成の関係を知っているからなのか、至さんなりに何やら心配してくれているらしい。この人意外と面倒見良いよな。
     ちらりともこちらを見ようとはしないが、何となく雰囲気を感じ取って向かい側に座る。くぁ、と噛み殺しきれていない欠伸をこぼして、世間話でもするようなトーンで至さんは話し出した。
    「一成、仕事用にアパート借りたんでしょ?」
    「そーらしいっすね。まだ行ったことねーけど」
     何の気なしにそう答えると、眠たげな瞳がぱちんと瞬く。
    「え、そうなの。てっきり通ってるのかと」
    「んなことしてる余裕ねーっすよ。あいつ最近マジで忙しそうなんで」
    「あー、確かに」
     なんか最近やつれてるもんね、と憐れむような声で続けられる。特別親しいといった感じもしない至さんがそう言うくらいだ、やっぱり一成は誰の目から見ても疲れ切っているらしい。
     社畜としてわかる部分があるのか、今度差し入れしてあげよう、とか呟いている至さんの目を盗んでひとつ息を吐いた。
     数ヶ月前に本人から聞いた、一成がアパートを借りたという話。遊びに来て、なんて言われて合鍵も受け取っていたものの、結局その鍵を自分から使ったことはまだ無い。俺としては、疲れ切っている恋人に気を遣わせないための配慮のつもりだったが、もしかして逆効果だったのでは、と今になって思う。でも、通って世話してやった方が良かったんすかね、なんて目の前の大人に聞いてみる度胸はなかった。
    「まあ、一成かなり無理しそうだし、気にかけてやりなね」
    「……そうします」
     急に大人の顔を見せられて、変な態度になってしまった。気にかける。ただそれだけなのに、ろくに会えないとなるとそれすら難易度が上がっているのが現実だけど、言い訳みたいで言えなかった。
     俺の微妙な反応を受けてか、至さんがふと視線を上げる。にま、と笑った顔に嫌な予感がして、思わず身構えた。
    「ていうか、出かけないなら暇?」
     ……いや、断らせる気あんのかその顔。さっきまでの真剣味はどこかへ投げ捨てたらしい至さんに、大人しく肯定を返す。この人のゲームに付き合っていれば、夜までの数時間なんてあっという間だ。身をもって知っているその濃さが今は救いの手のようで、俺はそのまま至さんのコーラを受け取り、魔城一〇三号室へと向かったのだった。



    「――同棲ぃ?」
     至さんとの数時間に及ぶ共闘で目を酷使した後、約束通り目覚めた一成と共にやってきたバルで、俺は素っ頓狂な声を上げた。
     向かいの席では、約束通り――というかおそらく莇の助けを借りて隈を薄くしてきた一成が目をキラキラさせている。
    「って言っても一週間くらいのプチ同棲的なつもりなんだけど!」
     寄り道に誘うような気軽さで、目の前の恋人は続ける。卒業まであと少しだから最後くらい恋人らしいことをしたいけど、まとまった時間を取るのはやっぱり無理そうだから、この際一緒に暮らすのはどうか、と。断られる想定なんてしていないような明るい口調で、一成はそう提案してきたのだった。
     どうかな、と首を傾げる一成の前で、俺は眉をひそめながら食後のコーヒーを口に含んだ。いや、ありえねーだろ。別れんだよな俺ら。喉の手前までせり上がってきていたそんな文句を、苦味と一緒に飲み下す。人がどんな気持ちでこの時間まで暇潰してたかわかってんのかコイツ。
    「そーいやお前、アパート借りてんだっけ?」
     恨めしく思う気持ちをとりあえず端に置いて、何事もないふうを装って切り出す。
    「そそ。作業用の部屋だから生活感ゼロなんだけどねん」
    「あー、なんか想像つく」
     画材や資料が雑然と置いてある部屋が容易に想像できて苦笑する。こいつのことだから、調理道具もろくに置いていないんだろう。
    「来てくれてもよかったのに〜」
     あるっしょ、鍵。そう言われてギクリとする。確かにある。キーケースにまとめてある。ただ、一度も使ったことはないけど。
    「来てほしかった?」
    「んー、そりゃね! でも作業中の姿は見られたくない乙女心もあってさ〜」
    「お前乙女じゃねーだろ」
     仕方なくツッコんでやると、一成はけらけら笑う。その楽しげな姿になんだか毒気を抜かれたような気分になって、俺もつられて口元を緩めてしまった。
     最後くらい合鍵使ってやろうかな。コイツのこの顔を見られるなら、思い出作りに付き合ってやるのもいいかもしれない気がしてきて、ほんの少し気持ちが傾く。
    「俺は大学もねーし都合はつけられっけど、お前はどうなんだよ?」
     なんだか揶揄するような言い方になってしまったのがわかって、心配げな表情も付け加える。これでまた一成を無理させることになったら元も子もないからだ。付き合いも長くなって幾分かマシになってきたものの、こいつは未だに俺に弱さを見せたがらない節がある。
     そんな俺の気がかりとは裏腹に、一成はにっこりと笑って、周りに音符でも飛んでいそうな声色で話した。
    「来月ちょっと予定空けられそうでさ。もちろん稽古はあるんだけど、逆に稽古しかないっていうか」
     つまり、俺の心配は杞憂だったということらしい。あー、と納得したようなしていないような声を出しながら、どうしたものかと考え込む。
     つーか一週間同じ部屋で暮らして、その後すっぱり別れられんのか。そんな思い出作りなんてしないで、何となくフェードアウトするような形で離れる方がいいんじゃないか、とか。そんな不誠実なことが頭に浮かぶのは、少なからず、この関係を終わらせるのを嫌がっている証拠なのかもしれない。
     テーブルの真ん中に置かれたつまみに手を伸ばしながら、ちらりと恋人の顔を見やる。明るいグリーンの瞳とばっちり視線がぶつかって、勝手に気まずくなった。
    「……確認だけど。その期間終わったら正式に別れる、ってことでいいんだよな」
     声にした瞬間、妙にシリアスな空気が流れる。照明が煌々と光る賑やかな店の中、こんな雰囲気で話してるのは多分俺たちくらいだ。
    「……うん、そうなるね」
     苦笑いで返されて、聞かなきゃよかったと思った。一成の顔をじっと見ながら何も言わずにいると、一成の眉が見る見るうちに情けなく下がっていく。その犬みたいな姿に思わず吹き出しそうになって、ちょっと真剣に悩んでしまったのが急にバカらしくなった。
     最後まで気楽に――それこそ友達の延長みたいに付き合う方が、きっと俺たちらしいと思う。どうせ記憶には残るんだし、それなら楽しい思い出の方がいいだろ。
    「ま、いんじゃね。最後だしな」
     言うと、一成の表情がぱっと華やぐ。
    「えっ! いいの?」
    「んだよ、断った方がよかった?」
    「う、ううん、全然!」
     喜んだり焦ったり、ころころと変わる表情を見て安心した。最近はしんどそうな無理した顔ばかり見ていたから、こうやって一成らしいところを見られるとほっとする。
    「ほんとは卒業旅行とかできたらいいんだけど、オレたちスケジュール合わせんの無理そうだからさ」
     オッケー貰えてよかった、と一成は嬉しそうに話す。その明るい声を聞いているうちに何だか俺も絆されてきて、この顔が見られるなら一週間でも二週間でも、好きなだけ一緒に住んでやるわとか思ったりもして。柄にもなくそんな考えに至るくらい、俺はこいつに甘くなっている自覚があった。
     惚れた弱みってやつなのか、それとも別れを惜しむ気持ちから来るものなのか。わかんねーけど、とにかく今はただ、一成らしい顔を見られればそれでいいと思う。疲れが滲む隈のついた顔よりいつもの笑顔の方を見てーし、一週間の最後の日まで、存分に楽しんでやろっかな。
    「で、いつからにすんの?」
     そう切り出すと、一成の顔がぱっと輝いた。犬のしっぽの幻覚を見そうな勢いで楽しそうに話す一成を、変わんねーなとか思いながら眺めた。この姿を可愛いとか思ってしまうのも、この二年の間にすっかり惚れ込んだ証拠だ。
     そのあとは二人してノンアルのくせにやけに盛り上がって、ひと月先のプチ同棲とやらのスケジュールを決めてから寮に戻ったのだった。
     




    一日目


    「ようこそー!」
     インターホンを慣らして数秒後。明るい声と共に、ひと月前に比べてすっかり顔色の良くなった一成が俺を出迎えた。
    「おつかれ。さみーから入れて」
     私服を適当に詰め込んだキャリーケースを持ち上げて言う。もう三月も半ばを過ぎたというのに外はまだ肌寒く、指先はすっかり冷えてしまっていた。
    「今日ちょー寒いよね! 入って入って〜」
    「おじゃましまーす」
     軽やかに室内へ戻っていく家主を追って玄関へ足を踏み入れる。廊下まで資料が溢れているような惨状を想像していたけれど、意外にも、生活感がないほど綺麗に掃除されていた。
     今日から始まる一週間の同居を提案されたあの日以来、一成は普段以上に仕事に精を出し、時には睡眠時間を削りながら奮闘していたようだ。俺の方も卒業式があったり客演で舞台に立ったりとバタついていたから、結局ろくな時間も取れないままあっという間に一ヶ月が経った。最初は気乗りしなかったけど、無理にでも一緒に過ごす期間を設けたのはどうやら正解だったらしい。
     まだ稼ぎが少ないから部屋狭くてさ、と笑っていただけあって、廊下にあるキッチンは小さいし、そもそもその廊下だって狭くて、料理なんて出来たもんじゃねーなとこっそり思った。それ以前に、そもそも基本的にここで暮らしているわけでもないからか、キッチン周りには調理道具が見当たらない。
    「料理とかしねーの?」
    「……お湯沸かして、麺に注いで三分とか?」
    「それは料理とは言わねーな」
     要するに、ここに居る時はろくな物を食べていないらしい。寮での姿より、どちらかというと大学で見かける一成に近いんだろう荒んだ生活が何となく想像できて、それなら夜メシのひとつでも作りに来てやればよかったなと思った。……まあ、もうそんなことをしてやる権利もなくなるんだけど。
     開幕早々うっすら感傷的になりながら、家主を追って部屋へ入る。さんさんと陽が射し込む室内。そこに広がっていたのは――
    「いや何もねーな」
    「そうなんだよね〜」
     ラグが一枚に、パソコンとデスクと椅子と本棚。以上。想像以上の生活感ゼロの部屋に、思わず突っ込まざるを得なかった。
    「……お前よくこの部屋で同棲しようとか言えたな?」
    「や、オレもマジでそう思う」
     えへ、とわざとらしい表情を作ってこっちを見上げてくる。丸い目がやけに可愛いのにイラついて、小さいケツをぺしんと叩いてやった。セクハラ〜なんて喚きながらケラケラ笑う一成は、何だかいつもより上機嫌だ。
     部屋の隅にキャリーを置いて、ようやく一息つく。一成はクローゼットからローテーブルとクッションを引っ張り出してきて、毛足の短いラグの上にほいほいとそれを置いていった。
    「ちな、そこのハシゴ下ろせばロフトね〜」
    「活用してんの?」
    「一応寝泊まりできるようになってるよん!」
     マジで寝るだけだけど……と苦笑する姿に、だろうなと笑ってしまった。この部屋を見た後だし、だいたい想像はつく。
    「なんか、思ったよりお前の生活力が終わってて笑うわ」
    「……幻滅した?」
     ちろりと見上げられて、それをじっと見つめ返す。いや、まずこんなことで今更幻滅なんてするわけもないんだけど、この不安げな顔を見てるとなんでか悪戯心が疼いてしまう。この悪癖は付き合う前、大学に入って一成と仲良くなり始めた頃からのことだけど、思えばあの当時からコイツのことを意識していたのかもしれない。
    「……え、何この無言タイム」
    「いや、何て返してほしいのか考えてた」
    「そこはさ〜! 即答で「どんなお前でも好きだぜ……」って囁くとこじゃん!」
    「ふ、はは、何だよそれ」
     一成の大真面目な顔に噴き出すと、キメ顔だった一成も堪えきれずに笑い出す。収まった頃にまた低い声で謎のセリフを吐く一成にまた笑わされて、訳の分からないノリのせいで笑いは尾を引いた。部屋に二人分の笑い声が響く。一成が天美に居た頃はこんなのが日常茶飯事だったな、とか思い出して、何だか懐かしい気分になった。
     一頻り笑ったあと、ようやく落ち着いてラグに腰を下ろす。家主に渡されたペットボトルのミネラルウォーターにまたしても生活力の無さを感じていると、ローテーブルを挟んで向かいに座った一成が、やたら真剣な顔で口を開いた。
    「オレね、セッツァーに謝んなきゃいけないことがあるんだけど」
     その口調になんとなく居心地の悪い気分になりながら、何も思っていないふうを装って返す。
    「おー、何?」
     ちゃんと思った通りの声が出て、ほっとした。どんな内容でも受け止めてやろうと言葉の続きを待つ。ついさっきまで楽しげに笑っていた一成がひどく申し訳なさそうな顔で俺の顔を見ていて、一日目からこんな顔させてんのか、と遣る瀬ない気分になった。
     あのね、と一成が言いづらそうに切り出す。
    「――実はこの部屋、布団が一組しかありません」
     げほ、と咳き込んでしまった。……いやまあ、この部屋に来てから知ったことを総括するとその発言も不思議じゃねーんだけども。にしても、準備が整ってないにも程がある。
    「というわけで、買いに行きます」
    「マジか」
     一成はそれまでの困り顔をあっさり取り下げ、けろりと言い放った。そのやけに軽やかな物言いに、数十秒前のやけにセンチメンタルな気分になっていた自分が恥ずかしくなる。
    「てかほんとごめんね、付き合わせちゃって」
     開き直ったり謝ったり、忙しい男だ。どうせ仕事詰めで考える暇も無かったんだろうけど、そこは突っ込まないでおいてやることにする。
    「いや、むしろ悪ぃな、一週間居候するだけなのに」
    「ううん、全然平気! ……ていうかほんとはね、オレが一緒に行きたいだけなんだよね」
     はにかみながら言われて言葉が詰まる。胸の奥がきゅっと締め付けられるような感覚を覚えながら、「そっか」と短く返した。

     そこからは早かった。二人で近くの量販店に行って折りたたみ式のマットレスとシンプルなパッドを買い込み、ついでに軽食や日用品なんかを買って帰る頃にはもう日が落ちていた。……ちなみに、調理器具も買おうと提案したら「それはマジで使わないと思うから」と頑なに断られた。どうやら今後あの部屋で料理をする気は一切ないらしい。
     帰宅してからまず取り掛かったのは、寝るスペースの確保だった。ロフトに上がり、下にいる一成から布団一式を受け取る。元々あった一成の布団を端に寄せて、隣に買ってきたマットレスを敷く。そこにパッドをつければ簡易ベッドの完成だ。
    「どうー?」
    「かなり狭ぇけどなんとか」
     ぴったりとくっついた二組の布団を見ながら答える。寝転がった時の距離感を想像すると、口元がむずむずした。
    「じゃあこれでいつでも寝られるね!」
     満足気に言う一成の言葉には素直に同意しつつ、一つ確認したいことがあった俺は、階下からこっちを見上げている一成に声をかけた。
    「なぁ、一成さん」
    「はい! なんでしょうか、万里さん!」
     改まって名前を呼べば、一成もまた律儀に敬語で返してくる。
    「俺の布団、マジでここでいいの?」
     この狭さで本当にいいのか、近くに人が居ても寝られるタイプなのか、一週間後に後悔しないか。諸々の確認を込めて問いかけると、一成は丸い目をぱちんと瞬かせたあと、柔和な笑みを浮かべた。
    「もち! せっかく一緒に住むんだし、隣に寝る方が楽しくない?」
    「……ま、それもそうだな」
     最後だし、というのは言わないでおいた。一成だってそれを意識していないわけはないだろうし、皆まで言うなってやつ、だと思う。
     ギ、と梯子を軋ませて、一成がロフトに上がってくる。ひょこりと顔を覗かせて「せま!」と笑ったあと、そのままその狭い空間に体を滑り込ませた。ただ二組の布団が敷いてあるだけのスペースに、男が二人。その質素さと一成の派手な金髪がミスマッチで、もう少し長居できたらこの部屋も何とかしたのに、とか余計な妄想が頭にちらつく。
    「やー、でもなんか照れちゃうね」
     並んだ枕を見ながら、一成が言う。
    「だから言ったろ、ここでいいのかって」
    「いや、それはもちろんいいんだけどさ。隣に寝てるとか同棲っぽくて嬉しいけど、緊張して寝れないかも」
    「緊張って。今更?」
     二年も付き合ってんのに。付け加えると、一成が「そだよね」と頷いた。隣で眠った夜の数なんて両手の指でも足りないくらいあるくせに、本当に今更だ。
     ロフトを埋め尽くす布団を眺めていると、とん、と体をぶつけられた。突然それっぽいことをされて言葉に詰まり、上手く受け流せないまま視線を一成へ移す。そんな雰囲気一ミリも無かったくせに、一体どういうつもりなんだか。
    「でもさ、実際今もちょっと緊張してんだよ?」
    「なんで?」
    「セッツァーとこうやって会えるの自体久々なのに、二人きりなんだな〜と思ったら、なんかね……」
     徐々に小さくなっていく声と赤く染まる頬につられそうになるが、ぐっと堪えて適当に相槌を打った。隣で伸びていた細い脚が、居心地悪そうにシーツの上を滑る。衣擦れの音から別のことを連想しそうになって、咄嗟に意識を散らした。
    「――さ、お風呂入って寝よっか!」
     妙な雰囲気をかき消すように、一成がやけに明るい声を出した。この部屋ユニットバスだから今度銭湯でも行こうよ、なんてすっかり切り替えて喋る一成に倣って、俺も出来るだけ色気の無い話を続けた。
     その夜はどうにも寝つきが悪くて、背後で寝返りを打つ気配と、暖房の音を辿りながら、残りの六日間のことをぼんやりと考えたりしたのだった。





    二日目
    ピピ、と控えめに鳴るアラームの音に意識が浮上する。重い瞼をゆっくり開くと、隣で横になっている一成と目が合って、朝っぱらから心臓が変な音を立てた。
    「……はよ」
    「おはよ〜」
    これまで何度も聞いてきた寝起きのふわっとした声とはまた違う響きに、まさかと眉を顰める。
    「……お前、いつから起きてた?」
    「え? んとね〜、三十分くらい前かな」
    「……見んなよ……」
    案の定、悪い予感は的中した。この男、俺の寝顔をやたらと見たがる癖があるのだ。基本は俺の方が早く起きることばかりだけど、例えば今日みたいにたまたま一成が先に目覚めた朝とか、……俺が抱き潰された次の日とかは、こうして声もかけずに俺の寝顔をじっと眺めている。らしい。
    「なんでよ、セッツァーの寝顔レアだから見たいじゃん」
    「いやシンプルにキモい」
    「今更恥ずかしがんなくても〜」
    「うっせー恥ずかしがってねーわ」
    もう絶対見せねぇ、とぼやきながら枕元のスマホを手繰り寄せて画面を確認すると、まだ七時過ぎだった。今日は二人ともオフだから、のんびりと時間を浪費して過ごすつもりだったのに、アラームを切り忘れてしっかり早起きしてしまったらしい。
    もう三月も半ばまで来たというのに、相も変わらず布団から出るのは辛い。布団の隙間から手を伸ばして細い手首を掴むと、一成の目がぱちんと瞬いた。
    「……二度寝」
    「ちょ、ねぇ、今かなりキュンと来ちゃったんだけど!」
    「知らねーよ」
    今にも飛びついてきそうな顔を無視して、腕をぐいっと引っ張る。大人しく引きずられて布団の中に戻ってきた一成は、俺の顔を凝視したあと、にへらと表情を蕩けさせる。
    「セッツァーって可愛いねぇ」
    「なんだよ気持ちわりぃな」
    「んふふ」
    顔を顰めてみても一成のニヤケ顔は収まらず、だんだん居た堪れない気分になってきた俺は、黙ってごろりと寝返りを打った。胸焼けがしそうなくらい甘ったるくなってしまった雰囲気に、じわじわと項の方が熱を持つ。
    あー恥ず、こんな空気になるならやんなきゃよかった。後悔しても今更遅いが、布団を口元まで持ち上げながら、どうにか顔の熱さを誤魔化そうと意識を散らした。
    背中の方でゴソゴソと音がして、一成が布団に戻ってくる気配がする。隣に寝たんだろうと俺もまた目を閉じかけたところで、掛け布団の隙間から何か――というか一成しか居ないけど――が忍び込んできたのがわかって、眠気が吹っ飛びかけた。
    「お邪魔しま〜す」
    「なんで来んだよ。狭ぇ」
    するりと猫みたいにこっちの布団に入り込んできた一成は、そのまま俺の背中にぴったりと引っ付くと、いつものように脚を絡ませた。
    「冷ってえ! バカ冷え症触んな!」
    「やだぁ、セッツァーってば照れ屋さんっ」
    「気色悪ぃこと言ってんなよ!」
    げし、と絡んだ脚を蹴りつけてやると、さして痛がってもなさそうなわざとらしい反応が返ってくる。宥めるように腰に腕を回されると、まんまと追い出す気力が失せてしまうから癪だ。わかっててやってる辺りもムカつく。
    居座る気満々の一成に色気も無くぎゅうっと抱きしめられて、すっかり勢いを削がれてしまう。もはや何か言う気にもならず、手慰みに指を絡めたり出っ張った骨をなぞったりしているうち、人の温もりにまた瞼が重くなって、小さく欠伸が漏れた。
    「起きたらどこ行くー?」
    背後から声が飛んできて、微睡みの中で答える。
    「んー……とりあえずメシ……」
    「りょ〜。近くにカフェあるから、そこ行こ」
    あぁ、と寝ぼけながら返事をすると、くすくすと笑う声が聞こえた。くそ、笑いやがって、と思いながらも眠気には逆らえず、そのまま睡魔に身を任せる。
    「おやすみ〜」
    「……」
    「……あれ、もう寝ちゃった?」
    マジなやつ? とでも聞きたげな声が後ろから聞こえてくるが、それなりに眠い俺はシカトを決め込む。
    「……」
    「ほんっとかわいい寝顔〜」
    「……うるせ」
    「あ、起きてた」
    「寝てる」
    あはは、とまた笑われる。悔し紛れに、一成の腕の中から抜け出そうと試みるも、がっしりとホールドされていて動け……なくはないけど、とりあえず離す気は無いらしかった。諦めて力を抜くと、それを察したのか拘束が緩む。
    「……こうしたかったなら早く言えよ」
    どうせ昨日寝る前からこうやって体を寄せ合いたかったんだろう。ぽつりと呟くと、後ろでおかしそうに声を弾ませるのがわかった。「はいはい」と適当に流されて、なんだか無性に腹が立ったから、後ろに思いっきり体重をかけて薄っぺらい体を押し潰してやった。
    「いてててて重い重い重い!」
    「ざまーみろ」
    ケラケラ笑ってやれば、仕返しとばかりに脇腹を揉まれる。ふざけんな、そこは弱いんだよ。身を捩って逃げようとするも、今度はその手が腹筋のラインをもそもそとなぞり出して、あまりのしつこさにキレそうになった。振り向いて顔を片手で掴んでやると、肉のない頬がぎゅっと真ん中に寄る。
    「テメーいい加減にしねぇと出てくぞ」
    「ごめんなひゃい調子乗りまひた許してくだひゃい」
    「ったく……寝るからもうちょいそっち寄れ」
    一成の身体を押し退けるようにしてスペースを空けさせると、ごろりと転がって元の場所に戻る。すぐ隣にいる一成にも被せるようにして布団を掛け直すと、また細腕が腹の辺りに回された。背中側から抱き寄せられると、暖かいを通り越して暑苦しいくらいだけど、これはこれで悪くない気もする。
    少しだけ向きを変えて肩口にすり寄り、額を押し付けているうちに、ふわぁ、と大きなあくびが出た。
    「おやすみ」
    やわらかな声で囁かれると同時に目を閉じる。ふわりと後頭部を撫でられたのがわかって、ここに収まったのは自分だってのに、今すぐ暴れて逃げ出したい気分になった。こいつ、年上ヅラしてくることも多いけど、結構ベタなの好きだよな……。まあ、この前までの明らかに無理して取り繕ってる顔より、にやけきっただらしない顔の方が断然いいけど。
    そんなことを考えながら、重たい眠気に体を任せる。あっという間に落ちていく意識の中、一成の心臓がせわしなく動いているのを聞いた。

    ピピピ、と控えめに鳴るアラームの音で目が覚める。約一時間の二度寝の微睡みから抜け出すと、隣に一成はいなかった。
    スマホを手に取りながら、こっそり階下を覗いてみる。思った通り、一成はパソコンの前に座って作業をしていた。静かな部屋の中に、パチパチとタイピングの音が響く。時折手を止めて何やら考え込んでいる姿を見下ろしながら、やっぱ仕事キツいんじゃねーか、と心の中で悪態をついた。
    キッチンが機能していないこの部屋での主食と化しているのか、手元には栄養補助食品の黄色い箱が見える。それから、そのチープな色にそぐわない香りが漂ってくるのは、多分誉さんあたりが贈った紅茶だろう。
    俺が起きてきたことに気付いていないらしい一成が、再び手を動かし始める。画面をスクロールしながら何かを打ち込んでいく姿をしばらく眺めていたが、なんとなく面白くなくて、足音を忍ばせてロフトを降りた。
    「……なにしてんの」
    「うわっ!?」
    耳元で声を掛けると、大袈裟にビクッとして振り向く。その顔は驚愕に満ちていて、思わず吹き出した。


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