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    nostalgie_22

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    nostalgie_22

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    ぬい活する🍭ちゃんの寂乱です✌️

    はっぴーぬいちゃんらいふ!「あ〜……」

     嫌な予感ってものは本当に当たる時は当たるのだと、思う。あと当たって欲しくない時に限って当たる。人生なんてそんなもんだ。
    それはふわふわの裾のチュールをはためかせて、髪のセットも完璧に決まって、最近お気に入りの香水をつけてさぁ出発だぁ!なんてはしゃぎながらドアを開けた瞬間だった。スマホが震える。ただそれだけ、それだけのこと。でもあぁこれは多分ごめんねのメッセージだと思った。今日のデートだめになったな。そう思ってしまった。

     片方だけブーツを履いたまま、スマホを取り出す。案の定メッセージは寂雷からだった。本当に申し訳ないのだけれど、その一文だけで察してしまった。察するしか、なくない?最後まで読む前にブーツから足を引っこ抜く。今日、結構気合い入れたんだけどなぁ。なんて、一人呟いてみる。本人には絶対言わない。だってこれは本当に仕方ないやつだから。寂雷が悪いわけじゃない。誰かが悪いわけじゃない。わかってるんだよ。ゴロンと脱げたブーツが転がる。

     さっきまでの楽しい気持ちは消え失せて、重たくなった体を半ば引きずってソファへとダイブする。息を吸って、吐いて。それを何セットか繰り返して少し気持ちを落ち着けてから、見ないようにしていたスマホの画面を確認する。

     言ってしまえば、そこに並んでいるのはデートのキャンセルにまつわるエトセトラ。緊急手術で帰れなくなってしまいました。本当に申し訳ない。この埋め合わせは必ずします。

     ねぇ、知ってる?覚えてる?今日もね、埋め合わせだったんだよ。なぁんて、流石にそこまでは思ったりしない。だってこればっかりは仕方のないことだから。人の命がかかっている。万が一寂雷が大変な状況にある人を見捨ててボクのところにデートの約束があるからなんて言いながら現れたら、ボクは絶対寂雷に幻滅する。だから寂雷が選択を間違えなくて本当に良かった。馬鹿みたいだけど、これは本心。ボクとのデートのために、患者さんを見捨てるような寂雷は嫌だもんね。

    「今日暇になっちゃった」

     こんな日は楽しいことをして、心に空いた穴を埋めよう!と言いたいところなのだけれど。今日に限って幻太郎も帝統も用事がある日なのだ。う〜ん困った。困っちゃった。だって今日のボク柄にもなく結構凹んでるから。前日まで会えることになっていた予定は結構久しぶりで。だからちょっと、期待してた。会えるんだぁ、一緒に居れるんだぁって、浮かれてた。馬鹿みたい。いつの間にこんなに好きになっちゃってたんだろうなぁ、なんて、思考はどんどん薄暗い方へと進んでいく。仕方ないのにね。好きなっちゃったのはボクで、寂雷がそうさせたわけじゃない。つまりはボクの自己責任の範疇だろう。

     きっと夜になれば寂雷は電話をくれるだろう。ビデオ通話をしようと言うのだろう。そうして眉を下げて、本当に申し訳なさそうに、苦しそうに謝るのだ。乱数くん、本当に申し訳なかった。また君との約束を破ってしまった。……そんな顔が、みたいわけじゃない。寂雷の笑った顔が見たいのに、最近はそういう顔しか見れていない。電話だって、長くはできない。寂雷はきっと疲れているだろうから。早く寝ないと体を壊してしまうかもしれない。そう思うとうまく話ができなくなる。うまく息が吐けなくなって、ぎこちない返事しか、できなくなる。多分だけど、寂雷は約束がダメになるのが重なりに重なってボクが悲しんでると思って、忙しい合間をぬって今日の約束をしてくれたのだろう。ボクを心配して時間を確保しようとしてくれたのだろう。大丈夫だよ、ちゃんとわかってるよ。ありがとね。まぁそれもダメになったわけだけど。優しいんだよなぁ、と思う。忙しいんだからちょっとくらい自分のために時間を使わなきゃだめだよ。

    「サマトキサマに電話しよっかなぁ」

     これは現実逃避。なんだかんだ優しいヨコハマのヤクザさんはボクが本当に凹んでいる時に電話を切ったりはしない。それがわかっている上での甘え。ずるいかな、ずるいよね。でも今日はちょっと無理だった。最後に寂雷とエッチしたのいつだろうね。それどころかゆっくり一緒にいられたのはいつだろう。寂雷の大きな手で頭を撫でられるのが好きだ。でも、今はその温もりが朧になってきている。寂しい、のだと、思う。口にする気はないけれど。多分ボクは寂しいのだ。でも寂しいから会いたい、だけではどうにもできないことがこの世にはたくさんある。

     今日は何にも傷つきたくなくて、電話をかける前にメッセージを飛ばした。ねぇねぇ、聞いて。面白い話があるの。ねぇ、聞いてくれる?いつも通りのボクで文章を打ち込む。でもサマトキはちょっとだけスーパーマンだった。なんかあったのか、なんて返ってくる。ボクがなんでもない時は既読スルーの日が多いのに。だからボクははしゃいだフリをしながら続きを打ち込んだ。寂雷とのデートまたダメになったの!これで10連続!本当笑えるよね!さすがボクたちって感じじゃない?そこまで打ち込んだところで、電話がかかってきた。

    「やぁやぁ!乱数ちゃんのスマホだよん!」
    「あー……メシでも食いにいくか?」
    「あは、慰めてくれるの?優しいね」
    「センセーの代わりにはなれねぇけどな」

     なんだかんだ優しいのがサマトキだ。放っておいても全然構わないのに、こうして付き合ってくれるのが本当に優しいよなぁ、なんて、思う。

    「ねぇ、ボクケーキが食べたい」
    「あ?こういう時は肉だろ」
    「え〜、ケーキがいい!パフェでもいいよ!……甘いもの食べたら満たされる気がするんだよね」
    「甘いもん食う気分じゃねぇんだわ。肉な。これから迎えに行区から、それまでに顔どうにかしとけや」
    「あはは、なんのことかわかんなぁい!」

     いつの間にか裾を握りしめていたみたいで、今日初めて袖を通した服に皺がついてしまっていた。……この服、今日のために用意したんだよね。皺も伸ばさないといけないし、違う服を着ていこうかな。ハーネスとチュールの組み合わせが可愛くて一目惚れしたんだよ。ピンクのチュールに赤いリボンがアクセントになってる。うん、可愛いね。可愛いよ。だからこれは、次会える日まで取っておこう。きっとサマトキはバイクで来るだろうから動きやすい服の方がいいよね。確かどこかに可愛いうさぎがプリントされたサイジングのトップスがあるはず。確か袖のところにリボンがついてて、すっごく可愛いんだよね。あれにしよう。確かこっちに入っているはず。そう思ってボクの背より少しだけ高い場所へと手を伸ばした時だった。積み重ねられていた荷物がぐらりと崩れて……。

    「わぶっ」

     一番上に乗っていた紙袋が顔に落ちてくる。あーん、ひどい。ほんっとひどい。ありえないよね。なんで顔に落ちてくるのかなぁ。最悪、今日ほんとありえないくらい最悪だよ。ありえない。本当、最悪。めちゃくちゃ痛かった。誰だよこんなところに荷物置いたやつ。まぁボクな訳だけど。ズキズキと痛む鼻を押さえながら落ちたものを拾おうとしゃがみ込んで、そこで、目が合った。そう、目が合ったんだよ。

    「これ……」

     床に落ちてしまったのは小さなぬいぐるみだった。それもびっくりするくらい会えていない恋人を模したぬいぐるみだった。そういえば昔何かの仕事の時で貰ったんだった。今の今まで忘れてた。なんだったっけなぁ。なんか取材受けるタイミングで商品化されたやつで、宣伝かねて写真とることになったんだっけ。ボクと一緒に映ったのはもちろん幻太郎と帝統のぬいぐるみ。なのに帰るタイミングでお土産として、ボクとや寂雷のぬいぐるみを渡されたのだ。今思い返してもなんで寂雷?って思うけどさ。遠回しにいらないよって何回も言ってるのに、結局寂雷のぬいぐるみを持って帰ることになって、なんでボクがジジイのぬいぐるみなんか連れて帰んなきゃいけなんだよってめちゃくちゃむかついて、紙袋にしまったまま適当なところに置いたんだっけ?当時はめちゃくちゃむかつく顔だなぁって思ってたはずのぬいぐるみとさっきからずっと目が合っている。微笑んでないところもなんかすっごく寂雷っぽくて。いや最近の寂雷はボク相手でも微笑んでることが多いから、寂雷っぽい表情というわけではないんだけど。でもなんか、これはちょっと、いいかもしれない。

    「なんか、可愛いかも」

     紙袋をひっくり返すとボクのぬいぐるみも出てくる。うんうん、君も可愛い。あは、嘘でしょ、なんかすっごく可愛い……。たまらなくなってぬいぐるみ2つをギュッと抱きしめて頬を寄せる。仕舞い込んでいたから当然ちょっとだけ埃っぽい。ごめんねぇ、暗かったよね。狭かったよね。でももう大丈夫だよ。これからは明るいところで一緒に遊ぼうね。後で二人のベッドも用意してあげよう。クッションと、可愛いタオルで簡易のベッドくらい作ってあげられるだろう。よしよしと頭を撫でていると、大きな埃の塊が宙を舞った。

    「お風呂入れてあげなきゃ」

     サマトキが来るまで、まだ時間はある。とりあえずお風呂だけは入れてあげて、ご飯から帰ってきたらお洋服でも作ってあげようかな。不思議だった。ついさっきまでクソみたいだったテンションが復活してくる。何もかもやだーって思ってたのに、今は可愛いぬいぐるみを前にわくわくが止まらない。痛くないようにそっとぬいぐるみを抱き抱えながらボクはシャワールームへと駆け出した。



    ◾️◾️◾️



     チラリと、スマートフォンを確認する。つい数分前と同じ行動を繰り返す自分にほとほと嫌気がさす。でもどうしても、気になってしまうのだ。彼からのメッセージが来るのを今か今かと待ち侘びている自分がいる。

     けれども心待ちにしているメッセージは返ってこない。いや、彼も仕事をしているのだから当たり前のこと、なのだろうけれど。でもつい数週間前までは私がメッセージを送ればすぐに返してくれていたのだ。たとえそれが、悲しい内容だったとしても。もちろん私とて好きで彼とのデートを駄目にし続けた訳ではない。私だってできることなら彼に会って、たくさん他愛無い話をしたい。でも何故かここ数ヶ月は彼に会う日に限って緊急オペが入ってしまったり、急患が運ばれてきて……。ボクは大丈夫だから、頑張ってね!送られてくるメッセージの裏でどれだけ寂しい思いをさせてしまっただろうか。……その寂しさから彼が私の元からいなくなってしまうのがどうしようもなく怖くて、左馬刻くんに時間がある時だけでいいからと乱数くんの様子を見に行って貰ったりもしたのだけれど……。勿論、他人任せにしたつもりはない。時間を見つけては電話をしてみたり、顔が見たいと我儘を言ってビデオ通話に誘ってみたり。やれることはやった、つもりだった。でも数週間前から、彼のレスポンスが目に見えて遅くなった。朝送ったメッセージも返ってくるのは夕方になることが多くなった。もしかしたら、約束するだけで一向に守れない私に嫌気がさしたのかもしれない。そんなことを思い始めたのが一週間前で。どうしたらいいのだろうかと途方にくれる私の元に、早く直接会いに行ってやれと左馬刻くんからメッセージが来たのが、昨日だ。最終勧告、なのだろうか。それとも本当はもう遅いということなのだろうか。今日も朝起きてすぐに連絡を入れたのだ。今日は何もなければ15時過ぎに病院を出られるから、久しぶりに君の顔を見に行ってもいいかな。そう送ったメッセージは15時15分になった今でも既読がつかない。その事実に盛大にため息が溢れた。そんな私の顔をみて、知り合いのスタッフたちが苦笑いを溢す。

    「朝は今日の仕事終わりを楽しみにされていらっしゃったのに……診察中になにかあったんですか」
    「そうですよ先生。表情が随分とお暗い気が」
    「……そう、かな」
    「今日は久しぶりに恋人さんに会えるんですよね?そんな顔で行ったら怒られますよ」
    「それが……その。ここ数週間あまり連絡がつかなくて」
    「あぁ、何度も約束を駄目にしてるんでしたよね。怒っちゃったんじゃないですか」
    「ちょっとわかるかも。仕方ないってわかってても悲しいものは悲しいですもんね」

     サラリと放たれた言葉が心臓に突き刺さる。返す言葉もなくて、肩を落とすことしかできない。やはりそうですよね、思ったよりもどんよりとした声が漏れた。そんな私をじっと見つめて、彼女たちは深刻そうですねぇ、くすりと笑った。

    「あぁそうだ。お土産に可愛らしいスイーツでも持っていくのはどうですか。ちょうど可愛らしいケーキのお店が近くにPOPUPできていますよ。甘いものを買って、ゆっくり話されるのはどうでしょう」
    「ケーキか、それはいいね」
    「チョコスプレーがいっぱいかかったケーキもあるらしいですよ。ら……先生の恋人さん、確かお好きでしたよね。可愛らしいものと可愛らしいもの」
    「えぇ、そうなんです。可愛いものに目がない子でね。可愛いケーキか……いいですね」
    「確かくまちゃんが乗ってるケーキもあったような……そういうのもお好きですかね」
    「あぁ、間違いなく喜びそうです」
     
     以前彼について何か話しただろうか。ここ数ヶ月は本当に忙しくて、あまり記憶が定かではない。あまりにも彼に会えなくて、私は何か溢したのだろうか。可愛い物が好き、という話をしたのだろうか。でも本当にありがたい情報だった。甘いものを持っていけば、乱数くんは喜んでくれるかもしれない。笑顔を見せてくれるかもしれない。そう思うと少しだけ気持ちを持ち直せた。そうだ、甘いものを買っていこう。彼の好きそうなものをいくつか買ってもいいかもしれない。買いすぎだよ、と怒られるかもしれないけれど。その時は私が責任を持って食べればいい。

    「ありがとう、これから買いに行ってみます」
    「えぇ、お気をつけて」


     チョコスプレーも可愛らしいケーキも、どちらも乱数くんの好きなものだ。本当に教えてもらえて良かった。さっきまで恐ろしいほどに重たかった足が急に軽くなる。頭を下げて、足早に駐車場へと向かう私の耳には彼女たちの声は届いていなかった。

    「……言わなくて、良かったのかな?」
    「まぁ、ね。だって突然乱数ちゃんが〜っていうものあれかなって」
    「先生、SNSとか全然みないもんね。そういえばさっき新作上がってたよね」
    「多分乱数ちゃん、今頃……」


    ▫︎▫▫

     彼の事務所の前にこうして立つのはいつぶりだろうか。もらった合鍵を握り締めながら思わず立ち尽くしてしまう。両腕が、重たい。いつの間にかケーキ以外にも彼の好きなものを、そう、目についた限り、全て、買ってしまった。必死すぎるとは思っている。でもどうしようもないのだ。もし本当に愛想を尽かされていたら、どうしよう。顔を見せるなり帰れと言われてしまったらどうしよう。そんなことを、思ってしまう。

     祈るような気持ちで、スマートフォンを確認する。新着のメッセージはない。トークアプリを開いてみる。相変わらず既読すらついていない。事務所には電気がついているのに。メッセージを読むのも嫌になってしまったのだろうか。

    「乱数くん……」

     震える手で、インターホンを押す。ボタンを押して、指を離すまでがスローモーションに見えた。音が鳴り響いて、その後沈黙が続く。沈黙が、続く?そう、あまりにも静かだった。物音一つ聞こえない。モニターを確認するにしても、少しくらい音が響くだろう。

    「……寝ているのかな」

     思いつく可能性を口にすると、急に心が軽くなった。もちろんまだそうと決まったわけではない。でももしかしたら愛想を尽かされた訳ではないかもしれないのだ。少しの希望が、どうしようもなく嬉しい。どうか寝ているだけでありますように。最近なかなかメッセージを返してくれないのも、どうか仕事が忙しいからでありますように。そう祈りながら、そっと鍵を差し込んだ。かちゃん、と軽い音を立てて鍵を回す。そうして静かにドアを開けて、ゆっくりと中へと足を踏み込んだ。

     彼が寝ていると信じて、静かに部屋の中を横切る。案の定いつものソファに彼は丸まって眠っていた。顔色もいい。食事もしっかり摂っていたようで、安心する。ぐるりと部屋を見渡してみても、最後に訪ねた時から大きな変化はなくて、安心する。くぅくぅと可愛らしい寝息を立てている彼をしばらく眺めてから、そっとその頬に触れてみる。起こすのは少しかわいそうだけれども、本格的に寝るのであれば場所をうつした方がいい。ベッドにいくかどうかだけ確認ができれば、あとは私が運んであげればいい。彼が驚かないように優しく頬を撫でて、そっと名前を呼んだ。

    「乱数くん」
    「ん……」

     たったそれだけの音で彼の瞼がぴくりと震えた。乱数くんは休日の私よりもよっぽど寝起きがいい。一度名前を呼んだだけで目が開く。でもまだ、眠いのだろう。スカイブルーの瞳は今にも溶け出してしまいそうだった。

    「あれぇ、じゃくらい?」
    「急にごめんね、君の顔がみたくなって……」
    「ん〜」
    「眠そうだね、ベッドに行くかい?」

     ベッドの言葉に反応するかのように彼が手を伸ばす。連れて行って、ということだろう。両手に持ったままの荷物を一度テーブルに置いて、膝をついて彼を抱えようとしたところでさっきよりもはっきりとした声が響いた。

    「寂雷?」

     彼の大きな瞳にゆっくりと私が映り込む。なんと答えていいかわからなくて、ただ頷くことしかできない。けれども寝起きでどこかぼんやりしていた彼は私の名前を口にして、もともと大きな瞳をさらに大きく見開いた。そうして、嬉しそうに笑った。それがどうしようもなく嬉しい。嬉しくて嬉しくて、たまらなかった。

    「寂雷だ!え、なんでなんで?え、うそ、夢?ひさしぶりだねぇ」
    「危ないよ、乱数くん」

     器用にソファから跳ね起きた彼は加減することもなく私へと飛びつく。さすがに距離が近すぎて私の体も後ろへと傾くけれど、彼に怪我をさせるなんてことがあってはいけない。なんとか片手を突いて衝撃を減らして、彼を抱えたままなるべく静かに床に腰を下ろした。その間も彼は嬉しそうに私の名前を呼んで、首筋に頭を擦り付けている。よかった、少なくとも嫌われてはいないのだろう。恐る恐る彼の背に回した腕に少し力を込めても嫌がるようなそぶりはなくて、安心する。

    「そんなつまんないこと言わないでよ。ひさしぶりのボクだよ?嬉しくないの?」
    「嬉しいに決まっているだろう。ごめんね、何度も約束を破ってしまって」
    「さすが回数かさんで堪えたけど〜仕方ないよ。お仕事お疲れ様」
    「これからは少し落ち着く予定だから、今度こそ埋め合わせをさせてください。何か美味しいものでも食べにいこうか」
    「それも魅惑的だけどぉ、まずは何にもせず寂雷と二人でだらだらしたいかな」

     寂雷の家にお泊まりして、ゆっくり映画でもみようよ。そう言って彼は自然な流れで私の唇を奪う。一瞬だった。温もりは本当に一瞬で、過ぎ去ってしまった。それが寂しくて、左手で彼の頬に触れる。私が何をしようとしているかくらい、彼にはお見通しだろう。楽しそうに私を見上げて笑っている。もう片方の手を彼の腰に回そうとして、ふと、指先が何かに触れた。柔らかくて、なんというか、もっちりとしている、何かだった。なんだろうか。万が一彼の作品だったら安全なところに避難させなくてはいけない。そう思って両手でそれを掬い上げて、私は首をかしげることになってしまった。

    「……?」

     私の手の中にあるのあ10センチほどの小さなぬいぐるみだった。髪の毛の部分は長さがあって、色は紫。青い瞳がこちらを見つめている。なんだろうか。乱数くんの仕事の小道具だろうか。どう扱っていいのかわからず困惑していると、乱数くんがありゃ落ちちゃったの?と甘い声を出しながら私の手からそれを掬い上げる。

    「ぬいちゃん勝手にお散歩したらだめだよ〜」
    「ぬいちゃん」
    「かわいいでしょ?これはぬいちゃんの寂雷だよ!ぬいちゃん、こっちはね人間の寂雷だよ。でっかいよね。大丈夫だよ、怖くないからね」
    「……ぬいぐるみの、私?」
    「急にかわいい服を着せたくなってさぁ、明け方から作業しててお昼くらいに完成したんだよね。朝まで仕事してたのに、おかしいよね。なんかもう楽しくなっちゃって、始めたらやめられなくなっちゃって!みて、どう?可愛いでしょ、ボクお手製のお洋服なんだよ」

     彼の手に乗せられた私のぬいぐるみがこちらを見上げている。言われるまで気づかなかったけれども、確かにラベンダーカラーのドレスを身に纏っていた。レースや飾りの部分が本当に細かい。これを作るのはさぞ大変だったことだろう。

    「……すごいね。ドレスを作ったのかい」
    「かわいいでしょう、ぬいちゃんのボクとお揃いなの」
    「ぬいちゃんの乱数くん」

     そういうと彼は私の手をとって、何かを握らせる。視線を落とせば、ぬいぐるみの乱数くんがいた。こちらも同じように無言で私を見上げている。でもそれが少し可愛らしくて、乱数くんが夢中になるのもわかるような気がした。ふっくらとした頬を指先で撫でてみる。錯覚だとわかっているけれども指先に擦り寄ってくれてるような気がして、心が暖かくなる。

    「可愛らしいね。癒されるよ」
    「でしょう!じゃぁ、はい!」
    「え?」
    「抱っこしてていいよ」
    「え、っと……ありがとう?」
    「どういたしまして!ってかすっごい荷物だね?どうしたの?」

     何故か乱数くんのぬいぐるみの抱っこの許可を頂いた私は、小さな小さなぬいぐるみを両手でしっかりと抱えた。私の手のひらの中に淡いピンクのドレスを身に纏った彼のぬいぐるみが寝転んでいる。なんとも不思議な光景だった。なんというか、今にも動き出しそうで、ずっと見ていたくなってしまう。思わず小さな彼をじっと見つめていると、不意に乱数くんの弾むような声が響きわたる。いい匂いがする〜と笑っているので中身が食べ物なのはわかっているのだろう。

    「君が好きそうなものを見つけて、その」
    「全部買っちゃったの?」
    「……はい」
    「あはは、寂雷ってそういう時あるよねぇ!ボクお腹すいたしちょうど良かった!食べよぉ」

     どこからともなく可愛らしいデザインの紙皿とカトラリーが出てきて机の上に並ぶ。彼が袋の中身を確認していく。サンドイッチにポテトにチキン。他にも何か買ったような気がする。本当ならばバランスの良い食事を心がけようねと言わないといけないのだろうけれど、そんな余裕は私にはなかったのだ。今日だけ、今日だけは特別にしよう。乱数くんもこんなに喜んでいるのだから。彼から預かっていたぬいぐるみはクッションの上へと寝かせておく。彼が開けたものを受け取って、紙皿へと中身を並べていく。それを繰り返していくうちに乱数くんの手が、今日のメインと言っても過言ではないケーキの箱へと触れた。

    「あ!可愛いケーキがある!くま!くまちゃんだ!こっちはチョコスプレー?見てみて、チェリーの形のチョコが乗ってる!絵本のパフェみたいだよ」
    「ふふ、特に君が好きそうだと思って」
    「すっごい可愛い!ボクこういうのだぁいすき!」

     ケーキを取り出して、乱数くんが満面の笑みを浮かべた。待っててね、可愛くて大きめの紙皿があるの!そう言ってどこかへとかけて行って、一瞬で戻ってくる。そうして慎重にケーキを取ってきたばかりの可愛い紙皿へと並べて、彼は可愛らしい笑顔で私を見上げた。

    「わーい!可愛い!最高ぉ!ぬいちゃんと撮ってもいい?」
    「え、あ、はい、どうぞ?」
    「良かったね、ぬいちゃんの寂雷!あ、ぬいちゃんのボクどこ〜」
    「……ふふ、ぬいぐるみの君はここで寝ているよ」
    「あ、なんかいいところで寝てる!おいで!」

     ぬいちゃんの寂雷はここね。ボクのぬいちゃんはここに立ってね!声を弾ませながら彼がぬいぐるみをセットしていく。まるでスタジオに準備された撮影セットのようだった。楽しそうに何枚も何枚も写真を撮っている。楽しそうな彼が見れて、自然と心が満たされていく。あぁそうだ、ずっと楽しそうな彼が見たかったのだ。約束が駄目になるたびにさせてしまう悲しそうな顔ではなく、この笑顔が見たかった。彼が自分の作品に夢中になっている間に、そっとスマホを向ける。私が押したシャッター音はきっと彼の撮影の音にうまく紛れ込むだろう。一枚だけ、そう一枚だけ。自分にそう言い聞かせながら、私は可愛らしい服をきたぬいぐるみと彼を同じ画角に収めて、そっとボタンを押した。そうしてそのまま何食わぬ顔でその写真をホーム画面の待ち受けへと設定する。

    「よし、おっけ〜!お待たせ!たべよっか!」
    「いい写真は撮れたかい?」
    「うん、見て?これ可愛くない?」

     写真を撮って満足した乱数くんがソファに座った私の足を跨ぐ。お腹が空いたと口を開けるので、フォークでポテトを突き刺して小さな口へと運ぶ。彼はもぐもぐと小動物のように口を動かして、次はチキンがいい!と可愛らしいおねだりをするのだ。彼の一口のサイズに切り分けて、もう一度口へと運ぶ。本当にお腹が空いているのだろう、何かを口元へと運べばその度に彼の小さな口に吸い込まれていく。彼は一生懸命口を動かしながら、撮ったばかりの写真をお披露目してくれた。

    「相変わらず写真を撮るのが上手いね」
    「そうかな?ま、あとでボクのアカウント載せよ〜っと」
    「ぬいぐるみの私も写っているけど、いいのかい?」
    「うん?だってぬいちゃん2人で楽しそうにしてる写真すっごい可愛いでしょ?自慢するんだぁ」

     彼のSNSにぬいぐるみの私が登場していいのだろうか。まぁでも乱数くんがいいのであればいいのだろう。時々私とカフェに行った時の写真も載せているようだからそれの延長のようなものだろう。少し前から乱数くんが私たちのぬいぐるみを愛でているとSNSで話題になっていることを私はまだ知らない。SNSのランキングが私たち2人を指す言葉で埋まっていることなど到底知るよしもなかった。ただただ可愛らしい恋人を膝に乗せて、彼に美味しいものを食べさせて心を満たしていく。そんな小さな幸せをひしひしと噛み締めていた。


    結局その日はそのまま彼の事務所で自由気ままに飲み食いをして、日が暮れる頃に私の家へと移動した。もちろん彼のぬいぐるみと共に。今日はとりあえずゆっくり眠る日にしようということになり、2人して少し珍しい時間にベッドへと入った。最近は1人で眠ってばかりだったから、そばにぬくもりがあることがどうしようもなく嬉しい。私の腕の中で体を丸めている乱数くんも、なんか久々だよねとはにかんでくれた。

    そうしてさぁ眠ろうかとなって、いつも通り、そうこれまでのいつも通りに彼におやすみのキスをしようと、した。けれども彼はするりと私の腕から抜け出してサイドテーブルへと身を乗り出す。そこには彼が連れてきたぬいぐるみが仲良く2人小さなクッションの上で寝かされている。

    「おやすみ、ぬいちゃんたち」

     優しい声でそう呟いて、彼はぬいぐるみの私とぬいぐるみの乱数くんへと口付けた。それから何事もなかったように私の腕の中へと戻ってきて、呆然とする私へと口づける。遊ぶように何度か触れるキスを繰り返して、それからこてんと首をかしげた。

    「……」
    「あれ?なんか寂雷拗ねてる?」
    「いえ……拗ねているわけでは…」
    「ごめんね、ちゅーの順番は人間の寂雷を最初にするね」

     そう言って彼はごめんねのちゅーしたげるね!と可愛らしい声を弾ませた。今度は触れるだけのキスではなく、彼の小さな舌がにゅるりと入ってくる。彼が私にまたがって気が済むまでキスをしている間、私は彼に対して可愛らしいなという気持ちと愛おしいなという気持ちと、なんとも言えない気持ちで掻き乱されていく。拗ねているわけではない、と思うのだけれど。いや、どうなのだろうか。私はぬいぐるみに嫉妬するような男だったのだろうか。答えは出ないまま、私の口内を好き勝手弄ぶ恋人をそろそろ寝かしつけようと片手で彼を支えながらぐるりと体勢を入れ替えるのであった。きゃぁ、と声を弾ませる彼をしっかりと腕に抱いて、今度は私からおやすみのキスをした。



     

     
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