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    nostalgie_22

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    和解後寂乱🐰
    ペアフレWEBオンリー新作その①です

    のすおさん(@nosuo0253)に 寂乱ネタいただいて3月からちまちまかいてたやつです✌️

    There is love in the air💟「よーし、これで……っおわったぁ」

     両肩に荷物を提げたまま、両腕をまっすぐ伸ばす。首も肩も腰も肩甲骨も何もかもが凝り固まってたみたいで、すごい音がボクの内側から響いた。修羅場開けの幻太郎と一緒だ。うんうんそうだよね。ここ一ヶ月くらいずっと頑張ってたもんね、ボクの体。でもこれは、全然嫌な疲労では無い。だってこれはボクががんばった証だから。だからどれだけ体が疲れてたって自然と口元には笑みが浮かぶ。足は驚くほどに軽いのだ。今回もサイコーの仕事ができた。いつだってボクが生み出すものはボクにとってサイコーだけど、これは今回もサイコーを更新しちゃったんじゃないだろうか。絶対そうに決まってる。

     さてさて、今日これからどうしようか。たった今大きな仕事がひと段落着いた訳だけれど、休むのもよし更にはしゃぐのもよし、全てはボクの自由なのだ。何をするもしないも、全部ボクが選べちゃうんだからね。うん、やっぱり自由っていいね。

     ボクとしてはやっぱり楽しいことがしたい。心が踊り出すくらいわくわくすることがしたい。今日も今日とてボクの世界は楽しくてきらきらしたもので溢れているけど、ボクはもっともっとこの世界を面白くしたい。だって世界はきっと、もっと面白いはずなのだから。その面白い世界でボクはずっと笑っていたい。さぁて、これから何して遊ぼっかなぁなんてのんびり思っていると不意にポケットの中に仕舞われたままのスマホが震えた。

    「あ、寂雷だ」

     誰からだろうか。そんな事を思いながら取り出したスマホの画面には最近よく見るアイコンからのメッセージが表示されていた。少し前までは絶対に見ることのなかったアイコン。まぁ、うん、ブロックしてたからね。見ることも本当になかったのだけれど。
    最近よく見る、というより何だかんだ毎日少しずつ会話しているような気が、する。気のせいではない。ボクの知り合いの中でもトップクラスのシンプルなアイコン。寂雷の、アイコン。ここまでシンプルだと逆にわかりやすくて、ちょっと笑える。

     ボクも寂雷もお互いに忙しい時が多いから会話をしていると言ってもほんの少しずつなのだけれど。でもまぁ、嫌では無い、と思う。あんまりくどくどお説教もしないし。文字だけのメッセージが可愛くないと告げれば、ヒフミンに教えて貰って緩いキャラクターのスタンプを買って使うようにもなったし。かたっくるしい文章の次にゆるいタッチのわんちゃんのスタンプが並ぶのはちぐはぐで、おもしろい。まだ本人には言ってないのだけれど、ボクはこのチグハグさが愛おしい、のだと、思う。

     あの日からボクたちの関係は変わり始めている。あの日改めて、ボクたちの新しい関係は始まったのだ。寂雷の無自覚な上から目線も、うざったい漢字の羅列のお小言も今でも好きではないし、昔ほどまだぴったりくっつくような仲良しは気恥しくてできないけれど、ボクたちはちょっとずつ、友達をしている。昔のボクたちを再現したい訳ではないから、ボクたちは今改めて互いを理解しながら、ペアレントフレンドとして新しい関係を築いている、のだと思う。

    「んーっとぉ」

     昨日の会話の続きだろうか、と確認してみたけれどどうやら違うようだった。今日はお仕事でしょうか、そんな内容が寂雷語で書かれている。いや気軽にそれくらい聞けよと思うのだけれど、まぁ寂雷だしなぁ……。そういえば昔もそうだった。聞きたい内容はシンプルなのに、何故か寂雷からのメッセージは長い。これはきっと変わらないのだろう。込み上げてきた笑みを口元に浮かべながら、今日はもう終わったよ、と簡潔な言葉とかわいいうさぎのスタンプを送った。

    「あ、もう既読ついた」

     送って1秒くらいで既読がつく。これはほんとに珍しい。半日とか一日とか、次のメッセージまで時間が空くのがデフォルトなのだ。だからきっとこれは何か用があるのだろう。このまま寂雷がぽちぽちメッセージを打つのを待ってもいいけど、なんかそれも勿体無いような気がする。だからきっとこうした方が話ははやい。そう思ってボクは迷いなく通話ボタンを押した。

    「……っ、ら、らむだくん?」

     CallingCalling……それも直ぐに繋がってちょっと面白くなって、ボクは笑った。きっと今日はおやすみなのだろう。それできっと何かを思いついてボクに連絡してきた、そんなところかな。頭の中でそんな事を考えながらも、ボクは待ってあげるのだ。ちゃんと寂雷が、寂雷の言葉で言うのを待ってあげる。嘘、ほんとは嘘。昔はちょっと甘やかして寂雷が言いたいことを先に察して動いてあげていたのだけれど、それを辞めただけ。だってボクたちはペアレントフレンドなのだから。対等なところは対等でいい。だから今日は寂雷からの言葉を待つ。

    「あ、寂雷? すぐに既読ついたから電話しちゃった! 大丈夫だった?」
    「えぇ、大丈夫です。今日はお休みだったから」
    「そっかそっか。それで、どうしたの?」
    「……乱数くんは今日はもうお仕事は終わり、なんですよね。この後の予定は」
    「あっ、ちょっとまって、ごめん……ふぁ……」

     寂雷の声を聞いていると、最近ほんの少し気持ちが緩んでしまう。これは最近のちょっとした困りごとだ。さっきまで噛み殺せていたはずのあくびが我慢できなくて、気の抜けた声がもれる。そんなボクの様子を聞いて、寂雷は穏やかに笑った。

    「ふふ、お疲れかな」
    「ごめん、あくびしちゃった」
    「構いませんよ。お疲れのところ、すまないね」
    「ううん、大丈夫。それで、なんだっけ」
    「あぁ、今日この後の予定を聞こうかなと。君さえ良ければ、今晩私の家に御飯を食べに来ないかない? 少し作りすぎてしまってね。勿論君が疲れてなければなのだけれど」
    「ごはん?」
    「君の好きな茶碗蒸しがありますよ」

     どうやら今日はうちでご飯を食べませんか、のお誘いだったらしい。前に食べさせてもらった寂雷特製の茶碗蒸しは本当に美味しかったのだ。魅惑的なお誘いにお腹の方が先に返事をする。聞こえたかな。聞こえてないといいのだけれど。赤くなった頬が見つかる訳もないのに空いている手で必死に頬を抑えた。

    「じゃぁ行こうかなぁ。今日お昼ご飯食べ損ねちゃって、お腹ぺこぺこなの」
    「よかった、ありがとう乱数くん」
    「どういたしまして? あれ、なんでボクお礼言われてるの?」
    「どうしてだろうね。ところで今日も荷物、多いのかな」
    「それなりにね。両肩は塞がってるよ」
    「今はどのあたりだい」
    「えーっとね」

     今いる場所を手短に伝えると、スマホから微かに物音が響いた。立ち上がって、移動しているような音。不思議に思って名前を読んでみる。けれども返ってきたのは穏やかで優しい声だった。そこにはほんのちょっとの迷いもない。寂雷の中で、何かを決めたのだろう。

    「そこなら、電車よりも車の方がアクセスがよさそうだね」
    「そう?なの?ごめん、よくわかんないかも」
    「迎えに行きますよ」
    「え〜、でも電車で行ける距離だよ? 今日お休みなんでしょ、ちょっとでもゆっくりしてたら?」
    「気分転換にドライブがしたい気分なんです、よかったら付き合ってくれるかい?」
    「えぇ、さっきまでご飯作ってたんじゃないの……まぁ、寂雷がそれでいいなら、いいけどぉ」

     なんだかちょっとだけ申し訳ないような、でも寂雷がそれが楽しいならいいような。なんだかちょっと落ち着かなくて、その場でちょっとくるくると回ってみる。見えてないはずなのに、何故か寂雷は笑うのだ。もしかして、見えてる? とも思わなくもない。寂雷ってなんかこう、時々ボクがどこで何しているのかが見えてるんじゃないかと本当に思うようなことがあるのだ。

    「そういえば、この近くに寂雷がいつかドライブしてみたいって言ってたとこあるよね」
    「あぁ……そういえばそうですね。覚えてくれていたのかい」
    「せっかくだからそこも寄ってみない?時間ない?」
    「そうだね、お言葉に甘えさせてもらおうかな」
    「うん、そうしよぉ」
    「これから家を出るから……カフェで少し時間を潰せるかい?」
    「うん、それは全然大丈夫!場所送ってくれたらそこまで行くからね?」
    「迎えに行くから、大丈夫ですよ」
    「ま〜たそれだぁ」

     時々一緒に出かけるようになってから、何故か寂雷はボクがいる場所にまで迎えにくるのだ。そっちまで行くよって言っても絶対に迎えにくる。むしろ今いる場所から動くなと言わんばかりにそこで待つように言われるのだ。カフェに入ったらカフェまで寂雷が迎えにくるのが最近の定番になってしまった。

    「ねぇ、心配しなくてもお前の車に行くまでにどっか行ったりしないよ。ちゃんとまっすぐ向かうって」
    「それはどうかわからないでしょう。昔待ち合わせに来ないと思ったら全く違う場所にいたのは誰だろうね。それも一回だけではなかったような気がするのだけれど」
    「それは〜……そうだったけどぉ」

     確かにあの頃は、目に見えるもの全てがボクにとっては新鮮で、触れてみたくて、自分のものにしたくて、時々約束をすっぽかして駆けてしまっていたのだ。今思えば本当に悪いなぁ、と素直に思う。でもちょっとだけ、寂雷だって同じことしたことあるじゃん、とも思う。だってそれも事実だし。少し興味がとかなんとか言って、結構どこかに吸い込まれていくのに。でもまぁ、ボクは大人だし、優しいから言わないでおいてあげようじゃないか。

    「もぉ、わかったよぉ。カフェ入ったら場所送るね」
    「ありがとう、乱数くん」
    「ボクが折れる前提で話すの、ほんとやめなよ」
    「さぁ、なんのことでしょうか」

     わざとらしい声が鼓膜を許す。でも不思議と、嫌ではない。嫌じゃないから、困る。何故かちょっと楽しいから、困っちゃう。堪えきれずに笑うと、そこに笑い声が重なった。じゃぁまたすぐ連絡するからね。そう言って電話をきる。

    「なんか甘いものでも飲もうかなぁ」

     もちろん体は疲れてる。でもやっぱり不思議と体は軽くて重たい荷物を持ったままスキップをする。そういえばさっきこの道を通る時に気になるカフェを見つけたのだ。寂雷が来るまでそこで時間を潰そうと心に決めて、くるりとつま先のむきを変えた。晩御飯食べるから、ケーキは我慢しよう。ドリンクだけ。暑いから、冷たくてクリームがいっぱい乗ってるやつにしようかな。これでお腹壊したら寂雷にぐちぐち言われるから小さいサイズのやつ。そんなことを思いながら、ボクは荷物を落とさないようにしっかりと抱きしめた。



    ◇◇◇◇◇◇



    「乱数くん」
    「ん……、ぅ」
    「起きれるかい?それとももう少しだけ眠る?」
    「起きる、けど起きれない……」

     昨日まで忙しかったようだからね、今日はもう少し眠るといい。そんな穏やかな声が降って来る。あったかくて、優しい声。ほんの少し前まではこの声が聞こえるといらいらしてたはずなのに、今は何故だか落ち着くのだ。人間って、本当に勝手だよね。ボクだってそう思うよ。でもこればっかりはどうしようもない。心なんてコントロールできるものじゃないんだから。

    重たい瞼を持ち上げればベッドのそばに膝をついた寂雷と目があう。寂雷もさっき起きたのだろうか。毛先に寝癖がついている。これ、直すのちょっとだけめんどくさいやつだ。オイルつけて、後でさっとアイロンしてあげようかな。くにゃんと曲がった毛先を眺めながら、昨日の出来事を一つ一つ思い返していく。

     昨日は、そうだ、おっきい仕事が片付いて、そんなタイミングで寂雷からご飯の誘いが来て。カフェまで迎えに来てもらってちょっと長めのドライブをして、寂雷お手製のご飯をいただいて。お腹がいっぱいになったからなのか、もうどうしようもなく眠たくなってしまって。無理をしない方がいいという寂雷の言葉に甘えてお泊りをさせてもらったのだ。正直なところ、ご飯を食べた後の記憶はあんまりない。眠たくなってしまって、もうどうしようもなくて。この部屋に連れてきてもらった時も抱えられていたような、気がする。だって、眠たくて、なぁんにもしたくなかったんだもん。なんて、そんな風に開き直れたらどれだけ良かっただろうか。込み上げてくる恥ずかしさで頬が熱くなる。重たかったはずの目は一瞬で開いて、寂雷の穏やかな顔が目に入った。

    「……あ〜……」
    「乱数くん?」
    「ごめん、昨日のボクめちゃくちゃだったよね」
    「めちゃくちゃ?」
    「……眠くて、歩かないとか言ったような、ような気がして、その……なんか、ごめん」
    「あぁ、そんなことを気にしていたのかい?」
    「今ちょっと恥ずかしい、かも」
    「素直に甘えてくれる君も随分と可愛らしかったですよ」

     まだ眠りたがっている体を起こすと、寂雷がそっと背を支えてくれる。大丈夫だよ、このまま急に寝たりしないからね。そう言ってみるけれど、寂雷は穏やかに笑うだけだった。なんか、ちょっと、落ち着かない。前だって、そう昔だって、こうやってお泊まりだってしてたはずなのに、なんでだろうね。まだ眠たいから。心の中でちょっと言い訳をして寂雷の鎖骨あたりに頭を預けてみる。寂雷の匂いがする。白檀の香り。お香でも焚いていたのだろうか。そのまま、頭をちょっとだけ撫でてもらいながら、ぐるりと、部屋の中を見渡す。大きなビーズソファー。ボクには結構大きくって、あそこでお昼寝もできる。うさぎのぬいぐるみ。これまたおっきい。ふわふわで毛並みがいい美人さんだ。真っ白な子だから、名前はミルクちゃん。仕事で行き詰まってるときには話を聞いてもらったりもする。パステルピンクのシーツのベッド。これはシンプルに可愛いよね。これらは最初からこの部屋に用意されてたものだ。なんでかはわからないけど、仲直りしてから初めて寂雷のお家でお泊まりしようってなった時にはもうこの部屋に用意されてた。誰かからの貰い物だろうか。それとも寂雷が選んでくれたものなのだろうか。多分後者だけど、違ってたらなんかちょっとショックうけちゃいそうな気がして、結局今日に至るまで聞けていない。いや何がショックなのか自分でもよくわからないけどさ。

    ローテーブルの上のスケッチブック、お部屋で映画を見る時とかのんびりするときに着るルームウェア。普段一緒にベッドに入っているぬいぐるみの色違いちゃん。ここら辺はボクが持ち込んだものだ。だってこの部屋にいることもなんだかんだ多いし。いるなら快適に過ごしたいし……。このゲストルーム、なんかボクのものが増えてきてる気がする。

    「やっぱりもう少し眠るかい?君さえよければ朝食の準備をした後でもう一度起こしにきますよ」
    「んーん、一緒にリビングいく。今日お仕事でしょ?寂雷が出る時にボクも出発する」
    「わかりました。駅まで送るよ」

     大きな手が、ゆるりとボクの頭を撫でてくれる。嬉しくなってもうちょっと撫でていいよと告げれば寂雷の切れ長の瞳が優しく細められる。撫でられるのは、好きだ、と思う。なんかこう、上手くいえないけど。たくさんたくさん頭を撫でてもらいながら、ふと、部屋の中を見渡す。そんなボクの視線を追って寂雷も部屋の中を見渡すのがちょっとだけ面白くて、自然と口元が緩んだ。

    「なんか、気づいたらボクのもので溢れてるなぁって思って。なんか面白いね」
    「そうだね。君のものも随分と増えたね」
    「なんかね」
    「うん?」
    「ボク専用の部屋みたいだなぁって、思ったの。変だよねぇ、寂雷の家なのに」

     上手くいえない。でもここにいるとなんだか安心するのだ。ほっとする。肩の力が自然と抜ける。そういえば、ボクってずっと自分の部屋があるような、ないような、そんな感じだったのだ。昔も今も基本的には全てが事務所で完結するボクだけれど、あそこはボクだけの空間かといえば、少し違うのだ。なんだろう。なんていうんだろうね。割とオープンな場所ではあるからボク専用と言い切るのは何か、ちょっと違う気がするというか。そんなことをぐるぐる考えているとなんだか落ち着かなくて、深く息を吸い込む。当たり前だけれど、この部屋も寂雷の家の匂いがする。

     昔も寂雷の家に入り浸ってた時期もあったけど、それとはまた、何かが違うんだよなぁ。あの時は寂雷の家でもこんな風に気を抜いて、完全な自然体でいることは許されなかったから。なんかこの部屋、落ち着くんだよねぇ。寂雷の二の腕あたりに顎を乗せながら心のうちを明かせば、驚くほどに優しい音が降ってきた。

    「ここは君専用の部屋ですよ」
    「え?」
    「もともとそのつもりで用意したからね。すまない、伝え忘れていたかな」
    「え、あ、うん、聞いてない……し、え、あれ?ちょっと待ってね」
    「驚かせてしまったかな?」
    「……寂雷のお家に、ボクの部屋があるの?」

     寂雷がゆるりと表情を緩めて、ボクの頭をなでる。あぁ、こんな顔をするんだなと思って一瞬何を言われたのかわからなかった。本当に何を言われたのかわからなかった。わからないまま、素直に浮かんだ言葉を口にしてみる。だって、幻太郎のお家にボクの部屋はないし、なんか、おかしくない?あっていいんだっけ、あるのが普通なんだっけ?あれ、ボクの部屋って寂雷のお家にあっていいんだっけ?

    「どうしたんだい」
    「えっと、ボクの部屋って寂雷のお家にあって良かったのかなって」
    「嫌かな?」
    「やじゃないよ。でもそうじゃなくて、え、あれ、いいんだっけ」
    「いいと思いますよ。だって私たちはペアレントフレンド、なのでしょう?」

     目尻に少しだけ皺を作って、寂雷が笑う。あ、なんかちょっと可愛い笑い方をしてるけどなんかズレているような気がする。困惑するボクを置いてけぼりにして、寂雷は本当に嬉しそうに笑うから、困った。小さく首をかしげるその姿がちょっと可愛くて、もっと困る。一人ただひたすら困惑するボクを置いてけぼりにするくせに、寂雷は優しく、大切なものを触るみたいに、優しく、ボクの頭を撫でるのだ。

    「独歩くんのお家に一二三くんの部屋があるし、一二三くんのお家に独歩くんの部屋があるでしょう。実を言うと、少し羨ましくてね」
    「う……らやましかったんだね、そっかそっか……?あの二人仲良しだもんね?」
    「ふふ、だから私の家に君の部屋を用意してみたんだよ」
    「……?」
    「……乱数くん、眠いのかい?」

     だんだんと寂雷が何を言っているのかわからなくなってきて、言葉に困る。え、言葉の意味はわかるのに、本当に何を言っているのかわからない。もしかして目の前にいるのは寂雷の皮を被った宇宙人なのではないだろうか。もしかして違う世界の言葉を喋ってたりする?本当に置いてけぼりを喰らってしまって、何もできず寂雷に体を預けたままにしているからだろうか。寂雷はボクが眠くて頭が回っていないと思ったらしい。五分後に起こしますから、眠っていいですよ。そんな声が降ってくる。優しくて、低い声。優しすぎて、本当に眠たくなってくるからやめてほしい。でももう遅いかも。だってもう、眠い。眠くなっちゃった。起きてても何にもわかんないんだから、いっそもう一回寝ちゃえばどうにかなるんじゃないかな。そう思って眠たいモードに入ってしまった体を本格的に寂雷へと預ける。どうだ、重たいでしょ!ちょっとは困ってしまえ。そう思ってるのに何故か寂雷はニコニコだった。

    「この部屋は好きに使ってくれて構わないからね。事務所に帰るよりもこの家の方が近いこともきっとあるでしょう。いつもと作業環境を変えたい時に使う、というのもいいかもしれないね」
    「……ボクとしてはありがたいけどぉ……寂雷にメリットなくない?」
    「帰ってきた時にたまに君がいてくれる日があったら嬉しく思いますよ」
    「そぉ?じゃぁそゆ時はなんかご飯作っといてあげるかも。美味しいかはわかんないけどさ」

     最近、げんちゃろと一緒に料理したりもするんだよ。卵割っても殻が混入しなくなったよ。そう告げると寂雷はすごいねと頭を撫でてくれた。そうだよ、ボクって、すごいんだよ。だから今度寂雷にも作ってあげるね。目玉焼き。黄身が無事かどうかはその日次第だけどさ。
     そんなことを思いながらうとうとしていると、寂雷がボクの手に何かを握らせた。なんか、ちょっと、生ぬるい。なんだろうかと思って、重たい瞼を持ち上げるとそこにはうさぎのキーホルダーがついた鍵があった。なぁに、これ。ぼんやりしている頭では何も思考が回らない。そんなボクの頬を撫でながら、寂雷はまた笑った。そうして至極当然のように言葉を続けたのだった。

    「鍵ですよ、好きに使っていいからね」
    「合鍵ってやつぅ?うさぎ、かあいいね」
    「これも君のものだからね」
    「合鍵なんて、ボク初めてもらった」

     寂雷の大きな手が、ボクの手を握らせる。生ぬるい。うん、温い。寂雷、この鍵ずっと握ってたんだろうか。そんなことを、思う。でも生ぬるいのに、嫌じゃなかった。あぁ、もう、眠い。眠くて仕方ない。寂雷に手を握られて、なぜかひどく安心しているボクはそのまま束の間の夢の中へと落ちていった。


    ◇◇◇◇◇◇



    「で、持って帰ってきたんですか」
    「ん〜?」
    「あぁ、またそんなに口をいっぱいにして。貴方のご飯ですから誰も取ったりしませんよ」
    「んぅ、む!」
    「乱数。もう貴方って人は……食べ終わってからでいいですから、ほら、ゆっくり噛んで。喉を詰めますよ」

     足の低いテーブルに並んだ美味しいご飯。今日は久しぶりの幻太郎のご飯なのだ。ボクのおっきな仕事が終わったのと同時に幻太郎のおっきい仕事が始まっちゃって。ちゃんとゆっくり会えるのは数週間ぶりだった。茶色が多いご飯。ボクの大好物。思わずほっぺがいっぱいになるくらい大きめの一口をしてしまって何も話せなくなってしまったボクをみて、幻太郎はゆるりと表情を緩めた。急いで食べたらダメですよ。あぁもう、帝統の真似はしてはいけません。ボクはまだ何にも言っていないのに幻太郎はいつもこうやって話を進めちゃうのだ。なんかそれも可愛いけどね。今日は帝統はいないみたいだった。まぁ多分、どっかの賭場にいるのだろうけど。まだ電話はかかってきてないし、今のところは無事なのだろう。そんなことを考えながら一生懸命口を動かして、全てを飲みこむ。お茶も飲んでくださいね、今日も暑いですから。そう言われて差し出されたお茶も飲みこむ。

    「ん〜、おいし〜」
    「ふふ、気に入りました?」
    「うん、ボクこれ、だぁい好き!」
    「食べ物の好き嫌いに関しては本当にわかりやすいですね。もう少し食べますか?」
    「うん!」

     小皿を差し出せば、ボクが無理なく食べ切れる量のおかずを乗せてくれる。嬉しくって嬉しくって、自然と頬が緩んだ。そんなボクをみて一通り笑った後、幻太郎はゆるりと話を戻す。何故かお箸を置くので、ボクもつられてお箸をおく。

    「それで、乱数」
    「はーい?」
    「鍵、本当に持って帰ってきたんですか」
    「うん、ここにあるよぉ。ほらぁ!見て、可愛いでしょうさぎちゃん」

     近くに置いてあったカバンを手繰り寄せて、内ポケットから鍵を出す。これはピンクのうさぎちゃん。名前また決めてあげないとね。ピンク、ピンクだからなぁ。なんて名前にしようかな。そんなことを思いながらうさぎちゃんをツンツンしていると、幻太郎のほっそりとした指が伸びてきた。

    「それで、その……、鍵は使っているんですか?」
    「ん〜、今のところはまだ使ってないよ!」
    「そうですか」
    「だって寂雷の家に行く時は寂雷がお迎えにきてくれるから」
    「……」
    「最近ね、ボクのお部屋にくまちゃんのぬいぐるみが増えたんだよ!すっごいおっきくって可愛いの」

     名前はねぇ、と続けたところで幻太郎がわざとらしく咳払いをする。なんだろう。どこか気になるところでもあったのだろうか。それともくまちゃんみてみたくなったのだろうか。今度寂雷にボクの部屋にボクのポッセを招いていいか聞いてみようかな。寂雷のことだから好きにしていいよって言ってくれると思うけど。ボクの部屋ね、すっごく落ち着くんだよ。そう告げると幻太郎は難しい顔をした。なんの顔だろう、これ。

    「乱数、鍵をもらう意味はわかっていますか?」
    「なんかね、寂雷はボクたちはペアレントフレンドだからって」
    「はぁ……」
    「後はね、ドッポとひふみんに憧れてたんだって。なんかね、家に友達の部屋があるのが羨ましかったみたい」
    「……あの二人は一緒に住んでいるんですよね。部屋があるのは当たり前では?」

     突然の沈黙。あれ、言われてみれば確かにそうじゃない?そうだあの二人は一緒に住んでるんじゃん。そりゃ二人それぞれの部屋があるに決まってんじゃん。あれ、当たり前すぎない?なんでボク今まで何も思わなかったんだろう。というか、それならやっぱり寂雷の家にボクの部屋があるのっておかしくない?昨日もお泊まりしてたボク、おかしくない?

    「……、アレェ、なんかおかしい気がしてきた」
    「と言うよりもルームシェアでない限り、友人の部屋なんてないと思うのですが」
    「うっ」
    「それよりもまずは小生の家に乱数のお部屋を作らないといけませんねぇ。今物置きにしているあの部屋を片付ければ……あの部屋は日当たりもいいですし、乱数のお昼寝場所にもよさそうですね。後で帝統に連絡しておきますからね。後合鍵も早急に準備しましょう。可愛いねこちゃんをつけましょうね。ここは乱数の実家のようなものなのですから、鍵を持っていても何も可笑しなことはないでしょう」
    「……」
    「それからお部屋にはユニコーンのぬいぐるみを置きましょう」
    「なんか」
    「あぁついでに揃いのマグカップも三つ新調しなくては」
    「合鍵もらうのって、恋人みたいじゃん」

     口にしたら、もうダメだった。だっておかしい。おかしいもん。全部全部ぜーんぶ、おかしくない!?ペアレントフレンドだからって言った寂雷の言葉に嘘はない。寂雷って変なところでズレてるから多分本気でペアレントフレンドだから部屋を用意してもいいと思ったんだろう。あいつ本当にちょっとだけズレてるから!どうしよう、教えてあげた方が良いのだろうか。これ、やっぱりおかしいよって言ったほうが良いのだろうか。だって、これ、やっぱり恋人同士とかがするやつだよ。友達でするやつじゃないよ。そう教えてあげないといけないんじゃないんだろうか。

    「げんたろぉ」
    「はい」
    「ボクちょっと行ってくるね!」
    「えっ」

     またすぐに連絡するから!そう言って何故か重たい腰をあげる。でもお皿に残ったげんちゃろ特製唐揚げさんと目があって、口の中によだれが溢れてくる。お皿に載せてもらったやつは、ちゃんと食べなきゃだよね。うんうん、そうだよね。だってつくってもらったんだもん。ちゃんとセキニンとって食べなきゃだよね。寂雷もご飯は感謝していただかないといけないんだよって言ってたし。だからもう一度座って残りのそれを口へと運ぶ。出発するのは食べ終わってからにしなきゃ。口のなかが空になってからにしなきゃ。そう思って口を動かす。幻太郎はぽかんと口を開けてボクをみていたけれど、お茶のおかわりを入れてくれた。うんうん、今日は暑いしちゃんとお茶も飲まないとダメだよね。ぐいっと一息にお茶を飲み込んで、ボクはもう一度立ち上がる。

    「よし、じゃぁ行ってくるね!」
    「え、あ、はい、行ってらっしゃい……?」

     靴を履きながら片手でスマホを操作して、近くにタクシーを呼びつける。ここから寂雷の家までそう遠くはない。タクシーだって三分後にはくる。きっとあっという間だ。あっという間についちゃうだろう。えっと、まず、何から言おうかな。寂雷、多分間違ってるよって言えば良いのかな。多分これはペアレントフレンドがすることじゃなくて、恋人がすることだよって、言えば良いのかな。でも言ったら、ボクの部屋はどうなるのだろう。なくなっちゃうのだろうか。それはなんか、ちょっと、いやかも。鍵は返すけど、お部屋は残して欲しいと言うべきなのだろうか。あ、違う、友達の家に部屋があるのがおかしくて、だから、えっと、えっと?タクシーに乗り込みながら必死に頭を動かす。
     なんだろう。いろんな考えが頭の中でぐるぐるしている。どうしたら良いんだっけ。あれ、どうするべきなんだっけ。そんなことを思っているうちにあっという間に見慣れた家が見えてくる。あ、だめだ、もう着いちゃう。着いちゃうよ。えっと、なんだっけ。なんて言うんだっけ。気がつけば汗が噴き出てて、首筋に髪が張り付いて、ちょっと、やだ。そんなことを思いつつ、どこか冷静なボクはちゃんとお金を払って、運転手さんにお礼を行って、車を飛び出す。そうして震える手で、ポケットから鍵を取り出して、それをそっと差し込んで。あぁ、もう、もう全部どうにでもなれ!もとはと言えば寂雷が鍵を渡すからこんなことになったんだよ!寂雷のせいじゃん。寂雷が悪い。そうだ、寂雷が悪いんだもんね!

    「寂雷!」

     初めて鍵を使った。使ってしまった。ドアを開けて中に入っておっきな声で寂雷を呼んで、それからまた頭が真っ白になる。あぁもう、これからどうするんだっけ。なんて言うんだっけ。そんなことを考えていると、自然と視線が落ちた。あれ、なんか知らない靴がある。なんだろう。これ。ぼんやりする頭では何にもうまく考えられなくて、ボクは靴を脱ぐことすら忘れてそこに立ち尽くしてしまう。

    「乱数くん?」

     あぁ、誰か来てるんだ。そう気づいた時にはリビングに繋がるドアが開いて、後ろで緩く髪を纏めた寂雷が顔を出した。驚いたようにボクをみて、それからドアをみて、どうしようもないような顔で、笑った。笑ったのだ。心底嬉しいと言わんばかりの顔で、笑ったのだ。何故だろう、それをみて可愛いなぁって思っちゃったし、なんか心臓のあたりがキュってした気がする。慌てて握り締めたままの鍵を後ろ手で隠した。もうどうしたってバレてるのに。何やってんだろう、ボクは。

    「あぁ、鍵を使ってくれたんですね。嬉しいよ」
    「え、あ、……!違う、そうじゃなくて!」
    「おや、汗がすごいね。外は暑かっただろう?中に入って。冷たいお茶を用意するから」
    「でも、誰か来てる……」

     悪いから、今日は帰るね。そう言おうとしたのに寂雷の手がしっかりとボクの背中へと回る。ボクの話なんて半分くらい聞いていないんじゃないだろうか。ポケットからハンカチを出して、ボクの汗をぬぐって、今年はもう梅雨明けしてしまったんだよなんて小さく笑う。ねぇ、誰か来てるんでしょう。そうもう一度繰り返してようやく答えが返ってきた。

    「一二三くんと独歩くんだから大丈夫だよ」
    「でも」
    「最近は君が家でご飯を食べてくれる機会も増えたからね。一二三くんに最近の流行りを教えてもらおうかと思って。だから君が来てくれて嬉しいよ。作ったものをすぐに食べてもらえるからね」
    「でもっ」
    「大丈夫ですよ。あぁそういえば伝え忘れていました」
    「……?」
    「おかえりなさい、乱数くん」
    「……ただいま、じゃくらい」

     ずるい。寂雷はずるい。そんな顔されたら、用意してた文句ひとつ口に出来なくなってしまう。いつでも使って良いんだからね。そう言ってボクの手の中から鍵を取り出して、ちっちゃいカバンの内ポケットへと仕舞い込んでしまうのだ。そのまま自然な流れで手を引かれてリビングへと足を踏み入れる。ボクがくる時は静かなその空間は、今日はちょっとだけ騒がしい。でも不思議といやではなかった。

    「あれ、ラムチャンじゃん。どったの〜?あ、そういやセンセーの家に部屋があんだっけ?」
    「え、あ、うん」
    「そしたらおかえり〜!お茶飲む?」
    「飲む」

     ボクの姿をみてひふみんがひらりと手を振る。最近はシグマとか言わずに、何故かラムチャン呼びなのだ。その隣で独歩がなぜか半泣きになりながら人参の皮を向いていて、一瞬だけ動揺してしまった。なんだろう、そんなに嫌なのかな、人参の皮剥き……。代わってあげたいけど、ボクも皮剥き得意じゃないから。うん、なんか、ごめんね。最後の一本を剥き終わったところでひふみんが次の野菜を独歩の前に置く。なんか、容赦ない。でもちょっと楽しそうかもしれない。ひふみんがグラスに氷とお茶を入れてくれて、独歩が椅子に座ったボクのところまで持ってきてくれる。外、暑そうですね。そう言ってまた野菜の皮剥きに戻っていく。冷えたグラスに入ったお茶を一口飲み込めば、口の中に甘みが広がった。

    「甘いやつだ」
    「コーン茶ですよ。先日入ったカフェで君が気に入ったようだったからね。取り寄せてみたんだよ」
    「おいしいね」
    「暑い季節は水出しにして冷蔵庫に入れておきますから。たくさん飲んでくださいね」
    「えへへ、やったぁ」

     いつの間にか身体の熱も引いていく。冷たくて、甘くて、気持ちい。後なんだかちょっとだけ疲れたような気もする。ここでちょっとゆっくりお茶を飲んだら、ボクの部屋に行こうかな。ビーズクッションの上でちょっとだけお昼寝、して……。ボクの部屋、ボクの部屋!こんなところでのんびりしてる場合じゃないんだってば。そう思い出して、慌てて立ち上がる。

    「そうじゃなくて!」

     ガタン、と大きな音がする。でも寂雷は大して気にもしていなかった。いきなり立ち上がると危ないよ、なんてまたちょっとズレたことを言って優しくボクの肩を押す。そんなに力を込められたワケじゃないのに、ボクは再びぽすんと椅子に座り込む羽目になる。あぁ、もう。寂雷がマイペースすぎて本当に調子が狂う。

    「寂雷のお家にボクの部屋があるの、やっぱりなんかおかしいよ!」
    「おかしい?」
    「だって、だって」
     
     おかしい、と言う言葉にショックを受けたのだろうか。寂雷の眉が下がる。それにちょっとショックを受けているボクがいて、死ぬほど驚いた。え、ボク寂雷が悲しいとショックなの?なんで?ペアレントフレンドだから?本当に?本当にただそれだけ?そう言えばボク、いつの間にか寂雷が笑うと嬉しくて、悲しむと悲しくなっているような気がする。え、待って、おかしいの、ボクの方じゃない?ボク知らない間におかしくなっちゃった?

    「乱数くん?」
    「……げんたろーが、そもそも友達の家に部屋があるのはおかしいって」
    「でも私たちはペアレントフレンドでしょう?」
    「そうだけど、そうだけどぉ!多分なんかちょっとおかしいんだよ」

     自分から言い出しておいてろくな説明もできないボクの手を、寂雷が優しく握りしめる。その手が思ったよりも熱くてボクはびっくりして視線を落とした。するとそれに気づいた寂雷は困ったように笑って、君の手が冷えているんだよと告げるのだ。そのままボクを安心させるみたいに何度も何度も指先を握って、大丈夫だよと囁かれる。何にも大丈夫じゃないよ。大丈夫じゃないのに。寂雷のその言葉は魔法みたいにボクの心を溶かしていくのだ。でもだめ。ダメだよ。だってまだ言わなきゃいけないことは残ってる。 
     
    「俺っちの家に独歩の部屋あっけど〜?」
    「あれ、え、あ……、あ!鍵、もらうのも違うって。なんか、その、鍵渡すの、コイビトとかがするんだよね。本当は」

     ちょっとだけ嘘をついた。これは幻太郎には言われてない。自分で思っちゃったこと。冷静に考えたらコイビト同士でもなければ合鍵なんか渡さなくない?意を決して叫ぶように伝えたその言葉は意外にも寂雷にはなんの効果も発しなかった。寂雷は不思議そうに首を傾げている。えー、うそでしょ。そこは多少なりともそうか!ってなるところじゃないの。ズレてる。やっぱりズレてるんだ。ねぇもう誰かなんとか言ってよと思わず顔をあげたところで、キッチンで作業しているひふみんと目が会った。ねぇ、寂雷になんか言ってあげてよと必死に目で訴えるけれどひふみんは笑うだけだった。

    「独歩ちん俺っちの家の鍵持ってんよね?」
    「え、あ、そうだな?」
    「なんもおかしくなくない?ほらダイジョブだって〜」
    「でもでも、幻太郎が」
    「夢野センセーちょっとお堅いからそう思っちゃったんじゃね?最近はこんなもんっしょ」
    「……本当?」

     アレ、なんでボクこんなにも必死になってたんだろうか。そんなふうに思うくらいあっけらかんとした声が響いた。え、あ、そうなの?最近はよくあることなの?ボクがちょっとオネーサンたちと遊ばなくなった間になんか色々変わっちゃったのだろうか。友達に合鍵、渡すの?ふぅん、そうなんだ。じゃぁこれは、トクベツではないんだ。そう思うと何故か、悲しくなった。変なの。やっぱりボクちょっと変だよ。なんだよ、これ。これじゃぁまるで寂雷のトクベツになりたいみたいじゃん。え、は?嘘でしょ。なんで。

    「お二人が今の状況が落ち着くなら、俺はそれがどんな関係でも何も問題ないんじゃないかと」
    「……」
    「その、名前を持つ関係だけが特別と言うわけではないというか、なんというか」

     気を遣った独歩が何か言ってる。その横でひふみんがにこにこ笑ってる。わかってる。わかってるはずなのに。だんだん音が遠くなる。代わりにし心臓がバクバク動いている音だけが大きく聞こえてきて。そんな中で、ボクはひとつ、自覚したのだ。ボクは多分、寂雷のトクベツになりたいみたい。ペアレントフレンドじゃない、特別。でもそれって何?答えのない問いだけがぐるぐる頭の中を駆け巡って、何もかもが、遠い。

    「あの、飴村……さん?」
    「え、あ、なにぃ」
    「顔色がちょっと、悪いような」

     不意に届いた音に顔をあげれば、独歩がギョッとして目を大きく見開いた。顔色が悪い。顔色が悪いってなんだっけ。どんあの時になるんだっけ。あぁそうだ、なんか体調が悪い時とかによく幻太郎に言われるやつだ。じゃぁボクは今、きっと体調が悪いのだろう。

    「あ、なんか言われてみたら、クラクラしてきた」
    「それは心配ですね。乱数くん、少し触るよ」
    「ん……」

     隣から心配そうな声が響く。飴、舐めた方がいい?カバンを漁りながら声をかけるけれど、寂雷は真剣な顔でボクの脈をはかって、下瞼を確認して、それから小さく息を吐いた。そのままかすかに首を振る。
     
    「……とりあえずは大丈夫そうだね。今日は気温が高いからね、疲れてしまったのかもしれないね。大丈夫ですよ、君の部屋で少し休めばすぐに良くなります。飴は……そうだね、君が不安なら舐めようか」
    「ボクのお部屋いけば、大丈夫な気がする」
    「いきましょう」

     カタン、と小さな音を立てて寂雷が立ち上がる。改めてだけど、やっぱおっきいなぁとか、全然関係のないことを、考えてみる。今は、駄目。絶対に駄目。正気になればなるほど、発狂するかもしれないから。なぁんにも考えない。さっきちょっと何かに気づいたような気もするけれど、多分、ほら、考えない方がいいやつかもしれないもん。

    「あれま、そしたら俺っちなんかスッキリする飲みもん用意すんね!後で独歩ちんに持って行かせっから」
    「え、俺!?」
    「ん?それともこっちの準備する?」
    「……持っていかせていただきます」

     独歩とひふみんが何か話してる。なんか心配かけちゃったかも。でもなんか、ごめんね。みんなで料理してるところ止めちゃって本当に申し訳ないんだけど、色々考えすぎちゃって、ボク、なんか眠くてさ。もう何か、全部よくわかんなくなってきちゃった。
     
    「乱数くん、大丈夫かい」
    「……ん」
    「気持ち悪くなっていないかい?」
    「うん」
    「……歩ける、かな?」

     立ち上がったものの一歩も動かないボクをみて、寂雷が眉を下げた。手を繋いでくれるけれどそれでもボクの足は動かない。動かさなかった。だってもっと、いいのがあるから。ボクはそれを知ってるから。だから、繋いでいる手をゆっくりと振り解いてボクはまっすぐ両手を伸ばす。

    「おや」
    「連れてって」

     こうすると寂雷が嬉しそうに笑うのを、ボクはちょっと前から知っている。この顔が見たいから、何回かわざと困らせたこともある。だって、寂雷が嬉しそうに笑うから。本当に嬉しそうに笑うから、それが見たくて。ボクの目論見通り、寂雷は迷いなくボクを抱き上げる。ヒョロヒョロのガリガリなのに、力はあるんだよなぁ。寂雷の肩に顎を乗せて力を抜いて身を任せていると、キッチンにいるひふみんと目が合った。何故かひふみんは太陽みたいににっこりと笑って、親指を立てている。なんだろう。よくわかんないけど、とりあえず真似しておこう。そうしてボクはそのまま寂雷に運んでもらったから、リビングにいる二人がしていた会話はなんにひとつ知らないのだ。

    「あれで本当に付き合っていない、んだよな」
    「ほんとそれな〜、でももういけっしょ」
    「え」
    「いやどうみたってお互い好き同士じゃん?」
    「いやいやいやそんなまさか」
    「いやいやなんのために俺っちがさっき援護射撃したと思ってんの?え?独歩ちん気づいてないワケ?無自覚にアレ言ったの?ウケる!ってかさぁ〜さっきからスマホの通知なんかめっちゃくるな〜って思ってたんだけどさ、誰からだと思う?ユメノセンセーからなんだけど、マジでウケる〜!なんか俺っちたちに怒ってんだけど」
    「え、は!?俺も!?」
    「謝ってくださいだってさ、ま、あっとで返事しよ〜っと」
    「い、いいのか?」
    「だってもうどうにもならないくらい怒ってっし、後ででいいっしょ」


    ◇◇◇◇◇◇

    「大丈夫かい?気分は?」
    「大丈夫……平気」
    「あまり無理はしてはいけないよ。今年も暑い夏になるようだから、気をつけようね」
    「うん」
    「……ふふ、眠たいね」

     ふわふわのベッドに下ろして貰えば、自然と瞼も落ちてくる。寂雷はベッドに腰掛けながらボクの頬を撫でて、笑う。その顔が好きだ。どうしようもなく、好きだと思った。あぁ、失敗。失敗した。答えにたどりつかないように精一杯遠回りをしていたのに、気づいてしまった。でも今は眠たさの方が多少勝っていて、自分の心がたどりついた答えに驚く余裕がない。よかった。うんこれでいいのだ。多分次起きたとき、発狂するけど。大丈夫大丈夫、頑張ってね、未来のボク。

    「……寂雷」
    「はい」
    「もうちょっと、ここいて」
    「えぇ、もちろん。君が眠るまでここにいますよ」

     きっともうすぐ、ボクは眠ってしまうだろう。だってここはボクが一番安心できる場所なのだから。ふとあることを思いついて、ベッドのなかでモゾモゾと動く。ほら、ボクもう眠いからさぁ。何したって多分、許されるもん。眠かったから、で片付けられる気がする。人ひとり寝転がれるスペースを空けて、タオルケットをめくれば寂雷が驚いたように目を見開いた。あ、やっぱり睫毛長いなぁ。なんてそんなことを思う。

    「……えっと、乱数くん?」
    「入らないの?」
    「……では、お邪魔します」

     驚いたそぶりは見せたものの、寂雷は断らなかった。ボクの頼みを断らなかった。それがちょっと、嬉しかった。ゆっくりと体を横たえて、ボクと目線を合わせてくれる。大きな手で頭を撫でてもらえるのが嬉しくて、ボクは寂雷のほっぺをペタペタと触った。最近あげた化粧水使ってるのかな。前よりも随分とお肌がもちもちしている。

    「急に来て、ごめんね」
    「構わないよ。そのための合鍵でしょう」
    「……そっかぁ?」

     これからもたくさん使ってくれると嬉しいよと言葉を続けて、寂雷はボクの肩までタオルケットをかける。お腹を冷やさないようにね、なぁんてまた的外れなことを言うのだ。そんなところも、可愛いけどね。可愛いと思っちゃう、ボクなんだけどね。

    「ふふ」
    「どうしたんだい」
    「いい匂いがするね」

     仕方ないからか肩までかけられたタオルケットに顔を埋めてみる。ボクの事務所とも、幻太郎の家とも違う匂い。好きだなぁって、思う。好きな匂いがする。深く息を吸い込むボクを寂雷は不思議そうに首を傾げつつ、それでも頭を撫でてくれる。

    「寂雷の匂いがするから、この部屋が好きなのかなぁ」
    「……え?」

     あぁ、もう駄目だ。限界。眠いから、もう寝ちゃうね。おやすみ寂雷。寂雷の唇がかすかに待って、と震えるけれども、限界なんだもん。仕方ないよね。そう自分に言い聞かせて、ボクはゆっくりと眠りへと落ちていった。


    ◇◇◇◇◇◇


    「せ、先生?」
    「あぁ、独歩くん。どうぞ、入ってください」
    「失礼、します……」

     コンコンコン、と3回ドアをノックする。あぁ、なんだか不思議な気分だ。先生の家で、先生がいる部屋に飲み物を持っていく。そんな不思議な光景。お盆に乗せた飲み物をこぼさないように細心の注意を払いながらドアを空けて、俺は思わず飛び上がった。よく飲み物をこぼさなかったと、自分で自分を褒めたいくらいだ。
     そんな俺の心情を察してか、先生は眉を下げてゆるりと笑う。器用にも片方の手だけで体を支えてこちらを振り返る。気のせいだろうか、頬に赤みがさしていた。

    「体調が万全ではなかったみたいでね。甘えたくなったのか、添い寝を希望されしまって」
    「そ、そうですか」
    「眠りも深くなったから、リビングに戻ろうと思ったのだけれども……いつの間にか捕まってしまってね」

     先生が困ったように笑いながら、ほらと視線を落とした。音を立てないようにそっとベッドへと近づけば飴村さんがぐっすりと眠っていた。それもしっかりと先生の腕を抱き込んで。まるで離れないと言わんばかりにしっかりと抱き込んでいる。その光景をみて、さっきの一二三の言葉が頭の中で流れた。好き同士。案外、本当なのかもしれないな。いや、まだ先生の方はわからない、けれど。でもこんなにもしっかりと腕を抱かれて少しくらいは痺れているだろうに、先生はいつになく嬉しそうだった。

    「こうみると、なんと言うか。本当に子どもみたいですね」
    「眠るとさらに幼く見えますからね」

     さっきは本当に顔色が悪くて白に近かった頬は、しっかりと赤みを帯びている。具合も良くなったのだろう。俺も詳しくは知らないけれど、つい半年近く前までは先生の病院で入院していたらしい。それを思うとかなり元気になったのだろう。先生からもどこかに一緒に出かけた話をよく聞くようにもなった。時々、本当に時々言い合いになることもあるらしいけれども、最初のディビジョンラップバトルに出ていたころの俺には信じられない関係になったものだ。そうしみじみと思い返していると、先生が薄い唇を開く。

    「独歩くん、あの時私の背中を推してくれたこと本当に感謝しています」
    「えっ」
    「おかげで彼と再び、友人に戻れました。ふふ、今日は鍵を自分で開けてくれたみたいでね。少し嬉しくなってしまったよ」
    「ゆ、友人……?」

     友人、と言うには飴村さんの頬を撫でる手が優しすぎはしないだろうか。さっきの一二三の言葉のせいだろうか。今まで気にもとめていなかった些細なことが気になってしかたがない。ひとりで困惑する俺をよそに、先生はなるべくベッドを揺らさないようにゆっくりと体を起こす。

    「そろそろ、大丈夫かな」
    「何かお手伝いしましょうか?」
    「いえ、大丈夫ですよ」

     飴村さんの手からゆっくりと腕を抜いていく。あと少し、あともう少し。でもそこで小さな手が宙へと伸びた。何かを探すようにゆらゆらと手を宙を漂わせて、眉間に皺を寄せる。不服、なのだろう。先生も困ったようにしばらく眉を下げていたけれども、その場から動くことはしなかった。程なくして小さな手が先生の腕を探し当てて、再び抱き込む。少しだけ怒ったような表情になっていた寝顔はすぐに柔らかいものへと変わる。

    「……む、ぅ」
    「……おや」
    「はは、また捕まっちゃいましたね」

     本当は捕まってあげたのだろう。でもそれを言うのはどうしたって野暮な気がしたのだ。今度は絶対に離さないと言わんばかりに先生の腕を抱き込んで、飴村さんは小さく丸まっている。何故だろうか。しばらく会っていない弟の面影を感じてしまう。そういえば弟が小さいときリビングでこうやって丸まって寝てたなぁ、なんて思い出したのだ。

    「これは、少し困りましたね。そろそろ一二三くんのお手伝いをしようと思っていたのだけれど」
    「あぁ、それなら俺が戻るので大丈夫です。って言っても、できることはそこまで多くないんですけど」
    「すまないね」
    「こんなに気持ちよさそうに寝ているのに、起こすのは俺もかわいそうかなって」
     
     飴村さんの表情は本当にあどけなかった。きっと安心しきっているのだろう。心落ち着く場所で幸せな夢を見ているのだろう。先生も嬉しそうだし、まだまだ時間もあるのだから、と飲み物をサイドテーブルに置いて退散を決める。飴村さんが起きるまでそばにいてあげてくださいね、そう言おうとして息を飲んだ。目に映る光景が、あまりにも綺麗で、言葉が出なかった。先生が大きな窓から差し込む太陽の光に照らされながら、穏やかな表情で飴村さんの髪を撫でている。それがどうにも一枚の、絵画のようだった。そこだけ時間の流れが違うような、そんな気もしてくる。でも、綺麗だった。何が、と言われると答えに困ってしまうけれども、綺麗だった。だから、だろうか。勝手に口が動く。

    「……先生。つかぬことをお聞きしても」
    「えぇ、構いませんよ」
    「先生は、今は、その……飴村さんにどんな感情を…?」
    「そうですね」

     飴村さんのまろい頬を撫でながら先生は静かに目を伏せた。長い睫毛の影が頬に落ちる。数秒の沈黙の後、流れるように紡がれた言葉は、もう隠しようがないくらいに愛で満ちていた。けれども先生は気づいていないのだろう。だから彼とこうして、ペアレントフレンドに戻れたのが本当に嬉しくて、と笑った。友人に戻れて良かったと言ったのだ。違うと、思った。

    「それって、愛ではないですかね」

     そうですか、と答えたつもりだった。なのに口から出たのは全く異なる音だった。しまった、と思った頃にはもうはっきりと口にしてしまっていてもう全てが遅かった。やって、しまった。本当にやってしまった。痛いくらいの沈黙が続く。あぁ、俺はなんてことをしでかしてしまったんだろうか。心臓が口から飛び出しそうだ。あぁ、やってしまった。どうしよう。どうしたらいいのだろう。そんなことを思いながら恐る恐る顔を開けた俺の目に写ったのは、みたことのない表情を浮かべた先生の姿だった。

    (了)
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