【URC02】umtr♀スタンプラリー企画参加作品その2○○しないと出られない部屋(ジャニトレ♀)
普段隠している本音を伝え合わないと出られない部屋
トレセン学園にはサトノグループ提供による「VRウマレーター」が設置されている。もちろんその目的はレース界への貢献――つまりトレーニングへの活用のためであったが、時折サトノグループ側からの依頼で新システムのモニター協力が呼びかけられることがあった。
トレーニングに関することはもちろん、まれに新作ゲームなどアミューズメント関連のものもあり、トレーニングや学業の合間の余暇として生徒からの評判も上々であった。
とはいえ、全国からエリートが集まるのがトレセン学園であり、遊びよりもトレーニングを優先したいと考える生徒がその大半を占めている。また当然ながら、そもそもゲーム自体に興味のない生徒もおり、モニターに参加するのは多く見積もっても全体の半数以下というのが現実だった。
レースシーズンに向けて調整を進めるドリームジャーニーもそういった考え方の一人で、教室で聞こえてくる同級生たちのVRゲーム談議も、ただの情報の一つとして頭の片隅に記憶している程度のものだった。
――それが、どうしてこうなってしまったのか。
そう考えるドリームジャーニーとそのトレーナーは、目の前に立ちはだかる巨大な扉を呆然と見上げていた。
二人はつい先ほどまで、次に出走予定のレース場の疑似体験をするプログラムを実行していた。過去のレースやライバルたちの情報から編まれたNPCと共にコースを駆け抜け、いざタイムを確認しようとウインドウを呼び出した瞬間――まるで、世界がぐにゃりと歪むような感覚がした。
地面も空もその場も空気でさえもが不規則に流動して、世界そのものが形を失っていく――そんな現実ではあり得ないような恐怖にトレーナーが悲鳴を上げたのが聞こえ、ドリームジャーニーはとっさに彼女の手を引いて抱き寄せた。
――次には、世界は色を失っていた。
感覚からすれば、落下も浮上もしなかった。ただ瞬きをして顔を上げたときには、二人は見覚えのない場所に立ち尽くしていた。
形容するなら、真白の部屋。窓も家具もない、ただ目の前に大きな扉がそびえ立つだけの空間だった。
「ここ、どこなんだろう。システムエラーでどこかに転送されてしまった……って、ことなのかな」
「なにかしらの不具合があったのはたしかでしょうが……この状況ではなにもわかりませんね」
先ほどと同じようにウインドウを呼び出そうとしても、今度は反応すらしてくれない。これでは外と連絡を取ることもままならないだろう。
システム的なエラーであれば、待機していれば管理者が対応してくれるはずだが――と思案をめぐらしていたドリームジャーニーは、何の気なしに見上げていた扉が記憶の糸口をたぐり寄せる感覚を覚えた。
(この状況、どこかで聞いた覚えがある……。窓もない白い部屋――大きな扉――VR空間――)
そこでハッと目を見開く。たしか数ヶ月前行われていたVRゲームのモニター試験の際、AIの誤作動で最後の関門に不具合があったと耳にしたことがあった。そのとき聞いたシチュエーションが、まさに今この部屋の状況そのままだったのだ。
そのゲームの内容は、たしか謎解き脱出系。そしてその不具合があったという最後の関門は――。
『この扉は物理的な力では開けることはできません。必要なのは、貴方がたの絆の力です』
「えっ な、なに、この声? どこから聞こえてくるの」
「トレーナーさん、落ち着いて。――どうやら我々は、脱出ゲームの中に迷い込んでしまったようです」
「……どういうこと?」
突然なにを言い出すんだとばかりに怪訝そうな顔をするトレーナーに、ドリームジャーニーは導き出した予想をかいつまんで話した。
――つまりは、なにがしかの不具合が起こって、数ヶ月前モニター試験が行われていたVRゲームの中に放り込まれてしまったのでは、と。
「じゃああの声は、その謎解きゲーム用のアナウンスってこと?」
「ええ、おそらくは」
あくまで想像の範疇を出ない話ではありますが――とドリームジャーニーが付け足したところで、再び無機質な合成音声が部屋に響き渡る。
『これから挑戦していただく最後の謎は、お二人の信頼関係が重要な鍵となります。これまで以上に固い絆が必要であり、それが示されない限りこの扉は開くことはありません』
「――本当だ。謎、って言ったね」
声のしてくる方向を見上げたトレーナーは、深くなる困惑の色を隠すようにぐっと手を握りしめていた。
素直で責任感の強い彼女のことだ。指導者である自分がこのトラブルをなんとか解決してやらねばと、教え子の前で不安を見せるわけにいかないと、そうやって気丈に振る舞っているのだろう。
(――まったくこの人は。もう私の本質を知らないわけでもないのに)
トレーナーの前にあって、ドリームジャーニーの優等生の顔は完全なものではなくなってきている。まさか本性をそのままさらけ出すようなことはしないが、それでも夜の裏路地にこそよくなじむ本来の性分がわかる程度には心根を垣間見せているつもりだ。
それでも彼女は、ドリームジャーニーを守るために心を奮い立たせるのだろう。本当は、先ほどのような不測の事態におびえて悲鳴を上げてしまうような、ごく普通の感性の女性であるはずのに。
ドリームジャーニーは思いがけず、ふ、と頬を緩めて、改めて扉を見据えた。
「――こうなっては仕方がありません。他に建設的な解決方法も見つからないことですし、このままゲームに挑戦してみるというのはいかがでしょうか」
「え? で、でも、こんなわけのわからない状況で……」
「だからこそ、ですよ。……いくらシステムエラーで始まったものとはいえ、ゲームとして機能している以上、クリアすればエンディングを迎えられる。――そうは、思いませんか」
ちらりと横目で見たトレーナーは、はっとした顔をして小さく頷いた。
「なるほど、そっか……そうだよね。よし、挑戦してみよう!」
力強く再度頷く表情はすっかり明るい。それに満足したドリームジャーニーは、目を細めてにっこりと微笑んだ。
――まあ、ゲームをクリアしたからといって、そのあと正常な挙動でもってVRを終了できる確信はないわけだが。
今それを口にしたところでどうなるわけでもあるまい。思ったドリームジャーニーは、笑顔の裏にトレーナーの不安になり得る言葉をそっと隠した。
と、そこで急に部屋の中に甲高い効果音が響く。つられるように顔を上げたふたりは、真っ白だった部屋の壁にバラエティ番組で見るようなスロット形式の表示が現れていたのを見つけた。
軽薄な音楽と共に、それがクルクルと回り始める。一体なにが始まるのかとそれを見守っていると、また無機質なアナウンスが聞こえてきた。
『お二人には、ランダムに選ばれたテーマに沿って、心からの本音を互いに伝え合っていただきます。その相手を思う言葉をもって、最後の謎に挑むだけの絆の強さを示していただきます』
「――あれ? じゃあ、これは謎そのものじゃない、ってこと?」
せっかくやる気に満ちあふれていたトレーナーの顔が、肩すかしを食らったように少しばかり消沈する。これはよくないとフォローを入れようと「あの」とつぶやいた声は、スロットの回転が止まる小気味よい電子音と重なって、トレーナーに届くことはなかった。
『普段言わないでいた本音を伝え合おう!』
突然アナウンスの音声が可愛らしい女の子の声に切り替わったかと思うと、壁に表示されたトークテーマを大音量で読み上げる。
ドリームジャーニーはその言葉にぴくりを眉を震わせて、表示された文字列を睨みつけた。
(――本音、か)
これはなかなか、やっかいなテーマが選ばれてしまったようだ。とはいえ、ここでの発言が本当に『普段隠している本音』なのかどうか、どうやってAIは判断するというのだろう。話すときの視線や発汗の具合など、たしかにある程度の判断材料はあるだろうが、それでも正確な判断などできないのではないか。ということは、精度がそれほど高くはない。であれば、それらしいことを言ってかわしてしまうことも、きっと可能なのでは――。
そこまで考えて隣を見たドリームジャーニーは、トレーナーがもじもじとしながらもこちらを見据えてきていることに気づいて、言葉を発するのが一呼吸遅れてしまった。
「ええと……伝えてこなかった本音を言えば、ゲームの謎に挑戦できる……ってことだよね」
「トレーナーさ――」
「あのね。実は私――ジャーニーのこと、ときどき怖いって思うことがあるの」
覚悟を決めた顔で、トレーナーは告げた。
それを受け止めたドリームジャーニーは拍子抜けした思いで目を丸めて、そのあとすぐにその手があったかと感心した。
表示されているテーマは「普段言わないでいた本音」。普段から考えていることが筒抜けの彼女のようなタイプであっても、言葉として相手に伝えていなければ「言わなかった」ことにはなる。
ただ、それを彼女が意識的にしているかと言われれば――否、ということにはなるのだろうが。まあなんにしろ、問題はないだろう。
自分もその方法で切り抜けよう、とドリームジャーニーが考えていたところで、「でも」とトレーナーの言葉が続いて聞こえる。まだ続きが? と伏せていた視線を持ち上げると、先ほどよりよっぽどまっすぐで真摯な眼差しがこちらに向かってきていた。
「だからこそ――惹かれてしまう。本音が見えない、底知れない、だから怖い……なのに、そんな貴方だから、もっと知りたくなってしまう。――誰も知らない貴方を知りたい、見せてほしいって、望んでしまう」
――ぐらり、と、頭を揺さぶられた思いがした。
もちろん体は揺れてはいない。揺さぶられたのは、心だ。
彼女はなにを言っているのか自覚があるのだろうか。誰も知らない自分を見せてほしい、だなんて――それはまるきり、愛の言葉ではないか。
知らず口元が不自然にゆがみかけたのを、とっさに手で覆い隠す。それでも持ち上がる口端から、フ、と小さく笑みがこぼれた。
(――ああ、なんてことだ。まさかこんなに都合良く、向こうから飛び込んできてくれるなんて)
這い上がる高揚感を押しとどめて、努めてとろりと目尻を落とす。やわらかい笑顔を貼り付けてから手を下ろして、ゆっくりと腰のあたりで手を組んだ。
「――そんなふうに、思っていただいていたとは。実におかわいらしい。そして同時に――……実に、愚かだ」
薄めで見上げた彼女は、見るからにぎくりと体をこわばらせていた。その反応があまりに愛らしくて、思わずフフッと笑みがこぼれ落ちてしまう。
「好奇心は時に身を滅ぼすものであると、貴方は以前身を以て経験なさったというのに。それでもなお、私を知りたいと? ふふッ、本当に――……愚かなくらい、純真な人」
言いながら、トレーナーに一歩歩み寄る。元々近かった距離がさらに縮まり、顔を上げればもう触れてしまう寸前の距離にまでなった。
トレーナーは目を白黒とさせて、それでも決して体を引こうとはしない。――それが、なによりの意思表示だった。
「貴方のありのままは大変に好ましい。しかし――だからこそ、私の香りで染めてしまいたい。――……この気持ち、今の貴方であれば、わかってくださいますね?」
じわじわと紅潮する頬はそのまま、トレーナーがぎこちなく頷く。
――ああ本当に、なんてかわいらしい人。ドリームジャーニーがくっと目を細めたところで、壁に表示されていた表示が輝きながら回転し、「ミッションクリア」の文字と同時に紙吹雪が吹き出した。
「あ、い、今のでクリア、できたんだね」
「……残念ながら、そのようですね」
「え? 残念って……」
トレーナーの問いかけは、目の前の扉が開く音でかき消されてしまった。
それを良いことに、ドリームジャーニーは事も無げな顔をして扉に向かって一歩踏み出し、そしてトレーナーに振り返った。
「さあ、ここからが謎解きの本番です。行きましょう」
差しだした手を見つめたトレーナーは少しためらうそぶりを見せて、それでもすぐに手を重ねてくる。それを柄にもなく力を込めて捕まえて、ドリームジャーニーは笑った。すぐさま返ってきたやわらかい笑顔に心を温めて、二人は光溢れる扉の先へ歩みを進めた。
その後、二人は無事、ゲームクリアの流れに沿ってVR空間から帰還することが叶った。
システムの異常の原因はわからずじまいであったが、ドリームジャーニーは平謝りしてくる管理者をなだめつつ、しっかりと連絡先だけは確認しておいたのだった。