カラスミ「おい、ゾロ」
固い声に足を止めた。食事後のダイニング。珍しく今日はまだ、この男と喧嘩をしていない、そんな日。
何かいちゃもんをつけてくるのかと片眉を上げる。しかし固い声を出した男、サンジは、仲間達が完全に席を外したことを確認すると、それでもゾロの耳元に顔を寄せ、
「今夜……一人で、アクアリウムバーにいろ」
と囁いた。意味もなくゾクリと首筋が栗毛立つ。青い一重の目が意味深に流し目を向けてきただけなのに。
妙な感覚に頭をかきつつ、そしてこの妙な誘いに胸をざわつかせつつ、ゾロは「わかった」と頷いた。
夜が更け、ゾロは言われた通り、アクアリウムバーにいた。一人で酒瓶をくわえ、ぼんやりと魚たちを眺める。
あの魚はルフィが釣ったやつだ。あっちのタコはウソップが網ですくったやつ。そっちの小さい小魚は、チョッパーがうれしそうに見せにきたっけ。
とりとめのないことを考えて時間を潰していると、やっと、夜食を出し終えたらしいサンジが降りてきた。目線だけを向ける。サンジは終始、人目を気にしている。
「誰にも言っちゃいねえだろうな」
「ああ。何のようだ」
「……まあ待て。そう慌てんな」
サンジはバーカウンターへゾロを呼ぶ。手に持っていた籠を置き、人差し指をゾロへ突き出した。人を指差すなと睨めば、それどころじゃないと睨み返される。
「良いか。今日これから起こることは、おれとお前だけの秘密だ。約束しろ、約束バカ」
「ああ?どういうこった」
「良いから!はやくしろよ、人が来るかもしれねえ」
「……」
腑に落ちないが、とりあえず。ここは頷いておくのが良いだろう。
ゾロは「わかった」と頷いた。そして約束した。これから起きることを口外しないと。
すると、サンジは満足そうに鼻を鳴らし、籠に手を入れた。
「……前の島で仕入れた魚に、偶然入ってたんだ……」
こと、と、固い音を立てておかれたソレ。黄色いふたつの、丸みを帯びた、棒状の――
「こりゃもしかして、カラスミ、か?」
「そう……!やっぱりお前なら知ってたか!」
っと、声がでかかったな。慌てて音量を落としたサンジが、掠れた小声で言う。
「この前仕入れたボラに偶然状態の良いのが入ってて……カラスミにするには膜が破れてちゃいけねえんだ。でも店で売るときは鮮度を保つために内臓を抜くだろ?そんときに一緒に抜かれるか、残されてても傷が付いてたりして、今までは作れなかったんだ」
「当たり前のことだが、作れるもんなんだな……」
「おれもはじめて作ったから、まだ味は保証できねえけど。たぶん成功した」
すげえ、とそのまま口に出せば、サンジが楽しそうに笑った。料理の話だけは機嫌良く話す男なのだ。
「他の奴らに出そうにも、まだ味がわからねえし、つうかおれも正解を知らねえし。お前は食ったことあるだろ?」
「ある」
「だからさ、味見してほしいんだよ。酒のつまみにもなるって聞くしよ、ほら」
ほら、と次に取り出されたのは上等な米の酒だった。ごくりとゾロの喉がなる。
カラスミは珍味だ。好き嫌いがわかれるだろう。ちなみにゾロに限っては好物である。
その、好物が。この男の手にかかり。上等な米の酒と合わさったら。
「最高だな、てめえ」
「へへっ、味見役に選ばれたこと、光栄に思えよ」
「わかった」
素直に頷くゾロに驚いた顔をされるが、今回ばかりは運が良いと言えた。選ばれて良かったと素直に思う。
いそいそとカウンターに座ると、サンジが「酒に関しては素直だな」とぼやいたが、それでも機嫌良くグラスを取り出した。
「カラスミ、コノワタ、いぶりがっこ、とかさ。ワノ国で話だけは聞いて、でも在庫がねえっつーんで食えなくて、気になってたんだ」
「コノワタは……ナマコの腸か。あれも作れんのか?」
「塩辛みたいなもんだろ?たぶんいけるけど、やっぱ見本っつーか、作る前に食べておくのが一番なんだよな。でもなかなか売ってねえの」
「だろうな。あと売ってたとしてもたけえだろ」
「ああ、らしいな……いぶりがっこはそうでもねえだろ?」
「買ったことはねえが、おそらく……?燻製した大根だし」
「燻製するにもチップがな……はぁ、買い物してえ」
サンジはまな板と包丁を取り出すと、カラスミの表面を撫でる。どこから切るかを悩んでいるようだった。その間に、ゾロは籠の中を覗いてみた。中にはクリームチーズとクラッカーが入っている。
「洋風の食い方だな」
「ああ。チーズやクリームに合わせたのは食ったことあるから、ハズレねえとおもって」
「なんだ、食ったことあるんじゃねえか」
「いや、こういうのじゃなくて、んー……まあなんつーか、ちょっと違うやつだ。おれが食ったことあるのは」
ふうん、カラスミにも種類があるのか。ゾロは適当に頷き、しかし米の酒を持ってきたからには、サンジはワノ国風の食べ方をしたいのではないかと思った。手を伸ばし、サンジから包丁を取る。サンジは存外あっさりとゾロに包丁を渡した。
「カラスミは炙って食うんだ。厚さは……こんなもんだな」
「炙る?」
「そうだ」
見本で一枚切ってみせると、サンジはプラス5枚程スライスした。その横で、ゾロは元々手にしていた米の酒をカラスミに塗る。
「で、これを炙る」
「へえ……上のコンロで炙ってくる」
「おう」
欠けた破片を指に付け、ペロリと舐める。うまい。つい目を見張った。
カラスミは故郷で何度も食べたが、ここまで素材の味が活かされ、かつちょうど良い塩気のものはなかった気がする。やはりあの男の手にかかると、恐ろしいほどにうまくなる。
少しして、サンジが早足で戻ってきた。小皿を差し出され、こんなもんかと聞かれたので、こんなもんだと頷く。
「お前も座れ。食うんだろ」
「食う。あ、酒も」
「わかってる」
サンジのグラスに酒を注ぎ、自分も少し考えてからグラスに酒を注ぎ。
隣に腰かけたサンジを確認してから、黄色い欠片をつまみ上げ、口に放り込んだ。ぐいっと酒を煽り、声を上げる。
「うっ……めえな!酒が進む!」
「へえ、炙るとこうなんのか!うめえ、はー、なるほど……」
籠からノートを取り出したサンジが、カラスミを少しずつ齧りながら、サラサラと文字を書き込んでいく。ゾロはその間に新しいカラスミをつまみ上げ、口の中に入れた。
広がる香ばしさと旨味。続けて飲む米の酒のなんとうまいことか。
上機嫌で飲んでいると、自分の分であろう三切れはすぐになくなってしまった。一度に大量に食べるものでもない。ペロリと唇を舐めて味を反芻していると、サンジが二切れ、ゾロの前に差し出した。
「食わねえのか」
「いや、食う。これは3切れで足りるうまさじゃねえ、追加でカットする」
「はっ、同感だ」
サンジは立ち上がり、またカラスミに包丁を差し入れた。ゾロは籠からクリームチーズを取り出し、切った端から落ちる破片を乗せて口に運ぶ。
行儀が悪いこの行為も、二人きりでマナーもくそもないと思っているのか、サンジは特に咎めなかった。
「あー、これは、やっぱコノワタも手出したくなるな。ナマコ取ってこさせるか」
「ありゃ潜らねえと取れねえだろ、うめえ」
「折角持ってきたんだからクラッカーも使えよ」
「めんどくせえ」
「ったく……」
指に付いたクリームチーズを舐め取っていると、サンジがクラッカーにクリームチーズを乗せ、カラスミを乗せ、ゾロの前に差し出した。手で受け取ろうとしたが面倒なので、そのままぱくりと口で受け取る。
ああ、とてもうまい。非常にうまい。クラッカーの塩気があるほうがうまい気がする。この男の言う通りの食べ方をする方が得だ、めんどうだけど。
モグモグと租借していると、サンジがやけに静かなことに気がついた。見れば、そこにいない。立ち上がってカウンターの中を覗くと、なぜかしゃがみこんでいる。
「なんだ、もう酒が回ったのか」
「……ちげえよ、落としたんだ」
「もったいねえことすんな」
「うるせえ」
立ち上がったサンジが手をすすぎ、またカラスミをカットする。ゾロは酒を飲みながら、時たまぱかりと口を開けた。あきれた顔のサンジが、クラッカー乗せやら、持ってきたバーナーで炙ったものやら、次々放り込んでくれる。これはいい食べ方だ、楽だしうまい。
「なあ」
「んだよ」
自分の口にもカラスミを放り込んだサンジが、眉を寄せながらゾロを見る。はて、機嫌を損ねるようなことがあっただろうかと気になったが、それより言っておかねばならないことがあった。
「このカラスミ、他の奴に出すなよ」
「はあ?なんで」
「また食おうぜ、こうやって、二人で」
ゾロはこの時間が楽しかった。二人きりで酒をのみ、こっそりと珍しいものをつまむ時間が。なんとなくだが、またやりたいと、この時間が欲しいと思ったのだ。
ゾロの提案は意外なものだったのか、サンジが目を見開く。そして柔らかく笑った。ゾロに向けるにしては、ずいぶん珍しい表情だ。
なぜかまた胸がざわつき、外装の合わせ目をさわるが、理由は良くわからない。
「じゃあ、次はお前も、なんか持ってこいよ」
「なんか?」
「そう。おればっか準備してちゃ割に合わねえだろ」
ソレも自腹なんだぜ、と指をさされたのは上等な米の酒で、やけに良いものを出されたと思ったら、ポケットマネーだったらしい。それは確かに、ゾロも何かしらを持ってこなければ不公平だろう。
「わかった。その代わり、おれの好みになるからな」
「はは、別にそれで構わねえよ」
酒を煽り、動きを止める。サンジを見るが、サンジは何食わぬ顔でカラスミを炙っているところだった。
「ほら口開けろ」
「んあ」
放り込まれたものを咀嚼しながら考える。
はて、今、「それが知りたいんだから」なんてことを言われた気がしたが、気のせいだっただろうか。
そうじゃなかったら良い、なんて、柄じゃないことを思った。