コノワタある店の前で、ゾロは足を止めた。値段を確認し、財布を見て、考え込む。唸るゾロに気がついた店主が店先に顔を覗かせた。
「それ、気になるのかい?他にも買ってくれんならまとめ買いってことで値引いてやるぜ」
「買いてえんだが、財布と相談してる。まとめ買いする余裕はねえな」
「ははは、そうかい。あんた剣士か……生業は海賊か?それとも賞金稼ぎ?」
「海賊だな」
「なるほどな。頼みを聞いてくれたら、その瓶ひとつやってもいいぜ」
「本当か」
顔を上げ、店主を見る。店主は頷いた後、沖合いの方を指差した。
「あっちの方にな、最近鮫が居着いてるんだ。素潜りが出来なくて困ってる。海の底にはウニだの海老だのタコだのが大量にいるってのに、鮫がよってくるから取れなくて、悲しいことに品薄でね。浅瀬にいる貝やナマコしか取れねえのさ」
「鮫を退治すりゃいいか?」
「そんなこと期待してないよ、追い払ってくれりゃあ良い」
ゾロの言葉に豪快に笑うと、でも、と言葉を付け足した。
「退治までしてくれたら、二瓶に増やそうじゃないか。どうだい?」
「……」
顎に手を当てて考える。
「退治して、ここまで持ってきたらどうなる?」
「言っとくが、でかい鮫だぞ?運べるかね」
「もし、だ。無理そうだったら海に沈める」
「ははっ、すげえ自信だ!そうさなぁ、ここまで持ってきてくれたら良い見世物になるだろうし」
好きな魚も持ってって良いぞ、と言われ、ゾロはニヤリと笑ってから頷いた。
ゾロが船に戻ると、既に仲間達はいなかった。船番予定だったブルックが「おや」と言う。
「宿は取らなかったんですか?」
「ああ、金がなくなった。代わるぜ、楽器屋見てえって言ってたろ」
「ありがとうございます。それではお言葉に甘えて」
ブルックは軽々と船を飛び降りる。港に着地すると、思い出したように振り向いた。
「サンジさんがまだいらっしゃいますが、喧嘩はしないでくださいね~!」
「ああ、多分な」
「船を壊したら怒られますよ!」
適当に手を振ってこたえる。言うだけ言って満足したのか、忠告はしたのだから自分に責任はない、ということにしたのか、ブルックは足取り軽く町の方へと向かった。
メンテナンス用品の在庫が無くなってきて買い足さねばと話していたのは記憶に新しい。明日も買いに行けただろうが、出港前に慌ただしく買うより、今から吟味する方が絶対に良い。
ゾロは良いことをしてやった気になり、上機嫌で足をキッチンへと向けた。
用があるのだ。サンジに。もちろん喧嘩をするためではない。
「おい、コック」
「んー……?」
冷蔵庫を漁る背中に声をかける。ブルックと入れ替わったことは気づいていたのだろう、サンジに驚く様子はなかった。というか、視線を寄越しすらしない。
冷蔵庫の中身を整理しているようで、奥から瓶を引っ張り出しては、中身を確認し戻している。特に急ぎでもない。テーブルに座り、酒を飲みながら待っていると、作業を終えたらしいサンジがやっとゾロへ顔を向けた。
「んだよ、腹減ったのか?」
「あー、間違っちゃねえが」
「間違っちゃねえ……?」
首をかしげるサンジを指先で呼ぶ。サンジは冷蔵庫を漁っていたせいで冷えた指先を擦りあわせながら、ゾロの向かいに腰かけた。
「なんだよ」
「これ、見ろ」
「……!!もしかしてこれって……!!」
ゾロが取り出したのは小さな瓶ふたつ。ラベルには海鼠腸……コノワタと書かれている。
バッと顔を上げたサンジに、ゾロはニヤリと口角を上げた。驚くのはまだ早い。足元に置いていたバケツを手渡す。
「あと、これもだ」
「おお……!新鮮なナマコじゃねえか!しかもこんなに沢山!」
バケツのなかには目一杯、ナマコが入れられていた。
そう、ゾロは見事、鮫を退治することに成功したのだ。巨体を連れて陸に上がり、視線を集めながら町中を歩き、たまに案内などされながら、取引をした魚屋へ無事届けた。魚屋への店主はゾロの行動にいたく感謝し、約束通り、コノワタの瓶を二つと、望む海産物をくれたというわけだ。
「ナマコは新鮮だから、まだ生きてるって話だ」
「へええ、なににすっかな……酢の物、煮物、酒蒸しも出来るぞ」
「ああ、全部食いてえ」
しかし本題はそうではない。ナマコのひとつを指でつつき、瓶を指差す。
「新鮮なやつだからコノワタも作れるだろうって。あとあれだ、クチコ」
「クチコ……?」
「卵巣を洗って干したもんだ。炙って食うとうめえ」
「へえ、そうなのか、クチコ……それは売ってなかったのか?」
「売ってた。これだ」
これが最後の品物である。懐から乾物を取り出し、瓶のとなりに置く。ちなみにこれはゾロがお小遣いで買ったものだ。さすがに全てをもらうのは気が引けた。
「コノワタと、クチコを食って、味覚えて、てめえで作りゃ良い」
名案だろ。ニカッと笑うと、サンジはきょとんと目を見開いた後、突然椅子から立ち上がった。
ゾロが驚いていると、そのままつかつかと冷蔵庫の方へと向かう。何かあったのかとぼんやり眺めるが、サンジはなかなか戻ってこなかった。なんとも言えない空気に頭をかく。
喜ぶと思ったのだが、あてが外れただろうか。
はじめにカラスミを出された夜から度々、二人きりで飲むことが増えた。じっくり食べていたカラスミを食べきってからは無くなってしまった。
またあの、珍しく穏やかな時間を過ごせるかと思ったが、残念だ。
ため息を吐いて立ち上がろうとすると、そこでやっと、サンジがキッチンの奥から戻ってきた。目線で追うと、サンジは後ろ手に隠していたものを、ゾロにつき出す。
「……ん」
「あ?なんだこれ」
「酒……米のやつ」
酒。米のやつ。ピンとくるものがあり、ゾロはつき出された瓶からサンジへ視線を移した。目はそらされているが、若干露出した頬と耳が、赤く染まっている。
ゾロはつい、呆れた顔をしてやりたくなったが、それより先に笑いが出た。いつもの馬鹿にするようなものではなく、もっと純粋なものが。
「今夜飲むってことで良いんだよな?」
「ああ……仕方ねえから、他の酒も出してやるよ」
ふん、と鳴らされた鼻は、普段なら鼻について仕方がないが。今はなぜか、かわいいものだと笑い飛ばせた。
早速食べようとしたのだが、軽食を作るからと待たされ、出されたしょうが焼き定食をペロリと食べた。なんでも生姜ジャムとやらが、食べきらねばまずかったらしい。
「ジャムって甘いやつだろ」
「普通はな。玉ねぎとか生姜とか、味整えてしっかり火入れたやつを瓶に入れて保存しとくと、時短になって便利なんだよ。お前らに出すものには使ってねえけど」
「なんで使わねえんだ」
「時短する必要がねえからかな……。一人でチャチャっと食いたい時に使うんだ」
「へえ」
ならばこれを口にすると、仲間のなかでは初めて食べたことになる。ゾロはじっとしょうが焼きの乗っていた皿を見つめた後、ソースを指ですくってなめとった。「行儀悪い」と飛んでくる小言は無視だ。
「違いがわかんねえな」
「風味がちょっと落ちてたり、その代わりマイルドになって角が取れてたりするんだが……まあ、美食家意外には、食べ比べねえとわかんねえ差だよ」
皿が撤収され、二度目に伸ばした指はソースにありつけなかった。舌打ちをすると、濡れた布巾が飛んでくる。ここは大人しく指を拭いておくことにした。
「いつ食ってんだ、一人で」
皿を洗うサンジを見つめる。この男が食事をするところはなかなか見かけない。味見で腹が膨れるから、料理を出すので忙しいから、とかなんとか様々な理由をつけて、なかなか椅子に座らないのだ。楽しそうにくるくる動くので、仲間達も好きにさせているものの、今更ながらにひっかかった。
サンジは「んー」と唸ると、水を止めて指を折る。
「皿洗いする前とか、夜食作る時とか、おやつ出した後とか……?」
「なんでそんな時に食ってんだ」
「おれはお前らと一緒に飯が食いたいわけじゃねえってことだ。お前らが食うところを見て、うまそうに食ってたなとか、次はアレ食わしてやろうとか、そんなこと考えながら、一人で食う方が好きなんだよ」
「……へえ?」
なんとなく解答が気にいらず、頬杖をつく。
ならばカラスミやコノワタ、クチコも、ゾロが一人でつまむところを見て、後で反芻する方が良いのだろうか。それはなんだか。よくわからないが。ゾロは全く良くない、気がする。
ゾロはサンジと飲むことが、自分が自覚していた以上に楽しみなものであったのだと、そこではじめて気がついた。そして納得した。当たり前だろう、だってこの男は唯一ゾロが隣に置いている人間だ。そんな奴と好きな酒を飲むことが、嫌なわけがなかったのだ。
もっと早くにこの事実に気がついていれば、もっと沢山の時間を過ごせただろうか。勿体無いことをしていたかもしれない。若い頃の自分達はきっと、こんな風には過ごせなかったかもしれないが、魚人島以降は出来たはずだ。出来たはず、だったのだ。
不満げな顔で黙り込んだゾロに何を思ったのか、飲む準備を整えたサンジが歩み寄る。顔を覗かれ、ジロリと目を細めてみせた。こんなことで怯む男ではないが。
「んだよ、急に不機嫌になりやがって」
「……」
「……だから、なんなんだよ……」
にらみ返してはきているが、段々下がっていく眉に変な気分になり、ため息を吐いて顔をそらした。ぴくりと揺れる肩には気づいていないことにしたい。
「賄いってやつか」
「賄い……?……あー、まあ、そうなる、か?」
確かに皆とはメニュー違うときあるしな、もっと簡単というか。ぶつぶつ呟くサンジの手首を掴んだ。これはなんとなく手を伸ばした結果だった。
「おれにも食わせろ」
「は?え?ま、賄いを?」
「お前だけずりい。なんかうまそうに聞こえる」
「ええー……?どんぶりものばっかだぜ?さっきのしょうが焼きを米に乗せただけ、みたいな。あとは刺身乗せたり煮物乗せたり揚げ物乗せたり……おおお」
言いながら、ゾロの好きそうな食べ方だと思ったようだ。ちなみにゾロもそう思っている。食べ終わったはずなのによだれが出そうである。
「食いてえ」
「じゃあ……普通の飯減らして後で食うか?」
「減ら……、」
「……ははは!それは嫌なんだな、わかったよ」
それじゃ、夜食出すとき、賄いっぽいのにしてやる。無邪気に笑う顔に、やっとゾロは満足した。
さて本題は、コノワタとクチコである。ゾロがサンジのライターを拝借しクチコを炙る横で、サンジは瓶からコノワタを出した。匂いを嗅ぎ、一本箸でつまみ上げる。そこでゾロが「あ」と声を上げた。
「酒、燗にしろよ。入れて飲むとうめえぞ」
「酒にいれんの?」
「そうだ。熱燗にな」
「へえ……」
早速腰を上げたサンジの皿に、ゾロは炙り終えたクチコを乗せた。次に自分の分を炙る。
「ほい、お猪口で良いよな」
「ああ。早く座れ」
「わかってるよ」
サンジのお猪口に酒を注ぎ、中に一本、コノワタをいれる。自分の酒を手酌しようとすると、サンジに徳利を奪われた。はじめの一杯くらいは、ということらしい。
コノワタを入れようとした箸を制止する。首をかしげられたが、ゾロはそのままお猪口を手にした。せっかくこの男が買ってきた酒だ、まずはそのままで味わいたい。
「……んじゃ、早速」
「おう。いただきます」
くい、と煽った酒は、ゾロ好みのキリッとした味わいで。へえ、と声を漏らした隣で、サンジもおお、と声を上げた。
「すげえな、なんつーか……磯!って感じだ」
「ああ、言いたいことはわかる」
小皿に出したコノワタを箸でつまみ、口に運ぶ。甘さはあるが、やはり磯の香りが強い。この香りが日本酒と合うのだ。継ぎ足した分も一気に煽り、気の抜けた声を出してしまった。
うまい。あの魚屋は仕込みがうまい。新鮮なのもあるだろうが、変な臭みが全く無いし、砂が噛んだりもしていない。
そしてなにより、この酒がゾロの口にあった。このままコノワタを入れずに飲む方が楽しめそうだと思うほど。
サンジもコノワタを箸でつまみ口にいれた。
「んん、なるほど……こういう味か。塩辛だな」
「そうだな。個人的にはイカより食える」
「わかる、なんつーか、ねっとりしててうめえ……」
ちまちまつまむ男を横目に、ゾロはクチコを指でつまんだ。サンジもクチコを手に取る。同時にかじりつき、ううんと唸った。
「こっちはスルメみてえだな、うめえ……」
「……お前、結構臭いの好きだよな」
「ああ、そうだな。クセあるのも食える」
「海鮮以外はどうなんだ」
例えば?と視線を向けられたので、酒を置いて例を挙げる。
「獣の内臓とか。心臓、胃、腸、腎臓とか肝臓」
「食ったことねえ部位もあるからなんとも言えねえが、今んとこ食えなかったもんはねえな」
「へえ……じゃあ今度あれ食おうぜ。なんつったか……焼きトン。シロ、テッポウ、ハツ、ガツ、チレ……」
「おお、良いな。試してみたいとは思ってたんだ」
「くせえのもあるが、酒に合う」
先の予定をとりつけ、ゾロは上機嫌で酒を飲んだ。
いつもよりサンジもペースが早く、サンジが持ってきた以外の酒も開け、コノワタのビンがひとつ空になるころには、すっかり値落ちてしまっていた。
正面で寝息をたてる男の髪の毛へ手を伸ばす。金色の髪の毛は指の間から簡単にすり抜けていった。同じ男の髪だというのに、やけに手触りが違う。
カラスミの味見からはじまり、コノワタの味見。次はサンジの作ったナマコ料理とコノワタ、クチコの味見になるだろうか。それが終わっても、豚の内臓を食べる約束をとりつけることができた。あと、サンジの作る時短飯とやらも。
誘ってきた時、サンジがこの集まりを続けるつもりがあったかはわからない。しかしゾロは続けたいと思った。続くような行動も取った。
「……次はてめえの番だ」
ナマコ料理も、コノワタも、クチコも。仲間達全員に振る舞われたら、そこで終わりだ。きっと豚も仲間達で食べることになる。
次にサンジがどうでるのか。自分と二人だけの時間を選ぶのか、どうなのか。
ゾロは質問しようとして、しかし、すぐに口を閉じた。
「おれも酒が回ったか……?」
酔っぱらいの今なら素直に答えるか、なんて。考えた自分が、我ながら以外だった。