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    銀のLe collieR

    #0 いのり“‘Inori’”
    赤子を腕に抱いた男は、その女が自分の言葉を鸚鵡返すのに「ああ、深山いのり」と返した。
    “私の授けた名があるのにか?”
    男が大切そうに抱いている赤子はよく眠っている。複雑な文様で織られた上質な御包みから覗く縮こまった小さな手、ふくふくとした柔らかな頬、頼りない毛髪。文字通りに愛らしい赤子。しかし赤子の額からはその相貌には不似合いな、色付いた一対の柔い角が生えていた。
    赤子を産んだ女は魔女であった。女として世に落ちたその赤子も、当然魔女となった。
    “そう。俺も君も、親としてずっと一緒にはいられないでしょ。だから俺からも贈り物”
    シノワズリモダンの豪奢なスイートルーム、その寝室の一角に、不釣り合いなベビーベッドが置かれている。周りに幾つも吊るされたモビールをかき分けるようにして男はそうっと赤子をベビーベッドへ横たえた。
    “‘Pray’……魔女であるものが何に祈るというの”
    可愛らしいベビー用品のなか、ドリームキャッチャーやナザール・ボンジュウ、呪物的なものまで様々なアミュレットの混ざるモビールが揺れる。そのうちのサンキャッチャーが西日を受けて寝室に光を拡散させる。
    “何に?わからない?”
    “……さあ。魔女は古よりの悪意の残滓。ヒトのセンチメンタルな揺らぎなど識りもしないわ”
    ちらつく光を避けるようにして目を細める魔女が声色におどけた色を乗せたのに、男は振り返って肩を竦めてみせた。異様な程吊り下がるモビールの幾つかは、魔女自身が手掛けたものであることを男はよく知っている。
    “面倒くさがるなよ。 ……いのり。この子が『どちらでも』『どこででも』自由でいられますように。その為ならパパだけでも禁煙してみせるぞって想いさ”
    “嘘を吐くなら舌を抜くぞ”
    西日を避けるように暗がりにいた魔女がゆったりと男の、ベビーベッドの方へ動く。それは異様なほどに静かで床を滑るような幽玄さで以て。
    魔女の気配に気がついたのか、目を覚ました赤子が薄色の睫毛に縁取られた瞼を薄っすらと開く。深い海や夜空を思わせる様な青に、大げさな程に黄色く塗られた満月のような色の煌めきが揺らぐ瞳。
    キトゥンブルーのようなもので、成長と共に魔力が安定すれば瞳の色も安定するらしい。それに男が大層感心し、動画を撮りまくった件は割愛する。
    “ほら、見なよ。 君に似てきっと美しくなる。待ちきれないな”
    “ホリデーシーズンに親子でザ・ナッツクラッカー鑑賞を?”
    “っはは!それも。 覚えてたんだな”
    “孕み腹に受けた言葉は根に持つぞ”
    男が「あの時期のガルニエ宮、コネでも使わないと取れないよ」と嬉しそうに笑うのに、魔女は「神の子最大の祝いに我々が乗じてどうする」と言いながらも強く否定はしないようだった。
    むにむにと何事かを発している赤子を二人して見下ろす。角のある赤子は魔女を暫し見つめてから、母に向け花よりも小さく柔い手を伸ばした。
    “……そうだな”
    赤子に応えて魔女が手を伸ばしてやると、鋭くも爪紅で綺麗に整えられたその指が、きゅ、と握られる。
    “Genieße die Hexe.(魔女を享受せよ)”
    きらきらと部屋を照らしていたサンキャッチャーの光が、恐れるように魔女の言葉で静まっていく。
    「 い
      の
      り」
    唱えるように名前を連ねるその瞬間、魔女は確かに魔女であり、母でもあった。

    --------

    笑い声と喧騒、低音を響かせる音楽。混沌としたクラブ内、ヒールで人の足を踏み付けぬよう少々の苦労をしてバーカウンターに辿り着いたところで声を掛けられる。
    カウンターにチケットを置き、モヒートを注文してから、ようやくいのりは声の方を向いた。
    「うん?そう、一人だよ」
    見ると年頃は同じくらいだろうか、それなりに身なりの良い男が今日は『かかった』ようだった。
    若者に人気のブランド。柄シャツにカーディガンを羽織り、センスも悪くはない。きちんとセットされたウェーブがかった髪も整えた髭も標準的な清潔感を保っている。
    「来たばっかなのに捕まえちゃってゴメンね~。 丁度降りてきたとこ見ちゃってさ、スタイル良!って。ハーネス風シャレてんね、なんかやってんの?」
    確かに、いのりがオーバーサイズのシースルーシャツの中に身につけていたのは革のハーネスデザインが取り入れられたロング丈のドレスだった。どうやら向こうもしっかりと選別してきたらしい。
    「あはは!ありがと~褒めるの上手だね」
    お兄さんこそ、オシャレだね。モテるでしょ?にっこりと愛想良く笑って相手を褒めて、いのりはバーテンダーから渡された酒を口にする。モヒートは爽やかで後味が嫌にならない所が好きだ。暫くそうやってお互いの情報を引き出し合いながら上辺だけの会話をする。
    ――『前回』からは4日ほど、いざという事があった時が怖いな。
    一通り続けていた会話がふと途切れた。海外ではこれを天使が通ったと言うらしい。いのりは「ねえ」と男を見つめ、瞳と瞳をぴたりと合わせた。取り繕っていた表情がすとん、と消え落ちる。自分と、男の精神が繋がる感覚。
    フロアから漏れるムービングライトの色の洪水に紛れて、いのりの深い海を思わせる青い瞳に金の靄が揺らぎ、丸かった瞳孔が月のように細く欠ける。
    「『食べる』?」
    男は時間が止まったように停止して、いのりから視線を離せなくなっていた。手にしていたコロナの瓶からぽたぽたと結露が落ちていく。
    「……踊ってくれる?今夜、わたしと」
    それに気付いたいのりは先程の雰囲気を微塵も感じさせないからりとした笑顔で相手の手から瓶を取り、乞うような表情で男を覗き込んだ。瞳の色はすでにライトを反射し煌めくだけだ。
    「……ぁ、……勿論。んじゃあ、さ、名前。名前。教えてくんない?」
    急に我に返ったようにいのりに向き直った男は、もうその女に頷く他なくなっていた。昂ぶってくる乱暴な何かを抑えられない。本能的に感じたはずの畏れも、首を傾げて頷く女の素振りで男は一瞬で忘れ去ってしまった。
    「『いのり』
     『サロメ』」
    二重に聞こえた名前が自分の耳では全く認識できない事すら気にしなくなった男は、人が変わった様に強くいのりの腕を掴み大股で歩き出した。
    男の目指すその先がクラブのトイレだという事に勘付いたいのりは今日も小さく後悔する。しかし抵抗はしない。彼女は引き摺られるようにしてそれに従った。





    【銀のLe collieR】深山いのり 1

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