もちもち 談話室前の廊下を、俺は横切ろうとする。用は特に無かったけど、ちらっと横目で覗いてみた。ソファーに大きな背中が一つ視界に入る。座っている人物が誰なのかは、すぐに分かった。だって俺の大好きな人の背中だから。
沢北は他に誰も居ないことを確認して、ゆっくりそーっと近づいていく。
「かーわたさん」
俺はその大きな背中に、ぎゅーっとバックハグをした。河田さんがこっちを振り返る。
「バレバレだべ、沢北」
河田さんは、やれやれって呆れた顔をしている。ちょっと素っ気ない態度だけど、声が温かい。河田さんの顔をじっくり見ていたら、何だか嬉しそうにも見える。しばらく河田さんと目が合っていたら、
「あんま見んでね」
って顔を片手で掴まれてしまった。
「いひゃい、いひゃいって、かわたはん」
バタバタと身体を動かして抵抗していると、河田さんは手を離してくれた。きっと照れ隠しなんだろうな、これ。河田さん、ゴツい割にかわいいよなぁ。でもこれを口にすると間違いなく〆られるので、心の中に留めておいた。
俺は自分の頬っぺたを、河田さんの頬っぺたピトッとくっつける。そのままもちもちと、俺は自分の頬っぺたで押した。河田さんの頬っぺたは、感触がもっちりと言うよりはしっかりとしていた。すっごい硬いって訳ではなくて、ハリがある感じというか……
「河っさんの頬っぺた、結構きもちいいッスね!」
「何した、沢北」
もっちもっち。頬っぺたからほんのり河田さんの体温が伝わってくる。
「えー、だって……そこに頬っぺたがあるから?」
この行動にこれと言った意味は無かった。こんな風に答えておきながら、正直自分でもよく分からないし。でも何となくやりたかったというか。
すると、河田さんに軽くグッと両肩を掴まれて、頬っぺたから離される。次の瞬間、かぷっと河田さんに右の頬っぺたを甘噛みされた。
「ふぇっ」
思わず変な声が出てしまう。右の頬っぺたに指で触れながら、急いで河田さんの方を見た。
「な……にしてるんスかっ」
河田さんは俺の目を見てニヤリと笑う。
「おめの言うように、そこに頬っぺたさあっだからだ」
なんか悔しい。してやられた気分だった。悔しいはずなのに、甘噛みされたところからじわじわ熱くなっていくのが分かる。やばい、俺いま顔赤くなってるかも。
「うーっ……ずるいって」
俺が下を向いてモジモジしていると、河田さんがソファーから立ち上がって、目の前にやって来た。河田さんに右手首を握られて、俺はグイッと手を引っ張られる。俺は河田さんの胸に引き寄せられて、抱き締められてしまった。驚く俺に、耳元で河田さんが囁く。
「もっと食ってやるべ、栄治」
俺は驚きと恥ずかしさとで、ガクンと脚の力が抜けて座り込んでしまった。
「ふはっ、力抜けてんべ」
「〜っっ! だ、だってっ」
だって、大好きな人がそんなこと言うんだもん。しかも名前で呼ばれたし。
河田さんは、俺の手を握って引き上げてくれた。頭をぽんぽんと撫でてくれる。
「んで、どうすんだ?」
俺はおずおずと河田さんの顔を見る。もう負けだ、俺の負け。
「……よ、よろしくお願い、します」
俺は顔を火照らせながら、河田さんに手を引かれて、談話室をあとにした。