こども本にしたい 桜の花もだいぶ散り、若葉が眩しくなり始めたとある日。大般若は寝苦しさを覚えて意識を浮上させた。日中は日差しが当たれば暑く感じる日もあるが、まだまだ早朝は肌寒く感じる日々も多い季節なのだが今朝はどうにも汗ばんでしまって仕方がない。
(あつい…)
そんな時期でもないのだが、まるで大きな湯たんぽを抱えている時のように腹のあたりに熱い何かがある。小竜を抱きしめて眠るのはいつもの事だが彼は割と体温が低めだし、そもそも熱さを感じるのは腹回りに限定されているのだ。これが己よりも背の高い小竜なはずがない。
「うーん…」
じんわりと汗をかくほどのそれだが、起きるにはまだ早い。折角の休日だからもう少し寝ていたいという気持ちと、布団を剥いでこの暑さの原因をひっぺがしたいという気持ちがせめぎ合う。
(あと少し…もう少し我慢して、そうしたら起きよう…寝足りなきゃ昼寝でもすれば…)
多少の不快感はあったが、それでもうとうととまどろむ時間は心地よい。そんな事をぼんやりと考えながら至福の時を過ごしていた大般若だったが、しかしその穏やかな時間は唐突に終わる事となった。
「ぅぐっ…⁉」
なんの前触れもなく襲い掛かった腹部の痛みに思わずに呻き声が零れる。それと同時に離れていく熱に、文句の一つでも言わねば気が済まぬと涙目になりながらもがばりと起き上がった大般若は、混乱と怒りのままに掛け布団を勢いよく捲ったのだが、そこにあったのは。
「……は?」
布の下にいたのは数時間前まで熱く愛し合った、同派の太刀である可愛い己の恋刀。そしてそんな彼と自分の間で大の字になってくうくうと寝ている、愛しい彼にそっくりの小さな幼子。
「うん、うん…んん?…え、なんだこれ」
随分と小さなその身体は、人の身で言うところの三歳前後といったところだろうか。髪の色は真っ黒だが違うのはそれだけで、どこからどう見ても小竜景光の姿をしたその子は布団を取られて寒いのか、小さく唸ったかと思うところりと寝返りを打って小竜にぎゅううと抱き着くと再び静かな寝息を立て始めた。
「…寒いか」
突然布団を奪われたら当然寒いはずだ。それはそうだと握り締めたままだった布団を静かにかけ直す。小さな身体は毛布にすっぽりと埋まって姿は見えなくなってしまったが、触れているところから伝わってくる熱が彼の存在は寝起きの幻などではないということを証明していた。
「…ふー…」
深呼吸を一つして、それからもう一度念のためそっと掛け布団を捲り、やはりそこで大人しく眠りについている可愛らしい姿を目にして大般若はすっくと立ちあがる。そのまま寝ている二振りを起こしてしまわぬよう、しかし素早い動きで部屋を出てそのまま隣の部屋で寝ている己の兄弟を叩き起こした。
「ううん、きょうだい、あさからどうしたの…」
「なあ俺!産んじまったかもしれん!」
「…はあ?」
迷惑そうに布団の中から眠たげな目で睨んでくるのを気にせずにそう叫べば、小豆は寝ぼけ眼のままピシリと固まってしまった。
「ええ?えっと…?」
「どうしよう小豆、俺、赤ん坊を産んじまったかもしれん」
反応を待たずにもう一度そう言えば彼は困惑した表情のまま起き上がった。
「…きみ、ねぼけているのかい?」
「違う、本当なんだよ。起きたら子供がいて」
だから俺が産んでしまったのかもしれない。そう言えば小豆はようやく事の重大さを理解したようで驚いた顔で起き上がり、一拍遅れてからえっと大きな声を上げた。
「君が産んだのかい⁉」
「え、あっ、俺じゃない⁉いやそんなまさか」
だって昨日の夜は確かに小竜と過ごしたのだ。そもそも小竜の相手は己しかいないはず。そう言えば小豆はそうじゃなくてと真剣な顔をした。
「いいや、わたしはてっきり、きみではなくて小竜がうけいれるがわだとばかり」
「あっ、そうか、そうだなそうだわ。俺な訳ないわ。…えっちょっと待て、じゃああいつが産んだのか?俺はその隣でぐーすか寝てたのか?」
いくらここで話していても混乱しているこんな状態では何も解決しない。しばらくしてからその事に気が付いた二振りは揃って小竜の寝ている部屋へと向かうことにした。静かに障子を開けてそっと中を覗いてみれば、こんもりと膨らんだ布団とそこからはみ出している見慣れた金髪が目に入る。
「…みまちがいじゃあなくて?」
「思いっきり腹を蹴られたんだ、俺の勘違いなんかじゃない」
掛け布団を剥いでしまえばいいのだけれど、気持ちよさそうに寝ている小竜を起こしてしまうのもなんだか忍びない。それに加え、子供が本当にいるかどうか確認したとしてその後どうするべきなのかも考えつかないのだ。その場を離れる事も出来ず、寝ている彼らを起こさぬよう額を突き合わせて今後どう動くのが最善なのかとなるべく静かに廊下で相談していた大般若達だったが、ただでさえ気配に敏感な小竜が目を覚ましてしまうのは時間の問題だった。
「…ぁー…?」
数分もしないうちに間延びした声が上がり、もぞもぞと布団の山が動き出す。
「何…もう朝…?俺、今日は休みなんだけど…」
うるさい、と不機嫌さを隠そうともせずにのそりと小竜は起き上がった。眠そうに目を擦り、開いた障子の隙間から入り込む朝の空気に肩を震わせている。まだ寝ぼけているのか幼子の存在には気が付いていない。
「ああいや、ええと…」
この状況をどう説明するべきか。大般若が悩んでいる間にも、まだ眠気が抜けない小竜は自身の膝の上にある暖かなものに疑問を抱くことなくそれを抱きかかえて暖を取り始めてしまった。
「んあー…あったかい…」
「待て待て寝るな」
そのまま放っておいたら再び眠り始めてしまいそうなその姿に慌てて声をかけるも、緊迫感はいまいち伝わっていないようでふわふわとした答えしか返ってこない。それでも大般若と小豆は懸命に小竜を起こそうと声をかけ続けた。
「小竜、その子に覚えはあるのかい」
「んー…?どのこ…」
「きみのうでのなかのそのこだよ。ゆたんぽではないよ」
「んんー…」
声をかければかろうじて返事はあるものの成り立たない会話に大般若と小豆は頭を抱えた。出陣の日や予定のある日の目覚めはすこぶる良いのに、休日となると途端に起きなくなってしまう小竜の体質は今日も変わりないらしい。そうこうしている間にも小竜はこっくりこっくりと船を漕いで夢の世界へ旅立とうとしてしまうし、その腕の中の小さな生き物は相変わらず穏やかに眠っている。
「これ、どうしたら良いんだよ…」
「うーん…とりあえず小竜におきてもらうしかないんじゃないかな」
「いやあ…でもなあ…起こすの大変なんだよなあ…」
「ここはきょうだいがなんとかするばめんだよ。きみのこ?なんだろう。せきにんとらなきゃ」
そうしてひそひそと、小竜と小さな小竜のような誰かをどう起こすべきか議論していると、廊下の向こうから小さな足音が聞こえてきた。
「ふたふりとも、なにをしているの?」
「ああ、謙信」
いつも一緒に朝食を取っている小豆が時間になっても広間に来ないから様子を見に来たらしい。困り果てた二振りが藁にもすがる思いできょとんとした顔の謙信に事情を説明すると、彼はそっと部屋を覗き込んだ。そのまま何を言うでもなく、驚いた様子もなく普段と変わらぬ足取りですたすたと部屋の中へと進んでいく。あまりにいつも通りのその姿に慌てたのは大般若達だ。
「あっおい謙信」
「おきてしまうよ…!」
刀剣男士ならともかく、いくら見た目が小竜に似ているとはいえ得体のしれない幼子の相手の仕方など分からない。だから下手に起こすこともできずに自分達は右往左往していたというのに、謙信はあっさり小竜のもとにたどり着き、並んで座り込むと不思議そうに大般若達の方へと振り返った。
「さっきからなにをいっているのだ?」
「何ってだから」
その子供が、と大般若が言い終えるよりも早く謙信の小さな手が小竜の金髪に伸ばされる。
「このこ、小竜だよ?」
「いやいや、確かに似ちゃあいるが、」
いくらなんでもそんなはずないだろう、分裂したとでも言うのか。そう言いかけたところで大般若達ははっと目を見開いた。
謙信の手によってあらわにされた白い首筋。朝日に照らされるうなじには傷一つなく、綺麗なその肌を目にしてようやく違和感に気がついた。
(そんな、はずは)
有り得ないのだ。綺麗な首筋など。だって、小竜景光は。彼の異名は。
「ほら!ね、おはよう、のぞきりゅう」
謙信に優しく声を掛けられて、ふるりと幼子の睫毛が震える。持ちあがった瞼の下には小竜と同じく美しい紫水晶があり、違う点と言えばその形が切れ長ではなく子供らしい大きな丸い瞳であるという事だった。
「ふあーあ…」
「緊張感ないなあ…」
大きく口を開いて欠伸を零す小竜と、その腕の中で同じようにくあ、と小さな口をめいっぱい開いて眠そうにしている幼子の姿は髪色が違う以外は本当に瓜二つで、まるで兄弟か親子のようだ。大小揃って同じ表情なのを可愛らしく思いつつ、訳の分からないバグの当事者だというのにあまりに緊張感の無いその姿に思わず呆れた声が出てしまう。
あの後、目を開けた幼子はぼんやりと目の前の謙信を眺めてからそのまま彼にぎゅっと抱き着いた。甘えるようにぐりぐりと小さな頭を謙信の胸元に押し付けている姿はまるで子猫か何かのようで、よしよしと優しく頭を撫でる謙信は面倒見の良いお兄ちゃんだった。そんな微笑ましい光景が膝の上で行われているにも関わらず、眠りの世界から抜け出せない小竜がようやく起きたのはそれからさらに数分後の事である。謙信に容赦なく揺さぶられて目を覚ました彼は、自身にそっくりな容姿の幼子に驚くでも取り乱すでもなく、あれえと間の抜けた声を出して首を傾げるだけだった。
「なんか驚いた俺達がおかしいみたいじゃないか?」
「謙信はよくわかったね?」
小竜の支度が整うのを待っている間、ふと小豆が謙信にそう尋ねれば彼は不思議そうな顔でこちらに目を向けてくる。分からない方が分からないと、優しい彼は言葉にこそしないがそう思っている事が伝わってきて大般若はがくりと肩を落とした。
「ううん…これでも小竜の事を一番は分かっているのは俺だと思っていたんだがなあ…」
まさか彼の一部、それもチャームポイントの覗き竜だったとは。分からなかった事に少しばかりショックを受けていても、小竜は興味無さそうにふうんと声を零すだけだ。
「冷たくないか?」
「気のせいだよ」
泣きついてもはいはいと適当にあしらわれてしまい、がっくりと肩を落としていれば小豆に慰めるかのようにぽんぽんと背中を叩かれた。恋刀のちょっとつれない態度もいつも通りと言えばそれまでなのだが、それはそれ。何事もままならぬなあ、なんてため息をついても誰も相手をしてくれないのもいつもと同じだ。まったく、と呟きながら謙信の柔らかな頬をもちもちと堪能している時、ふと慣れない視線を感じて大般若は顔を上げた。
「ん?どうした?」
先ほどまでの眠たげな様子はどこへやら、ぱっちりと見開かれたまあるい紫水晶がこちらをじっと見つめている。ふくふくとした頬を小竜の首筋に埋めるようにしてぎゅっと抱き着いたまま、じっとこちらに目を向けている彼は問いかけても返事をしない。小竜とそっくりな、けれど普段の彼よりもずっと幼く愛らしさが増したその姿に自然と口角が持ち上がる。
「はは、可愛いなあ」
何か言いたい事でもあるのだろうか。恋刀にそっくりな小さな子供のお願いならば何でも聞いてやりたいと表情を緩ませた大般若だったが、近寄った途端、小さな小竜はぷいっとこちらから顔を背けてしまう。その明らかな拒絶反応に大般若は固まり、小豆は吹き出した。
「…は?」
「ふっ…あはは、きみいったい、なにをしたの」
「…いやいやいや」
一拍遅れて我に返り、おかしいだろうと眉を寄せた大般若だったが、いくら顔を覗き込もうとしたところで幼子がこちらを向くことは無かった。頑なに顔は背けられ、ふわふわな髪が跳ねるまあるい後頭部しか見せてくれない。そんな姿も可愛らしくはあるが、少々納得できないと大般若は唇を尖らせて己の恋刀に文句を零した。
「おかしくないか」
「何が?」
「お前、俺のこと好きだよな?」
なあなあ、と今度は大きい方の顔を覗き込んで問いかければ小竜はひどく面倒くさそうに、近いと顔を顰めた。
「なんだよもー…」
「その小さいのはお前の首の覗き竜なんだろう?つまりお前自身じゃないか」
「だから?」
「それなのに俺の事が好きじゃないなんておかしいだろ!」
むしろ俺の事が好きで好きでたまらない、とこの胸に飛び込んできたっておかしくないはずなのに。そこまで言えば小竜は物凄く嫌そうな顔をした。先ほどから己に対する態度が一際冷たくなったような気がするのは気のせいだろうか。ぷく、と頬を膨らませて可愛く抗議してみるも、やめろとすげなく一蹴されてしまった。
「くだらないことばっかり言ってるんなら、俺、先に行くからね」
幼子を抱いたまま、行くよ謙信と言って小竜は立ち上がる。待っていたこちらを置いてさっさと部屋を出ていこうとする小竜の後を追いかけながら大般若は隣の小豆に文句を零した。
「なあ、なんか今日特に冷たくないか?」
「いつもならもっとねているものね。やっぱりねむたいんじゃないの」
「起こしたのは俺じゃあないんだがなあ…」
とはいえ小竜がああやって露骨に不機嫌さを見せてくるのは大般若に対してだけなのだ。分かりにくいがそれは確かに己に対する甘えでもあり、それが嬉しくないのかと言われればそんな事はないのだけれど。
「いや、でもやっぱあの小さいのに顔背けられるのは結構くるな…」
「たいへんだねえ」
朝の静かな廊下に、小豆の面白がるような声が響いた。