“本物”を超えた日 後編 見渡す限りの大草原。
抜けるような蒼穹を貫くように聳え立つ岩の城。
そこかしこでのびのびと暮らす、数多の動物たち。
「わあっ…!!」
眼前に広がる壮大なサバンナの箱庭に、ユウは思わず感嘆の声を漏らした。その場でぴょんぴょん跳びはねながら、抜けるような青空と地平が交わる草原の向こうを指差して歓声を上げた。
「すごいすごい! 先輩ほら、あんなに遠くまで見えますよ! 広くって景色いいですね!」
「でしょでしょ。昔この辺り一帯を治めた百獣の王の住処…を、再現したとこらしいッス。王様の部屋なんかは展示室になってるけど、それ以外の草原とかでピクニックできるんスよ」
得意げに歯を見せて笑うラギーにユウの心も自然と浮き立つ。そして、行き先がわからないのなら動きやすい格好の方がいいのではと助言してくれた親友たちに、心の中で感謝を捧げた。
パンフレットを広げるユウの横から、ラギーが地図を指し示しながら言った。
「順路的にはプライドロック、象の墓場、ジャングルって順で回るんスけど、プライドロックは後で行った方がいいんで、先にジャングル行きましょ」
「あれ、それなら象の墓場からじゃないんですか?」
「んー……あそこ結構暗いから、まずは明るいとこからが良くない?」
「ガイドさんがそう言うならお任せしたいですけど……でも、行ってみたいです、象の墓場」
地図の端にある陰った部分をユウの指先がなぞる。
「前に言ってませんでしたっけ? 百獣の王に仕えたハイエナは、最初は象の墓場に住んでたんですよね」
「…まぁ、そうだけど」
「行ってみたいです、ハイエナの住処。…………その、興味、あるので」
ちらりと、ユウはラギーを視線だけで見上げる。正確には、その上でぴこぴこ揺れるハイエナの耳を。
ユウの視線を追ってその意図に気づいたラギーは、ふっと苦笑をこぼして肩を竦めた。
「……んじゃ、ご要望通り、先に象の墓場に行きますか」
「やった! 楽しみです!」
ゆるりと方向を変えたラギーの隣に、足取りを弾ませたユウが並ぶ。ちらりとつむじを見下ろしたラギーの尻尾が、楽しげにゆらゆらと揺れた。
* * *
吹き出した黄緑のガスが烟る。切り立った断崖に囲まれ、あんなに明るかった日の光からはるか遠く離れたところに、その国は存在した。
入り口に鎮座する見上げるほど大きな象の頭蓋骨を前に、ユウは呆然と立ち尽くしたままあんぐりと口を開けた。
「……おっきいー…」
「そりゃまぁ、象の墓場だし」
「骨もいっぱい…本当にお墓みたいですね…」
道の両脇に積みあがった骨を恐る恐るつつきながら奥へと進む。
どんどん暗くなっていく足元に不安を覚え、ユウは鼻歌を口ずさむラギーの背にくっつくようにして歩を進めた。
「誰もいないですね…」
「朝っぱらからこんなとこ来るやつなんてよほどの物好きしかいないッスよー。ほらほら、見たかったんでしょ? そんな後ろに隠れてないで前に出たらどうッスか」
「わわっ」
ラギーに背を押され、つんのめるように数歩先へ。途端、ぶわっと地面からガスが噴き出して、ユウは小さく悲鳴を上げて尻もちをついた。
「ひゃっ!?」
「シシシッ、おまぬけさん」
「もう! 先輩!」
情けない姿を見られた羞恥で顔を赤くしたユウがラギーをぽかぽかと叩く。吠えた甲高い声が谷間に反響して、山になっていた骨が崩れてカラカラ音を立てた。
音がした方を振り返る。誰もいないはずなのに、暗闇の中で何かが蠢いた気がする。知らず背筋が震えて汗ばんだ手を握りしめながら、ユウはぽつりと浮かんだ疑問を口にした。
「……ここ、こんなに骨がいっぱいあるってことは、本当に象のお墓だったんですか?」
「ハイエナは骨も砕いて食べれるから、他の動物が残した食べかすを持って帰ってきたりもしたんスよ。サバンナじゃ食糧が少ないんで。本当に墓だったかどうかは知らないけど、この骨の量からして、象だけじゃなく他の動物の死に場所にもなってたんじゃない?」
「なるほど…」
「ここがゴミ捨て場になってるおかげで、サバンナはあんなに綺麗に保たれてるってこと」
「ご、ゴミ捨て場…」
「オレのスラムも似たようなもんッスよ。ゴミ溜めの掃き溜め。お日様なんて滅多に拝めない、暗くて寒くて汚いドン底の底」
ラギーが歌うように言った。その明るい声色に、ユウは息を呑んでその背中を見つめる。振り返ったラギーは強張るユウの顔を見て、安心させるように口元を緩めた。
「別に、そんなに悪い暮らしじゃなかったッスよ。ばあちゃんもみんなもいたし、バイトできる歳になってからはそんな食いもんに困ることもなくなった。そりゃあ、レオナさんとか、ナイトレイブンカレッジのお坊ちゃんどもには全然及ばないけどさ、ドン底にだってドン底なりの楽しみ方ってもんがあるッス」
「……先輩」
「いいッスよねぇ、百獣の王に仕えたハイエナたちは。こんなとこから王の家臣ッスよ。大抜擢じゃないッスか。羨ましいったらねぇや」
「……でも、ラギー先輩は、自分で這いあがってきたじゃないですか。百獣の王に頼りきりじゃなく、自分の力で、世間に認められて」
唐突に響いたユウの静かな言葉に、ラギーは言葉を止めて目を瞠る。ぴんと立ち上がったハイエナ耳と心底驚いた表情に、ユウはふっと顔を綻ばせて微笑んでみせた。
「知ってますよ、『スラムの英雄』。嫌われ者だったハイエナが、今や一流企業の人気スポーツ選手だって、お店でもよく聞くんですから」
「…それはちょっと言いすぎ」
ラギーもつられて表情を崩し、照れたように顔をしかめてユウの頭に手を伸ばす。乱暴にぐしゃぐしゃを頭を撫でまわされて、ユウがぴゃっと肩をすくめた。
「わわわっ!? ちょ、ラギー先輩やめっ…!」
「シシッ。暗いから離れちゃダメッスよ。順路から離れると……ガブッ!って、悪ぅーいハイエナに食われちまうかもしれないッスから」
顔を上げたユウの眼前に鋭い牙をかざし、ラギーが意地悪く嗤う。乱された髪を直すユウの前に立って、ついと左手を差し出した。
「ほら、手。勝手にどっか行かれちゃたまんないんで」
ユウはぽかんと、差し出された手とラギーの顔を見比べる。それからおずおずと右手を伸ばして、大きな手のひらの上にそっと乗せた。
* * *
「わあ…!! ジャングルもすごくキレイですね! ほら、向こうの滝のとこ、虹ができてます!」
水辺の縁に身を乗り出して指差すユウにラギーは呆れた笑みを浮かべ、彼女が落ちないようしっかと細腕を掴んで引き寄せる。
「あんまりはしゃぐと危ないッスよ。時間もちょうどいいし、ここらで昼飯にしましょ。あそこの隅っこの丸太とか座れそうッス」
「はーい」
強い日差しが、生い茂る濃い緑を透かして頭上から燦々と降り注ぐ。目を細めて全身で瑞々しい空気を吸い込み、ユウは手を引いて歩くラギーの後ろに続いた。
暗い暗い象の墓場を抜けると、そこは地上の楽園だった。
隙間なく連なる木々の群れ。いくつもの木が蔦で絡まり合い、あちらこちらから流れ出た豊かな水源が合わさって広い川を作る。葉の擦れる音と鳥のさざめきで溢れた森は、時間の流れさえもゆったりと緩慢になっているような気がした。
順路から少し逸れて、すぐそばにぽっかりとあいていた空き地へ足を踏み入れる。中央にちょうどいい大きさの丸太と切り株が鎮座していて、休憩スペースのようになっているらしい。
ラギーがさっと背負っていたリュックを下ろして荷物を広げた。朝から二人でこしらえた彩り豊かなランチが切り株のテーブルいっぱいに並べられ、ユウは本日何度目かもしれない歓声を上げてスマホを構えた。
「外だとまた格別ですね! ケイト先輩じゃないですけど、マジカメ映え~って感じです!」
「シシッ、ユウくんものまねも結構うまいじゃん。さ、虫が集まってくる前に食べるッスよ」
二人並んで丸太に腰かけ、思い思いのおかずに手を伸ばす。サンドはラギー、おかずはユウの担当だ。ラギーの作った具だくさんのベーグルサンドに舌鼓を打ち、ユウは頬を緩ませて惜しみなくラギーの腕を称賛した。
「んん~! 先輩のサンドめちゃくちゃ美味しいです! スモークサーモンだなんて贅沢ですね!」
「シシシッ。せっかくだし、たまにはね。ユウくんの作ったサラダも美味しいッスよ」
「サラダもなんですけど、こっちのピンチョスも自信作なんです。はい、ぜひどうぞ!」
「へぇ、どれどれ?」
ユウがピンチョスをひとつ取り、ラギーの方へ差し出した。受け取りやすいよう串の端を摘まんで待っていると――ふいに、ラギーがユウの手ごと掴んで引き寄せた。
「――えっ」
ぱくりと、大口を開けたラギーが、ユウの手に持ったままの串を口の中に飲み込んだ。指先を柔らかい感触が掠め、ユウの心臓が弾けそうなほど飛び跳ねた。
ラギーはそのままむぐむぐと口を動かし、飲み込むと同時にユウの手をするりと離して破顔した。
「お、ホントッスね。こりゃ美味いや。あとでレシピ教え……ユウくん?」
「へっ!? あ、はいっ!」
真っ赤な顔でだらだらと汗を流すユウが丸太の上で2センチ浮いた。突然挙動不審になった彼女に首を傾げたラギーはふとユウの口元に目を止めた。
「ユウくん、口についてる」
「えっ、ど、どこですか」
「ああほら、じっとして」
ユウが手をやるよりも早く、ラギーの親指がユウの唇の端に触れた。
カチンと石のように固まったユウの口元についたソースをかさついた指が拭う。指先についたソースはそのままラギーの口元に持っていかれ、赤い舌がぺろりと、指先のソースを掬い取った。
「はい、とれたッスよ」
「…………ひゃい」
蚊の鳴くような声で返事をしたユウは、茹でダコのごとく赤くなった顔を誤魔化すように目の前のサンドへかぶりついた。
* * *
軽く息をついて、ユウは手洗い場として誂えてある小さな滝に両手をかざした。冷たい流水が手のひらから体温を吸い出し、上がった熱が徐々に落ち着いていく。
すっかりはしゃぎすぎてしまった。笑いすぎで強ばった頬を冷えた手でむにむにほぐしながら、楽しかった時間を反芻する。
ジャングルゾーンを一周した最後に、ふざけて池で水の掛け合いになり、誰もいないのをいいことに二人して子供みたいにずぶ濡れになったのをラギーに魔法で乾かしてもらったところだ。あっという間に裾まで乾いた服に魔法は便利だなぁなんて心の中で呟いて、濡れた手を拭う。柔らかな黄色のガーゼに水滴が吸い込まれて、そこだけ濃い色に変わっていく。
濡れたハンカチをしまってユウはさっと踵を返した。ラギーが荷物を片づけて待ってくれているはずだ。早く戻らなければと自然と駆け足になる。
小走りで来た道を戻る。待ち合わせに指定された通路まであと少しというところで、突然、見知った名前が聞こえてぱたりと足を止めた。
「えっ!? もしかして、ラギー・ブッチ選手じゃないですか!?」
「わあ、本物!? いつも試合観てます~!」
「ファンです! 握手してください!」
曲がり角の先から飛んできた黄色い声が、次々と耳朶を打った。
咄嗟に足を止め壁に張り付く。瞬時に研ぎ澄まされた聴覚で注意深く角の向こうを探る。複数の女性たちの声と、それに押されるラギーの返答が聞こえた。
「お、試合見てくれたんスか。へへ、ありがとうございまーす」
「こないだの、すっごくかっこよかったですよ~!」
「そうそう! さすがディスク泥棒って感じで!」
「おひとりですか~? あ、もしかして、他のチームの人と来てるとか?」
「いやいや、まぁ、気晴らしって言うか」
会話が弾むにつれ、どくんどくんと、嫌な感じに心臓が波打つ。呼吸が苦しくなって、雑音交じりの鼓動を押さえつけるように胸のあたりを掴んだ。
やっぱり、世界が違う。ラギーとユウでは、住む世界も、見てる世界も。
ラギーは人気のマジフト選手。対して、ユウはごく普通の一般人。数年前に異世界からやってきた以外、特別な能力も何も持ち合わせていない。むしろ、この世界で数年しか過ごしていない分より積み上げてきたものは少ない。
一歩近づけたと思っても、またすぐに振り出しに戻される。隣を歩いている方が奇跡みたいなもので、今みたいな、遠くから眺めている距離の方がずっと正しいのだと、そんなことは重々承知している。
――ラギーに好きな人ができたら、この関係は終わり。もともとそういう契約だ。『嫌になったら解消』というのは、ユウからでもラギーからでも、同じこと。
あの時、あの場に居合わせたのがユウでなくても、ラギーは同じ提案を持ち掛けたのだろう。お互いに都合がよかったから手を組んだだけ。ユウだってそれは変わらない。もし持ち掛けてきたのがエースやデュースでも、きっと同じように頷いたから。
それだけの、上澄みのような関係だから、ラギーはユウとの『結婚』を公表しないのだ。いつか解消してしまうかもしれない、曖昧な間柄。好き合ってもいない相手と『結婚』している事実。軽はずみに口にすれば余計な詮索を招く立場にいるから、いっそう。
そして、それを強いているのが自分だということに、また胸が押し潰されそうになる。急に足から力が抜けて、ユウは壁にもたれたままずるずるとその場に座り込んだ。
いつか、ラギーが周囲から祝福されるような釣り合う相手を見つけたら、自分はお役御免になる。自分より大きなシャツを干すことも、深夜の帰りを待つこともなくなる。それは本来ラギーと生涯を共にする人間が許されることで、自分はあくまでも仮初めの穴埋め役で。
それまでにちゃんと自立して、一人でも暮らしていけるようになっておかなくてはならない。――ラギーと結婚する知らない誰かに、お幸せにと笑えるように。
じわりと、視界が滲んだ。突然熱い何かがこみあげて瞳の縁に溜まる。思いもよらない自身の変化に狼狽えて、ユウはしゃがみ込んだまま膝の間に顔を埋めた。
右から左から押し寄せる甲高い声に、ラギーは心の中で耳を伏せてじっと耐え忍んでいた。ファンだという女性たちを無下にするわけにもいかず、表情だけはにこやかなまま応対を続ける。
ずいぶん前にユウの足音が聞こえたはずだが、いつまで経っても姿を現さない。きっとこの状況を察知して、気を遣って出てこないのだろう。今日何のために帽子もかぶらず出てきたのか、これではむしろ逆効果な気がしてきた。
きゃいきゃい騒ぐ声の隙間を探る。矢継ぎ早に話しかけてくる女性たちのタイミングを見計らい、ふっとラギーは身を屈めて囁いた。
「…あー、ここにオレが来てるってこと、出来れば内緒にしてほしいんスけど……ね、お願い」
軽く目をつぶり、人差し指を口に当てて懇願する。途端女性たちはぱっと頬を染めて、わたわたと両手を振った。
「えっ、そんな、言いません!」
「大丈夫です! 秘密にします!」
「シシッ、ありがと。んじゃあオレ、そろそろ行かなきゃ。また試合観てくれたら嬉しいッス」
「はい! 絶対観に行きます!!」
リップサービスも忘れず付け足して、ラギーはすっと女性たちから離れた。ありがとうございまーす!なんて声と小声の褒め言葉が背に浴びせられ、こそばゆさが駆けあがる。
褒められるのは嬉しい。歓声も差し入れも、こうして街中で握手を求められるのも。どれも正当な評価として照れずに素直に受け止める方だ。……けれど、ああも面と向かって大げさに賞賛されるのは何度経験しても慣れるものじゃない。
女性たちの声が遠ざかっていき、ラギーは雑念を振り払い、ユウの足音が聞こえた方へ急いだ。随分ほったらかしにしてしまったから移動しているかもしれない。立ちっぱなしよりベンチにでも座っていてくれた方がマシだと思いつつ、足音が止まった曲がり角の先を覗きこんだ。
「……ユウくん?」
「…………あ……せん、ぱい」
地面に伏せるように、ユウが小さくなっていた。しゃがみ込んだ姿勢からラギーを見上げる顔がどことなく青ざめているような気がして、ラギーは慌ててユウの側に膝をついた。
「だ、大丈夫ッスか? 疲れちゃった? 気分悪い?」
「え、あ、いえ、大丈夫、大丈夫です!」
ラギーの焦った顔に、ユウは慌てて背筋を伸ばした。何でもない、何でもないのだ。ただ少し――落ち込んでしまった、だけで。
暗い気分を振り払うように頭を振る。もう一度大丈夫だと言い募ろうとしたところで――ぐいっと、ラギーに腕を引っ張られた。
「あっちにベンチあるんでちょっと座りましょ。さっき濡れ鼠になったし、あったかいもんでも買ってくるッス。オレもなんか飲みたいし」
「え、せ、先輩っ! あの、私、ほんとに」
「……ごめん」
小さく聞こえた謝罪に、ユウはぐっと言葉を詰まらせた。
いったい、何に対しての謝罪だったのか。
それっきり何も言えず、ラギーに引きずられるまま、ジャングルの出口にほど近いベンチへと足を向けた。
* * *
温かいカフェオレを唇の先で掬う。じんわりと染み渡るぬくもりに、もうそんな季節になったかと何とも言えない感慨が疼く。
ラギーと住むことを決めたのが夏頃。それから数ヶ月の時間を重ね、ようやく隣にいるのに慣れてきた。毎日食事を囲んだ日々を思い出しながら、触れるか触れないかの距離に程よく離れて腰かけたラギーをちらりと見やる。片手に握ったブラックコーヒーのカップを傾ける横顔。見慣れたはずのそれに、心臓が奇妙な音を立てた気がした。
少し冷ましたコーヒーで舌の先を湿らせ、ラギーがぽつりと口を開いた。
「オレ、バイトでしかここに来たことなかったんスよね。ここって、みんな子供の頃に何度も来るらしいんスよ。学校のシャカイカケンガクってやつで。まぁオレは学校もまともに行ったことなかったんで知らなかったッスけど」
「……そう、なんですか」
「うん。だから、今日結構楽しみだったんスよ。そりゃまあ、バイトして中身には詳しくなったけど、純粋に遊んでみたかったっていうか。今まではそんなこと、考えたこともなかったけど」
ラギーが表情を緩める。日の落ちてきた空に向かって、溜めた息を細長く吐いた。
「ガキん時にここにきて――そこで、みんなハイエナのことを知る。あんな暗くて寂しいところに住みついてた、サバンナの掃除屋。――嫌われ者のハイエナのことを。
掬い上げてくれた百獣の王は身分の違いにも捕らわれない平等な王として称えられるけど、オレたちハイエナは結局、嫌われ者のまんま。そりゃあ家来になった後は恩に報いるため何でもやったけどさ、それでやってきたことがなくなるわけじゃない」
「……でもそれは、大昔の話で」
「そうッスよ。でも、現にオレたちは今でもスラムで暮らしてる。その日食うのにも困るような生活で、周りの仲間と肩寄せ合ってやっと寒さを凌げるような有様で。――嫌だったんスよ、そんなの」
吐き捨てるように、ラギーは言った。膝の上で固く握られた拳が震える。ひそめられた眉の下、強い光を宿す青灰色で見えない何かをじっと睨みつけた。
「絶対に、抜け出してやるって思った。そんな時、ナイトレイブンカレッジの入学許可証が届いたッス。このチャンスを絶対に逃すもんかって、足掻いて足掻いて……そんで今、オレはここにいる。
信じらんねーッスよ、ほんと。夢なんて大層なもんじゃねーけど、こんなとこに純粋に遊びに来れるようになるなんてさァ。おまけに、街頭の広告でよく見てた名前が入った社員証がオレの鞄ん中にあんの、毎朝夢なんじゃねーのかなって思っちまう。……ま、一番のイレギュラーはアンタッスけどね」
シシシッ、と、ラギーは肩を揺らして笑った。ぽかんと見上げてくるユウに横目で視線を落とし、そっと垂れた眦が細まった。
「ハイエナを、オレを、嫌わないってどうかしてるッスよ。なァんにも知らないような顔で無条件に信用しちまって。オレがどういう人間か、いやというほどわかってる癖に」
「……別に、無条件じゃないですよ。ちゃんと、先輩自身をこの目で見たうえで信用しました」
唇を尖らせたユウが低い声で反論する。遠回しに考えなしと揶揄されたことを心外だと語気を強めて、さらに言葉を重ねる。
「確かにラギー先輩はずる賢くて手癖が悪くて、人に怪我までさせた極悪人です。……でも、それには全部理由があった。無差別にやったわけでも、自分の機嫌で傷つけたわけでもない。
先輩は、優しい人です。家族を大事にしてて、お仕事もきっちりして……どこの馬の骨とも知れない異世界人の私にも、こうして目をかけてくれてるじゃないですか。そういうところ、ですよ。私が信用してるのは」
ひと息に言いきって、ユウはぐいっとカフェオレを飲み干した。空になったカップの底をじっと見据え、舌に残る甘みの強いほろ苦さをゆっくりと転がす。苦いのに甘くて癖になる味は、どことなくラギーに似ている気がした。
言い返されたラギーはしばらく無言だった。今になって自分の発言が恥ずかしくなって、ユウは俯いたまま膝の上でカップをいじる。カップのぬくもりが完全に消え去った頃、不意にぽすっと頭の上に何かが乗った。
「…………そういうとこッスよ、このお人好し」
ぐしゃぐしゃとユウの髪をかき回し、ラギーはおもむろに立ち上がった。空になっていたユウのカップも通りすがりに奪い取って、少し離れたダストボックスへと向かう。二つのカップを木製のかごに放り入れて、くるりとユウの方へ向き直った。
「ん」
左手を差し出す。おずおずと重なったふたまわりほど小さい右手をしっかりと握って、プライドロックに続く道へとつま先を向けた。
* * *
プライドロックの一番の見どころは、景色すべてを染め上げる夕焼けを一望できる時間帯らしい。
道すがらラギーがそう説明しただけあって、プライドロックの展望エリアは人であふれかえっていた。
「…うわぁ…」
思わず呻き声が漏れる。これでは景色どころの話ではない。人混みをかき分けないと何も見えないし、なにより、先ほどのようにラギーを知っている人物に騒ぎ立てられたらひとたまりもない。
「……先輩、どうしましょう? これはさすがに…」
「ユウくん、こっち」
ラギーは展望エリアへの入り口を通り過ぎ、さらに奥へとユウの手を引いた。迷いなく暗がりへ進んでいくラギーの背を追いかけながら、不安に駆られたユウは焦りのまま問いかけた。
「先輩? 展望エリアはこっちですよ? いったいどこに…」
「王の寝室の横からもっと上に登れるんスよ。順路にも書いてない秘密の道ッス」
「で、でも、書いてないなら危ないんじゃ…」
「大丈夫大丈夫。誰がついてると思ってんスか?」
振り返ったラギーが悪戯っぽく口角を引き上げてみせた。猫のような子供のようなその顔に、奇妙な安心感が満ちてくる。やると言ったらやり遂げる、そういう人だとわかっているから。
ユウは強張る腕から力を抜いて、改めてラギーの手を握りなおした。無言の了承を得たラギーは不安を堪えたユウを安心させるように、小さな右手を優しく包み込んだ。
王の寝室の横を抜け、細い岩の道を進む。人一人がやっと通れる道を、ラギーに手を引かれて慎重に歩く。ひときわ細くなっているところに差し掛かり、岩壁に張り付くように進む。
「足元気を付けて」
優しい声が降ってきて、ついと腰に手を回された。目の前の岩壁と隣のラギーに密着する形になって、自然と頬が熱くなった。
言葉を失う、というのは、こういう時に使う表現なのだろう。呼吸も忘れてしまうほど目の前の光景に目を奪われて、頭の片隅でぼんやりと思った。
見渡す限りの平原。命の息づく大地。朱い夕陽に照らされた荘厳な景色に、ユウはしばらくの間微動だにせずに見入っていた。
「気に入った?」
「……はい………はい、とても」
ラギーの問いに、やっとか細く息を漏らす。飲み込まれそうな夕焼け空に圧倒されて忘れていた呼吸を取り戻すように、ゆっくりと深く酸素を吸った。
「昔はここも展望エリアだったんスけどね。ほら、通ってきた道が結構細くなってたでしょ。子供が落ちたら危ないってんで一般客は立ち入り禁止になってるんスよ」
「…やっぱり入っちゃダメなとこじゃないですか」
「いーのいーの。オレ、ここには顔が利くんスから」
シシッと悪い猫のような顔で笑い、ラギーはユウの隣に並んだ。ユウが景色を堪能するのを邪魔しないように、一歩離れた位置から横目で彼女を見守る。
「夕焼けの草原って名前だけあって、すごく綺麗ですね…感動しちゃいます」
「……うん」
夕焼けに照らされた赤い横顔を、目を細めて記憶に焼き付ける。
――ああ、本当に、綺麗だ。
「そんな食い入るように見なくったって、これから嫌ってほど見ることになるッスよ。ここに住むんだったらさ」
「……ずっとかどうかなんて、わからないじゃないですか」
ぽろりと、恨み言のような台詞が漏れた。脳裏をよぎったのは先ほどラギーがファンの女性たちと話していた姿。そして、以前マジフト場で見たチームメンバーと勝利を分かち合う姿。
そう、ずっとじゃない。ラギーが正しい意味で『結婚』することになれば、必然この地を離れることになる。この夕焼けは有限なのだ。――ラギーとの関係と同じように。
そう思った瞬間、瞳に涙が満ちた。薄い水の膜越しに橙色の空がじわりと滲む。二、三度瞬きをしてそれを振り払い、ユウは努めて明るく笑って、ラギーの方を振り仰いだ。
「先輩、ありがとうございました。今日、ここに連れてきてくれて…。すっごく楽しかったです。電車に乗って、外でお弁当食べて、たくさんおしゃべりして……なんだか、デートみたいで」
今日の出来事を反芻する。出掛けようと言われた時からここに至るまで、ずっと楽しい気分だった。着ていく服を選ぶのも、お弁当を作るのも、電車に乗って、あちこち見て回って、水辺で遊んで、はぐれないように手を繋いで。
まるで、夢のような時間だった。道が分かれる日が来ても、この思い出を胸に生きていける。今日この日見た夕焼けと一緒に、底にくすぶるこの気持ちも、心の宝箱に大事にしまっておこう。明日からは、また今まで通りの『夫婦』として過ごせるように。
深く、息を吸い込んだ。視界を覆っていた水の膜が静かに引いていく。クリアになった夕焼けの中、不意にぼそりと、ラギーの低い声が鼓膜を揺らした。
「………みたい、じゃなくて、デート、だったんスけど」
――信じられない言葉に、一瞬耳を疑った。
反射的にばっとラギーの顔を見上げる。ラギーはむっと唇を尖らせて、じとっと横目でユウを睨みつけていた。
「……何スか。夫婦なんだから、デートくらいしたっておかしくないでしょ」
「え、い、いや、でも、ふうふ、って言ったって、先輩と私は、」
言いかけて、言葉に詰まる。
(私は―――先輩にとっての、何?)
もう卒業したから先輩と後輩ではない。同居人、と言い張るには、夫婦の肩書きが邪魔をする。でも夫婦というには気持ちが伴わず―――あまりにも、希薄だ。
答えが出ずに、わなないた唇を閉じた。ラギーにとってユウは、ユウにとってラギーは何なんだろう。間を繋ぐ糸の色がわからない。この関係の名前が、わからない。
足元がガラガラと崩れていくような気がした。気が遠くなって、ふらりとよろけたユウの手を――ラギーが、しっかりと掴んで引き寄せた。
「それでも、オレの奥さんでしょ、アンタは。書類上の話で、そういうフリをするだけだって、アンタはまだ思ってるかもしれないけど」
真っ直ぐな青灰色がユウを射抜く。逡巡するように一瞬視線が泳いで、掴まれた手がきゅっと握られる。
「そりゃ、最初はフリだったけど……ホントに籍入れてくれると思わなかったし、想像以上に尽くしてくれるし……ちゃんと、大事にしなきゃって、その、思って…」
語尾が尻すぼみになるにつれ、ラギーの頬が夕焼けではない朱に染まっていく。くっとわずかに言葉を詰まらせ、それでもラギーは顔を上げて、呆気に取られたままのユウの手を取った。
「ユウくんに好きな人ができた時にすんなり別れられるようにって、思ってたんスけど――もう、いい?」
「……い、い、って、なにが」
「偽物の夫婦が、本物になっちゃいけない理由なんて、ないッスよね」
握った白い指に唇を寄せる。何も嵌まっていない薬指に淡く吐息が触れ、苦笑したラギーがユウを見て目を細めた。
「放したく、なくなっちゃったッス」
「――!」
見たことのない優しい笑みに、ユウの心臓が飛び上がった。
思わずぱっと顔を逸らす。一拍遅れて、鼓動がどくんどくんと内側から胸を叩いた。
――ずるい。ずるい、あんな顔を、するなんて。
まるで顔に火が付いたようだった。火照る頬を冷ましたくて頭を振るユウに、ラギーがふっと顔を寄せて囁いた。
「ねぇユウくん、この夕焼け、好き?」
「……えと……すき、です」
「パン屋の人とか、近所の人は?」
「好き、です」
「……じゃあ、オレは?」
「っ」
「オレのこと好き? ユウくん」
「……あ」
ラギーの瞳に真っ直ぐに射抜かれ、その場から動けなくなる。茜に染まる空の色。今しがた好きだと漏らした、眼前に広がる夕焼け空と、同じ色。
ラギーのことは、好きだ。というか、どういう意味であれある程度の好意を持っている相手じゃないとここまで一緒に生活することなんて出来ないだろう。
でも、ユウの抱える『好き』が、ラギーの問うた『好き』に当てはまるのかは、わからない。
友達として、先輩として、一緒に暮らすいわば家族としての『好き』。ラギーに対する好意はその類だとずっと思ってきた。学生時代の『嫌いではない』先輩から、一緒に暮らし始めた同居人に対する好ましさへ。ラギーを知るにつれ変わってきた感情が――今、何に変化しているのか。
どくんと、また心臓が跳ねる。叫びだしたくなる心を慌てて飲み込む。今、この場でそれを口にして――この関係を壊してしまうことが、急に恐ろしくなった。
怖い。ああ、これは『怖い』のだ。――ラギーと、ずっと一緒にいられなくなることが。このぬるま湯のような関係を、崩してしまうのが。
自分から一歩を踏み出すのが怖かった。夫婦なのは書類上の話だけだと何度も自分に言い聞かせて、ずっと感情に蓋をしてきた。
――『好き』になってしまったら、きっとこの関係は崩れてしまう。自分だけが一方的な感情を抱いてしまえば、苦しいだけなのはわかっていたから。
気持ちを告げれば、ラギーは支障のない範囲で受け入れてくれただろう。例え彼にその気がなくとも、もらえるものはもらうと豪語しているラギーならば、おそらく好意すらも受け取れる範囲で受け取るはずだ。
そうやって彼の障害になるのが嫌だった。ラギーが誰かに心を砕く時に、邪魔になるのが嫌だった。だから無意識に一線を引いて、心に蓋をして、見ないふりをしてきた。
その線を―――今、ラギーがあっさりと踏み越えてきた。
「オレは、ユウくんのこと好きッス。あの時、声を掛けたのがアンタで良かったと思う。――アンタが他のやつに持ってかれる前で、本当に良かったと思う」
ラギーがおもむろにポケットに手を入れて、中から小さな箱を取り出した。紺色のビロードが張られた、手のひらに乗る大きさの小さな箱。誰が見ても中に何が入ってるのか窺い知れるそれを手のひらに乗せ、ラギーは呆然と立ち尽くすユウにそっとそれを差し出した。
「今度は契約じゃなくて、ただのお願い。――ね、オレと結婚してよ、ユウくん」
目を丸くしたユウの前で、ラギーが箱を開く。
ゆっくりと持ち上がっていく蓋の間から、夕焼けに照らされた縁がきらりと光って――やがて、柔らかなクッションの中心にちょこんと収まったシンプルな銀の指輪が、すました顔を覗かせた。
「…………それ、」
ユウは震えた口を慌てて両手で覆った。絶句したまま見下ろすユウに、ラギーは得意げに胸を張って言った。
「へへ、貯金してるからこのくらいよゆーッスよ。さすがに店とかは知らないんで会社の同僚に聞いたけど。…あ、サイズのことなら大丈夫だと思うッス。こないだアンタが寝てるときにちゃーんと測ったサイズで作ってもらったんで」
そういえば先日うたた寝をしていた時にやたらと指を触られていたような気がする。あれは、このためだったのか。
口を覆っていた手が、ふらふらと片方伸びていく。箱に触れそうになった指先がハッとひっこめられて、胸元でぎゅっと握られた。
「……わたしも、ラギー先輩のこと、好きです。……ずっと一緒に、いたいです……。で、でも私、この世界の人間じゃなくて、魔法も使えなくて、先輩に頼ってばっかりで……こんな、私、なのに」
「ユウくんがいいんスよ。オレがアンタを選んだ。そんで、オレの手を取るかは――アンタが決めることッス」
差し伸べられた手と、その手に乗った小さな箱を見つめる。ちらりとラギーの顔を見上げると、見たことのないほど緊張した顔をしていて思わず吹き出しそうになった。
――答えなんて、とっくの昔に決まっているのだ。たぶん、ラギーと一緒に住むことを決めた、あの日から、ずっと。
ユウは恐る恐る手を伸ばして、小さな箱に触れた。箱の輪郭をなぞる細い指を、ラギーが優しく握る。やっと安心したようにほぅと息を吐いて、ラギーの肩から力が抜けた。
「……ユウくんこそ、オレでいいの? オレ、スラム育ちの卑しいハイエナッスよ」
「…もう、今は違うじゃないですか。ラギー先輩は立派な魔法士で、マジフトで大活躍するスラムの英雄、ですよ」
「……だからそれはやめてって」
苦笑したラギーが指輪を摘まみ上げた。震える手でユウの左手を取り、白い薬指にそっと指輪を通す。誂えたようにすっぽり嵌まったそれを不思議そうにかざして、ユウがぽつりと呟いた。
「わぁ…ホントにサイズぴったり」
「ホント? きつかったりしないッスか?」
「全然。きつくもないし、緩くもないです」
「そりゃよかった」
嬉しそうに破顔したラギーがユウの左手に指を絡めた。恋人のように絡め合った指に口づけて、こつんと額を突き合わせた。
「……あー、誓いの言葉とか、そういうのはわかんないけど――これからもよろしくッス、ユウくん」
「……はい。不束者ですが、よろしくお願いします、ラギー先輩」
夕焼けに染まった巻雲が浮かぶ高い空に、二人分の笑い声がこだました。
この燃えるような夕焼けを、きっと生涯忘れることはないだろう。『夫婦』になった、この日のことを。
沈みゆく夕陽が見守る中、この日ラギーとユウはようやく『夫婦』としての契りを交わしたのだった。
* * *
「オレたちも関係者席でいいの? ラギー先輩ちょー太っ腹じゃん」
「うん。ラギー先輩からいつもの三馬鹿と来たら?ってチケットもらったから」
「三馬鹿って……」
「馬鹿って言う方が馬鹿なんだゾ」
観覧席の最前列を陣取って、さらに前面の壁にかじりつくように身を乗り出して場内を見渡す。さすがはプロが使うスタジアム。ナイトレイブンカレッジのコロシアムとは広さも設備も段違いだ。
試合開始が近づくにつれ、渦巻く喧噪の熱も高まっていく。歓声にかき消されそうになりながらも、デュースがユウの耳元に顔を寄せて尋ねた。
「今日は実業団の世界リーグ決勝戦なんだろ? 相手は優勝常連チームだって聞いたぞ」
「そうそう。先輩も気合入っててすごかったよ」
「やー、すごいのはわかるけどさぁ。ぶっちゃけ厳しくない? 去年も一昨年も優勝したチームじゃん」
「ほー。なかなかやるんだゾ。ま、オレ様には負けるけどな」
「大丈夫! 先輩、いっぱい練習してたんだから」
不安そうな三人に、ユウは拳を握って笑って見せる。
たこ焼きを頬張るグリムの口元を拭っていると、遠くの方からわぁっと歓声が上がった。
「お、なんだなんだ?」
「選手入場の時間か」
「いよいよじゃん。わくわくすんなー!」
四人揃って再び壁に並んだ。一様にスマホを構える中、散開した選手団の一人が近寄ってくるのが見えた。
「お、いたいた。ユウくんたち、応援よろしく頼むッスよー」
「ラギー先輩!」
箒に乗ったラギーがユウたちを見つけてすいーっと滑るように近づいてきた。ふわふわと目の前に浮いたまま四人を見下ろし、シシッと肩を揺らして笑う。
「ブッチ先輩、お久しぶりっす! 今日は頑張ってください!」
「めっちゃいい席ありがとうございまーす! バッチリ応援させてもらいまっす!」
「ラギー、お前もオレ様の子分としてしっかりやるんだゾ!」
「先輩、頑張ってくださいね!」
「はいはい。いっちばんカッコいいとこ見せたげるから、よそ見しちゃダメッスよ」
「…はいっ!」
片手をひらひらと揺らし、ラギーがチームの元へ戻っていく。
その背に手を振り返すユウに、にまりとエースが意地悪く笑った。
「おーおー、見せつけてくれんじゃん?」
「え?」
「さすが新婚。ずいぶん仲が良いんだな、ユウとブッチ先輩は」
「人前でまあイチャイチャしてくれちゃって」
「ちっちがっ……今日は賭けをしてるの!」
「賭け?」
「そ。先輩がチームメイトより多く得点と魔法決めれたら勝ちって約束。ほら、マジフトって魔法の魅せ方も大事じゃない? 得点につながるわけじゃないから見落とさないよう私が審判役をって」
「勝ったらどうなるんだゾ?」
「それは―――」
ユウが言いかけたその時、試合開始のホイッスルが高らかに鳴り響いた。
ハッと四人はフィールドに意識を戻す。戦いの火蓋が切って落とされた戦場で、十四の影が既にディスクを追いかけ弾丸の如く駆けまわっていた。
勝負は圧倒的だった。試合終了のホイッスルが長く長く尾を引いて、それをかき消さんばかりの嵐のような歓声が会場中に渦を巻く。
優勝はラギーのチームだった。最後に砂で出来たハイエナの群れを放ち敵を一掃したラギーが、チームメイトたちからもみくちゃにされて笑っている。得点でも魔法でも、文句なしの一等賞だった。
スコットに肩を組まれながら、ラギーの視線がユウの方を振り返った。箒の上で身体を捻ってピースサインを作ったラギーに、ユウもその場で飛び跳ねながら歓声を上げた。
「わーいわーい!! 今日はスコットさんの奢りで焼き肉だー!! やったー!!」
「ふなっ焼き肉!? ユウ一人だけずるいんだゾ!」
「私は出すよ!? ラギー先輩が奢られるの!」
「ああなるほど…賭けってそういうことか」
ラギーに見えるよう大きく左右に振られるユウの左手で、重ね付けされた二つのリングがきらりと光った。同時に、ラギーの左手に嵌まった同じデザインのリングもまた、陽の光を受けてきらきらと輝いていた。