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    血圧/memo

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    血圧/memo

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    レイニー(メルトの続き)

    2023.5.19 ところで赤井秀一は己が目立つ容姿だと自覚がある。基本的には存在感ダダ漏れ状態だ。スナイパーとしても潜入捜査官としても、実のところ身を潜めるという行為自体が赤井は苦手であった。
     だからこそ赤井は歓喜した。
     この個人経営の和洋菓子店の梅雨時限定スイーツは予約制だった。
     ナニソレ最高。予約ならば並ばずとも済むし受取時間を考慮すれば悪目立ちすることもない。何よりこういった和洋菓子ならば誰かに頼まれた使い物だと言い訳だって通るではないか。最高だ。
     赤井はネットで見かけたこの店のスイーツを半年前から予約していた。一目惚れだった。ときめいた。舞い上がった。紫陽花を模したゼリー、雨粒のようなマカロン、宝石のようなギモーヴ。水色、薄紫、淡いピンクといった優しい色が煌めくスイーツが、赤井秀一はどうしても欲しかったのだ。
     予定通り菓子を購入し、店を出る。
    「ふふ」
     思わず笑みが零れる。
     赤井の心は躍った。早く実物を眺めたい。ゆっくりじっくり眺めて写真も撮ってキャッキャウフフしてから味わいたい。紙袋を両手で抱え、足取り軽く滞在中のホテルへと帰路に着く。ホテルからこの菓子店までは徒歩圏内で、複雑な道は車を使うより徒歩のほうが便利だった。
     ジワジワと蝉の声。
     青空が眩しい。
     梅雨にはまだ早いがあっという間に春は過ぎ去った。夏日が続き、流石に赤井は帽子を脱いで半袖を着た。赤井が正式にFBI捜査官として日本滞在を始めてから一年が経とうとしている。
     ああ。流石ジパング。
     まだ見ぬスイーツも日本にはたくさんあるのだろうな……。
    「赤井?」
    「っ、」
     急に声を掛けられて赤井は足を止めた。聞き覚えのある声。ていうかつい数か月前にも同じパターンがあった。
     振り返ると、やっぱり降谷零。
     半袖パーカーと少し丈の短いパンツに足元はスニーカーという出で立ちの降谷はとても齢三十を超えているようには見えなかった。
    「偶然ですね。休日ですか」
     咄嗟に言葉が出ない赤井に代わって降谷が尋ねた。曖昧に頷く赤井にも降谷は気にする素振りもない。
     思い起こされるのは数ヶ月前のデパ地下、バレンタイン売り場。赤井は降谷からチョコレートを貰ってしまった。それもただのチョコではない。限定の、赤井が焦がれた、赤井がとてもとても欲しかった、赤井にとっては非常に価値あるチョコレートだ。
     降谷には感謝してもし足りない。
     なのに赤井は降谷に礼の一言も告げていなかった。
     最低である。いくら赤井がそういったことに頓着しない性質であろうとも分かる。最低である。
    「……久し振りだな、降谷くん」
     ひとまず体裁を整え赤井は答えた。皮肉な笑みを浮かべて肩を竦めて。それが赤井秀一だ。間違っても限定スイーツにときめくような男ではない。
    「お久し振りです。えーと、二ヶ月振り?」
    「……三ヶ月くらいじゃないか」
    「そんなに経ちましたっけ」
    「ああ」
     バレンタインのアレは三ヶ月前だったので。
    「君も休みか」
    「はい。ドライブがてらパンを買いに」
     降谷は手にしたビニール袋を掲げてみせた。この近辺にあるパン屋の袋だ。このパン屋のフルーツサンドは見た目も味も素晴らしく、赤井も気に入りだった。
    「赤井もこの店知ってます?」
    「あ、ああ。時々利用する」
    「ホテルから近いですもんね。ここのパン美味しいですよねえ」
    「うむ」
     赤井はタイミングを探りながら上滑りする会話を続けた。そんな赤井にも降谷は人当たりのお手本のように上手く話をするのだから流石だ。
     今言え。早く言え。礼を。チャンスだろ。
     礼を言いたくても言えなかった、というのもあった。
     何せ赤井は警視庁内に留まっているが降谷の所属は警察庁。組織の件で降谷が顔を出すこともあれど、基本的に降谷と会うことは殆どない。現に赤井が日本に滞在を始めてからの約一年間、降谷と顔を合わせた回数は両の手で足りるくらいだった。
     あのデパ地下での出会いが奇跡に近い。
     と、降谷が「あ」空を見た。
     青空。けれど風が出てきた。嫌な予感がする。
    「……赤井は歩き?」
    「あ、ああ」
    「何か雨きそう」
    「っ、」
    「大気の感じが。雨降るかも」
     嘘だろ。今度こそ赤井は天気予報をチェックした。今日は大気の急変もない筈だったから赤井は車を使わず徒歩を選んだのに。どうも赤井は雨天と相性が良くないらしい。
    「降谷くんまた改めて、」
     急いで帰ろうとする赤井を降谷は呼び止める。
    「赤井。僕の車のほうが近い」
    「、 」
    「僕が呼び止めちゃったし。送りますよ」
     迷ったのは一瞬だった。赤井は、こっちですと指差す降谷に着いて行く。数分も歩かず着いた駐車場にはバレンタイン時に乗ったSUV車が停まっていた。
     促され、助手席へ身を収める。
    「仕事用ではなかったんだな」
    「ああ、これ? 僕の車ですよ」
    「スポーツカーは」
    「修復不可能でした」
     そうか。赤井は頷いた。組織との戦いの終盤で降谷の車が大破したことは赤井も知っている。それは残念ながら修復不可能であったらしい。
    「いい機会だから今の生活に合わせて買い換えました」
    「そうか……」
     今の降谷の生活。スポーツカーとSUV車の単純な違いは自分以外の人や物を乗せることに適しているか否かだろう。
     降谷が今、どのような環境にあるのか赤井は知らない。
     バレンタイン時に会った際にも突っ込んでは訊けなかった。事務作業で身体が鈍る、と降谷は言ったが、それすら赤井が知っていいものなのか迷うのだ。
     他者のプライベートを暴くことに躊躇わない赤井が躊躇うのは、降谷零との距離を掴めないからだ。
    「あ。やっぱり降ってきた」
     降谷が言うと同時にフロントガラスに雨粒が落ちた。青空はあっという間に暗転している。
    「良かったですね、間に合って」
    「……降谷くん」
    「ん?」
    「その。助かった」
     今度こそ礼を告げ、赤井は膝の上の紙袋を引き寄せた。危うく本日の戦利品を濡らすところであった。
    「いーえ。ついでだし」
    「君に会えたらと思っていたんだが」
    「僕に?」
    「礼を」
    「礼?」
    「その」
    「あ。もしかしてチョコ?」
    「礼を言っていなかった」
    「赤井って案外律儀だなあ」
     間違っても律儀ではない。今更だし薄情だし人として最低だろう。
    「礼が遅くなってすまない」
    「気にしてません。あ、勿論誰にも言ってませんよ」
    「、いや、すまん。勝手な言い分だった」
    「全然。気にしてない」
     降谷の言葉に含みは見当たらない。自然で柔らかな物言いだ。
     果たして降谷はアレを何とも思っていないのだろうか。どう考えても赤井は挙動不審であっただろうに、それとも降谷は気にしていないのだろうか。
     ああ。そうだ。
     考えたこともなかった。
     降谷が赤井について「興味がない」ことなど有り得ないと思っていた。
     降谷は赤井に執着していた。憎悪とか殺意とかそういった負の感情を、降谷は赤井へとひたすらに向け続けていた。それはあまりに強くあまりに一途で、それが消えるなど赤井は想像もしていなかったのだ。こうして関係性が変わった今でさえ。
     何と傲慢な思い込みだろう。
     考えたこともなかった。降谷はもう、赤井には興味がないのかもしれない。
     初めて思い至った。そのことに赤井は衝撃を受けている。
    「赤井?」
    「、あ、ああ」
     空気が揺れる。降谷が笑ったような気がした。降谷に笑みを向けられることなど信じられなかったけれど、もしかしたらそれは誰にでも向けるような愛想笑いなのだろうか。
    「やっぱり赤井って結構ぼーっとしてるよな」
    「は、」
    「赤井、時間あります?」
     信号で停まる。降谷の声は大きくなった。ワイパーが追い着かない程の雨の轟音。
    「僕んち寄りませんか」
    「え」
    「その紙袋、あのお菓子屋さんの限定セットでしょう? 紫陽花の」
    「、 」
    「あそこのお菓子美味しいですよね」
    「う、うむ」
    「僕も去年と一昨年は限定セット買いました。今年は予約するの忘れちゃったんだけど」
    「そう、か」
     降谷がこういった菓子を購入するのは不自然ではないな、と思った。彼は料理をするし見目の柔らかさからも違和感はない。
     いいなあ。羨ましい限りだ。
     それで、と降谷は微笑む。
    「中の包みが風呂敷になってるんですけど、今年何色だろ。去年と一昨年の風呂敷がうちにあるんですよ。去年がピンクで一昨年が紫。多分毎年違うんじゃないかな」
     赤井は瞠目した。
     紙袋を覗いた。
     降谷が尋ねる。
    「今年は何色?」
    「……水色」
    「やっぱり毎年違う色だ」
     降谷が笑う。
     愛想笑い?
     とても自然に見えるのに。
     降谷の笑った目が赤井に向いた。
     どきりとした。
    「可愛いからとっておいたんですけど、赤井がよかったらあげます。後でって言っても僕らいつ会えるか分かんないし、今日寄って貰った方が早い」
    「……っ、」
     信号が変わりそうだ。
    「要りませんか?」
    「だが俺が貰う訳には、」
    「とっといたけど僕は使わないし」
    「しかし」
     いつぞやと同じやり取りだ。
     ああ信号が変わる。
    「要らない?」
    「、いるっ」
     思わず赤井は答えた。頭で考える前に口から出た。なにをやってるんだおれは。
     降谷は柔らかく微笑んで頷いた。
    「うん。じゃあちょっと僕んち寄りますね」
    「……、」
    「赤井が嫌じゃなかったらお茶飲んでってください」
    「、 」
    「車で待っててもいいし。すぐ持ってきますよ」
     何でもない風に言う降谷が、言い表せない程の気遣いを込めているのは赤井にだって理解できた。
     少し前ならば降谷の部屋に招かれるなぞ赤井は罠だと疑っただろう。茶には一服盛られるだろう前提で、降谷の意図を探り嘯き逆に欺こうと画策する。
     けれど因縁云々が解けた今、それは必要のないことだ。降谷とは一定の距離を保ったまま殆ど会話もしたことがないけれど、今更赤井は降谷を疑う理由がない。
     そう、いつか降谷が言った通り今更なのだ。
     興味があろうとなかろうと、何もかもが今更だ。
     もしも赤井が断ったとて降谷は何でもない顔で頷くのだろう。赤井に委ねる、それは降谷の気遣いだ。
    「……邪魔してもいいか」
     赤井の、雨音に消えそうな返答にも降谷は目を細めた。
    「ええ、勿論」
    「……」
    「ふふ。ちょっと緊張しちゃった。赤井を誘うの」
    「……っ、」
    「ありがとう」
     そんなの。
     礼なんて赤井のほうが。
     今言え。早く言え。礼を。また逃す気か。
     なのに赤井の口は動かない。それより顔が熱いことが気になって仕方なかった。降谷の横顔が酷く柔らかくて酷く優しかったから。
     あの日鏡に映った真っ赤でみっともない顔だったらどうしよう。アレは絶対に赤井がしていい顔じゃない。
     せめて降谷の視界から逃れたくて、赤井は窓の外の雨粒を眺めた。溶けそうだ。熱い。泣きそう。呼吸が痛い。心臓が爆ぜる。雨はすぐに上がるだろう。
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