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    血圧/memo

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    血圧/memo

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    レイニー2

    2023.5.21 降谷の住むマンションは赤井が滞在するホテルからも然程離れてはいなかった。
     ごく一般的な独身男性の部屋だ。読みかけだろう雑誌や隅に置かれた洗濯物といった生活感に胸がさざめく。降谷はカーテンと窓を開け、サーキュレーターを回して換気した。
    「暑いでしょ。少し換気してからクーラー入れますね」
    「いや。お邪魔、します」
    「洗面所とか自由に使ってください。場所分かる?」
    「あ、あ。大丈夫だ」
    「適当に座ったり見たりしていいですよ。触られて困るものないから」
     いいのかそれは。
     先日も思ったがどうも降谷は赤井が思うよりずっとざっくばらんとしているというか。
     玄関を入ってすぐ横に洗面所とトイレが隣接している。正面のドアは開けっ放しで、オープンキッチンとリビングがあるようだった。赤井は手を洗ってからリビングへ、ソファに腰を下ろす。
     テーブルの上には美しい布。
     カウンター越しに降谷が言った。
    「それです。去年がピンクで一昨年が紫」
     確かに紫陽花の細やかなイラストが描かれている、あの菓子店のものだった。シャーベットカラーのピンクとラベンダーの色が愛らしい。
    「ラッピングが可愛いからつい集めたくなるよね」
    「その、い、いのか」
    「どうぞ。とっといたけど僕は使わないから」
    「……ありがとう」
    「いーえ」
    「……、」
     もっと、こう。
     もっとしっかり礼を言えないものか。
     実際のところ赤井の歓喜は溢れんばかりだった。「SNSで見たけどスカーフ代わりにしたりバッグに巻いたりする人もいるみたいですね」と降谷が教えてくれる。なんだと絶対可愛いやつだそれ。赤井もやりたい。部屋に置きっぱなしのスーツケースに巻いてみよう。
     けれど、実際の赤井は渋い声色の一言が精一杯なのだ。
     気にした風でもない降谷が救いだった、本当に。降谷零とは赤井思うよりずっと寛容だったようだ。
    「飲み物はアイスでいい?」
    「あ、ああ」
    「あっという間に暑くなっちゃいましたよねえ。珈琲と紅茶どっちにする? 珈琲ならカフェオレもできるし紅茶ならアールグレイかニルギリ。僕ニルギリで作るシトラススパークリングにハマってるんですよ」
    「…………」
     赤井は瞬いた。
     胸が高鳴った。
     なんだそれ。
     いやいや駄目だ赤井秀一の柄じゃない。強面で頑強な大男がそんな洒落た可愛い響きのドリンク飲んじゃ駄目だ。ぐっと堪えて如何にも赤井秀一らしく珈琲をリクエストするより先に、降谷は柔らかく首を傾けた。
    「無農薬のライムをたくさん買っちゃったんです」
    「、 」
    「良かったらシトラススパークリング飲みません?」
    「……」
    「すぐ淹れますね」
    「…………」
     赤井は項垂れた。
     ライムの良い匂い。
     オレンジも香る。
     顔が。熱い。
     赤井は項垂れた。
     負けた。負けたって何だ。勝敗って何だ。
     わかってる。
     赤井のコレは、負い目だ。
     すぐに答えられなかったことも皮肉で誤魔化せなかったことも敗因だ。バレンタインの時から、ただでさえ聡い降谷が赤井の挙動不審に気付かない訳がない。気付いた上で降谷は指摘しなかった。興味がないのか優しさなのかは不明だが。
     けれど降谷はわざわざ自分から赤井に声を掛けた。
     一緒に並んで、声を掛けて、雨を避けてくれた。
     降谷が言うように今更揉める理由もないし相手から得る情報もないだろう。ならばこれは降谷零個人の興味でしかない。
     興味。
     未だ降谷は赤井に興味があるのだろうか。赤井のような男がおよそ全く似合わないものに手を出していると面白がられているのだろうか。
     負い目と、柑橘と紅茶の良い香りへの期待とで、赤井の心が揺れている。
    「お待たせ」
     という言葉と共にサーブされたグラスに、揺れ揺れブレブレ不安定な赤井の心は悲鳴を上げた。震えた。戦慄いた。
     うそだろ。
     なんだこれ。
    「赤井の口に合うといいんだけど。もし飲めなかったら他の飲み物も出せるよ」
    「……っっっ」
     カロン。氷が涼し気な音を立てた。
     ソファに座る赤井とテーブルを挟んで、降谷は向かい側のフローリングに腰を下ろした。降谷の指がストローを摘まんでグラスの中を混ぜる。際立つシトラスの香り。リラックスした様子の降谷に感化されたのかもしれない。
    「……ふ、るやくん、」
    「ん?」
     上目でこちらを見る降谷に、赤井ははくりと口を開いた。
    「その、」
    「うん」
    「……っ、」
    「ん?」
    「っ、写真、を、」
    「写真?」
    「グラスを、撮ってもいいか」
     赤井は喉から欲望を絞り出した。
     もうむり。
     がまんできない。
     どうしても写真に撮りたかった。どうしてもどうしても写真に残したかった。
     だって。なんだこれ。
    「うん。いいよ全然」
     めちゃくちゃあっさりと即返事が返ってきたので、赤井はそれ以上言い募らない。
     怖い。これは赤井の負い目だ。
     負い目を晒すことはこんなに怖い。
     けれど恐怖よりも欲望のほうが勝った。なるべく降谷のほうを見ないようにして赤井はポケットからモバイルを取り出す。テーブルにカメラのレンズを向けると向かい側にいた降谷は端に移動してくれていた。こんなところまで気遣い満点だ。
     南向きの明るいリビング、ナチュラルな木目が美しいテーブルの天板。
     この世の奇跡のような、シトラススパークリングティ。
     カシャ。震える指で赤井は写真に収めた。
     うっかわいい……!
     震えた。戦慄いた。
     ほんとにすごい。なんだこれ。
     至ってシンプルな透明の細長グラスに大振りの氷、底にはカットされたライムとオレンジがたっぷりと。濃い色をした紅茶と透明な炭酸水がグラデーションを描いている。ぱちぱちと小さな炭酸の泡が浮かんで、グラスの端に添えられた輪切りのライムでぱちんと弾けた。
     かわいい。この世の奇跡だ。
     なにこれすごい。
     めちゃくちゃかわいい。
    「撮れた?」
    「っっっ、あ、ああ、」
    「ふふ。気に入って貰えて嬉しい」
    「……、」
     思わず顔を上げた。降谷は何の衒いもなく自然に微笑んでいる。そこに蔑みや嫌悪の色はなく本心から嬉しいと言っている気がした。
     赤井は、意を決して手を伸ばす。
     グラスを陽に透かすとぱちぱちと泡が弾けた。影が琥珀色とライム色になっている。
     きれいだな。
     かわいいな。
     飲むのが勿体ないけれど味わってこそ。カロンカロンと涼し気な氷の音を鳴らして丁寧に混ぜ、ひとくち含む。
    「……っっ」
     赤井は息を呑んだ。
     なにこれおいしい。
     紅茶の濃さも炭酸の強さも、氷が溶けて丁度良くなるよう調節されていたようだ。見目の美しさを堪能してから味わえるように調節した上で作られているとかプロの犯行か。そうだ降谷は半分プロみたいな料理の腕前だった。なんというこの世の奇跡。
     癖のないニルギリと柑橘の甘酸っぱさが最高だ。
     ああ美味しい。グラス半分程を飲み赤井はほうっと息をした。
    「……はあ。おいしい……」
    「口に合ってよかった」
    「っっっ、」
    「赤井は本場の紅茶の味知ってるだろうからちょっと緊張した」
    「……、」
     確かに紅茶の本場で生まれはしたが、赤井は紅茶の造詣は然程深くはない。深くはないが、降谷のコレは満点殿堂入りだ。
     讃えたい。どうやって讃えたらいいだろう。いつもの赤井秀一はどうやって褒めてた? いつもの赤井秀一ってどんな男だ?
    「桃で作っても美味しいんだよね」
    「桃だと」
    「うん。ちょっと贅沢だけど」
    「桃……」
    「赤井は桃好き?」
    「好きだ」
    「僕も。桃美味しいよね」
    「うん」
    「桃出始めるのは再来月かなあ」
     なんだそれ絶対美味しいし可愛いに決まってる。
     降谷の桃。どれだけ美味しくなるんだろう。想像しただけで赤井はときめいた。どきどきした。きゅんとした。
    「桃……いいな……」
    「桃が旬になったらまた飲みにおいでよ」
    「え」
    「赤井が良かったら」
    「!」
     思わず、本当に思わず、ぱっと顔を輝かせた赤井は微笑む降谷と目が合って、固まる。
     素でキャッキャウフフしてしまった。降谷は特に気にした様子ではない。しかし赤井は項垂れた。今度こそ頭を抱えた。
    「? なしたの赤井」
    「……っ、……、」
     なにをやっているんだ。おれは。
     だってこんなに可愛くて美味しいドリンクが赤井のためだけにサーブされたの、初めてだった。
     ときめいた。どきどきした。きゅんとした。嬉しくて幸せで心がはしゃいだ。
     赤井のような男がしていい反応じゃないのは自覚している。だけど嬉しかったんだから仕方がない。負い目の恐怖も吹っ飛ぶ歓喜だった。可愛いと美味しいのタッグは正義だ。キャッキャウフフは必然であり全世界共通の常識だろう仕方ないではないか。
     顔が。熱い。
    「もしかして赤井のこと困らせた?」
    「、は」
    「僕お節介だから。余計なお世話だったら言ってくださいね」
    「っちがう、おれはうれしい、」
    「嬉しい?」
    「っう、うむ、」
    「ほんとに?」
    「ほんとだ、」
    「そっか。よかった」
     降谷が柔く笑うから、赤井は、呼吸が痛くて心臓が爆ぜるのだ。
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