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    血圧/memo

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    血圧/memo

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    真珠採り7

    2023.9.14 赤井秀一が降谷の隣人になってから一週間が過ぎた。
     惜しみない手間と心遣いに満ちた三食が用意され、家の中は隅々まで清潔さが保たれている。絶賛連休中の降谷は快適な日々を過ごしていた。ラスボスが有能すぎて怖い。あまりの快適さに赤井なしでは生きられなくなりそうだ。
     ペダルを足で踏みながら降谷はぼんやり考えていた。ランニングも出来ないため(もう平気だと走ろうとしたら赤井に猛反対された)器具を使っての筋力保持トレーニングだ。ペダル式器具は赤井が何処かから持ってきた。
     結構負荷がかかる。あと百回。筋力落ちてんなー。
     ペダルを踏み踏み降谷はぼんやり考える。
     しかし隣人になった意味はあるのだろうか。この一週間、赤井は降谷の家に居着いていて隣に帰る素振りもない。就寝はいつも降谷が先で、降谷が眠っている間に帰宅しているかどうかも分からなかった。なんせ降谷が目覚めると毎度赤井は目の前に居るのだ。だから怖いって。
     キツイ。踏み踏み。あと五十回。
     どんな手を使ったのだろう。このメゾネット式賃貸住宅の所有者は海外に住んでいると聞いていた。隣はその所有者のもので、日本に戻ったら住む予定だから空けたままにしておくという話だった。果たして赤井は不動産屋に聞いたのか自ら調べたのか、こんなところで高度な調査能力を発揮しないで欲しい。
    「おわりっと」
     ペダルを踏み終え、息をつく。これだけで汗だくだ。
     降谷が呼吸を整えるタイミングで赤井が「一息入れたらどうだ」とやってきた。相変わらず抜群のタイミングは赤井が常に降谷を見張っている証である。降谷は礼を言って差し出されたグラスを受け取った。
    「うわ、うっま」
     なにこれ美味しい。一口飲んで感嘆した。
    「これも赤井が作ったの?」
    「ああ。酸味が強過ぎないか」
    「全然。めちゃくちゃ美味しい」
    「そうか」
     冷えたレモネードがあんまり美味くて一気飲みしてしまった。
     おかわりを注がれつつ降谷は赤井の横顔を眺めた。目の下の隈は相変わらず、顔色は青白く健康的ではない。降谷に健康的な生活をさせておいて赤井自身は不健康そうってどういうことなの。
    「夕飯の前に風呂に入るか」
     赤井が問う。
    「えっ用意してくれたの」
    「すぐ入れるぞ」
    「やった!」
     降谷は歓喜した。今日午前中の定期健診では問題なしと診断され、これでシャワーではなく湯舟に入れると安堵したところだ。早速用意してくれるとは流石凄腕ラスボス。因みに病院との往復も当然のように赤井が付き添い、病院中の視線をかっさらってきた。
     有難く降谷は湯舟を堪能する。
    「うあーー…………」
     おっさんみたいな声出た。出るだろ、おっさんなんだから。降谷は王子様なんて柄じゃない。
    「あーきもちいー……」
     午後のまだ明るい時間から風呂に入ることの贅沢さよ。小さな窓からは西日が差し、浴室の壁に光が反射する。赤井の手によって清掃が行き届いた浴室は最高に気持ちが良かった。
    「……はー……」
     ぱちゃん。赤井によってビニールで覆われた腕のギプスから水滴が落ちる。
     降谷の毎日は赤井の尽力により隅々までも快適だ。支配者のように振る舞う赤井秀一しか知らなかったけれど、これこそが赤井秀一の本質なのだろう。他者の世話をすること、家事をこなすこと。監視監禁の目的を抜きにしたって一朝一夕でどうこうなるものではない。
     知らなかった赤井秀一を降谷は知りつつある。
     じゃあ赤井は、何を知りたいのだろう。
     欲の欠片もない赤井の視線からストーカーの類とは違うと断言できる。恐らく嫌疑の類でもないだろう。ましてやハニートラップの類でもない。万が一そうだとしても今の降谷には探られて痛い腹はなかった。
     これはきっと、赤井秀一の極めて個人的な事柄だ。
     文字通り赤井はおはようからおやすみまでの降谷を見ている。ただただ、見ていた。あれは確認作業だ。赤井自身が納得するための。
     今回の一件が赤井に何かを引き起こし、それに赤井は納得していない。だから赤井は納得するまで降谷に執着する。
     降谷に何の興味もなかった男が何を知り何を納得したいというのだろうか。
     降谷が赤井に訊かないのは赤井が言う筈がないと分かっているからだ。赤井が言わないのは身を以て知っている。だからこそ降谷との関係も拗れたのだから。
     浴室の扉を開けるといつものようにバスタオルを広げた赤井が待機していた。
    「もう驚かないけどさあ」
    「何処も痛まないか」
    「うん。久々で気持ち良かった。ありがと」
     けして擦らずタオルのふわふわだけで水滴を吸い取り、ギプスを覆うビニールをそうっと外す。瞼の傷跡は殊更丁寧に拭われた。赤井は降谷の裸体を見ることはないし過度な接触もない。赤井が降谷を性的な意味で執着していないのは明確だ。
    「瞼の傷跡は洗ったか」
    「洗った」
    「抜糸は来週だったな」
    「うん」
     これも赤井が付き添うのだろう。降谷から目を離さないように、何かを納得するために。
     首の痣は既に殆ど消えた。傷が全て癒える前に、赤井は答えを見付けるのだろうか?
    「あのさ」
    「何だ」
    「僕が赤井に撃たれたの覚えてます?」
    「……」
     赤井は極悪非道な顔をした。
    「こっわ」
    「……それがどうした」
    「何処撃ったか正確に覚えてる?」
    「右の腰部やや後ろだ」
     赤井は酷く忌々しそうに眉を顰め、忌々しいのは降谷も同じだった。
     降谷は赤井に撃たれたことがある。正確には、バーボンがライに撃たれた。それは二人が顔合わせすらしていない時点でのことであり組織の幹部が仕組んだ悪趣味な演出だった。ライはバーボンが仲間になる予定と知らず、ただ組織から指示されて狙撃した、それこそ不慮の事故だ。
     途中で気付いたライは咄嗟に弾道を逸らした。弾はバーボンの腰を極僅かに掠り、幸い出血が少なく済んだが、僅かでもライフル弾が掠れば凄まじい衝撃に変わりはない。完治までに数週間かかった。
     痛みで思わず呻くバーボンにライは同情の一切も示さなかった。バーボンはライを責めはしなかったが厭味くらいは言った。返すライは「その程度で怖気付くならママのところへ帰れ」だの「穴が開かなかっただけ俺に感謝出来ないのか」だの散々で、心底コイツが嫌いだと思ったものだ。
     今思えばあれは組織から遠ざけようとする赤井なりの優しさだとは思うけれど、腹が立つし分かり難いし腹が立つし、不慮の事故に謝罪など欲しくはないがもっと他にあるだろう。相手を煽らないと喋れないとかコミュ障かよ。
    「何故今更その話をする」
     赤井は実に不愉快そうに言った。だから怖いって。
    「自分が撃った跡って気になんないの?」
     赤井は無言で降谷を睨んだ。だから怖いって。
    「だってさ。毎日風呂上りに出迎えるのに、僕の傷跡見ようともしないだろ」
     降谷が裸にでもならなければ目にしない箇所だ。確認するなら良い機会だろうに、赤井は降谷の肌を必要以上に見ようとしない。
     赤井は無言で降谷をリビングへ促した。
    「あれ。風呂入んないの?」
    「俺は夜でいい。掃除もその時にする」
    「んーありがと」
     着替えも難なくこなせるが下着を穿くことだけは若干苦心する。転倒防止にリビングで座りながらパンツを穿く降谷を、赤井は絶対に見ないし手助けしない。
    「徹底してるよね」
    「何が」
    「赤井は僕の裸を絶対見ないだろ。裸ってかチンコ。でも矛盾してるんだよなー。赤井が僕のチンコ見たくないって理由なら分かるけど、それなら僕のウンコ拭くとか言わないだろ」
    「……君、その顔でその発言はどうにかならんのか」
     無事にパンツを穿き、部屋着のシャツを被る。襟首から顔を出すと赤井が釦を留めてくれた。ほら。こういったことにはすぐ手助けする癖に。
    「ありがと。なんか最近顔のことばっか言われるな」
    「君は小学生男児か」
    「いい歳したオッサンですよー」
    「その顔でか」
    「ちょっと老けた?」
    「鏡を見たことがないのか」
    「悪かったな童顔で」
    「さして手入れもしていないのによく保てるな」
    「安室透やってた頃は一応手入れしてましたよ。今は別に必要ないしめんどくせえからしないけど」
     ふ、と赤井の空気が和らぐ。
    「降谷くんは存外、無精者だな」
     おかしそうに言う赤井の口元が少しだけ綻んだ。
     わらった。
     降谷は思わず二度見した。
     赤井がこんな風に笑うのは初めてだった。やっとだ。一週間も朝から晩まで生活を共にして、やっと、やっと赤井は少しだけ警戒心と猜疑心を解いたのだ。
     すぐに笑みを消した赤井は何か思案しているようだった。降谷の髪を丁寧にタオルドライし、ドライヤーをかける。ヘアオイルなるものまで使用されるようになったのは降谷の髪が痛んでいたから、らしい。赤井が選んだ仄かなハーブ系の香りは降谷も気に入っている。
     ドライヤーの風が止み、赤井の指が離れた。
    「ありがと」
    「降谷くんは」
    「ん?」
    「存外、豪胆なんだな」
     知らなかった。
     赤井は雫が落ちるように呟いた。
    「最初は警戒心がないのかと正気を疑ったが」
    「失礼な。ていうかそれ赤井が言う?」
    「俺が君に危害を加えるとは思わないのか」
    「赤井にメリットないでしょ」
    「何と言われているか知らん訳ではないだろう」
    「あーあの噂?」
     赤井が降谷に言い寄っているとか、降谷が赤井を誘惑しているとか、果ては実は昔からデキていて二人の因縁は痴情の縺れだったとか、そういった根も葉もない噂だ。
     降谷は立場や経歴にしては人間関係に恵まれていると思うが、当然好意的な人間ばかりではない。勿論赤井も。今回の一件は人の悪意や好奇心を刺激するには最高の餌であろう。
     もしかして。
    「赤井が徹底して僕の裸見ないのってその所為?」
    「不用意に他者の肌を見ないのは普通にマナーだろう」
    「いや、着替えはガン見じゃん」
    「着替えは着替えを見るという理由がある。だが風呂上りの無防備な肌を見るのには理由がない。理由のない行為はくだらん噂に信憑性を与えるだけだ。例え事実無根でもな」
     成る程。
     常に警戒を怠らず最悪の事態を想定する。エージェントとしては満点だ。
     しかし。
    「僕のこと信用しろとは言わないけどさあ。もうちょっとリラックスしてもいいんじゃないの。せめて赤井が作ってくれてるこの家の中ではさ」
    「俺が作ってる?」
    「そ。赤井が家事して住み心地良い家に作り上げてる」
     ソファに座る降谷は背後に立つ赤井を見上げた。下から見上げたこの角度でも過不足なくハンサムってどうなってんだ赤井秀一。
     赤井は、不思議そうに瞬いた。
     あ。真珠だ。
     零れそうな真珠の双眸が瞬いて降谷を見遣る。いっそ無垢で何処か稚い程の真珠に降谷はそわりとした。
    「……君の家だろう」
    「家事してくれてんのは赤井だろ。ありがと。すげー助かってる」
    「そのために来たんだ」
    「うん。赤井が作った家が快適過ぎて、赤井ナシじゃ生きられなくなりそう」
    「大袈裟だ」
     赤井はあからさまに目を逸らした。
     これは珍しい、ていうかこれも初めてだ。意図も何もない下手くそな視線の逸らし方。
    「赤井さ」
    「何だ」
    「もしかして照れてる?」
     じろりと睨まれた。
     おお。なんと、全然怖くない。
     意図も何もなく降谷に差し出された赤井秀一の感情を、どうやって受け取ったらいいだろう。初めてのことにソワソワする降谷へと赤井はグラスを差し出した。今度は炭酸割りのレモネードだ。
    「あー炭酸もおいしー」
    「君が感謝を示す必要はない」
    「なんで?」
    「俺の自己満足でやっているだけだ。君の評価に値するものではない」
    「だってめちゃくちゃ感謝してるもん」
    「面倒がってただろう」
    「そりゃ最初はめんどくさかったけど。なんたって赤井が作るもの全部美味い」
    「君は思った以上に健啖家だな」
    「丁寧だし安心するし、赤井がいると心地良い」
    「……普通だろう」
    「今は赤井が来てくれて良かったって感謝してる」
    「……」
    「照れてる」
    「君に感謝されることに慣れてないだけだ」
     そう言うと赤井はキッチンへと逃亡した。
     あの赤井が皮肉も返せず、無視することも出来ずに結果、照れて逃亡したのだ。
     降谷はソワソワと落ち着かなかった。じっとしていられない。不自由な利き手が恨めしかった。両手を伸ばしたいと思った。
     伸ばすって何処へ?
    「……あかいー晩ごはんなに?」
    「ちらし寿司と天ぷらだ」
    「えっ!」
     なにそれすごい! 降谷は歓喜した。
     やがてじゅわ、ぱちぱち、と揚げ物の音がする。オープンキッチンでないのが残念だった。仕方ないから斜め後ろから見える赤井の姿を降谷は眺める。垣間見える赤井の横顔は穏やかだ。家事をこなす赤井はいつだって穏やかで、丁寧で安心する。
     赤井がいると心地良い。
     そっか。
    「俺は赤井がいると心地いいんだな」
     降谷は降谷の感情をゆっくりと噛み締めた。
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