■朝倉省吾
とても良かったです、父を紹介しますね。
初めて氷室さんと寝た翌朝。
朝日が眩しい部屋の中で、乱れたベッドの上で、省吾は寝起きの彼に伝えた。氷室さんは嬉しそうに笑い、ぎゅっと省吾を抱きしめて、ありがとう、と言う。
チクリ、と胸が傷んだ気がしたが、気が付かないふりをした。
ゲームには攻略する順序がある。
ドラゴンを倒したければ、専用の剣がいる。専用の剣は特別な鉱物からしか作れない。特別な鉱物は森の奥深くの洞窟にしか存在せず、外部の人間はたどり着けない。
まずは森の住民と仲良くなる。そこがスタートとなる。
現実も同じ様に攻略する順序がある。
研究をするには設備や資金がいる。どこかに所属する必要があり、その提供元として有力なのが、クエイドだ。クエイドの融資を受ける場合、いくつかの道がある。そのひとつに、朝倉省吾というショートカットを使い朝倉雄吾に直談判するという、裏道がある。
これはほんの一部しか知らないし、省吾が父に繋げることはほとんど無いため、ほぼ閉じられた道ではあるが。
本日、優秀なプレイヤーは、その道の開拓に成功したのだった。
ルートは簡単だ。
省吾に告白し、落とせば良いのだ。
自己肯定感の低い馬鹿な息子は、優しい言葉をかけて抱いてあげればすぐ本気にしてしまう。そしてパパを紹介してもらえば良い。
巷の朝倉攻略本にはそんな事が書いてあるのだろう。
いろんな人が省吾に取り入ろうとした。優しくしてくれたしチヤホヤしてくれた。でも、それは、父に近づく為だった。
『朝倉省吾くん、だよね。たまに論文で引用してもらってるんだけど』
俺のこと知ってる?なんて、何かのパーティーで氷室さんに声をかけられたときは、正直目眩がした。
こっそり片想いしていた相手に、利用するための攻略対象にされた。
一瞬で、理解した。
このあと氷室さんは省吾に告白し、省吾のご機嫌を取るデートを数回重ねて、セックスして夢中にさせたところで『お父さんに会いたいんだけど』と切り出すのだ、と。
そして悲しいことに予想は的中し、5回のデートの末、昨晩氷室さんの自宅でそういう雰囲気になりセックスして、今に至るのである。
氷室さんから父に会いたいと切り出されるのが怖くて、先に省吾から言ってしまったが、ぎゅうぎゅうと抱きしめる氷室さんの喜びっぷりからして、目的が父だったというのは容易に理解できた。
本当は、恋人を、信じたかった。
でも、氷室さんの机の上に省吾の好物や好きそうなデートスポット、攻略方法などが手書きでレポート用紙にまとめられているのを見てしまった。デートで周るルートが数パターン用意されていて、省吾の反応により切り替えられるようになっていて、それはまるで仕事の企画書のようで。
この恋人ごっこは、氷室さんにとっては仕事の一環なのだと理解した。バレないように泣いて、それならば、恋人ごっこを楽しんでやろう、と腹を括ったのだ。
が。
昨晩のセックスで諦めた。
自分でも挫けるのが早くて笑ってしまう。が、でも、だって。あんなにたどたどしくて義務感にあふれたセックスをされるなんて、思ってもみなかった。仕事なら、もう少しうまく騙してほしかった。
いや、多分氷室さんは元々男を性欲の対象として見ていない人なのだろう。突っ込まれて喘ぐ省吾なんて、気持ち悪かったのかもしれない。無理矢理己を奮い立たせて、初心者マニュアルのような、やりたくない作業を無心でこなすようなセックスを、頑張って行ったのだろう。
だから。
その頑張りに応じて。
省吾は、氷室さんと父との会食の席を、設けてあげたのだった。
■氷室俊介
恐ろしい程に人生が順調だ。
よく氷室の論文を引用し、面白い視点から考察する人がいた。学会の打ち上げで本人が居たので、せっかくだし一度話してみたいと思い声をかけたところ、初対面とは思えないほど盛り上がった。気がつけば、一緒に遊ぶようになっていた。
最初から好印象だったが、恋愛的な意味で好きだなと思ったのは3回目の食事の時。そのまま、好きかも、と言ったら、私もです、と。奇跡のような話で、付き合うことになったのだ。
実は氷室は今までお付き合いをしたことがなかった。異性も同性も。
相手はとても慣れていそうだったので、デートでつまらないところを提案したら呆れられてしまうかもしれない。そう焦り、富永くんに相談した。(一人は論外なので。)(富永くんも同じような人生を歩んでいて、結局役に立たなかった。)
今まで散々馬鹿にしていた雑誌を買いあさり、おすすめのデートコースや観光地を沢山検討した。通常のコースを把握し、そこに省吾の好きそうな店や博物館を加えて、反応によりルートを切り替えて。バレたら死ぬほど恥ずかしいが、好きになってもらうために必死だった。アホみたいなレポートが沢山出来上がった。
それが功を奏したのか、昨晩、遂に、本懐を遂げてしまった。初めてのあれは、もう夢のようで、感無量で。朝起きても省吾が隣にいることに、深く幸せを感じたのだった。
そして。
『とても良かったです、父を紹介しますね』
と。柔らかく、省吾が笑う。朝日がキラキラして空気が軽くて夢のようで。
氷室俊介は大好きな恋人のご両親に、ご挨拶をすることになったのだった。
これは結婚まで秒読みではないだろうか。
人生が順調すぎる。神に感謝したい。
■朝倉雄吾
省吾の報連相が適当なのは今に始まった事ではないが、今回は流石に事前情報と違いすぎて内心困っていた。
『氷室さんが研究資金や設備を要望すると思うから、彼の欲しがるものは可能な限り応じてあげてほしい』
そう、聞いていた。
『会議があって参加出来ないけど俺の出来る事なら何でもするから親父の判断に任せる』
とも聞いていた。
さて眼の前には氷室博士。綺麗なスーツを着て、少し緊張してて、手土産には懐かしい羊羹を持ってきて。省吾が来れないことは聞いていたみたいで聞かれなかった。双方の挨拶も終えた後、彼が要望したのは、研究資金でも設備でもなく、省吾だったのだ。
「息子さんを、僕に下さい」
と。
聞いてないんだが。これって、その、アレではないだろうか?省吾はなんて言ってたっけ??
『俺の出来る事なら何でもするから親父の判断に任せる』
うむ。
雄吾は目を瞑り、考えた。否、考えを放棄した。
■朝倉省吾
「そんなわけで、氷室くんと結婚することになった」
会議を終えて夜遅くに実家に戻ると、薄暗いリビングに親父がいた。ソファに座り、腕を組んでいる。悩んでいるときのポーズだった。
どんなわけでそうなったのか全然理解出来ないが、表情を見る限り、親父も困っている様子で。
「おやじが?」
「省吾が」
「え、なんで」
「息子さんを僕に下さいって」
「え、なんでそれを俺がいないのに返事してんの?」
「省吾が、自分の出来る事なら何でもするって」
「いや、限度があるだろ」
馬鹿なのかこの人。と思ったが、考えてみれば、一文無しで夫婦で渡米したお花畑だった。
氷室さんが、省吾と結婚したがっている。
これの意味がわからない。本当に好きなのか、朝倉家と繋がる事により、より強固な資金源としたいのか。わからない。
相手の狙いを測りかねている間に、父はおめでとうと現実逃避するし、母は喜ぶし、氷室さんは新居を用意するしで、断る間もなく入籍し同棲が始まってしまったのだ。
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『ごめん、今日も帰れない』
省吾の心配を他所に、新婚生活はそれは快適なものだった。なんせ、相手が居ないのだ。ただの、住みやすい、大きいマンションでの一人暮らしだった。
氷室さんは忙しいらしく、全然、省吾とふたりで住む家には帰ってこない。
うん。
いそがしい、みたいで。
他の家には帰っているかもしれないけど。
法的には家族なのに、なにもない。
広い静かなリビングでワインを飲み軽食を胃に入れて、会議の資料やカルテを見る。スケジュールを確認する。省吾だって暇ではない。それなりに、忙しい。海外出張で一週間不在にすることもある。
それが今は救いだった。
結婚して朝倉と繋がりを持ち、でも省吾とは別に恋人も居て、恋愛はそっちとしているのだろう。
もう少し、うまくやってくれれば良いのに。週に一度とは言わないが、月に一度でもハグくらいしてくれたら、お金でも何でも、全部さしだすのに。
なんて虚しいことを考えて、ノートパソコンを閉じた。
■氷室俊介
あともう少しで成果が出そう、失敗、こっちでいけそう、再検証、失敗、失敗、失敗、別条件で。
あともう少し、が辿り着かない。臨床、急患、失敗、同僚の体調不良、要員不足。
なんかめちゃくちゃ忙しい。
俺、新婚なんだけど。
やっと帰れたと思ったら、省吾が海外出張で。全然会えない。たまに見ることが出来るのは寝顔だし、朝起きたら既に居ないし。セックスだって結婚後一度も出来ていない。
「さみしい」
久しぶりに帰ってきた家でひとり。ご飯を食べる。
もっと沢山話をしたいし、いろんなところに出かけたい。一緒にご飯を食べたいし、お風呂に入りたい。いちゃいちゃしたい。
『あいたい』
鬱陶しいと思われるかもしれないけれど、メールを送る。
すぐに返事が来るが、『ありがとうございます』という謎のメッセージだった
会いたい、ありがとうございます、ってなんだよ。
(いろいろあって離婚したりいろいろ)
■朝倉省吾
今日は見せたかったものがあるんだ。
久しぶりに会った氷室さんはちょっと痩せていて、木陰のベンチに座りながら省吾にクリアファイルを寄越してきた。
「これ」
「融資の、資料?」
「そう」
ふふふ、と小さく笑う。省吾が、なにかに気がつくのを待っている。突然お出しされたクイズに内心焦りつつ、彼に幻滅されないように必死に考える。
額か期間か融資条件か。
どれもバラバラで、よくわからない。
大したこと無い額のくせに、条件は一々多い。クエイドなら、氷室さんの実績なら、こんな面倒な事言わずにこの10倍は出せるのに。
クエイドなら。
そこで、ふと気がついた。
もう一度、最初から見直す。ペラペラと捲り、最初から、最後まで。
「……………これで、全部ですか?」
「うん」
「え、でも」
「今後数年間、研究資金のスポンサーはこの資料の企業とクラファンのみ」
クエイドが、無い。
「え」
切られた。
クエイドも。省吾も。
背筋が凍る。足元がフラフラする。氷室さんが、クエイドを不要と、している。省吾の価値が、消えた。
「セックスはしないし一緒に住んでもない。離婚もした。クエイドとの契約も満了し、今後関わる予定もない」
「………は、ぃ」
声が、震える。
遂に、捨てられる。
散々我が侭言ってきたくせに、見限られるのは怖いし悲しい。ほんとは泣いて縋って告白したい。駄目なら崖から飛び降りたい。
「それでも、週末は」
「……」
「省吾と会って、こんな風に公園を散歩したり、お互いの家に遊びに行ったり、たまに旅行したり、一緒の時間を過ごしたい」
「………、なんの、意味が?」
氷室さんの狙いがわからない。
なんの、ために。
「省吾の身体でも親父でも財力でもなく、省吾が好き」
「は?」
「性のはけ口にしたいわけでも、惰性で付き合ってるわけでも、研究資金のために近づいてるわけでもなく、ただ、省吾が好きだから、一緒にいたい、を、証明したかった」
ものすごく頭の良い人が、馬鹿みたいな事をいう。眼の前が潤んで視界がぐちゃぐちゃで、夢とか幻覚みたいで。
立っていられなくてしゃがんだ省吾に、寄り添うように氷室さんもしゃがむ。優しく手を取って、片膝をついて。
「付き合ってください」
返事はいつでも良いから、と。
飛び降りるのは今日ではなくて、この彼に、振られてからにすることにした。