氷室が先に片思いするか検証という名の妄想■氷室俊介
一人のことが好きだったかと聞かれると、好きだけどそれは恋愛というより神仏に誓うイメージだった。だもので、その、どこか神々しかった一人を人間へと引きずり落とそうとしてる富永くんにも、氷室は好意や興味を持っていた。あの閉鎖された村で崇められて朽ちていく運命だった一人がこれからどうなっていくのか、遠くから見守りたいと思い、でもやはり、自分の手で親友を因習から救いたくなかったかと聞かれたら、それは救いたかった、というのが本音だった。因習が追ってこれない異国の地に逃げられるよう、氷室が地位を築き、後ろ盾になりたかった。
米国に来たあとは、別に一人は氷室と一緒にならなくて良い。自由になった一人は、一人自身のために生きてほしいと思っていた。
なーーーんて思惑も別に誰に言うこともなく、ただ氷室が出来なかったことを成し遂げた富永くんの背中を叩きエールを送るだけで帰ってきたのだが。
今、氷室は適当に入ったバーで適当に飲んでいた。旅行の後片付けは明日すればいいかな、なんてスーツケースを寝室に放棄して、一人と富永くんの事を反芻しながら。
治安は良くも悪くもない地域。
大学が近くにあったかもしれない。
近くの席の大学生が、ちょっと煩い。まぁ学生なんてそんなものなんだけれど。
すこーーーーし気になるところがあるのだ。
斜め前の4人組の男子学生。一人がお酒は初めてなのか、だいぶ酔っている。それを周りの友人が笑いながら介抱する。一番近いやつの家に行こう、とか言っていて。まぁ、普通の大学生だ。
その酔っている大学生、さっきトイレに立ったときに、グラスに何かを盛られていたのだ。多分薬。
うわぁ〜気が付かないふりしよ〜って思いたいのだが、見てしまったものは見てしまったもので。急に酔う男の子と楽しそうな友人たち。よく見れば、盛られたのはアジア系の子で、きれいな顔してて。ちょっと幼く見えて。(アジア系って幼く見えるんだな〜と感心する)
友人たちは、こちらの国の人たちで。
氷室もこっちに来たときは充分に辛酸を舐めたもので。
一人と富永くんの微笑ましい思い出に浸って飲みたかったのに、一回思い出すと、汚い記憶が溢れ出て、それで思考を塗りつぶしてしまう。
こんな馬鹿みたいな手に引っかかるということは、多分この学生は初めての被害だろう。
ねぇ、君たち。
愚かなことに、話しかける。自分は、ゆっくり飲みたかったのに。
この薬は、良くないと、思うなぁ。
なんて、相手が引き下がらずに氷室が殺されてしまう確率のほうが高いのに。こっそり撮った、クスリを盛った瞬間を、チラリと見せる。大学生たちは、案外大人しい子たちだった。
この子、預かって良い??
氷室に殴りかかることもせず、ただ、写真の削除と交換で男の子を引き渡す、と大人しく言ったのだ。顔も写っていたから、もしかしたらそれなりに良い家の子たちなのかもしれない。
「それなりに」と言うのは、やらかしがバレたら大変な地位の人間で、且つ、氷室を殺して男の子も犯して全てを隠蔽する権力は無い様子だったから。
そんなわけで、今、氷室は自宅のリビングで、知らないアジア系の男の子をお持ち帰りしてしまったのだった。
もしこの子が未成年だったら自分が捕まるのでは。というのは、連れ込んでから、気がついたことだった。
キッチンに炭酸水を取りに行き、帰ってくると、ソファに寝かせていた男の子が起きていた。
「……あ、あの、ここは?」
流暢な英語で、不安そうにこちらを見る。
えーっと、あのー、と氷室を見つつ、キョロキョロ周りも確認して、そして、逃げ場がないことを悟ったのか、小さくため息をついてもう一度氷室を見た。幼く見えるけれど、視線は強い。
「ここは俺の家。これは言い辛いんだけど、一緒に飲んでたお友達にクスリ飲まされて変に酔わされてたから、俺の家に連れて帰って……あ、えーーーーーーっと、それは変な意味とか、いかがわしい目的はなくて、ただ、君が元に戻れば、そのままお家に帰ってもらって良いので」
「?」
「だから、変な意味はなくて、目の前で、意識ない子が連れて行かれそうになってたのを放っておくのが、嫌で」
「…………なにか、徳を積みたかったんですか?」
「はぁ?まぁ、そう言うので、良いです」
「じゃぁ、お礼にセックスとか、そう言うのは」
「いらないって」
「へぇ」
この炭酸水もらって良いですか?なんか喉乾いちゃって、と笑う。
え、自分が犯されるかもしれなかったのに、随分と心が強いと言うか、厚かましいというか。どうぞ、と渡すと、また徳を積みましたね、とヘラヘラ笑う。マジか。
「俺が悪い大人で、無理矢理押し倒したら、どうするつもりだったんだ?」
「泊まらせてくれるなら、宿代、じゃないですか?ドラッグを使うかもしれない相手から守ってくれたんですし」
プハ、と炭酸水を飲みつつ、男の子が何でもなさげに言う。ドラッグ、と言いやがった。騙されやすいのか擦れているのかわからない。
きれいな、顔を、していると思った。
うっかりしていたが、そういえば氷室は他人の顔の造形に対して、あまり「きれい」と思うことが無かった、ということを思い出した。
あの神代一人と中学卒業まで一緒にいたのだ。アレに見慣れると、なかなかそれ以降で「きれい」のハードルが上がり、思うことがなくなったのだ。
だけど。
今。
この子には、きれいと思ったわけで。つまり、この子は、世間一般的には「かなりきれい」の部類に入るのだろう。
かなりきれいな子が、簡単にやらせてくれる。
この現実に、頭が痛くなる。搾取される側は、ただひたすら搾取される。悲しい。
一人だって、表のK一族とかいう存在のために、大学にも行けず自由を奪われてスペアとして生きて死ぬだけの人生が決まっていて。
「もし住む場所が無いなら、部屋をひとつ、貸してやるから」
簡単に体を差し出さないでくれ。そう言って、目の前の男の子の手を握る。
思っていたよりも、自分は一人の事を、引きずっていたみたいだった。
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一晩あけて落ち着いて話を聞いたところ、男の子の名前はショーゴくん、大学1年生18歳の日本人だった。
学費は親が払ってくれたが、今まで沢山甘やかしてしまったので、大学からは親元を離れて、バイト代等で一人で暮らしてみようと頑張っているらしい。
その結果がコレだ。バイト先の先輩に飲まされ輪姦されるところだったので頭が痛い。親子共々この国を舐めている。
「俊介さん、お部屋代はバイト代入ってからでいいですか?」
「いらないから、学生は勉強して」
「じゃあ、なんか、体で、払います?」
「勉強しろ馬鹿。あとショタコンじゃねーし」
「違いますぅ〜。食器洗ったりとか、掃除機かけたりとか」
「食洗機とルンバがいるし週二でハウスキーパーさんに入ってもらってまーす」
「え、お金持ってなさそうなのに、大丈夫なんですか?」
ショーゴはいちいち失礼だ。でも素直に氷室の言いつけは守っている。
家に恋人を連れ込まない事、お酒は程々にする事、席を離れたあとの酒は飲まずに注文し直す事、など。氷室の言いつけは年頃の子供には鬱陶しいものだと思うのだが、特に文句もない。
ショーゴとの暮らしは案外快適で、特にモメることもなく一年が過ぎてしまった。
氷室は研究のため泊まり込むことも多いが、そのときは連絡して勝手に過ごしてもらえば良いし、その時の食費は省吾のバイト代から出している様子だった。
氷室が忙しいときは、省吾が夕食や夜食を作ってくれて助かるし、お互い暇な日は映画でも流してのんびり過ごしたりもした。
まぁ、二人で暮らすようになってからハウスキーパーさんに週3でお世話になるようになったけど。
大学2年の夏。街で偶然省吾を見かけた。氷室より年上の男と、繁華街、というよりそういう事をするホテル街へと入って行くのが気になった。
「ショーゴさ、聞いてなかったけど、バイトって何してるんだっけ?」
「えーーーーーーーー……と」
「この間、一緒にいたの彼氏?なら…特に何も言わないけど」
いや、歳離れ過ぎてるから言いたいことは山ほどあるが。
「あーーーーーー……はい、すみません。パパ、です」
「実の父親じゃないよね?」
「はい」
「セックスすると、お小遣いくれる、パパだね」
「ごめんなさい」
氷室との約束を破ったわけではないけれど、なんかいやだな、という気持ちになる。純粋無垢な子を救った気になっていたけれど、別にその子はそうではなかった、みたいな。あーーーーーーまた自分は相手にイメージを押し付けているのだ、と気がつきため息が出る。
「ごめんなさい」
ショーゴがもう一度、謝る。
ため息が勘違いさせてしまったらしい。
「いや、別に約束破った訳では無いし。もし差し支えなければ、なんでやってるのか、聞いていい?」
「………………俊介さん、追い出しますか?」
「え、そんなヤバいの?金に困ってるの?」
いえ、とショーゴは泣きそうで、少し不安そうで。でも、話さないわけでもなさそうで。とりあえずリビングのソファに座らせて、氷室はキッチンでココアとコーヒーを入れる。
リビングのテーブルに暖かいココアを置くと、自分のだと理解したショーゴが手にとって、少しずつ飲んでいく。
ポツポツと話出した内容を、隣に座りコーヒーを啜りながら静かに聞く。
「自分の顔が、好きなんです」
「へぇ」
すげぇ自信だな。
まぁそれは良いことだと思うし、別に個人の自由だろ。
「生まれたときからみんな褒めてくれたし、大学に入ってからも、バイト先でも、かわいいねって、言ってもらえるし」
「うん」
「憧れている人と、似ているし」
「うん」
「だから、見知らぬおじさんに、犯されてるのを見ると、嬉しいんです」
「……」
「あの人が、犯されてる、みたいで」
「……………」
コーヒーを落とさなかった自分を褒めてほしい。ショーゴはココアの水面を睨みながら続ける。
「みんなが自分に寄ってくるのは財力と権力にあやかりたいからで、それが無くても自分自身を見てくれる人も居るって思って大学は親元を離れて見たんですけど、褒めてもらえるのは顔で、結局全部あの人からもらったものばかりで、私なんて誰も見て無くて」
「……」
「でも、私は、私が生まれたせいで救えなかった人を、救わないと、いけなくて、……なんだか、よく分からなくて」
「………うん」
「もう、どうすればいいか、分からなくて」
ぽろ、と大粒の涙が溢れる。
それを皮切りにぽろぽろと、沢山の涙があふれてこぼれる。ショーゴの背中をさすると、氷室の胸元にショーゴが顔を寄せ、更に泣く。
そっと、抱きしめる。
氷室から見ると、ショーゴのは自傷行為に見える。から、抱きしめる事自体も彼を傷つけているのかもしれない。
ひと通り泣いて落ち着いたショーゴに、声をかける。
「確かにショーゴの顔はキレイだと思うけど、一人のほうが上だよ」
「は?」
「日本にいる、俺の親友」
「えぇ!?だって、私、すごく、あの人に、似てるんですよ!?顔、いいでしょ!?」
「良いけど、俺は一人のほうがキレイだと思うし」
「えぇーーーー」
「別に顔でお前を住まわせてるわけでもないし」
「んーーー、じゃあなんで?セックスも強要してこないし」
「……………徳を積むため?」
「はぁ?」
バカかコイツ、といったような表情でショーゴがこちらを見る。5秒位。それから、プッ、と吹き出し、クスクス笑い出したという
俊介さん、充分積みましたよ、と。
ずっと俺の隣にいて、笑っていればいいのに。なんて、思ってしまった。
■朝倉省吾
「ここがドクターKの診療所ですか、夢にまで見たんですよ…!」
省吾が本物の神代一人と出会えたのは、昔好きだった人が話してくれてから10年以上経過してからだった。
本物の神代一人。
あの人が、一番美しいと言った人。省吾よりも。
想像していた美術品のような傷つけてはいけない儚い美しさではなかった。
父から聞いた先代Kのような荒々しい漢らしい美しさではなかった。
落ち着いた、そこに生きている、人間で、厳しくも慈愛に満ち溢れていて。
整った形や強さを示す為の美しさではなくて。
説明が、し辛いけれど、その人の内面が滲み出た美しさで、神代さんの真っ直ぐな性格を、あの人が愛していたのだと、理解できた。
あの人が神代さんを愛していることについて、別に悔しくは思わない。むしろこんなに美しい人を大切に愛せるあの人を、誇らしくも思う。
昔好きだった人がいた。
省吾を顔ではなくてクエイドでもなく朝倉とも切り離して見てくれる人がいた。彼と一緒に暮らした3年間は、省吾にとって宝石のようにキラキラしていて、大切な思い出だ。
大学1年の冬に始まった同居は、4年の初夏に終わった。省吾が、約束を、破ったのだ。
アルバイト先の先輩にクスリを盛られあの家の省吾の部屋で、無理矢理。多分。クスリが回って面白くて気持ちよくて、沢山ヨガっているところにあの人が帰ってきた。
ドラッグと連れ込み。
数少ない約束のふたつを突然破り、バレて、そして省吾は追い出された。あの人は普段あんなに明るくて騒がしくて優しいのに、怒るときはとても静かだった。
十年以上むかしの話。
でも、省吾の大事な恋の思い出だ。
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