豊穣の神が阿彦佑星の手を舐める話 義指の外された手のひらの上を、ざらついた舌先がぬるりと這う。手首を掴んでべろりと舐める仕草は、まるでアイスクリームでも舐めているかのようだった。
観光客向けの店先でアイスクリームを買う神の姿を夢想する。じりじりと焼け付く日差しを避けて軒先でアイスクリームを舐める姿は、あまりにも人間染みていて面白い。けれど不思議と違和感はなかった。
この手が氷菓子ほどに脆ければ、あの真っ赤な舌に削り取られていた事だろう。残念ながら肉も皮膚も氷菓子よりかは幾分頑丈で、舐められた程度ではあの口腔に広がる牡丹が染まるところを見れそうにない。
神は飽きもせずに短くなった指の根元を執拗に舐めしゃぶっている。時折鋭い歯が皮膚を掠める度に、ぞわりと背筋に痺れが走った。
「お前はさ、俺がお前を食わないことに、少しは意味を見出さないのかよ」
神は指を口に含みながら器用に喋る。口が動くのに合わせてちくりと鋭い歯が触れて、じくじくと身体の温度が上がっていく。
「意味…?」
「本当に分かっていない顔だな」
別にいいけどよ、とぼやきながら唾液で濡れた肌にべろりと舌を這わせた。存在しない指を惜しむかのように舐る。まるで食い損ねた、とでもいうように。
結局のところ、この指に関しては文字通り無駄骨を折ったわけで、本部が処分するのであればいっその事何も対策をせずに全てを食べられてしまいたかった、と思わないでもない。肚の底で燻ぶる熱を呼吸に乗せて短く吐き出した。
「無辜の民には、意味が必要かもしれませんね。食われるにしても、食われないにしても」
「お前はそうではない、と」
赤みがかった瞳がすっと細められる。試すような視線から逃れるように右手を腹の上に乗せた。ひやりとしたシリコンの塊が上がった体温を僅かに奪う。皮膚と肉の下、俺の臓腑には彼の――神の纏う、血の匂いが染み付いている。
仕えるべき神が居る。それだけで十分だということは、口に出して説明したところで大して理解されるとも思えない。
まあそんなところです、と適当に答えれば、ふうんと興味なさそうに返事を寄越すと、舐っていた指から漸く口を離した。
舌先から繋がる唾液が銀に光る。僅かに開かれた唇の奥、口腔に広がる無数の歯に視線をとられているうちにいつの間にか距離が縮まっていた。
ぱさりと揺れた白い毛先が頬を擽って、口腔に捕らわれていた視線を僅かばかり上へと持ち上げた。赤い瞳がこちらを見下ろしている。
右腕を神の背に回す。過去にその腕を齧られた光景が脳裏を過って、短く息を漏らした。細められた視線を受け止めて、噛みつこうとする口を迎え入れるように唇を開いた。