――ヴーッ
着信を知らせる緩やかな低振動におぼろげだった意識がゆっくりと覚醒していく。どうやら自分でも気付かないうちに眠ってしまったようで、机の上には試験勉強用に広げていた参考書がそのままに、スタンドライトの小さな明かりだけが真っ暗な部屋を照らしていた。目をこすりながら机に伏せていた上体を起こし時刻を確認する。現在の時刻、午前一時四十分。
――ヴーッ ヴーッ
鳴りやまない振動に少しずつスマートフォンが本の上を滑っていく。恐らくこちらが出るまでこの振動が止まることはないのだろう。真夜中のはた迷惑なコールが誰からかなど、ディスプレイに表示された名前を確認するまでもない。嘆息しつつも、自然と口元は綻んでいた。スマホを手に取りモリアーティは画面を軽くタップする。
「ずいぶんと出るまでに時間がかかったね?」
「……今、何時だと思ってるんだい?」
「ふむ。試験勉強をしていたが、つい眠ってしまい私の電話で目が覚めた、というところかな?」
「…………」
「違うかい?」
「……正解だ」
ズバリ言い当てられてモリアーティはこめかみを押さえる。表情は見られてはいないものの、電話越しから伝わるホームズの楽しそうな声はすべてお見通しに違いない。そんな相手の表情がこちらも想像できてしまいそれがちょっぴり悔しくて、すっかり冷めきってしまったコーヒーを一気に流し込んだ。
「ところで僕の声が聞きたくなって電話した、というわけではないんだろう?」
「あぁ。キミに頼みたいことが出来てね。明日、試験が終わり次第私の研究室にきてもらえると大変助かるのだが」
「ははははは!なるほどぉ?」
淡い期待を抱いた冗談めかした言葉はあっさりと否定され、追い打ちをかけるように自分の用件だけを伝えてくるホームズに嫌味をきかせた乾いた笑いを返す。分かりきっていた反応だが、それでも腹が立つというもの。たったそれだけの用件ならばわざわざ電話でなくともメールで良かっただろう、と言いかけてモリアーティはふと思案する。そう、メールでも良かったはずだ。
「……もしかしてホームズ、」
「キミのことだから試験前に根を詰めすぎているんじゃないかと心配でね」
少しは頭も冴えてきたんじゃないかい、とクスクス笑う声。
あぁ、まったくかなわない。じんわり胸の奥が熱くなる。
彼らしい素直とは言い難いエールの仕方ではあるが、その優しさにモリアーティは頬を緩ませた。
「……ありがとう。あなたのおかげでもう少し頑張れそうだ」
「寝坊だけはしないよう気を付けたまえ?」
「ははっ。そうだな!」
「ではまた明日」
「あぁ、おやすみ」
トンッ、と画面をタップする音だけが静けさで包まれた部屋に余韻を残すように消えていった。
椅子を少し引いて身体を伸ばす。
窓のそと。視線をやるとまあるい月がぽっかり浮かんでいた。