「……そう言えば、モリアーティ。まだキミからプロポーズの言葉をもらっていない気がするんだけど?」
ふ、となにとなしに思い出したかのような軽い口調でホームズが呟いた。まるで今日のランチは何を食べようか、という感じに。一瞬あっけにとられ石像のように固まったモリアーティだったが、頭上や脇を容赦なく流れる銃弾はすぐさま現実へと引き戻す。
「は?!お前今なんて言った?!」
「え?だからプロポーズの……」
「ネェ、今の状況分かってる?!正気?!」
ぐるり、と身体を反転させ両手に構えた銃の引き金を引けば、ぐぅっ、とくぐもった声と同時に黒いスーツを身に纏った男たちが数人倒れ込むが、次の瞬間には別の男たちにより再び銃弾の雨が降り注がれる。それらをギリギリで躱しつつホームズとモリアーティは転がるように路地裏へと逃げ込んだ。
「ハァ……ハァッ……クソッ……!あいつらしつこすぎじゃネ?!」
「さっきの返事だが」
「は?!」
ぜぇ、ぜぇと肩で息をする自分とは対照に既に呼吸を整え涼しい顔で話し始めるホームズに思わず半ギレで返事をする。
「正気か正気じゃないか、と問われればもちろん、後者だろうね」
今のこの状況すら楽しむかのような悪戯に光るグリーンの瞳の前にモリアーティはもはや怒る気力すら失っていた。代わりに乱れた髪をくしゃりと後ろへ撫でつけると噴き出すように笑いをこぼす。
「くっ……!ハハッ!お前のそういうとこ、本当ムカつく!」
「お褒めにあずかり光栄」
「なら問おうじゃないか!私と添い遂げる気は?」
「もちろん?」
「いたぞ!」
男の叫び声が響き渡るのとほぼ同時。ホームズが動き、路地裏の入口を囲っていた男たちを次々となぎ倒していく。ヒュゥ、と軽く口笛を吹きモリアーティは頭上に二発。
ドサッ。ドサッ。
撃ち落とされた大きな黒いカラスは地面へと叩きつけられ呻き声をあげた。だが、モリアーティはそんなものには目もくれず「ふむ」と少し考えホームズの後を追う。
「あぁ、良かった。てっきりやられたのかと心配したところだよ」
「えぇ~……せっかくプロポーズした直後に殺すのやめてくれない?」
「ははっ。冗談に決まってるじゃないか」
そんな会話の最中でさえ銃弾の雨は降り注ぐ。だが、残る敵はあとわずか。これを片付けてしまえば任務完了である。
「シャーロック」
「!」
「あー……確か病める時も健やかなる時も……だったっけ?」
一人――二人――三人
的確に急所を狙い撃てば重なり合うように男たちは倒れていく。
「それから、死がふたりを分かつまで」
四人――五人――六人――
流れるような脚技にまったくの無駄はなく。
「ともに地獄の道を歩み愛することを誓うかネ?」
「喜んで誓おうじゃないか」
「では、誓いのキスを」
キンッ――と金属が外れるような音の数秒後、唇を重ねた二人を祝福するかのような爆炎があたりを包み込んだ。
「あ~ぁ……またこれ始末書案件じゃん……」
「最後の爆破はキミの責任だろ?僕のせいじゃない」
「うわっ。お前本当ムカつく」
瓦礫の山を踏み分けつつモリアーティは服についた煤を払いながらホームズを睨みつける。だが、当の本人は全く気にする素振りもなく、ポケットから銀のシガレットケースを取り出しタバコをくわえるがどうやらライターをなくしたらしい。火をくれ、と目線を投げかけられるが無視をすれば諦めたのか溜息とともに新品のタバコは投げ捨てられた。
「あぁ、そうだ。シャーロック、ちょっと左手を出してもらえるかナ?」
「左手……?」
訝し気に眉根を寄せつつもホームズは言われたとおりに左手を差し出す。モリアーティはその左手を取るとニヤリと口角を上げ薬指を口に含んだ。そして、
「――っ、いっ……!」
ガリッ。
少し強めに噛んで歯形を残す。指輪の代わりに、と。
「ふむ、これなら数日は持ちそうだネ」
「っ……最低だな、キミは……!」
「お褒めにあずかり光栄だヨ?……って!いってぇ!?」
「少しは反省したまえっ!」
ホームズのその日一番キレのあるバリツによって、モリアーティはしばらくの間、現場任務ではなく書類との格闘を余儀なくされるのであった。