Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    心房調律

    @u26hi

    洞ひ/utsuroi

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 📈
    POIPOI 2

    心房調律

    ☆quiet follow

    仁柳
    仁王が柳の素顔を見る話 中一→中二の春

    #仁柳
    renliu

    うつくしい没個性 真昼を過ぎて日ざしは、青々とした銀杏の整列に幾分さえぎられた。三月下旬の空気は既に、半袖を素肌にまとわりつかせる気怠さを含んで立ち込めている。
     並木の傘下に背中を預けて、俺は打ち合いのローテーションを見ていた。三分間隔で時計回りに、さまざまな人間が目の前のコートへやって来る。右の攻撃、左の守備。パワープレイヤーにテクニシャン。三年目の三年生に、十三年目の一年生。頭の中でシミュレートする。俺は、あいつに成れるのか――大半は、可。あいつにもそいつにも、おそらくは。

    「丸井! 早く自分の練習に戻れ!」
    「うぃーっす」

     日の当たるグラウンドの真ん中から、先輩が怒鳴り声を木陰まで寄越す。時計回りの群衆がこちらを向くのを邪魔するように、薄い緑の球体を膨らます。去り際の視界の右端に、至極自然な“俺”の姿が映った。おーおー、なかなか似合っとるぜよ。気持ち丸めた上半身も、グリップを握る左手も。

    「む、随分早いな、丸井」
    「わりぃわりぃ。ちょっとな」
    「てかお前さっき、向こうから……」
    「バカ野郎! そいつは仁王だろぃ!」

     第二グラウンドに踏み入ったとたん、俺の丸井は本人によって、いとも簡単に暴かれた。無論、それくらいは計画の範囲内。地味なフットワークからの解放を望んで、フェンスの中の人間達は、見る間に騒がしく駄弁り始める。



     戯れでしかない変装を極めて、テニスにまで持ち込もうと画策し出したのはいつだったか。身近な人間をのらりくらりと誑かしながら、試みていたそれは次第に完成へと近づいている。背格好の似た柳生を主軸に、その実俺は大概の人間には成り切れるだろう。今こうして第一グラウンドの数十人を欺けた丸井。小細工に手間はかかれどジャッカル。まず見た目だけなら幸村や真田、柳とて決して難しくはない。素人に似顔絵を描かせてやればすぐ分かる。へのへのもへじにかろうじて着せられたその特徴しか、人は人のことを見てはいないのだ。その特徴だけを忠実に、あとの部分はごく自然に。イリュージョンとはその程度のもの、人間もまた、その程度のものだ。

    「お待たせしました、どこに入ればいいでしょう」
    「何だ、今度は柳生じゃないか」
    「あいにく、仁王君の数は足りているようですので」

     紳士の挙動でコートを仰いだ。手招きされたハードルの傍、おかっぱ頭がかすかな日陰に身を収めるようにして立っている。

    「では、頼むぞ。柳生」
    「わかりました、柳君」

     受け取ったバインダーとストップウォッチは生温い。駆け出した首元に几帳面な毛先が、辞典の小口のような影を形作るのを、背筋を伸ばした俺は見ていた。





     その、小口の影に守られていた項の、青白くすっと伸びているさまが晒されたのは、年度終わりの休みを経た四月頭のことだった。

     部室に入っていく後ろ姿を捉えたとき、俺にははじめ、それが誰であるか全く見当もつかなかった。何の変哲もない黒髪の短い襟足に思い当たる者は何人かいるものの、その身長、肩幅、体格、その他どれもが既知の人間にはしっくりとこなくて、数歩遅れて入った部室のこちらを向いた――つまりは彼を見た――人々の上げた歓声によって、俺はその正体をはじめて認識したのである。

    「お前、まさか柳か!?」
    「随分と思い切りましたね」
    「いいじゃないか蓮二、よく似合っているよ」

     柳、柳。柳と言った。つい先程の後ろ姿が、混乱とともにフラッシュバックする。その少し見上げる身長、角ばった肩幅、薄めだがバランスの良い体格は、確かに柳だと言われればそうだった。が、そこから伸びた長い首に沿うような短い襟足が、彼に繋がるはずもない。
     半開きの扉から覗くかたちの俺に気付いて、幸村は邪気のない声を上げた。

    「ほら仁王、蓮二、ちょっと見てよ」

     振り返る。項の青白さが耳の後ろや、こめかみにまで及んで、それが続いた先には、確かに柳の顔があった。心臓がどきんと収縮する。これまでずっと彼の頭を取り囲んで視線をさえぎっていた簾が、突如として取り払われ、柳の無防備な素顔を目の当たりにしたように感じ、俺はひどく動揺した。

    「仁王。何をそんなに驚いている」
    「あー……せっかくお前さんのおかっぱ頭のかつら、メンテナンスしたところじゃったのにと思っての」
    「それはすまなかったな。だが、この方が普遍的で用意もしやすい髪型だろう」

     どうして切ってしまったんだ。さすがに可愛気が無くなってきたんじゃねぇの? いや、背が伸びて、逆に姉の方だと思われるようになったんだ。何の気なしの言葉たちの中に、交じることなく俺は着替えた。ワイシャツからユニフォームへと袖を通し変えただけで、開いた首元は薄ら寒い。部活が終わるまでの数時間、俺の項は長髪に守られたまま、柳の青白いそれが南風にも凍えるさまを想像していた。



     鏡の中に俺がいる。黒いかつらの俺の姿だ。

    (違うのう……)

     柳生のかつらの試作品から、分け目の強くない、真直ぐな毛質のひとつを選んだ。今日の柳を思い描いて、ポリエステルにはさみを入れる。簾を外した青白い項。後方からも伺えたこめかみ。ざっくばらんな前髪を梳いて、黒く艶めくスプレーをかければ、結局、こんな髪型はごくありふれた中学生らしいそれでしかない。
     これまで、柳蓮二の特徴といえば、あの切り揃えられた長い髪型くらいのものだったのだ。似顔絵を描かせてやれば、ほとんどの素人はおかっぱ頭に、閉じた双眸と閉じた口とを一、二、三画で引いて終えるだろう。瞼を閉じる。シャッターを切る。液晶の中にも鏡の中にも、仁王雅治の姿しかない。

     最も印象深い特徴を失ってなお、柳を柳たらしめるものとは何なのだろう。俺は頭の中に、数日前までの柳を描いた。辞典の小口のように几帳面な緑の黒髪。それから、他の同級生たちの姿を浮かべる。幸村の読めない微笑み、真田のいからせた肩肘、丸井の赤髪にジャッカルの肌色。それらを抜きにしては、彼らに成り切るどころか、彼らを思い浮かべることすら困難を極める。

    (……)

     瞼の裏に柳は居ない。瞼を開けても、柳は居ない。
     俺はいま、誰に成れても、柳蓮二その人にだけは、成ることができないでいるのだった。





    「さーんぼ」

     新学期初週の金曜日。下駄箱からテニスコートに続く職員駐車場の一角で、俺は遅れてくる柳を待った。今春常になく吹き荒んだ春の嵐のおかげで、校舎脇の桜はもうほとんど濃い色の鰐を残すばかりの姿になっている。

    「仁王……お前、委員会には入っていなかっただろう」
    「ピヨ。だからこそ俺は大忙し、とでも言っておこうかの」

     柳の所属する生徒会は面々こそ同じであれ、年度を跨ぐごと選挙で役職が決められる。今日の放課後にはその打ち合わせがあると耳に入れ、けなげに待った俺の思惑はたとえ参謀とて知り得まい。

    「じゃ、行くぜよ」
    「どこにだ。部活だぞ」
    「部室でええ」

     怪訝そうな面持ちながらも多くを問わず歩き出す柳の、半歩後ろから俯瞰する。俺よりかは姿勢が良いが、柳生のようにわざとらしくはない。真田よりかは穏やかであるが、丸井ほど底抜けに明るくもない。ジャッカルほど歩幅が大きくはなく、幸村ほど茶目っ気があるわけでもなく、とどのつまり、柳にはほとんど特徴らしい特徴が無いように思われる。没個性的、という言葉が浮かんだ。見れば見るほどすべての挙動が良識の範囲内に収まり、そこから少しだけはみ出していた髪型を失ったいま、柳を柳たらしめるものは、瞼に隠された瞳の色のごとく秘められているように感じられる。

    「見過ぎだ」

     視野の広くなったのであろう参謀は、斜め後方の詐欺師の熱視線にも目敏い。

    「お互い様じゃろ。いつもデータ取らせてやっとるき、許しんしゃい」

     歌うようにうそぶいてみたら、柳が不意に歩速を緩めた。追突しそうな身体に慌ててブレーキをかけると、柳は興味深げに突っ立つ俺を見下ろした。

    「ふむ。俺のデータが欲しいのか?」
    「……取らせてくれるんか」

     フェンス越しに真田がこちらを向く。もう対戦表を組んでしまったと叫ぶ。俺と仁王はこちらでやろう。柳は何てことないように告げる。たったそれだけで、サボりでしかなかった俺の遅刻は鬼の制裁を逃れ、俺たちは誰もいない部室に二人踏み入った。傾いてきた午後の陽がサッシ窓をすり抜けて鱗のように光っている。

     柳はロッカーに重そうな鞄を置くと、扉から数歩入ったきりの俺を平然と振り返った。まるでこちらがデータを取られるかのようで、誘ったはずの俺のほうがどこかぎこちなくさせられる。

    「着替えるか?」
    「いや、そんままでええ。そこ、座りんしゃい」

     言われた通りに腰を下ろす。ベンチからの座高はちょうど陽光の目を刺す高さだったようで、柳は眉頭をわずかに寄せたが、庇になるよう俺が立てば幾分力は抜けたらしい。

    「やはり、イリュージョンのための研究か」
    「昨日おまんに成ってみようとしたんだがの、ちっとも似んで困っとった」
    「これまでは随分、髪型頼りだったようだな」

     柳が笑う。図星である。俺は返事をしないまま、おとなしい柳に手を伸ばした。


     両の親指を頭頂部に添える。中指で頭の後ろから手前に弧を描くようにして、爪先が耳の後ろに着いた。丸みがかった小ぶりな頭蓋骨。水平に並んだ両の耳。透けるような色をしたそこが人肌の温度を持っていて、俺は思わず手を離す。胸を去来したのは、罪悪感にも似たなにかだった。触れてはならない精巧な無機物に、体温を移してしまったかのような感覚。触覚を断てばその出で立ちは、沈黙する磁器のつめたさを思わせる。

     俺の指はしばし空中を泳いで、まばらな前髪を掻い潜った。持ち上げれば髪の下の柳は少しばかり身じろぎをする。柔らかな髪もするりと逃げる。

    「他の奴にも同じようにするのか」

     非難めいた言葉にしかし、直接の拒絶は見当たらない。どこか、他の人なら嫌がるだろうとでも言いたげな、離れた観察が感じられる。

    「いや、普通は一度見りゃできる。柳生だけはこないだ、精度を上げんのに見せてもらったがの」
    「そうか。俺など難しい顔でもないだろうに」

     能面みたいだとよく言われる。呟いた柳のその顔に、俺は改めて向き合った。難しい顔ではない。だからこそうまく描けない。
     ならば何が、柳を柳たらしめるのか――


     春先の霞が立ち込めて、黄昏はあまく濁っている。ほの暗くなってきた部屋に溶ける黄金色のなかで、俺は、静かな発見をしていた。
     柳蓮二という人間は、恐ろしく、うつくしいつくりをしている。

     水平の耳からなだらかな額へ。依然髪に隠されるそこには、不要な凹凸の一つもない。凛とした両眉の描く緩やかな弧、距離の近い眉間を指で辿ると、顔面を真直ぐに通る高い鼻梁。併せて無駄のない輪郭線が顎の鋭角を形づくれば、そこにはやや幅狭の唇が曲線の柔らかさを添えている。
     何もかも、誰よりは大きく小さくなく、誰よりも特徴に欠ける。それがつまりは非の打ちどころのない完全な配置によるものであると気付いて、俺はぞっとするような感動を得た。俺は改めて柳を見る。頭の形からそれぞれの器官の置かれ方、形、その限りなく完璧に近いさまは、数学的な、幾何学的な隙のないうつくしさを湛えていた。

     座る柳は微動だにしない。触れずに眺めると、人間ではないかのようだった。それは、陽光を知らない項やこめかみの青白さだけによるのではなく、数式と座標に基づいた彼の構造にも基づいている。ある人はそれを地味だと言うだろう。没個性的、という言葉が浮かんで、消えた。定理に示せる没個性は、定理そのもののうつくしさによって証明される。狂いも歪みもない幾何学とはごく無機質な存在で、それを持った人間の美に気づける者も、そう多くはないのだろう。


     俺は両の親指で、柳の眉と鼻筋の間、眼窩のくぼみにそっと触れた。瞼がぴくりと反応する。閉ざされたその場所を静かに辿る。薄い皮膚の下には確かに、球体がふたつ、存在するのを感じる。

    「……柳」
    「何だ」

     眼球の上の両指を、そっと目尻にすべらせる。薄い皮膚を閉じるも開くも、柳の意思に委ねられる。

    「目を、開けてくれんか」

     呟いた声は、目の前の完璧な均衡を壊さないよう、弱々しく震えて空間に消えた。
     二つの瞼がゆっくりと持ち上がる。密度の高い睫毛が羽のように浮いて、現れた対の水晶が、確かに俺を貫いた。



    「眩しい」

     表出は一瞬のことだった。けれども俺は呼吸を忘れ、自分が無機物になってしまったかのごとく動けずにただ立ち竦んでいた。

     色素の薄いはしばみの瞳が、完璧な位相に一対、置かれ、それが黄昏のもやの漂いに溶け出すかのごとく俺を取り囲んでいる。
     それはどこか有機的な出来事で、幾何学のうつくしさを持った柳をあるいは乱すものであったかもしれないのに、光を湛えた生命が俺を確かに捉えていたあの一瞬のことが、今もなお、忘れられない。





    「幸村サンは派手だし、真田サンは怖いしさ。ま、そっちが目立ちすぎってのもあるけど、柳サンってなんか地味じゃないっすか?」

     仮入部の期間も過ぎて、吹き抜ける風は早くも夏の足音を響かせる。威勢よく飛び込んできた荒くれ者の一年坊も、なんだかんだで練習には律儀に顔を出す。憎めない奴ではある。けれども、やはり、素人はちっとも分かっていない、というものだ。
     赤也は手なぐさみにボールをラケットで突きながら、彼方のコートの柳を見ていた。地味だと言う。ほくそ笑む。ちっとも分かっていないというものだ。俺の外の全員と同じく。

    「どうかのう。ウチの参謀の――」

     青白い項と幾何学のつくりばかりが、この世で俺にうつくしい。

    「目を見た奴には恐ろしいことが起こるぜよ」




    うつくしい没個性 完

    Tap to full screen .Repost is prohibited

    related works

    recommended works