ウィスパーボイスナギが喉をやられた。
昨日、喉の調子がおかしいとハーブティーを飲んでいたのに、そのまま深夜リアタイ視聴したアニメで興奮して叫びすぎたらしい。
朝、リビングに入ってきたナギは捨てられた子犬のように悲しそうな表情で「(声がでません)」と蚊の鳴くような声でそう言った。
一生懸命喋ってはいるのに、音量的にはそれが限界らしい。
今日はモデルとしての撮影だけだから、多少不自由はあれど仕事に穴をあけなくてよかったと、本人は安心していたけど。
「ミ・・ゥ・・ィ」
「え、なんて?」
「・・ァ・・が・・ぃ・・・で・・」
「あぁ、カフェオレな。ちょっと待ってなー…って、自分で入れろよ!」
「リ・・・」
「ナギ、なぁに?」
「い・・・ぇ・・・しゃ・・・」
「うん、行ってきます!ナギも気をつけてね!」
ソファでスマホを触りながらも、視界の端に映る日常風景に意識がいく。
喋らないのが一番だというのに、どうしてもコミュニケーションを取りたいらしいナギは、いつもと同じように話しかけている。
しかし、やはり聞き取りにくいのか、話しかけられる側は普段よりだいぶ距離を詰めているし、それに伴ってスキンシップが多くなっている。
距離が近いのも、元々スキンシップが多いのも、いつも見ている光景だし、話している内容もいつもと同じ他愛ない事。
だけど。
だけど、見慣れているはずなのに、こう、なんとも落ち着ない自分がいる。
心配半分、今の感情の勢い半分。
「ナギ―、声がでない時に無理して喋ると喉潰れるぞー」
……なんて、最もな事を言って黙らせようとする。
ナギの顔を見ると、コミュニケーションが取れない事や申し訳なさで、また悲壮な表情をしている。
「仕事行く前に病院に連れて行くってマネージャーに連絡入れといた。食べたらすぐに出るから、そのつもりにしときなさい」
そう言ってスマホを振ってみせると、少し驚いたような表情を浮かべてすぐに笑顔になり、口が動く。
多分「thanks」
リーダーとして。
そう、あくまで、リーダーとして。
ナギの病院の後で現場に向かっても遅れる事はないし。
むしろ時間的にちょうどいいし。
今の現場に行く前にいくつか考えたい事もあるし。
……とか、いくつかの理由を心の中で並べておく。
「・・ァ…ト」
おそらく、俺の名前を呼んで、ナギがソファの隣に座ってきた。
「なーに?」
そう返しきらないうちに、ナギがふわっと笑って抱きついてきた。
そして俺の耳にナギの唇が寄せられる。
「(心配してくれてありがとうございます。嬉しいです)」
「(愛しています)」
ナギの言った言葉は、いつもの光景で、いつも言われている言葉。
だけど、ナギの囁く声が、あまりにも、あまりにも。
ぶわぁって、音が聞こえるんじゃないかってくらい、一気に体中逆立った。
「もう、ほんと、黙ってなさい……」
思わず体を引き離して、手のひらでナギの口を押さえて顔を背ける。
深く息を吐いて気合を入れて
「注射してもらったらすぐに治るかもな?」
ナギに向き直ってそう言うと、絶対嫌だと言う風に首を横に振りながら、口を覆った俺の手を思いっきりつねられた。
「(いじわる言わないでください)」
正直すげぇ痛いけど、それすら愛しく思えてしまって……
どうやらこっちも本格的にダメそうだなと思って軽く笑ってしまった。