だけど、求めずにはいられなくて。ソファに座りテレビドラマを見ている俺の右後ろの方で、今日も寝ようと部屋に戻るメンバーにナギが「おやすみなさいのハグ」をしている。
その声に促されるように、おやすみーとちらりとだけ廊下に繋がるドアの方を見て声をかけた。
ナギが他のメンバーとする「おやすみなさいのハグ」はこの寮で夜な夜な行われる恒例の行事だ。(※ナギが不在だったりここな鑑賞中は除く)
はじめはナギからハグをしに行っていたし、それを受けるメンバーも最初から歓迎する奴もいたが、ほとんどは照れたり躊躇ったりしていた。しかし「ハグは挨拶です」と言うナギの言葉通りにそれが習慣になった今では、それぞれリビングから出る前に自分からナギとハグをしに行くようになっていた。その度に尻を触られるあのイチまでもが。
「ヤマトはまだ起きていますか?」
ふと、いつの間にかソファの後ろに立っていたナギに声をかけられた。
リビングを見渡すと他に誰の姿もなく、いつの間にか俺とナギの2人だけになっていたようだ。
まだ飲み始めたばかりの2本目の缶ビールを手に持って軽く降り“飲み終わるまで”を伝えると、ナギは形のいい眉毛を少し下げて笑い、ソファから離れた。
そのままナギも部屋に戻るんだろうと思ってテレビに視線を戻したけど、ソファが軽く軋む音でナギが俺の隣に座った事に気付く。
思わずナギの顔を見てしまうと、不思議そうにしていたからだろうか、視線に気付いたナギが、手にしていたここなちゃんマグカップと文庫本を軽く持ち上げ微笑んだ。
ナギも大体同じ理由らしい。カップにはおおよそ、特製のハーブティーが入っているのだろう。
軽く笑ってドラマからドキュメンタリーに番組が切り替わったテレビに向き直った。
煌びやかな世界も、賑やかな寮での時間も、空気も、人も、みんなが眠りにつきはじめる。
そんな時間帯であっても、本番はこれからだとばかりに「リアタイ視聴は信者のタスクです!一緒に視聴しましょう!」とテンション高く誘ってきて、小さい子供のようにはしゃいでいる事も多々あれど、こんな風に静かに時間を過ごすナギはいつもより格段に大人びる。
ボリュームを下げたテレビから聞こえるドキュメンタリー番組の落ち着いたナレーション。時計の針が単調に刻む音。はら、とページがめくられる音。静かに紡がれる呼吸音。
居心地は悪くない。だから、部屋戻らずここにいる。
それからどれくらい経ったか、見ていた番組が終わる頃にはちょうど手にしていた缶の中身がなくなった。
時計を見ると日付が変わる手前で、思っていたより長居してしまっていた。
ナギの方を見ると、集中して読んでいるようでマグカップの中身は半分以上残っていた。
その本の内容が「アニメがとても素晴らしかったので、原作を読まなければならないと強く思いました」と言って最近プレゼンされた異世界転生物のラノベだったとしても、少し伏せられたまぶたがどことなくアンニュイな雰囲気を漂わせてた。
ナギは本当に何をしていても絵になる。
「ナギ、俺そろそろ部屋戻ろうと思うけど、ナギはどうする?」
本格的に見蕩れてしまう前にそう声をかける。
「Oh……?もうこんな時間ですか。ワタシも休まなければいけませんね」
今日はリアタイするアニメもないので、と時計を確認したナギがマグカップの中を飲み干した。
本に可愛らしいピンクのしおり(多分ここなちゃんグッズ)を挟んで閉じている間に、ナギのマグカップを手に持ってキッチンに向かい、缶と一緒に洗う。
「ヤマト、ありがとうございます」
「ついでだからな」
洗ったものを水切りかごに伏せ置き、手を拭いて振り向く、と。
ナギが両手を大きく広げてこちらを見ていた。
「……何?」
「おやすみなさいのハグですが?」
何故質問されるかわからないと、ナギがきょとんとした顔で首をかしげた。
「いやいや、いいでしょ」
「毎晩しているでしょう?ハグは挨拶です」
「何が悲しくて夜中に2人きりで男とハグしなきゃなんないんだよ」
「他のみなはしてくれます」
「俺はいいでしょ」
「よくありません。それとも、ヤマトはワタシがこのまま眠れぬ夜を過ごしてもいいと思っていますか?」
大袈裟に目を潤ませて悲しそうに言うナギの言葉に軽くため息をつき、背にしていたシンクにもたれる。
俺はナギのハグが苦手だ。
他のメンバー同様、俺自身も習慣になってはいて、流されるようにハグをする事はある。
しかし、元々スキンシップをとるタイプではないし、ライブや収録の時のように勢いがある時はまだしも、こういう時間に、こうして改めてハグを求められると特に躊躇ってしまう。
ハグにしても、愛していますと言う事も、ナギがストレートに振りまく愛情は雪を溶かす春の陽のようにあたたかい。
俺みたいな捻くれた人間は、それにまともに触れると溶けてしまいそうで怖くなる。
その感情は自分のメンバーに対する思いや、後ろめたさを感じる度にそれは強くなっていった。
だから、正確には、苦手に"なった"
それなのに。
ヤマト、と名前を呼ぶナギの声が急かされているはずなのにあまりにも優しくて、誘うように伸ばしてきた右手を吸い寄せられるように見つめてしまう。
本当に避けるつもりがあるなら、他のメンバーの流れに乗ってうやむやにして、2人きりになんてならずに、居心地が悪くないだなんて思わずに、求められても応えずに、さっさと部屋に戻ればいい。
どれだけ溶けてしまいそうでも、そのあたたかさを感じたいんだ、きっと。
……なんて思う程、今日は酔いがまわっているようだ。
「はいはい、おやすみ」
深く深呼吸をしてから、せめて体が触れ合わないように腕を回して、そのままナギの背中を軽くポンポンと叩いてやる。
これでナギも納得するだろうとすぐに体を離そうとした、が。
「足りません!」
いきなりきつく抱きしめられ、ぐぇっと喉の奥から唸るような悲鳴が絞り出される。
「……ナ……ギ、つぶれ、る……」
肺が押しつぶされる中、かろうじて言えた抗議の声も聞こえてないフリをして、ナギは声を殺して笑っているようだ。
「ナ、ギ……!」
窘めるようにもう1度名前を呼ぶと力を緩めたので、両手でナギの体を押して改めて距離を取る。
「はー……折れるって………お兄さん、そんなに頑丈に出来てないの」
「そんな事はありません。ヤマトは逞しいので折れたりしないです」
ナギは満足そうにニコニコしながら、今度は肩を押していた俺の右手をおもむろに握ってきた。ハグの次は握手か?と思ったが、両手で大切そうに包まれた手はナギの頬に当てられる。
何を、と思って思わず見てしまったナギの瞳と真っ直ぐ会った。
あってしまった。
「ヤマトはとてもあたたかいですね。溶けてしまいそうでした」
穏やかに微笑んでそう言ったナギに、思わず包まれていた手を引き離して顔を逸らした。
「…………アルコールのせいだろ」
沸き立った血が駆け巡って体温が上がるのがわかった。クラクラする。だから、さっきとは変わってふうわりと包むようなハグと「ヤマトはあたたかいんですよ」と噛み締めるように囁かれる言葉を許してしまった。
「今日はよく眠れそうです。おやすみなさい、良い夢を」と言い残して、ナギがそのままリビングを出て行くまでは、ほんのわずかな時間だったはずだし、あれから時計の針はとっくに日付を超えている。
それなのに、ナギの残していった熱がまだこんなに、あつい。
「……どっちが」
ひと言だけようやく吐き出して、今日この部屋で起きた全てをアルコールのせいにする為に、冷蔵庫から缶ビールを取り出して一気に煽った。