全て手に入れるのは「そこの項垂れているお姉さん、僕で良ければ話を聞きましょうか?」
サンポがその少女に声をかけたのは完全なる偶然だった。「商売」相手の一人がいよいよ使い物にならなくなってきたため「捨てて」、新しい顧客を何処かで獲得しなければいけない……と考えていた矢先、お世辞にも治安が良いとは言えない街外れの裏通りでゴミ捨て場に転がっている少女を見つけたのである。死体にしては随分と綺麗だな、とぼんやり視線を送ったあとで肩が上下している事に気付き、まだ生きているではないかと喜んだものだ。
治安が良いとはいえない裏通りを我が物顔で歩いているあたり、サンポが善人でないのは、まあ言うまでもない。
けれど当の本人はどちらかと言えば自分を善人寄りだと思っている、金さえもらえれば「どんなことでも」成し遂げるのだから。
この街の裏で「ネイビーブルーの商人」とすっかり名が知れ渡ってしまったサンポは商人という肩書の通り、闇商人であった。
まあ、彼にとっては顧客ですらも死んでしまえば商材に早変わりなのだが。
「誰?」
「これは申し遅れました! 僕はサンポ・コースキといいます、友よ」
「……あんたと友達になった覚えは無い」
「まあまあ、そう悲しいことを仰らないでください。貴女が何かお困りなように見えたもので」
「うーん……ああ、確かに困ってるかも」
食いついた、とサンポがにんまりと笑みを深くする中、少女は淡々と言葉を紡ぐ。
その言葉は予想のやや斜め上を通り過ぎて行った。
「お腹が空いたから、この街の美味しいカフェに連れて行って」
「おや、そんなことで良いんです? 怪我の手当などは」
「怪我? してない」
ほら、と少女はハンカチに水筒の水をかけてごしごしと顔を拭いた。
なるほど、煤汚れのようなもので見えていなかったが確かに傷一つない。
それに──こうしてみれば、金色の瞳を持つ顔立ちの整った少女だ。
僕は案外、良い拾い物をしたのかもしれませんねえ。
顧客としての利益と、使い物にならなくなった「あと」の利益。
その両方を考えて機嫌のよくなったサンポが少女の肩に腕を回して歩き出せば、少女は疲れたような溜息を吐いてされるがままになっていた。
◇ ◇ ◇
「家出、ですか」
「暫く帰って来るなって言われたからこの機会に隣街に来たの、普段は来ないから」
「貴女変わってますねえ、この街はお世辞にも治安が良いとは言えませんから」
「そうなの?」
「隣街はマフィアの星穹ファミリーが支配しているので、此処よりよほど治安が良いと聞きますが……まあ、逆ですかねえ此処は。この広い街の中心を上層部と呼んで、外縁部分を下層部と呼び、物資や暮らしもかなり異なるので。それに最近はファミリーの内部分裂が起こっているとか何とか」
「へえ」
こわいね、と棒読みで口にした少女こと星がサンドイッチにかぶりつく。
そういえばと出会った時にゴミ捨て場に倒れていた理由を尋ねると、倒れた理由は空腹、身体中泥や煤にまみれていたのは隣街とこの街の境目でごろつきに襲われて返り討ちにしたから、だそうだ。空腹の日数を重ねて聞くと、記憶を辿ったあとで星が三日かも、と口にする。流石にそれは哀れだと思ったサンポは損得抜きに自分の皿を星の方へ押し出した。別に腹が空いている訳では無いので尚更。
「サンポって良い所あるんだね」
「どちらかといえば三日飲まず食わずでぴんぴんしている貴女への尊敬の念ですかね……というか何です、その言いぐさ!」
「裏路地で倒れてる、どう見ても訳アリの人間に声をかけるあたり詐欺師かと思ってた」
「詐欺師!? ちょっと、酷い言いがかりですよ。僕は善良な商人ですから」
「商人?」
「ええ、先ほど物資について話したでしょう? 僕は上層部と下層部に少々伝手があるので、お金さえ頂ければ何だって揃えられるんです。これが案外、良い商売になるんですよ」
あ、と星が声を上げる。
何か料理に入っていたのだろうか、と思うよりも前にポケットを漁り出した星が、頭を抱えて溜息を吐いた。
「サンポ、私に依頼をして」
「と、言いますと?」
「お金、多分ふらふら歩いてる時に落としたか盗まれた。ここの代金分の仕事をするから」
商人相手に「依頼」を買いたいと申し出て来る適応力の高さに内心舌を巻きながら、サンポはもくもくと残りのサンドイッチを口にしている星を観察する。ごろつきを撃退してしまえる腕前、裏社会で良くも悪くも目立つ整った顔立ち、それから物事に動じない豪胆さ。今回の顧客とは良い商売ができそうだ。
「なるほど、良い提案です。交渉成立ということで」
貴女にぴったりの仕事があるんです、どうぞ此方へ。
◇ ◇ ◇
「わたしのぶん、その子にあげて」
「また別の依頼で稼いでもらう事になりますが」
「いいから」
父親が病気なのだと道で物乞いをしている少年の籠に、サンポは星に渡す筈だった依頼報酬を手際よくすりこませた。高くは無いが安くも無い額である。医者、それもナターシャの診療所であればあの金額で大抵の病は事足りるであろう。
「貴女、もしかしなくとも底なしのお人好しですか?」
ろくでなしばかりの裏社会。そういう奴らの掃きだめがこの様だ。そこで生きていくというのなら、星がもつ善性は限りなく食い物にされる弱者側が持つもので、捨てるべきである。もしや星は隣街でそこそこ良い家の生まれなのではないか、と予想するも、本人の事情に踏み入る事が商売の信頼関係を壊してしまう損を考えると指摘する事は憚られた。
「そうかもね、まあ……夜道には気を付けるよ」
◇ ◇ ◇
「支払えないのであれば、仕方がないですねえ。僕としても残念なのですが」
「ひっ、やめ、やめてくれっ」
「貴方にぴったりの仕事があるんです、どうぞ此方へ」
「いやだああああっ」
丁度臓器が足りないと依頼されていたんですよ、とサンポは男をずるずると引きずっていき、回収班と合流するなり刃で喉笛を掻き切った。生きてればお客様、死んでいれば商材。卒なく無駄なく転がすビジネスで楽しく生きているサンポにとって、金さえ摘まれれば客をさっさと切り捨ててしまう事など日常茶飯事であった。
「……それで、いつから見ていたんです?」
曲がり角の先で座ったまま端末をいじっている所に声をかければ、星は面倒くさそうに立ち上がる。どうも見つかったら面倒な事になると察していたらしい。星は男が上げた悲鳴の中で端末をいじっていたため、意味は無いが通報でもしたのだろうか……と覗き込んだ画面には携帯ゲームが表示されていて拍子抜けしてしまう。
「別に誰にも言ったりしない」
「僕にそれを信じろと?」
「あんたは、信用商売。金さえあれば信用するんでしょ」
「僕のことをよくお分かりで。それであれば、貴女、今から暇ですか?」
「一応ね」
「なら良かった。僕とひと仕事しましょう」
歩き出すと星は溜息を吐きながら着いてきた。人が死ぬところをすぐ傍で見ておきながら、顔色一つ変わっていない。
「……自分が先程の男のようになるとは、思わないのですか?」
月明かりを背に問いかけると、星は影のさしたサンポの顔を見上げながらぽつりと呟いた。
「命は大事にしないといけないけれど、大事にしなかった方が悪い」
「なるほど?」
「サンポが切り捨てる時点で、あの男の人はもう引き返せない所まで堕ちていたんでしょ」
──弱きものには仇を、悪しきものには、鉛を。
たどたどしくも聞こえた言葉は、破る事のできない響きを持っていた。
そう、まるで、マフィアの掟のような。
◇ ◇ ◇
ばん、と星が歌うように口にした。
それと同時に星へ銃を向けていた男の頭に矢のようなものが刺さり、ゆっくりと後ろに倒れていく。
広がっていく血だまりを前に顔色一つ変えず、星は血だらけになったバットを前に汚れが落ちるかどうかの心配をしていた。
「もう、星ってば! 危ないことしすぎ!」
「俺たちはお前に暫く帰って来るなとは言ったが、街から離れろなんて言っていない。立場上巻き込まれるだろうから休めと言ったんだが」
ボウガンのようなものを持った桃色の髪の少女と、目元に紅を指した青年。ふたりが姿を見せると、星はごめんごめんと軽く口にする。それから裏地に黄色の入った外套を受け取って羽織ると、刺繡されたロゴがくっきりと目に飛び込んできた。それはほぼ、答え合わせと同義で。
「……なるほど、」
確かに「良い」拾い物をしたらしかった。
入っているロゴは隣街の星穹ファミリーのもの。
ボスと側近たちの外見情報は異常なまでに箝口令が敷かれており、サンポですら知り得る情報はボスがうら若いという事だけ。
それから、ボスにしては珍しく自分から最前線に立つといった人物像。
(暫く帰って来るな、って言われて)
(立場上巻き込まれるだろうから休めという意味だ)
隣街からすぐの所に倒れていた星。
裏社会の話を聞いても顔色一つ変えない姿。
星穹ファミリーの下っ端が起こした内部告発に連なる大規模な粛清。
暫く帰って来るな、巻き込まれる、という言葉。
ここまで状況証拠が揃ってしまうと、いかに非現実的な事であろうと否定は出来なくなってしまう。
星が──星穹ファミリーのボス、という訳だ。
「それで、」
ずかずかと迷いなく歩き出した星がサンポの前で止まる。いつから此方に気付いていたのか、なんて野暮な質問はもう要らなかった。ぐいっと星の手がサンポの胸倉を掴んで、距離だけを見ればまるで唇を寄せて今にも口付けを交わさんとする恋人のよう。けれど二人の間に甘い空気なんてものはひとかけらも転がっていない。あるのは淡々とした瞳と、道化の仮面を被った笑みだけだ。
「私は、命は大切にするべきだと思う」
「おお怖い。貴女、脅しみたいな事も言えたんですねえ」
「ファミリーのひとにこう言えって教わった」
「……それを口にしたら台無しでは?」
そうかも、と口角を上げる姿。それは奇しくもサンポが初めて見る星の笑顔であった。
善性を持ちながらマフィアのボスに座するいびつな存在。なるほど、それはこの街では得られない愉しみに他ならない。
「せっかく拾った命なら、大事にしていれば良いと思う」
「ではお客様、僕に何をお望みで?」
「──……」
それは荒唐無稽にも思えるような計画であった。ざっくり纏めれば、星穹ファミリーが望んでいるのはここ隣街のファミリーと友好関係を結ぶ事らしい。マフィアが裏で経済を支配する街同士で結ぶ友好など、事実上の外交のようなものだ。この上層部と下層部に分かれた権力構造の荒れた街と手を取り合おうとしているらしい。他の目的もあるだろうが、現時点でも既に夢物語のように聞こえる話であった。
できるのか、できないのか。
星の目がそう問いかけてきている。
「そうですねえ、代金はこれくらいでしょうか」
言ったでしょう、お金さえ頂ければ何だって揃えられると。
サンポがにこりと微笑めば、星が満足そうに目を細めた。
「私たちは裏切り者には容赦ないから、裏切るなら気を付けて。適当な仕事をしたら海に投げて消すから」
「裏切る前提ですか……まあ、貴女よりも金払いの良い顧客が現れるのであれば考えるかもしれませんねえ」
じゃあ、交渉成立だね。
そう言いながら、星はサンポの胸倉を掴んでいた手を離した。
離れていくその手のひらを捕まえたサンポは手の甲にそっと口付けを落とす。
形ながらの忠誠ごっこに、星は白けたように首を傾げている。
「お気に召しました?」
──すべて吞み込むのは、どちら。
交わした視線の奥で、怪しい光がすっと輝いては消えた。