コーヒーと服と間接キス「あ」
「え」
ベロブルグの街角で、星はブラックコーヒー片手に呑気に歩いていた。前に年上の綺麗なお姉さんたちがコーヒー片手に街を歩いていたのが格好良くて真似してみたかったのだが、星は開始十秒でその行動を後悔する羽目になる。
ベンチでブラックコーヒーを堪能するために角を曲がろうとした瞬間、勢いよく角の向こうから出て来た人影とそれはもう漫画やドラマで見るくらいの綺麗な正面衝突をした。違う。綺麗な、というより悲惨な、が正しい。考えて見てほしい、星の手には淹れたてほやほやのコーヒーが入っていたのだ。
「っ!? ちょ、あっつ、熱いんですけどぉ!?」
「ご、ごめん……?」
「疑問形にならないでもらえます!?」
勢いよく曲がって来た相手ことサンポの服に、星のブラックコーヒーは大きな染みを作ってしまったのである。幸いにも何かの帰りだったのか普段の訳が分からない構造の服ではなくラフな格好をしていたサンポだが、上着に出来た染みはおしゃれとかアートとか、その辺りの言葉で隠せそうにはないほど酷いものになっていた。
「……よし」
「あのぅ、この状況の何をもって「良し」と判断したんです?」
「? いや、弁償しようと思っただけ」
「ああ、決意の「良し」ですか……てっきり僕は気付かぬうちに貴女から相当恨まれていたのかとばかりに」
恨まれるような事をしているかもしれないっていう自覚があるんだ? と言いたげな星の視線はちゃっかりスルーされてしまう。服はぺらぺらと薄そうな生地だったのでもしもコーヒーで火傷しているのなら治療費までは出そうと思っていたが、下に防具を仕込んでいたらしく火傷はしていないとの事だ。相変わらず日中は何をしているのかが掴めない男である。
「まあ、僕も急いでいて前を確認していませんでしたから。両者に非があったということで、お互いに補填をしませんか?」
「私が服を弁償して、サンポがコーヒーを弁償してくれるってこと?」
「流石! 理解が早くて助かります。ですがコーヒーだけでは些か安いと思うので、スイーツか何かを付けるとしましょう」
「すごい、サンポが真っ当なことを言ってる」
「僕は常日頃から真っ当ですが!?」
◇ ◇ ◇
「次」
「はい」
「……ちがう気がする。つぎ」
「次ですね」
「これは……ううん……」
「次ですか、分かりましたよ」
「っ……!」
「苦虫を嚙み潰したような顔!?」
次、次、また次。
更衣室で大人しく星が持ってくる服を順番に着替えているサンポの顔が「また次ですか」と言いたげになってきているけれど、星だって別にサンポを着せ替え人形にして遊びたい訳では無い。
弁償するのなら同等くらいの服を買うのが当然だろうと色々見繕ったはいいが、体格が一回り大きいサンポの身体にサイズが合うのか分からずにあれこれ試着してもらったところ、驚きの事実が判明した。否、判明したというより前から薄々気付いてはいたが口にしたくなかった事実と言うべきだろうか。
「あのぅ、そろそろ試着ではなく普通に服を着たいんですが」
「……」
サンポ・コースキという男は、顔が良い。
黙っていれば。詐欺行為と普段の胡散臭い笑顔が無ければ。
顔が良いから何を着ても苛立つほどに着こなせてしまう。
試しに今店の端っこから掴んできた虹色の誰がどう見てもダサいと結論付けるようなTシャツを手渡してみたが、というかサンポも流石にそれを見て「えっ……?」と星のセンスを疑うような目でまじまじと見てきたが、星が本気でこの服を良いと思って選んだとでも思っているのだろうか。流石にそれはごめん被りたい。
「いやあ……流石の僕もこの虹色はどうかと思いますが……」
どうかと思うと言いながら、試着室から出てきたサンポは虹色カラフルなダサTを見事に着こなしていた。薄目でぼんやり見れば色彩がごちゃまぜになっていて気持ち悪いレベルなのだが、サンポの顔面を視界に入れた瞬間に服の混沌度合いを顔の良さが打ち消してしまっている。
「この格好で一回、シルバーメインの駐屯所前とか歩いてみない?」
「絶対に嫌ですが?」
「嘘。サンポ、一回真顔にできる?」
「真顔……真顔ですか、」
やってみるだけやってみますね、とおそらく要らない前置きをしながらサンポが胡散臭い笑みを消して真顔になった。ついでにハイライトもお亡くなりになっている。顔の良い男からハイライトが消えると迫力が増して圧が出るな……と謎に感動を覚えている星を、何とか言ったらどうだと言いたげなサンポがじっと見下ろしていた。無言で見つめ合うこと数秒、気まずそうに声をかけてきたのは店員。
「お客様、お決まりでしたらレジの方にて伺いますよ」
「じゃあこの虹色Tシャツで」
「ちょっと! それなら僕、自分でまともな服を買いますけど!?」
「冗談に決まってるでしょ。こっちの服で会計をお願いします」
結局サンポに星が選んだのは一番最初に試着した服であった。黒色のシャツに濃青のカーディガン。紅色のカーディガンと迷ったには迷ったが、普段のサンポの色味と何一つ変わらないため却下した。なお白色のシャツを選ばなかったのは再度コーヒーをぶちまける可能性を考えての事である。この理由をサンポに伝えた所、僕はもう一度コーヒーをかけられるんですか? とでも言いたげな顔をしていた。別にそんな予定はない。
◇ ◇ ◇
「さて、僕の番ですね。おすすめのカフェが行政区の外れにあるんです」
ようやく服選びが終わった事で解放された! とでも言いたげな顔のサンポがうきうきと歩き出す。元はと言えばサンポと星が互いに前後左右を確認して角を曲がっていればこんなに時間を使う事も無かったのだが、まあコーヒーを飲む事以外にやる事など無かった。
それにお金はベロブルグの通貨であるシールドだ、この星をそう遠くないうちに離れる星にとってシールドの価値はもうじき無くなってしまう。そもそも使い道を持て余していたからなあ、と思いながらちらりとサンポに目をやった。
別に価値を無くしてしまうのだから、そのうちシールドをぜんぶサンポの適当な儲け話につぎ込んでやっても良いかもしれない。シルバーメインの裂界生物討伐に助力しているから、何だかんだでベロブルグの一般市民たちよりもいい稼ぎを得ているのだ。突然星が大量のシールドを押し付けたら、サンポは動揺してくれるだろうか。
心の底から驚く顔を見てみたい、とそんなことを考えてみたけれど、何となくサンポはそれすらもポーカーフェイスで隠してしまうんじゃないかと思った。
あと、何だかんだで受け取ってくれない可能性も23%くらいはあるかもしれない。サンポが商売という名の詐欺で人々を引っ搔き回すことに重きを置いているのか、それとも手段問わず利益だけを求めているのかは、過ごした時間が長くなればなるほど分からなくなってしまった。つかみどころのない人だと思う。
「星さん? 考え事をしているようだったので声をかけませんでしたが、もう運ばれてきましたよ?」
「っわ、」
「すごい集中ですねえ。注文は済ませておきました、でも本当にブラックコーヒーでいいんです? 貴女、そんなに苦いものを好んで飲むようには見えないんですが……」
飲んだことくらいある、と星は宇宙ステーションヘルタで飲み残しのコーヒーを飲んだことがあることをサンポに語った。飲み残しである事だけは何となく気分で伏せたが、星がコーヒーを飲んだことがあるという話を訝しげに聞いていたサンポが「まあ、一口飲んでみてくださいよ」とブラックコーヒーの入ったカップを星の方に押し出してくれる。
「いただきます」
そうして一口飲んで──星は思いっきり咳き込んだ。
「えっ」
もう一口。苦い。とんでもなく苦い。そういえばヘルタで飲んだコーヒーには結局不思議な引力のようなものがあって、よく考えたら味をはっきりと覚えていない気がする。だが少なくともこんなに苦くは無かった。列車で姫子が入れてくれるコーヒーにはよく考えたらミルクが入っている。もしや自分はブラックコーヒーに全く慣れていなかったのでは?
「言わんこっちゃないですねえ。ほら」
サンポは星が両手で持っていたカップを片手でひょいっと取り上げて、空白を埋めるように自分のカップを差し込んでくる。口はつけていませんから、なんて丁寧な注釈つき。コーヒーと似たような香りがするそれを恐る恐る口に含めば、ふわりと甘い味がする。
「……おいしい」
「でしょう? 無理にブラックなんて飲まなくていいんですよ」
涼しい顔でブラックコーヒーを飲んでいるサンポを見るに、おそらく星がブラックを飲めない可能性を顧みながら飲み物を決めたのだろう。さりげない気遣いに気が付いた瞬間に口の中の液体を吹き出しそうになり、反射的に星は勢いよくカップの中身を飲み干す暴挙に出た。
「何してるんです!?」
「動揺しちゃっただけ、けほっ、大丈夫」
「ぜんぜん大丈夫そうに見えないんですが」
少なくともこのやり取りはお互いに弁償するという前提の上に成り立っているため、サンポが星に打算で優しくする理由が無い。それなのにわざわざ飲み物に気遣いを見せたのは。もしかするとこれもサンポの目論見通りなのかもしれないが、でも。サンポという人間の素のところが垣間見えたような気もして。
「……コーヒー、ぶちまけて良かったかも」
「もう一回やるぞっていう予告です!?」
「なんでさっきから私がサンポにコーヒーをかける前提なの?」
「冗談ですって」
元々予定のなかった休日だ。コーヒーをぶちまけた時にはどうなるかと思ったが、まあ、こんなはちゃめちゃな休日も偶には良いかもしれない。
◇ ◇ ◇
「……飲みかけのコーヒーを飲まれても何とも思わないあたり、貴女らしいといえば貴女らしいのかもしれませんねえ」
「何か言った?」
「いいえ! それより飲み物ばかりではケーキが冷めてしまいますよ?」