不可抗力「おや、あれは」
鉱区の外れを歩いていた時、前方に見つけた後ろ姿にもしやと思ったサンポが声をかけると、見間違える筈もない灰色の髪をした少女は紛れもなく星本人であった。
「星さん? こんな所で何を……」
「っ!?」
別に足音を消していた訳でもないというのに、サンポが近付く気配に気付いていなかったらしい星は大袈裟なくらいに肩を跳ねさせる。その拍子に星の足が傍にあった木箱にあたり、誰かが捨てたらしいコーラの空き缶がカーン! と落ちた。
「!?」
「おい、誰かいるのか!?」
「来て!」
まずい、と星が蒼褪めてサンポの腕を掴む。なるほど何かに集中しているとは思っていたが、張り込み中だったのか。それは些か申し訳ない事をした、とサンポがわざとらしく眉を下げた事にすら気付かないまま星は駆け出す。角を曲がった所でドンッと突き飛ばされた事に抗議する暇もなく、気付けばぎゅうぎゅうと押し込まれたサンポは星の下敷きになる形で狭いゴミ箱の中に入っていた。
──星と、二人で、狭いゴミ箱の中に入っていた。
大事なことなので二回繰り返しておこう。
「おい、誰もいないぞ。ビビらせんなよ」
「さっきの会話を聞かれていたら不味いだろうが」
「風で缶が転がっただけだろ」
「警戒を解くな。もしも……」
そんな声がすぐ隣、ゴミ箱の薄い側面を隔てた所から聞こえてくる。
「お仕事中だったんですね、申し訳ないです」
「声、出さないで」
サンポを睨みつける金色の双眸は薄暗いゴミ箱の中でもギラギラと輝いていた。口を閉ざせというように掌でむぐっと口を覆われたサンポは大人しく静かにすることに。暫く経ってからサンポが喋らないと判断したらしい星が手を離して体勢を変えると、それはそれで不味い事になった。
元々、大の大人が二人で入るには狭いゴミ箱である。星もサンポも自分の性別の中では背が高い部類に入るだろうし、回収直後だったからか箱の中は比較的清潔であるものの、サンポの上に乗っかっている星の頭がやや蓋を押し上げていた。男たちがふとした瞬間に不審に思う事を恐れたのか、星は蓋が開かないように身体をサンポにぴたりと押し付けてきたのである。
「(う~~~ん……これは)」
一周回ってサンポはとても良い笑顔になった。なにせ星が外を警戒しながらぴたりと身体を寄せてきている現在、サンポの顔に丁度当たるのが星の胸である。如何せん星の普段着は胸元が少しだぼっとしていて、ラインが出にくい恰好になっているのだ。
別に注視していた訳では無くて、ただ、サンポは(貴女、意外と胸があったんですねえ……)と感慨深さのようなものを覚えているだけ。そう弁解だけはさせてほしい……と何とか思考を逸らそうとしていた時であった。
「上と下の行き来が解放されてからシルバーメインの取締範囲が広くなりやがった」
「ったく、連日こんなんじゃやってられねえ!」
ガンッ! と八つ当たりのように箱を蹴られた事に驚いたのか、星の腕が反射的にサンポの頭を抱き込んだのは。煩悩を消し飛ばそうとしていた途端にこれである。運命の神様というものが存在するのなら、この瞬間だけは間違いなくサンポの理性を試しにかかっているのではないだろうか。服の上からでは分からなかったサイズ感を前にD……いや、E……? と考え始めてしまった所で我に返る。
「(まずいですねえ……何がとは、言いませんが)」
主に下半身で存在を主張し始めたそれが、星の足にぐいぐいと当たる位置にあるのがなお不味い。お姉さん、それ以上刺激されると僕も貴女も困る羽目になるんですが……と届かぬ願いを心から送った所で、外に意識が向ききっている星が気付くはずもない。本当にこのひとをどうしてやろう、と散々劣情を催している現状がいつまで続くのやら。胸元に顔を埋める事になっているせいで石鹼のような香りが鼻孔をくすぐるのも欲を煽り立ててくる一因で、最早キレかけていた頃合いに。
「サンポ」
突然星からひそひそと囁かれて思わずびくりと肩が跳ねる。
「はい!?」
「ポケットに携帯か武器でも入ってる? 足に当たるからちょっと硬くて」
「……はい、まあ、そんなところです。そうです」
「? そんなに肯定しなくても。別に痛くはないから」
勝手に携帯だと勘違いしてくれているのなら、もうそれでいい……と最早諦めすら湧いてきて、サンポはお手上げのポーズを取った。
「おい、そろそろ行くぞ」
「ようやくお呼ばれか」
元はと言えば彼らのせいでこの狭いゴミ箱に押し入る事になったのだが、その声が今のサンポにとっては救世主のように聞こえてならない。暫く沈黙が広がった後、溜息を吐いた星がゴミ箱の蓋を開けると新鮮な空気が入って来る。
「はあ、見つかるところだった……サンポ、何でこんな所にいるの?」
「……はは、僕は丁度仕事が終わった所で星さんの後ろ姿を見かけたものですから」
「そう。次から、依頼中かどうか見極めてくれると助かる」
「勿論です」
ガタガタと音を立てながらゴミ箱の縁に手をかけて、星はひょいっと箱の外に出た。
「ん」
後ろからサンポが着いて来ない事に気付いたのか、一拍遅れて振り返った星から手を差し出される。しかし、星にはとてもじゃないが言えない。まだ勃っているから出られないと。
「どうしたの? 箱に押し込んだ時に変な所でも打った?」
「いえ全く! かすり傷一つありません。ゴミ箱に押し込まれるのが初めてだったもので、ぼんやりしていただけです……それより、あの人たちを追わなくていいんですか?」
「あっ! ごめんサンポ、急ぐからまた」
依頼中だったことを思い出したのか、星はサンポに差し出していた手を引っ込めると驚くべき速さで走り出した。途中で一度だけ本当に怪我はしていないだろうか、とでも言いたげな顔で星が振り返って来たので、サンポが笑みを張り付けたまま手をひらひらと振ってやると何事も無かったかのように去っていく。完全にその後ろ姿が見えなくなってから漸くサンポはゴミ箱から出た。
「……」
すっかり元気になってしまった自分に、頭を抱えながら。
「……全く、良いおかずの提供に感謝しますよ」
帰って風呂入るついでに多分星ちゃんの胸の感触思い出して抜いたんじゃないんですかね
◇ ◇ ◇
あったら私得だな……っていうIFシーンです すみません 欲が 赤面見たくて
見つかったらまずい、と外を警戒している姿に悪戯心をくすぐられたサンポは、星の背に腕を回すとそのまま指先を項に這わせた。
「ひゃっ!?」
ちょ、サンポ、と微かな声で抗議されるが、あいにくサンポは星本人に顔を抱き込まれているため聞こえないふりである。此処で初めて自分からサンポに胸を押し当てるような体勢になっていた星がパッと腕を離して飛び退くと、その拍子に頭が蓋に軽くぶつかり音を立てた。
「……な、なんだ?」
「おい、気味悪いしもう行こうぜ」
功を奏したのか、何なのか。気味悪がった男たちが離れていったあと、暫くサンポを下敷きにしたまま黙り込んで俯いていた星が漸く顔を上げた。その顔はあられもない声を上げてしまった事、それともサンポに胸を押し当てるような体勢になっていた事だろうか、どちらかは分からないがとにかく羞恥で赤く染まっている。
「……さいてい、声を出したらバレるかもしれないのに、ほんとばか、」
現状をもう一度説明しておこう。
顔を赤らめた星が、サンポの上に馬乗りになっているのだ。
ひそひそ声のせいで言葉尻がやや舌足らずに聞こえてしまうのもよろしくない。
サンポだって健全な男なのだから、この状況で邪な妄想をしないというのは無理な話である。
「……責任は五分五分ですよね」
「?」
「いえ、此方の話です。彼らを追いかけなくていいんです?」