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    ミヤノコウ

    @mitsuhoshi_myn

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    2023.5.15 デイビットと神の話 約1,200字

    Io non ho mani che mi accarezzino il volto 神とは人類の発明であり、戒律とは特定の集団の慣習である。祈る、なにかを禁ずる、赦す、そこには原初の理由があり、それを民衆に噛み砕くため、啓蒙するために神は生まれた。やがて政治の道具になった。時の権力者は敬虔な者たちを利用するために神を物語に組み込んだ。神は上に立つ者の舌先に威厳を付与するための重石となった。代わりに天を司るモノという肩書きを与えられた。神はそうやって人類を超越した天上の存在として定義されていく。
     靴下は必ず右から履く、たとえば神がそう宣ったとしよう。民草は喜んで靴下は右から履き、左から履くものを追い立てる。そこに合理性がなく原初の理由が見当たらずとも慣習のひとつとして馴染む。かがむ、靴下を広げる、その指先の流線に美が見出されていく。神に祈る言葉が時代を経るごとに増える。言葉は人々の思考を補強して、だれもかれもが舌先で神を紡ぎ祝福のうすいヴェールをまとうようになる。そうやって積み重ねられてきた時代の新たな層の末端に十歳のデイビットは暮らしていた。
     人は神に寄り添った。科学の発展ののちも物語を語り継いで、経典を焚くことはなかった。神も人に寄り添ってきたといっていい。神は人の生活に溶け込んだ。靴下を右から履くような些細な慣習のそこかしこに神が宿り、静かに輝いてはかすかな安寧を与えていた。
     そのことにデイビットが気づいたのは輪を弾き出されてからだった。
     神の息吹は消えた。
     デイビットはなにも恨まなかった。――天上の手はこの顔を二度と撫でることがないのだと悟っただけで。

     太古の地底、偽物の太陽が頭上をムカデのごとく這い回る。祝福のヴェールを剥ぎ取られ、人類の輪から弾き出されて何年も経った。呼び声は天上に届かない。この毒気に満ちた地底からであればなおさら。だれの助けも得ることなくおのれの責務をひとりで果たすはずだった。これまでの圧縮された道程と同じように。
     そういう戦士の声に、唯一応じた者。
    「オイ、寝ぼけてるのか?」
     白く冷えた手の甲がデイビットの頬を二度打つ。
    「オレはしばらくシティだ。イスカリに教えなきゃならないことが山ほどあってね。ゼイタク極まりないが、テスカトリポカはいかなるものかをたった一年で、オレが、直々に教えてやるのさ。デイビット、オマエは……なんだ、随分機嫌がいいな。面白い計画でもあるのか? もったいぶるな、教えろよ」
    「いや――」
     時の宣教師に大悪魔の烙印を押された者。戦いの種が育まれるのを喜び、争いの炎を眺め、息絶えた戦士の魂を安息の場に導く者。あらゆる戦士へ苛烈な試練を課すゆえに、天秤を携えてやってきた者。
    「おまえも神だったな」
     遠く過ぎ去った神がだれのものでもなかったように、全能神テスカトリポカもデイビットだけの神にはならない。その手は決して安寧をもたらさず、戦火のさなかの絶命を強いる。
     だがデイビットはこの神を選んだ。彼にとって神はひとりしかいなかった。



    Mario Giacomelli: Io non ho mani che mi accarezzino il volto
    わたしにはこの顔を撫でてくれる手がない
    ******
    ・マリオ・ジャコメッリの同タイトルの写真を見たときに思いついた話。
    ・「親や育った環境から与えられた信仰はその子が選んで得たものではない。だからその信仰はその子のものではない。大人になったとき、人ははじめて自分の神を選べる」と話してくれた方がいて、それが話の下敷きです。
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