ぱちりと目を開ければ明るい日差しの差し込む寝室の見慣れた天井。
いつも授業をサボって寝ていることが多いせいか、レオナは朝に弱いと思われがちだがけっしてそんなことは無い。寝たいから寝て、起きたい時に起きる。レオナにとって睡眠とはスイッチをパチンと切れば落ちるもので、あらかじめ起きたい時間を脳が認識していれば時刻通りに勝手にまたスイッチが入れられて目が覚めるものだった。
何度か瞬きをしてから枕元のスマホで時計を確認する。朝六時まであと五分ほど。丁度、昨日寝る前にジャミルが起きる予定だと宣言していた時間。そのジャミル本人と言えばレオナの右腕を枕に、殆ど脇に顔を埋めるような形でぴったりとくっついていた。息苦しくないのかとも思うが、緩やかに上下する肩からして大丈夫なのだろう、たぶん。抱き着くでも無く両手を胸の前に縮こまらせてレオナに身を寄せる姿はきっと寒いからだろう、今日は秋にしては冷え込んでいる。レオナ自身も少しの肌寒さを感じて掛布を肩まで引き摺り上げてからジャミルを抱え込む。寝入っている身体はぽかぽかと暖かかった。
そうこうしている間に六時を告げるアラームがジャミルの頭の傍に置かれたスマホからけたたましく鳴る。思わずその騒がしさに耳をへたらせて顔を顰めつつも暫く様子を伺うがジャミルが起きる気配はない。これだけの騒々しさの中でぴくりとも動かずに寝ていられるようになったのはつい最近の事だという事を知っている身では、それを咎めることも出来ない。
耳に痛い電子音を五分ほど堪えてから、腕を伸ばして画面に表示されたアラームの停止ボタンを押す。一応、スマホはきちんと仕事をこなしたと言うには十分な時間だろう。後は謹んでレオナがその役目を引き継げば良い。
抱え込んだ身体をゆうるりと揺らしてみる。のそり、もそり。
反応は無い。
それならもう一度。
のしりと少しばかり体重をかけて船を漕ぐようにゆったりとジャミルの身体を揺らす。今度は反応があった。
もぞもぞとむずがるように揺れた頭がますますレオナの脇の下に埋まろうとしてめり込んで行く。覚醒を拒むまるで幼子のような仕草につい吐息が笑みに揺れた。
「ジャミル」
あちらこちらに散らばる真っ直ぐな黒髪に指を入れながら名を呼べばくぐもった唸り声が聞こえるがそれ以上動く気配が無い。体の下に敷かれていない髪は複雑に絡んでいるようで指で梳けばするりと滑らかな手触りを残して手の中から落ちて行く。きっと絡むことなど無いのだろうが、これ以上折れ曲がらないように背へと流してやり、ついでに顔面をも覆う艶やかな黒を指でそうっと払えばカフェオレ色の頬から顎のラインが覗く。あまり肉付きが良いとは言えないその頬をのラインを辿るように、緩く指の背で撫ぜた。
「ジャミル、朝だぞ。六時に起きるんじゃねぇのか」
髪の合間から見えた耳朶についでとばかりに唇を落として囁くと、ようやくもぞりと腕の中の身体が身じろいだ。それからまた唸り声。ゆっくりと水中でもがくような動きのジャミルを助けるようにそっと肩を押して仰向けにしてやれば酷い顰め面で瞼を伏せたまま唸っており、そのあまりにも気の抜けた顔にますますレオナの頬が緩む。
「ほら、起きろよ」
顔面にべったりと張り付くような黒髪を除けてやれば唸りながらもうっすらと開かれる瞼。常の半分も空いていない眼が数度瞬き、それからレオナを捉えた。
「オハヨウ」
不細工な生き物になっているジャミルに噴き出しそうになるのを堪えながら朝の挨拶を向けてみる。殆ど睨むような目つきでレオナを見ていたがジャミルがおもむろに唇を開いた。
「……だから、タコの足はウツボの眼と一緒に綿飴にしたら白い花が咲くって言ったじゃないですかあ……」
そうして今度は自らレオナの身体にしがみつくような勢いで張り付き胸元に顔を埋める。背に腕を回すばかりかがっちりと足まで絡みついてまるでレオナは抱き枕だ。
「なんつー夢見てんだお前」
流石に耐え切れずに肩が揺れた。しかし当の本人はレオナを抱えたまま寝心地の良い場所を探してまたもぞもぞと掛布の中に埋まっていく。
「ほら、起きろ。困るのはテメェだろ」
「やだぁ……俺も玄関の扉食べたいです……」
「どういうことだよ」
ジャミルは随分と奇想天外な夢を見ているらしい。暫くこのわけのわからない寝言を聞いてみたい気もするが、此処で起こさないと困るのはジャミルだろう。本当ならば、自分で起きないのならばこれ幸いとレオナのやりたいように寝ているジャミルの温もりをぬくぬくと抱えながら寝言を堪能してやりたいところだが、ジャミルが起きられないのはレオナのせいなのだと言われてしまえばそうも言っていられない。
曰く、スカラビア寮の自室にいる時ですら、普段ならば物音一つで目が覚めていたというのに、レオナの隣で眠るとそれが叶わないのだと言う。レオナにとってはこれ以上ない殺し文句だ。「他人と同じベッドでなんて気が休まらなくて眠れない」などとのたまっていた男がこれだけ警戒心も何もあったもんじゃないくらいに熟睡するようになったのはつまり、レオナへの信頼の証だ。多少寝過ぎだとも思わなくも無いが、かつて隠しきれない毒を滲ませ警戒心も露わに威嚇の笑顔を浮かべていた男が随分と懐いたもんだ。
「どうせ後でぐだぐだ文句言う事になるんだからさっさと起きろ」
「うぅぅ……」
ぴったり張り付く体を引き剥がし、不細工な面に幾度も唇を押し付ける。流石に顔面への刺激は多少意識の覚醒を促したらしく、再び不服気な眼がうっすらと開いてレオナを見た。
「……れおなせんぱい」
「おう、レオナ先輩だ」
「ねむいです」
「知ってる」
「おやすみなさい」
「テメェが六時に起きるって言ったんだろうが」
「あとさんじかんでろくじだとおもいます」
「現実を見ろ」
「ねむいぃぃ……」
「そんなに眠いなら六時起きは諦めるか?」
「やだあぁぁ……」
「面倒臭ぇ」
こんなぐずぐずになって駄々を捏ねているジャミルの姿を他に誰が知っているだろうか。きっとカリムですら知らないのではないかと思う。普段の「デキる従者」を装ったジャミルの姿しか知らない人々に見せびらかしてやりたい気持ちもあるが、レオナだけが見られる特権ならば大事に噛み締めたい。ただ、いつかこの姿を録画して本人に見せてやったらどういう反応をするのかは見て見たい。
もっと手荒に揺さぶってやればジャミルも早く覚醒するだろうに、なんだかんだと起こしているようで寝心地の良い場所を奪わずにいるのは、レオナ自身がこの時間を楽しんでいるからに他ならない。
のらり、くらり。まったりのったり。意識が睡魔に攫われる前には揺り起こす物の、それ以上の決定打は与えずに暫く寝惚けたジャミルとだらだらと絡まる事しばし。やっとのことではっきりとジャミルが目を覚ましたのは既に六時半を回った頃合いだった。
突然がばりと掛布を跳ね除ける勢いで起き上がったジャミルがスマホの時計を確認し、それからレオナを見る。
「なんでもっと早く起こしてくれなかったんですか!?」
スマホのアラームに五分も反応が無かった男が全てのレオナが悪いと言わんばかりに文句をつけ、そのままばたばたとベッドを飛び出して身支度を始めた。あれだけ懇切丁寧にジャミルを揺り起こそうとしたレオナの苦労を一切理解していないその様に、次は本当に寝起きの様子を録画してやろうと心に決めながら欠伸を一つ。ジャミルの温もりが無くなったベッドはひんやりとした空気が纏わりつく。もそもそと掛布にくるまり横になりながらあっという間に服を纏い、魔法でするすると髪が編み込まれて行くのをただ眺める。為すべきことを為してしまえば、再びレオナの眠気スイッチに手が伸びていた。早起きしてやる事も無し、ただ起きて時間を持て余すよりも睡魔に身を委ねた方がよっぽど有意義だ。
「ちょっと先輩、せっかく早起きしたのに二度寝する気ですか!?起きてください!」
すっかりデキる従者の顔になったジャミルがお節介にもレオナの肩を無造作に揺する。遠慮も何もあったもんじゃない強さ。
「俺はこんな時間に起きる必要ねえんだよ」
「そうやって寝たらまた授業サボるでしょう?」
「起きられたら行くさ。起きられたらな」
「絶対起きないやつじゃないですか」
どれだけ揺さぶられても起きる気が無い事を悟ったジャミルがまったくもう、と母親のように溜息を吐く。つい先ほどまでの可愛げは何処へやら、それが面白くもあり、覚えてろよという気持ちにもさせられる。
「俺のことより、テメェは急いでるんだろ」
「そうですよ先輩に構ってる暇なんて無いんです!」
「ならさっさと行ってこい。……ああいやちょっと待て」
離れようとするジャミルの手首を掴んで引き留める。冷えた室温に晒された肌はもう先ほどまでのような暖かさは無くなっていた。
「何ですか?」
ちらと時計を見ながらも踏み出しかけた足を留めてレオナを見下ろす顔へと、身を起こして顔を近付ける。ただ唇に唇を押し付けるだけの幼稚なキスを一つ。
「おはようダーリン」