ラブ・ロマンスには程遠い 番外編少し涼しくなってきた気候の中、外から来た客の体を冷やさぬようにとやや過保護に設定された暖房の暖かさが広がり、意図して照明を少し絞り気取った雰囲気を醸し出している空間から、揚げ物や肉を焼いたような匂いがほのかに漂っている。
客層はまばらなようで、見た限りではサラリーマン風の若い男や自分より少し年下ぐらいの年齢の夫婦、延々お喋りを続けている若い女二人組…平日といえどまだ夕刻なためか、中学生ぐらいの男児を連れた母親も見える。
米国風の気取った店内からは聞いたこともない洋楽が流れ、設置されている木の椅子は洒落ているものの見るからに硬そうで、座り心地は期待できなさそうだ。
……それにしても、一体何年ぶりだ?まさかこの歳でハンバーガーを食う羽目になるとは。
どうしてこんな所に来ているのか。ここに来るにあたっての経緯としてはこうだ。
毎週恒例の上映会をしている最中、とあるアクションミステリー作品のシリーズものが足立と俺の嗜好に合致し、シリーズの最後作まで配信で楽しんだ後、あいつがどうやら最新作が近日上映するらしいという情報を掴んだ。そう聞いてどうせなら映画館で最新作を楽しむというのも面白そうだと思い『なら、観に行くか』と提案してみれば『いいですね』と二つ返事で返してきたのが数週間前のこと。
というわけで、今日の朝に『早く帰れそうだから、前言ってた映画に行くぞ』と宣言したところ、何やら面を食らったような顔をして『唐突過ぎません?』『昨日からカレー炊いてるんすけど』などと想定内の文句を言ってきたため『前から行くって約束してただろ』『カレーならまた明日にでも食えるじゃねぇか』とやや強引な説得をかまし、あまり納得はいっていないようで口をへの字に曲げながらも『わかりました』という同意を得られ、どうにか観に行く約束を取り付けられた。
確かに唐突だとは自分も思うが、これにだって一応理由がある。
実は足立がここに来てから一緒に出掛けようと持ちかけるのは今回が初めてではない、過去二、三回誘っている。しかしその度『その日は用事が』だの『外せない約束があって』だのと上手いこと躱され続けていたのだ。なので、事前にこいつのスケジュールを把握しつつ逃げられないよう確実に空いてる日をその場で確保した、というわけだ。こいつが前の晩からカレーを用意していたのも当然知っていたのだが、まあ、カレーは二日目ぐらいの方が美味いからいいだろう。
そしてそのまま宣言通り六時前には帰宅し、仕事着からよそいきの服に着替え、足立を連れて沖奈まで車を走らせた。
その道中に、まだぶちぶちと文句を垂れ続けている奴を黙らせるため『文句言う暇あったら向こうで何食うか決めとけ、お前の好きな物でいいから』と告げたところ、ピタッと口の動きを止め、スマホで探しあっという間にどこで食べるかを決めてきた。
そしてショッピングモールに着き、足立の案内の元来たのがこの、ハンバーガーの店というわけだ。
赤を基調とした派手に彩られている大きなメニュー表の隣にはくるくると回転するこれまた大きなハンバーガーの置物が鎮座している店の入口を見た時は何の冗談かと思ったが、どこか楽しそうにメニュー表へと歩み寄り何を食べようかと覗き込んでいる足立を見る限り、どうやら本当にここで今日の夕飯をとるらしい。
てっきり回転寿司に連れて行かれるか、あるいは蕎麦屋にある鰻を所望してくるかと予想していたのに。これは流石に想定外だ。
「ねー堂島さんは何食べるんですか?僕もう決めちゃいましたよ」
にこりと笑いながらメニュー表から顔を上げて催促してくる足立に、仕方なく奴と同じようにメニューを一通り眺めるも、案の定目が滑る。普段食べない上に、こういうカタカナばかりを並べた文字列を見るのは苦手だ。
「……なんでハンバーガーなんだ?これならジュネスにも似たようなのがあったはずだろ」
どうも頭に入ってこない品書きから一旦意識を外すためにも話題を変えようと、ずっと抱いていた疑問を足立に投げかけた。
「ジュネスのってビッグバンバーガーでしょ?あんなん何処でも食べられるじゃないっすか」
「……ここと一体何が違うってんだ」
「えー全然違いますよぉ。ほら、バンズ選べたり追加でトッピング出来たりするんですよ」
言いながらメニューの一部を示す足立の指を目で追うと、どうやら具材を挟むパンを好きに選択できるらしい。
……あのパン、バンズっつーのか。
「あー……俺はよく分からんから、お前が俺の分も決めてくれ」
「いいんですか?」
「ああ、適当にお前のオススメでも注文してくれ」
説明を受けたところで既に脳が拒否し始めている頭では決断は難しいと考え、足立に託す事にした。
すると一瞬、ニヤッと奴の眼がいやらしい事を考えている時によくなる目付きになったように見えた。
「了解っす!じゃあ入りましょ!僕もうお腹ぺこぺこですよ〜」
「あ、ああ……」
あの一瞬はなんだったんだろうか。
……見間違えだといいのだが。
* * *
足立に注文を任せると『注文してる間適当な席取っといて下さい』と安い仕事を与えられたため、店内を見渡した時に比較的目立ちにくい位置を探し席に着く。先程思った通り、やはり座り心地の良くない椅子だ。年配が座るには座面が硬すぎる。
程なくして、注文を終えたらしい足立が軽い足取りで真四角の机に番号の書いた札が挟まったメモ立てを置きながら正面に座った。食べ物が出来上がるまで少し待たなければならないようだ。
適当な話題で談笑しながら待っている間も、足立は妙に機嫌が良さそうに見える。
「随分ご機嫌だな。そんなに食いたかったのか?」
「…そうなんですよ〜!いや実は前にテレビでハンバーガーの特集してたの見ちゃいまして、美味しそうだな〜って思ってたんですよねー」
俺の問い掛けに一瞬間があった後、わざとらしく明るく振る舞いながら理由を述べる足立にどうも引っかかりを覚える。この笑い方は、刑事時代にサボりを誤魔化す時よく使っていたそれだ。
「お前、何か…」
「お待たせしました!クラシックバーガーのセットとDXベジタブルバーガーのセットです!」
問い詰めようとした瞬間、店員がよく通る声で割り込んできた。注文の品を運んで来てくれたらしい。
机の上にドンと置かれた盆の上に乗っているハンバーガーが、何やら、でかい気がする。
「ご注文の品以上でよろしかったでしょうか?」
「はーい、大丈夫でーす」
「それではごゆっくりどうぞ!」
最後までハキハキと笑顔の店員に対して足立がヘラヘラと愛想笑いを浮かべて見送った後、改めて運ばれてきたハンバーガーに目を向ける。
両方とも中々の大きさだが、やはりどう見ても二つのうちの一つが馬鹿みたいに大きい。数年前、まだ菜々子が家にいる時にねだられて買ったあれと比べても3倍ぐらいの高さがありそうだ。上部のパンの中央に差し込まれている赤い串のおかげでどうにかバランスを崩さず形を保っているように見える。
思わぬ物体の登場に慄いていると、信じられない事に足立が籠に入れられたその巨大な物体を俺に押し付けるように差し出してきた。
「おい!どういうつもりだ!」
「どうもこうも、こっちが堂島さんので、こっちが僕のなので」
そう言って足立と俺の前にある普通サイズのものと巨大サイズのものを交互に指差しながら説明され、しまった、してやられた、とこめかみを押さえた。
見間違えなどではなかった。あの時自分の勘を一瞬でも蔑ろにしてしまったのが恨めしい。
こいつ、俺がこれ食うのを見て愉しむためにわざと選んできやがったな。
「お前、五十のおっさんにこの量食えってのか!?」
「でも堂島さん、昔僕が昼飯にパン買ってきた時パンなんかじゃ腹が膨れない〜とか文句言ってたじゃないっすか。だからせめて大きいものをと思いまして…」
「十年も前の話だろ!」
「そんな食べる量変わってないじゃないっすか〜。ほら、挟まってるのだってほとんど野菜だし、量の多いサラダだと思えば大丈夫ですよ。最近野菜不足気にしてたし、ちょうどいいでしょ?」
「そういう問題じゃ……ああ、クソッ!」
ああ言えば、こう言う。こいつのこういった意地の悪さに関してはとことん嫌になる。
俺が目の前の厄介者に対し暫く頭を抱えていると、何故かそいつが、はぁ、とわざとらしい溜息を吐いてきた。
「……なーんか今日の堂島さん、我儘ですねぇ」
「あ?」
聞き捨てならない台詞をボソリと言われ、思わず眉がぴくりと動く。
「朝から急に映画行くぞーって自分の都合でここまで連れてきて、好きなもん食っていいって言ったのにいざ選んだら不服そうな顔ばっかして、挙句の果てには僕に注文丸投げしたクセにケチつけてくるんだもんな〜」
「そ、それは…」
「大の男が二言ばっかで、かっこ悪いなぁ〜」
わざとらしく肩を竦めながら再度大きく溜息を吐く。あからさまな挑発行為に思わず手が出そうになるが、確かに足立の言ってること自体は間違いではない。ここまでの経緯は全て俺の責任でもあるため、こいつを責められず振り上げそうになった手を膝に起き、グッと堪えた。
「…………悪かったなぁ、我儘に付き合わせて。こんなとんでもねえもん頼んでくれて、ありがとよ」
「いーえ、どういたしまして♡」
せめて一言ぐらい何か言ってやらないと気が済まなかったため、俺なりに最大限の嫌味でチクリと刺してやろうと投げかけた言葉だったが、満面の笑みであっさりと躱されてしまいなんだか全てが馬鹿らしくなってきた。
改めて目の前のハンバーガーと向き合えば、先程までのやりとりで無駄に疲労したせいか、今なら完食出来そうだという気持ちも湧いてくる。やけ食いにはちょうどいいサイズかもしれない。
しかしこの大きさ、どう食べるのが正解なんだろうか。
ハンバーガーを包む紙ごと持つにも、高さのせいで持ち方に悩む。いっそ上から押し潰して無理やり一口でかじられるサイズにするのも手だ。挟まった具が飛び出さないか心配だが。
何気なく目の前の男に目をやると、悠々と美味そうにハンバーガーを頬張っており、俺の視線に気付くや否や『アレ?まだ食べないんですか?』とおちょくってきた。この短時間で舐めた態度を取られすぎているせいか、最早ろくな怒りも湧いてこない。
いつまでもにらめっこしている訳にもいかないため、覚悟を決めて両手で上から押し潰すように掴みながら何とか食べられる高さへと無理矢理調整し、前から飛んでくる『食べ方男らしいっすね〜』という耳障りな野次を無視して具がこぼれ落ちそうになっている部分にかじりつく。
昔菜々子と食べた時の、いかにも添加物の多そうな濃い味を想定していたが、味付けは思いの外シンプルで、ハンバーグも分厚くしっかり肉の味がする。玉ねぎやトマトやレタス等、野菜が多いためかボリュームのわりに食べやすいかもしれない。
「意外といけるでしょ?」
「……まあまあだな」
ほらね、と言いたげな顔をされ素直にそうだと答えるのも癪なので素っ気ない返事だけを返した。悔しいが、結構好きな味ではある。
程々に食べ進み、一旦口直しに飲み物をストローを通して口に含むと、飲み慣れない甘ったるい薬のような味がシュワシュワと口内で弾けた。
「……コーラにしたのかよ」
「ハンバーガーといえば!って感じしません?」
「お前のそれもコーラか?」
「僕のは烏龍茶です」
なんでだよ!なら俺のも烏龍茶にしとけ!などと、言えばまた我儘だの男の二言だの返されるに決まっている言葉をハンバーガーと共に噛み砕き、コーラで喉の奥へと流し込んだ。
「そういえばこの後ってどうするんすか?食べた後、結構時間ありますよね」
足立は三分の二ほど食べ終えたらしい小さい半月のような形になったハンバーガーを片手に携えたまま、もう片方の手で備え付けのフライドポテトを摘み上げながら聞いてきた。
俺も彼の真似をして同じものを口に運ぶ。少し冷めてはいるが、カリカリとしていて塩加減が絶妙だ。一緒に添えられているケチャップとの相性も良い。少し酒が欲しくなる。
「服屋に行こうと思ってる」
「へー、珍しいっすね。オシャレして出かける予定でもあるんすか?」
「違う、俺じゃねぇ。お前の服見に行くんだよ」
「へ?」
一定の感覚でポテトを摘んでいた足立の手が、ピタリと止まる。
「お前、冬服全然持ってねぇだろ。折角だから今日全部買っとけ」
「い、いいですよ別に。冬のは重いしかさばるから荷物になるし……今までもネットで買ってたんだからまたネットで…」
「ダメだ。お前が選んだらまた白だの黒だの、味気のねぇもんばっかになるだろうが。だから今日は俺も一緒に選んでやる」
「ゲッ……」
足立が分かりやすく嫌そうに顔を歪めたが、その程度で俺の意思は変わらない。例え直接嫌と口に出して言われようが、強引に引き摺って行くつもりでいる。
前々からこいつの服装が少し気掛かりだった。何度か俺がこいつ宛ての宅配物を受け取ったこともあるのでネットで購入しているのは知っていたが、毎日代わり映えのしない無彩色の装いばかり身にまとい、地味を通り越して暗い印象があるのだ。このままだとこの先見ず知らずの人間に対してもあまり良いイメージを与えられないだろう。
今こいつが着ているフードの付いた黄色の上着も、見かねて俺が買ってきてやったものだ。我ながらよく似合っていると思うし、もっとこういうのを着ればいいとも考えている。だからわざわざ飯を食っても服を選ぶ時間が作れるように、仕事帰りから即行で家を出たのだ。
「言っとくが、俺はもう連れてくと決めてんだからな。無駄な抵抗すんなよ」
「…………今日の堂島さん、ほんっと我儘……」
「たまにゃいいだろ?今日ぐらい付き合えよ」
足立は俺の言葉に思い切り顔を顰めたかと思えば、しょうがないですねと呆れたように笑った。その笑顔につられて自分の口角も上がる。
さて、この後の予定は無事確保できた。あとはこの手の中のものを頑張って処理せねば。そう思いながら、潰れて不格好になったハンバーガーを再び口に含んだ。
たまにはこういう晩餐も、悪くない。