特別な朝に side虎於―――
世界でいちばん、穏やかな朝だとおもった。
カーテンの隙間から溢れる陽のひかりの眩しさに閉ざされていた目蓋を薄く開けば、柔らかな髪が透けると共に映し出される柔らかな表情と一定間隔に聞こえる寝息に思わず口元が弛んだ。時刻はおそらく「おはよう」と言うには少し遅いのだろう。それでも、声を掛けて起こす気にはならなかった。普段ではまじまじと見ることのない目前にある寝顔をほんの少し、独り占めしていたいだなんて感情が湧いたからだ。……今までに幾度と女を抱いて秘密の夜を過ごし朝を迎えていたがそんなこと、一度だって思いもしなかった。一体なにが違うんだ、なんて考えは愚問なのだろう。
重力に落ちる横髪を起こさぬ様にとそっと掬い、指の背で頬撫でながら耳に掛けてみせ様子を伺う。ひそりと寄せ動く眉すら愛おしい。ああ……これがきっと、人を好きになるという気持ちなんだと寝起きたばかりの脳が理解する。そんなことを口に出したらどんな顔をするだろうか。いつものように吊り上げた眉で、肩を竦めて隠しきれずに照れるのか、あるいは……――まだ見たことのない一面が見られるのかもしれない。
「……好きだ、悠。」
聞こえないと知りながら呟いてみた。言葉にすると途端に身体の内側に熱が籠って言いようのない感情に見舞われる。自分の感情が、身体が、たった三文字でこんなにも揺さぶられるものだなんてすこし前まで知らなかった。バクバクと、心臓の音が部屋中に響き渡るんじゃないか、とさえ思うほどに鳴り続けている。
いつからだろうか。
たった三文字に意味が芽生えたのは。
いつになるだろうか。
素直にその三文字を面と向かって言えるのは。
未だ収まらぬ恥ずかしさを埋める様に、己よりも小さな身体へ腕を伸ばしゆっくりと抱き寄せてみる。腕中に収まるのを良いことに側頭部へと顔を埋め香る淡い匂いに安堵したのか徐々に幸福で満たされると、再び眠気に誘われ視界を閉じた。
偶像じゃない、やっと見つけた……見つけてもらった本当の自分だからこそ、言うまでに時間がかかっちまうのかもしれない。怖いことなんてひとつもないはずなのに。
だけどもう、リセットボタンは必要ない。
必要なのはもう一歩寄る勇気。そしたらきっと、そこにあるのは昨日までとはすこしちがう朝になるのかもしれない。なんてことを思いながらもう一度夢の世界へと意識が沈んでいく。
つぎ目を覚ましたらちゃんと伝えよう。
ふたりで迎える朝が、特別な時間となるように。