随分と腑抜けたものだなと思う。ブラッドリーではなく、傍に突っ立ったまま黙り込む男の話だ。木陰で昼寝を決め込んでいることに腹を立てているのかとも考えたが、それにしては魔力の揺らぎもない。自分は厄災の傷で眠れもしないというのに。以前北にいた頃なら問答無用で魔道具を取り出していただろう。
遠くに南の兄弟の気配を感じる。響いてくる笑い声は中央の子供のものだろうか。やけに平和で生温い。けだもののような男がでくの坊になるくらいには。
ブラッドリーにちょっかいを掛ける気がないのならどこかに行けばいいものを、男——ミスラは寝そべるブラッドリーの横に立ったまま動こうとはしなかった。何を考えているのかわからない。さすがに無視するのも限界があった。渋々目を開く。明るい日差しを背に、燃えるような赤髪がそよ風に揺れている。こちらを覗き込む顔は嫌になる程のどかだった。
「……何か用でもあんのか」
「はあ、そうですね」
黒く塗られた爪で縫い目のある首を掻きながらミスラがぼんやりと返事をする。緑の瞳がブラッドリーを見下ろしたかと思えば、何を考えたのか膝をついて上に覆いかぶさってきた。
「は?」
「ええと、何でしたっけ……」
目を丸くするブラッドリーに構わず、ぶつぶつと何かを呟いたミスラが頬を雑に掴んでくる。物にするような仕草だが何かを仕掛けようとする気配は感じない。何だと顔を顰める前に、額に柔らかいものが触れた。近付いていたミスラがのっそりと離れていく。
「……は?」
「あれ? 違いましたっけ」
不思議そうな顔をしたいのはブラッドリーの方だ。どうしてミスラにキスされなければならないのか。しかもこんな、ベッドの上でもない野外で。
押しのけようとした手をあっさり捕まえて、ブラッドリーが呪文を唱える前にまた唇が触れた。今度は目尻に。
「おい! 何してやがんだ!」
「さあ? でも、これで眠くなるってルチルが言ってたので」
ベッドで寝る前にするらしいですよ、と続けられて思わず舌を打った。つまりそれは、母親がベッドに入った子供にするやつだろう。愛してるわと言い添えて、安らかに眠れるようにと願いを込めるもの。それを否定する気は更々ないが、それをミスラにされたいかと言われれば絶対嫌に決まっている。これなら跪かれて足にキスされる方がまだマシだ。それもブラッドリーが膝をつかせたのでなければ不愉快なだけだが、今よりずっといい。
ただ不可解なだけだったことが途端に腹立たしくなってくる。
「《アドノポテンスム》」
「《アルシム》」
魔道具を出す前に、ミスラに掴まれていた腕が魔法で地面に縫い付けられる。片手間でやったようなものにしては強固で、自身に強化をかけても抜け出すのは難しそうだった。思わず皺を寄せた眉間にまたキスが一つ。こんな時間が続くなんて御免だった。
首を捻りながらもまた顔を近づけてこようとするのを、名前を呼んでやめさせる。
「もうやめとけ。これじゃ、やり方が違えんだよ。一向に眠くならねえんだろ?」
「まあ、そうですね」
「南の兄ちゃんに、もう一回やり方聞いてきた方がいいんじゃねえのか。それか実演してもらえばいい。そっちの方が確実だろ」
ミスラが少しの時間でも立ち去るか、多少の隙ができるだけでもいい。そうすればくしゃみでも何でも使って逃げられる。眠りを餌にしたのだから確実に食いつくだろう。
何を考えているのかわからない緑の瞳がじっとブラッドリーを見下ろす。言われたことを飲み込むようにゆっくりと瞬きしたミスラは、それでも離れて行かなかった。よくわかりませんけど、と無感情な声が言う。
「結構、気持ちよかったので」
今度は頬にキスされる。離れたと思ったら今度は鼻先に。鼻筋に走る傷跡を面白そうに唇で触れて、そのまま瞼に。優しいだけの、柔らかいキスが次々と落とされる。何が楽しいのか小さな笑い声まで零していた。こっちは全く笑えない。
そもそも、どうしてミスラがブラッドリーのところに来たのかさえ知らないのだと気づいて顔を顰めた。歪んだ唇を宥めるようにキスされる。
「もう少し、いいですよね」
返事なんか聞く気もないくせにそんなことを言って、また唇を塞がれた。