ムルヒス『起床』 扉の向こうに出現する危険度が高い幻想体に戦いを挑んだ次の日、各々の囚人たちに珍しく数日分の休暇が与えられた。
幻想体の攻撃を受けて破壊された囚人の肉体を修復するために何度も時計の針を回してきた管理人が一時的な休暇を希望したのに連鎖するように、絶望的な状況で最期を迎えた囚人や侵食されたE.G.Oに巻き込まれた囚人など次々と手を挙げだしたからだ。
対し、ヴェルギリウスは次の目的地に着くまでの間はやることがないから別にいいでしょうとあっさりと承認したそうだ。
時は過ぎ、ここはムルソーの部屋。
壁に描かれた目玉や指の落書きに格子窓から聞こえる足音が時々気になる点を除けば、激しい雷雨に悩まされる必要がない意味で過ごしやすい部屋だとヒースクリフは気に入っていた。
元々遠慮なく言葉をぶつけ合える関係もあって、日に日に距離を縮めつつ、気づけば肉体的関係に二人は至っていた。
この人になら別に大丈夫だろうと深く引きずらないからこその距離感がお互いに心地良かったからだ。
話は戻り、部屋の隅に設置されたやや大きめなベッドには、一糸もまとわぬ格好でヒースクリフとムルソーが並んで横になっていた。
床には、二人分のシャツやズボンに下着などが雑に脱ぎ散らかされていて、昨夜はどのように過ごしたかは想像に容易いだろう。
日に焼けた褐色肌に無数の古傷を大胆に晒したヒースクリフが布団の中で軽く身じろいでは、現在、自分が枕を使っていて相手に抱きつかれていることに気づく。
腹部に残ったままな気がする"熱"や"質感”をなんとなく振り返りながら、紫色の瞳をぱちぱちと瞬きさせる。
緊急時や見張りの番以外は座席エリアに積極的に向かう必要がない貴重な休日だからこそ、満足のいくとこまで惰眠を貪ろうと計画していた時に限って予定より早く目が覚めてしまうのは人間の性だろうか。
そして、空腹を自覚した。
時計を見ていないので詳しい時間は分からないが、腹の空き具合を考えるに肉体が朝食を欲しているだろうとぼんやりと物思いにふける。
手軽にシリアルで済ませて二度寝する案も悪くないが、ベーコンとチーズを乗せてオーブンで焼いたトーストを片手にコーヒーを飲みながらのんびりと過ごしてみたい気分でもある。
そんなことを考えていくうちに確実に目が覚めてきたヒースクリフは、いよいよ本格的に起床することを決めた。
対し、ムルソーは珍しく眠ったままだ。
どんな時でも規則正しい生活リズムを義務付けている男だったが、意外にオンオフがハッキリしている男でもあるので、ヒースクリフ以上に休暇を堪能しているのだろうか。
いつもは後ろに撫でつけている前髪を下ろしているゆえにどこか幼さがあるムルソーは、ヒースクリフの豊かな胸筋の谷間に顔を埋めた格好で目を閉じていて、起きる気配がない。
マットレスにつけていない方の筋肉質な腕を相手の背中に巻きつけては、こちらへ引き寄せるといった寝相でスースーと規則正しい寝息を立てており、鼻の息が胸に当たってくすぐったい。
初めて床を共にして以来、ムルソーは彼の胸を枕代わりにして寝ることにこだわっているようだ。重たいくすぐったいと最初は抗議していたが、全然聞き入れてくれないので最近のヒースクリフは諦め気味である。
「おい、ムルソー。寝てるところ悪いが、腹減った」
と痛くしない程度にぺちぺちと片頬を叩く。
気持ち良く寝ていたところを無理矢理起こされた不快感を隠す気のない呻き声がムルソーの口からこぼれ、ゆっくりと両瞼が上がる。
いかにも眠たいですの目つきでヒースクリフの顔をチラ見しては、軽く身じろぎながら胸筋に顔を埋め直し、再び目を閉じた。
相手の背中に回した腕の力が更に強まった気がする。
「いや寝るなって!おい、ムルソー!」
再度ぺちぺちと片頬を叩くと、鬱陶しいと言いたげに払いのけられる。
いいから寝ようと言葉の代わりに、ヒースクリフのボサついた後頭部をわしゃわしゃと撫でるだけで、さっきから何も言ってこない。
「眠たいのは分かるけど俺は腹減ってんの」
「ん……」
頬を叩いても起きないなら強引に抜けてやろうとヒースクリフは上半身を起こそうとすると、今度は両腕で抱き締められる。
「なっ…テメッ、おい!力強ぇなっ」
明らかに力を込めているのに両瞼は伏せたままなのがわざとらしい。
ちゃっかりと胸の谷間に顔をうずめたまま狸寝入りを決め込むムルソー相手にピキピキとこめかみに血管を浮かべつつ、状況が変わらないことを受け入れたヒースクリフは大きくため息を吐く。
「はぁ……、次起きたらお前が飯用意しろよ」
了解の意を示しているのか、ムルソーの抱きしめる力が弱まった。