ようやく温く湿った汗を滲ませる雨ではなく涼しい空気を運ぶような季節の移り変わりを感じさせる雨が降るようになってきた。
静かに長く降り続ける雨はあの夜を思い出すようで。しかしあの線香花火のような静謐で一瞬の煌めきを楽しむような余裕はなかったが。それでも四十余年生きた中で人生の半分に満たないとしても、喪う間際の走馬灯にしては勿体ないくらいの宵だった。
冗談交じりに求めて続けていた煙草を咥え、有害な煙を吸い込み、吐き出すと同時に名前を呼ぶ。
「暁人」
たった四年程前までは何の意味もない、キラキラネームでもシワシワネームでもない、普通の男の名前だと認識する程度のものだった。それがたった一晩で下手をしたら妻子よりも呼びかけた。喜怒哀楽様々な感情を乗せて。そして最期は別れの言葉を己なりに告げたつもりだった。
だと言うのにあの夜が明けてからも暁を待ち続けて更に呼び続けている。呼びかけたからと言って日の出が早まることはない。人の意思が宇宙の現象に干渉できるのは蜘蛛の糸よりも細い細い確率でしかないことは同僚の頭脳を借りずとも認識できる。
それでもいつかと願わずにはいられないほど大切な存在なのだ、伊月暁人という人間は。
「暁人」
蝋燭に火を点ける。
思い出すのは誕生日ケーキ。26本もあれば6号のホールケーキでも所狭しと並べることになるだろう。穴だらけのケーキを見てどんな言葉を発するのか想像できない。暁人とした会話はすべきことが目の前に並んでいる状況ではお互いの芯を知ることはできても、表面の日常を知るにはあまりにも短すぎた。もっと話すべきだったなんて後悔は何度もしてきたのに。中学校の屋上でまさにその議題を論じたはずなのに。人は過ちを繰り返すなどと安易な言葉で終わらせたくないのに。
それから家で花火をする時の蝋燭が目に浮かぶ。色とりどりの様々な謳い文句の書かれた水泳バッグの劣化したような袋から吹き上げ花火の入っているものを探して見せて、最後は子どもに選ばせて買った。恐々と火を点ける表情と火花と同じように弾ける笑顔が何故か化け物に対峙した時と損傷なく倒せた時の賞賛を求める声を思い出させた。
例えばあの夜を乗り越えて二人でこの世に戻れたのならば、今度は二心二体の相棒として、あるいは師弟として、あるいは年の離れた同僚として「凄えよ、オマエは」と頭を撫でてやることができたのだろうか。
「暁人」
詮無きことを考え続ける。けれどもその時間もこの四年で少しずつ減ってきていた。日常に浸食されつつある。平和な日常。あれほど求めていた。今だってあの夜に戻りたいとは思っていない。
ただただあの青年に会いたい。
火花を飛ばさないただの線香を26本丁寧に数えて並べてみる。ただ白檀の風を揺らめかせて天に上り、灰になって消えていくだけだ。昔の祖父の葬式を思い出す。あの時のように目が腫れるまで泣くこともできなかった。時雨のように泣き続けていたら金の麦穂を実らせることができただろうか。夢を見ることも減ってきた。このまま忘れ去ってしまうことが二度目の死だと知っていても尚、生きていくことは新しいことを知り旧いことを忘れていくのだ。人の細胞のほとんどは四年あるいは七年で全て入れ替わるなどと流布されているように。
そうだ、と男は立ち上がる。短くなった煙草を携帯灰皿に捻じ込み、それも内ポケットにしまい込む。我ながら随分と行儀のいい人間になったものだ。四十過ぎても人間は変われるのだ。気づくのがあまりにも遅すぎたが、それでも取り戻せるかもしれない。
輪廻転生。
荼毘に付された魂も全ての業を捨てて新たな命を抱きこの世に還る。あの夜に霧に溶けた魂もまた新たな萌芽として朝を迎えているかもしれない。
己の身から黒いもやが出現することはもうない。ただの願望であることは百も承知だ。
それでも冷たい石に縋りついて嘆くのには疲れた。元より苔のように耐え忍び動かず生きるよりも忌避されたとて花粉のように飛び回る方が性に合っている。
「今行くからな」
雨が降ることを嘆くよりも晴れた後のことを考えよう。白一色ではない、カラフルな蝋燭に火を点けて歌おう。迎え火も送り火もいらない、躊躇なく金を払って一等席で万の花火ショーを見上げよう。
止まない雨音に慣れない鼻歌を混じらせながら、晴れ晴れした気持ちで男は歩き始める。
墓石に刻まれた画数の多い名が黒いもやに隠され埋め立てられるように消えて行った。