真ん中バースデーのはなし 10月13日 水曜日
それは渋谷での事件から一ヶ月と二十日程過ぎた中途半端な日だった。
伊月暁人は丑三つ時にもかかわらず夜道を歩いていた。
大学四年生、卒業論文、就職活動、両親を喪い妹と二人暮らし。普通の二十二歳より少しばかり苦労の多い立場だが不幸ではなかった。寧ろ半ば世界が輝いて見えていた。
「恋、してるねぇ」
ほんの数秒前まで誰もいなかったはずのマンションの入り口で声をかけられて叫ばなかったことを褒めてほしい。誰にと言われると言い難いのだが。
「たっ、祟り屋の……!?」
「良い宵ですねーなんちゃって」
恐らく言動が一番軽く一番若い弓使いが手を上げる。それにしても上機嫌だ。まるで酔っ払いのようだが彼らにアルコールは効くのだろうか。
「お酒じゃないよー今日は三人で賭けをしたんだけど勝っちゃってさーチョーサイコーってカンジ?」
勝利に酔ってるというわけかと納得した。暁人も一応師匠にあたるKKに勝てると嬉しく思うだろう。ここまで浮かれはしないが。
「それで、三人の勝敗と僕に何の関係が?」
素面の暁人には嫌な予感しかしない。
暁人も成人をして二年経つのでそれなりに酔ったことも酔った人間の相手をしたこともある。
しかし祟り屋は何しろ祟り屋なのだ。
「個人的に会うと祓い屋の旦那に怒られちゃう?」
彼らの言う『祓い屋の旦那』とはKKのことである。彼らは氏名だけで簡単に祟ることができるため名を持たず名を呼ばない。
なお暁人がどう呼ばれているかは知らない。KKが祟り屋と交流を持つことを嫌っているからだ。
暁人自身も『祟る』という行為そのものについては良いとは思えない。あの蜘蛛を体験していれば尚更。
しかし祟り屋たちに対しては正直憎みきれない面がある。彼らがニンゲンなのかも定かではないが、彼ら自身はあくまで中立であり悪意や害意は感じられないのだ。だから厄介なのだというのがKKの弁であるが。
それに何故か祟り屋たちはこちらに関わってくるのである。
「まあ……そうですね」
当たり障りのない返答を気にした風もなく大袈裟に肩をすくめてみせた。
「旦那もさー罪深いよねーあれだけ優しくしておいて現実に戻ったら一線引いて大人ぶってさー」
「……何の話?」
話が見えるようで見えない。最初の『恋』の一言も気になる。
しかし射手は説明する気もないようで深夜の住宅街に似つかわしくない声で両腕を広げた。
「というわけでオニイサンたちから二人にプレゼント!」
「はっ!?」
ポンと肩を叩かれる。一応警戒していたのに避けられなかった。
名前を呼ばれるのと同じようにこういった手合いに触れられるのはご法度である。と暁人はKKから聞いていた。
しかし射手は既に暁人から数歩離れて両手を挙げている。もう何もしないアピールはもうやることは終わったのと同義だ。
「大丈夫大丈夫、ちょっとしたまじないだから」
「全然大丈夫じゃない!」
「死ぬようなものじゃないよ」
祟り屋の軽さは命の重さと関係しないし、死ななければ何でもよいわけではないことを当然暁人は知っている。
これではKKに半人前扱いされても文句は言えない。早く対等な本当の相棒になりたいのに。
「旦那に頼まなくても解除できるよー」
「……どうやって?」
暁人は確信していた。こっちが本題だ。彼らは暁人を本気で呪いたいわけではなく、何かをやらせたいのだ。多分きっと間違いなく、ロクでもないことを。
「『好きな人に必要なだけ肉体的に接触すること』」
「…………はあ!?」
「期限は三日ちょっとかな? 旦那には言っちゃダメだよ。 じゃあ頑張ってねー!」
言うだけ言って弓使いは消えてしまった。文字通り跡形もなく。ゲリラ豪雨よりもたちが悪い。
「ていうか……夜中にどういうテンションだよ……」
後に射手は語る。恋のキューピッドなんてテンションブチ上げないとやってられない、と。
翌日新しくなったアジトで料理をしながら待っていると日が暮れてからKKがやってきた。
「おかえり」
「どうした? まだ平日だぞ」
多忙の暁人は余程の仕事がない限り週末しかアジトには行かない。行こうと思えば麻里を連れてでも来れるのだが目の前の男が普通の生活を優先しろと言ったのだ。正論ではあるが暁人の心に穴を開けるには十分な一言だった。
「茄子が安かったから買いすぎて、みんなにも麻婆茄子を振る舞おうかと」
用意していた口実を告げるとKKはいつもの七分丈のシャツにエプロンを身につけた暁人をジロジロ見てから
「そうか、オレは報告書を書くから風呂も入れてくれ」
と奥へ引っ込んだ。
祟り屋に会ったこととまじないには気づかれなかったようだ。
第一関門はクリアした。胸を撫で下ろして左肩に熱を感じる。
見えないけれど確かにまじないはある。
そう、暁人の『好きな人』は相棒であり師匠であり四十代元妻子もちのバツイチ国家公務員偏屈愛煙家自称死んだことになっているKKなのだった。
それまでノーマルだと思っていた暁人もあの異常な夜のせいで己が勘違いしているのだと何度も自分に言い聞かせた。それでも、一ヶ月以上時間が経っても熱が冷めないのだから仕方がない。
大体あの夜に相手も自分も何もかもさらけ出しすぎて、今更ちょっとした相手の新しい良くない側面を見つけても総評は揺るがない。あと初対面が最悪すぎたのもある。
「だから相棒かつ弟子で満足してるのに肉体的に接触するって何だよ……」
KKが二十も年下で背格好も声も何もかも間違いようがない男で性格も大人しくはに生意気な自分を好きになるはずがない。
とにかくKKにバレずに少しずつ触れてみる以外に方法はない。
何でこんなことにとぼやきながらも暁人は風呂場はあらかじめ洗っているのでお湯を張りに向かった。
ノックすると短い返事があったので了承と判断してKKの部屋に入る。ここだけは勝手に入ることを禁じられたプライベートな空間なので物が散乱したままだ。これでも前のアジトの時よりも綺麗になったらしいが。
「どうした」
書類を睨んだままKKが言う。声音は平淡でまさに仕事をする父親だ。そういうところも実は結構好きだったりする。
「もうお湯が入るよ」
「おう、ありがとな」
もういつもの調子に戻ったのでお喋りしても大丈夫だ。振り返った肩に触れ、書類を覗き込む。
不自然ではなかったはずだ。しかし心なしか触れた指が熱い。
「どういう依頼だったの?」
「久しぶりの一反木綿だよ」
走らされたとぼやくKKの頭を頑張ったねと撫でる。
「ガキじゃねえんだぞ」
「僕の頭も撫でるだろ」
「オレからしたらオマエは十分にガキだよ」
KKからすると何でもない言葉でも暁人の胸にはグサリと刺さる。
わかってるわかってたと心の中で言い聞かせて左肩にまだあるのを確かめる。
手で触るだけではダメらしい。
まあそりゃあそうかこれくらいなら普段もしてるもんなと思い直し、思い切ってKKの背中に上半身を預けてみる。
「どうした?」
流石にいぶかしむKKにおどけてみせる。
「子ども扱いするならおんぶして貰おうかなー」
「キッチンまでそんな遠くねえだろ」
もちろんしてもらえるとは微塵も思っていないので冗談だよと笑って早くお風呂に入ってねと重ねて部屋を出る。
静かに、早足でキッチンへ移動してしゃがみ込む。バクバクと激しく脈動する左胸を押さえると全身の熱さを実感して自分が爆弾になってしまったようだ。
「な……なにこれ……!?」
好きだと自覚する前からもドキドキはしていた。でもこれはそんなレベルじゃない。絶対にまじないのせいだ。
触れたところからKKへの愛情が溢れそうになる。好きだと伝えたって受け入れて貰えるはずがないのに。
「……麻婆茄子完成させなきゃ」
後は一度火を止めて片栗粉を入れて混ぜるだけだ。
上半身をくっつける以上に何をすれば良いのだ。焦げる手前まで暁人は考え続けた。
結局KKが風呂に入っている間に逃げるように帰ってきた暁人は麻里はさ、と食事中の雑談として聞いてみる。
「自分のパーソナルスペースってどれくらいだと思う?」
「んー相手によるかな」
ごもっともな返答に暁人は黙って麻婆茄子を口に入れた。
麻里に合わせて辛さは控えめにしている。KKの口には合っただろうか。
「お兄ちゃん遂に気づいた?」
「えっ!?」
KKに恋愛感情を抱いていることは麻里にも伝えていない。というか誰にも伝えるつもりもなかったし独り言も言っていないはずなのに何故祟り屋は知っていたのだろう。
あまり考えないようにして白米頬張る。
「お兄ちゃんとKKさんの距離が近すぎるってこと」
「うっ……!」
それについての自覚はKKが肉体を取り戻した当初からあった。一応弁明しておくと二人とも元々のパーソナルスペースは平均的だ。少なくとも他の人相手には。
「KKは特別……っていうかあの夜の副作用なんだよ……二心同体で距離も何もなかったし、離れた時はピンチだったし」
暁人にはKKほどのエーテル能力はない。
KKが憑依していた影響とそのKKの訓練のお陰で多少戦力にはなるようになったが当時はKKなしにエーテルは操作できなかった。
「得意分野が違うってKKさんも言ってたね」
「うん、だからKKの声が遠いと不安というか……」
どんな言い方をしても妙な感じになってしまう。そもそも奇妙な関係なのだから仕方がない。
「……やっぱり気をつけた方がいいかな」
「んーKKさんも嫌がってないし、人前じゃないならいいと思うけど」
その人前にアジトのメンバーと麻里は入っていないという認識でいいのだろうか。
それよりも、だ。
既に距離が近いということはこれ以上接触しようとするとかなり不自然になってしまうということだ。
背中に張りついてもダメだったのに、これ以上となると全身をくっつけるかあるいは素肌とか……。
「お兄ちゃん大丈夫?」
恐らく真っ赤になって熱を発しているだろう暁人を心配する麻里に「熱かった」などと嘯いて暁人はどうしたものかと頭を悩ませた。