纏う香りは貴方の匂いに「ジェイド。これを」
「…急に呼び出したかと思えば…何です、これ?」
「コロンです」
「コロン…?」
VIPルームに呼び出されたジェイドは、自分の手の中にある小瓶を不思議そうに見た。
アズールから渡されたそれは、どうやらコロンだそうだ。
「僕のがなくなったついでに、お前のも頼んだんです。これも身だしなみのひとつ。お前用に調香してもらった特別製です。使いなさい」
「お気持ちはありがたいのですが…フロイドが苦手かもしれないので」
「…ルークさんの件ですか?あれはただ匂いが強かったか合わなかっただけでしょう。実際、僕だってコロンを付けていますが、フロイドに臭いとは言われたことがありませんよ」
「…確かに」
「折角頼んだし、物は試しです。使ってみなさい」
華やかな瓶に入ったそれを、ジェイドは少し持ち上げて振る。
瓶は薄い青で、まるで自分が付けているピアスのような色合いだった。
「…ところでアズール、対価は?」
「要りません。……日頃の感謝ということで、受け取りなさい」
「アズールが素直に感謝なんて…明日は槍が降りますかね」
「揶揄うな。要件はそれだけです。帰る前にすみませんでした、お疲れ様です」
「はい。アズールも程々に」
「分かっていますよ。ほら、早く帰りなさい」
書類から目を離さず、手で払うような動作をするアズールに、ジェイドは仕方がないという顔をして軽くため息をついた。
これ以上は言っても無駄だと察し、「失礼します」と言って部屋を出る。
(…フロイドは、もう少し遅くなりますかね)
今日は片割れと上がりの時間が違う。
ジェイドは再び手の中の小瓶を見た。フロイドが帰ってくる前に少しだけ試してみよう、と足を少しだけ早める。
部屋に戻ると、シワにならないようにジャケットとストールをハンガーにかける。シャツの手首を少し捲って、コロンを開けた。
手首に少しだけ、プシュ、と振りかける。
(…これは)
鼻に突き刺さる訳ではなく、柔らかないい香りが鼻腔に入ってくる。
(そういえば、僕用に調香したものだと言ってましたかね)
手首に鼻を近付けて、くんくんと匂いを嗅いでみても嫌な感じはひとつもなかった。
「これなら、フロイドも気に入ってくれそうですかね」
そんな独り言の後、カツカツと足音が部屋へと近付いてくると、ドアが勢い良く開く。
「ジェイド〜!ただいまぁ」
「おかえりなさい、フロイド。もう少しドアは静かに開けてくださると助かります」
「え〜、面倒……ん?ジェイド、何か匂い違う?」
目ざとく気付いたらしく、フロイドはジェイドに近付き、首元を嗅ぐ。
「フフ。さすがフロイドですね。正解はこれです」
「…?何この瓶?」
「コロンだそうです。アズールが、自分のを頼むついでに僕用に調香してもらったから付けなさい、と。どうです?」
「ん〜……ウミネコくんとは違うし、確かにジェイドっぽい、柔らかくていい匂いする」
「でしょう?コロンにも色々あるんですね」
「でもさ」
「でも?」
「別のヤツから貰った匂いって…それ、マーキングじゃないの」
フロイドが、どこかむくれた様子でそう言う。
その言葉に、ジェイドは思わず吹き出した。
「ぷっ……あはは…っ!」
「何がおかしいんだよ」
「あなた…相手はアズールですよ?ふ、ふふ」
「アズールでもなんでも、ヤなものはヤなの」
「そんなに拗ねないで、フロイド。ただの身だしなみですよ、そんなに深い意味なんてないですから」
むくれた頬を撫でながら、優しい声色で微笑んで言うが、納得はいかないらしい。
「…やっぱダメ。これ付けないで」
「おやおや、困りましたね。折角頂いたので、付けるつもりだったんですが」
「だって、オレ以外の匂い付けてるのがイヤだ」
フロイドはジェイドの手の中から瓶を取り上げると、拗ねてる様子で握りこんだ。
ジェイドは少し考え込んだ後、「フロイド」と優しい声色で語りかける。
「……なに」
「例え僕がそれを付けていたとしても──」
耳元で、ある言葉を囁きかける。
口を離し、ニコリと笑うと、フロイドの顔が赤らむ。
「…それは、そういうことでいいよね」
「ええ、もちろん」
「………ならこれ、使っていいよ」
「ありがとうございます」
瓶を返すと、「汗かいたから風呂入ってくる」と言い残して部屋を出ていってしまう。
出ていく前に、「次から!約束だから!」と付け加えた。
「ふふ…っ…照れてるのか、がっついてるのか、よく分かりませんねぇ」
どちらにせよかわいらしい、とジェイドはひとり笑う。
「…少し、早まりましたかね。でもまぁ、折角のコロンが無駄になるよりマシですよね、アズール」
今ここに居ないアズールに問いかけ、ジェイドはコロンをテーブルの上に置く。
部屋のドアに、ふふ、と笑いかける声だけが響いた。
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あれから数日。
ラウンジの仕事に入っていたジェイドに、アズールが近寄る。
「…ちゃんと付けてるんですね」
「日頃の感謝と銘打って頂いたものですし」
「フロイドは嫌がらなかったんですか」
「嫌がってましたよ。貴方の行動を…マーキングだ、なんて言って…フフッ」
「せめて笑いを堪えろ。…マーキング?僕が誰に…馬鹿馬鹿しい」
「おや、そこまで拒否されると、さすがの僕でも傷付きますね」
「口先だけで物を言うのをやめなさい」
ハァ、と深い溜息をアズールがつく。
その横でジェイドは真意の読めぬ顔でクスクス笑う。
「約束で、コロンを使う許可を貰いました」
「約束?」
「ええ」
ジェイドは人差し指を口に当て、ニコッと妖しく微笑んだ。
そのまま、フロイドへ言った言葉を繰り返す。
『たとえ僕がそれを付けていたとしても──貴方が夜に、その匂いを上書きしたらいいだけなのでは?』
「……お前、それって」
「ええ。コロンを付けた日はセッ──」
「やめろ生々しい!そういう事情は聞きたくないです。…というか、僕があげた物まで当て馬にされるとは思いもしませんでしたが」
「でも僕、この匂い、気に入ってるんです。だから、付けたいっていうワガママなんですよね。交換条件…対価、ですね」
「はいはい。終わった後にお前たちが部屋で何をしようが勝手ですが、仕事の手は抜くなよ」
「ええ、もちろん」
「ねぇ、何話してんの?」
後ろから現れたフロイドに、ふたり共が見る。
「別に、大した話じゃありませんよ」
「ふぅん?ま、いいやぁ」
「ご機嫌ですね、フロイド」
「ん〜?何でだと思う?」
「ふふ、何ででしょうね?」
「──いいから!働け!!!」
その日のラウンジには、支配人の過去で一番大きな声が響き渡ったという。
その裏の事情を、寮生たちは、知る由もない。