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    hanato1078

    @hanato1078

    らくがきや短い小説などを壁打ち。
    渉英/零英など英智くん周辺をマイペースに。キャラの左右固定です🙇

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    hanato1078

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    不思議な夢の中で、二年前の零(英)くんに会う零英の話。
    ※キャラがキャラの首を絞める/流血表現/微グロ表現があります。終始シリアスですが最後はハッピーエンドです。
    ※エレメント前提。カプ未満くらいの零英です。
    ※時系列はあいらくんが来る前。テンペストあたりです。

    新イベントが始まる前にどうしても上げたくてガーッと書いたので後々修正入れてpixivに上げます。零英両面イベおめでとう🌸

    ##小説
    ##零英
    #朔間零
    Rei Sakuma
    #天祥院英智
    tenshoinEiji

    【零英】拝啓:境界線の向こうへ 一切の電気が消え、真っ暗になった部屋の中は、また重たい空気が漂っている。肺を親指の付け根で押し潰されているような心地だった。
     ──あぁ、嫌な空気じゃな。
     零は眠れない瞳をゆっくりと開けると、寝返りを打った。右を向くと、無機質な冷たい白い壁が目に入る。暗闇に目が慣れたのだろうか、それは普段見ているそれよりも、酷く味気なく見えた。

    「っは……っ、……」
     直後。壁を向いた零の背後から、再び誰かの息遣いがする。それがたった一人の同室相手の英智であることは、もはや確認するまでもなかった。
     英智と同じ部屋で過ごす中で零が気づいたのは、英智はたまに寝ている時に「こうなる」ということだった。

     この頃の英智は、かねてからの夢が叶った、とでも言いたげに、春らしい薄いピンク色と明るいオレンジ色がほんのりとのった頬に綺麗な笑みを浮かべていた。ピンクの花びらが散り、期待と希望に満ちた春が姿を変えつつあるこの季節にふさわしいその笑みは、生気に満ち溢れていて見目麗しかった。
     だが、その表情で強い言葉を言われるたび、零は何かが引っかかる自分がいた。確証はないが、柔らかいその表情の裏に、何かを感じた。
     英智と同じ部屋で一夜を過ごすと、その答えはすぐに分かった。
     
     それは寮に来て初めての夜のことだった。その日は、明日はロケで早いという英智に合わせてとりあえず部屋の電気を消し、気が乗らないままベッドの中へと潜り込んだ。だが、夜行性とも言うべき体質は未だ健在で、なかなか寝付けない。零が溜息をつきながら眠れない身体を左へ向けた時だった。
    「っ……はぁ、……」
     軽いパーテーションを挟んだ向こう。誰かの声が聞こえた。
     小さな声だった。風が吹けば消えてどこかへ流れ去ってしまいそうな、小さな小さな声。エレガントで芯の通った声は、別人のように歪んで軋みを帯びていたものの、零はそれが英智の声だとすぐに分かった。潤いを無くした大地が枯れてひび割れた隙間から地鳴りのように聞こえてくるそれは、何かを欲して足掻いているようだった。
     朝日が差し込む天界のように何も混じらない真っ白なベッドの上に転がる、壁を向いた背。暗闇の中でぼんやりと見えるその背は、いつもより小さく見えた。大きなベッドの上で毛布を被って小さく縮こまっている姿は、普段の気高く美しい英智の姿からかけ離れていて、零は何故だか目を逸らせなかった。
    「………」
     零は、何も言わずにパーテーションの向こうをじっと見つめた。しばらくすると規則正しい寝息が聞こえてくる。小さく胸を下ろすと、零は毛布を被って英智の方に背を向けて目を閉じた。結局その日は上手く眠れなかった。

     それからというものの、夜になると、度々己の左側から苦しげな声が聞こえてきた。それでも最近は英智デーなるfineの特別な休日とやらが設定されてから、「こうなる」ことはほとんどなかった。
     心が休まるようになったのだろう、そう思っていた矢先、これだ。うなされている英智の声を聞くのは、久々だった。
     手が届く範囲は助けろ──とは、昔馴染みの言葉だったか。すぐ過保護を発動しては英智に疎ましがられる、自分と英智の幼なじみ。その顔を頭に浮かべながら、零は苦い顔をしつつ横目でちらりとパーテーションを見た。そのさらに向こう側を見ないように、細心の注意を払って。
     英智はきっと、自分にそんな姿を見られたくはないだろう。零も英智のそんな姿を積極的に見たくはなかった。英智が苦しんでいる姿を一度この目できっちり見てしまえば、きっと自分は英智を完全な敵としては見れなくなる。それを英智は望んでいない。零も、せっかく出会えた自分と対等な敵を、希少すぎるその存在を、失いたくはなかった。それでも、少しだけ考えてしまう。
     ──パーテーションの向こう側は、果たして手の届く範囲と言えるのだろうか。
     英智と同室になって約1ヶ月。零はいまだに英智との距離を図りかねていた。

    「……うっ、……はぁ……。ぁ、……ぐ…」
     英智の声が、パーテーションを挟んだ向こうからまた聞こえてくる。数メートル離れているというのに、自分のすぐ背後で英智がうなされているかのような錯覚に陥る。同じベッドに寝転がりながら後ろから自分のパジャマを小さく引っ張られているようで、なんともいえない気分だった。英智は決してそんな人間ではないと頭では理解しているものの、零は真綿で首を絞められている心地がした。
     零には、彼が一体何にうなされているのか分かっていた。英智に聞いてもはぐらかされるのが目に見えているため答え合わせはできないが、英智は二年経った今も、「そういう夢」を見ているのだろう。呪いの言葉を吐いた過去の自分が、英智を今も責め立てているのだろうか。
     
     人間が好きだからこそ多くの人間に好かれ、手の届かない範囲を含めた周囲の人々全員を助けたがった過去の傲慢で心優しい魔物。それがかつての零の姿だった。
     当時の零は周囲の人々をあまねく助けられるだけの強大な力を持っていた。零は、強大すぎる己の力を使うことで、大好きな人間たちを助けることができた。
     だが、零は人々を助ける中でどんどん自分が擦り減って摩耗していくのを感じていた。
     ──口を開けば助けろ助けろって。誰も俺のことは助けてくれない癖に。
     助けたくて助けていたのは自分の方だったはずなのに、零の世界はいつからかジワジワと灰色に染まっていった。人を助けて崇拝されるように礼を言われる度、嬉しいと思う反面、息が苦しくなっていった。自分に向けられた期待や崇拝が重たかった。人を一人助ける度、また一歩自分が人から遠ざかっている気がした。自分が助けてきた大勢の人間達と、これから助けなくてはいけない大勢の人間達の重みと共に、自分が深い絶望の闇へ堕ちていくのが分かった。
     夜闇を生きる零にとって、闇という物は温かく、時の流れが遅くて心地のいい物だった。だが、この闇には堕ちてはいけない。零は直感的にそう思った。だから、零は敬人の願いを叶えなかった。零は神様ではなく人間でいたかった。人知の及ばぬ魔物ではなく、人を愛する人でありたかった。
     だが、そんな一人の人間は、この天使によって結局人知の及ばぬ魔物のように扱われた。そしてノブレス・オブリージュを怠った罪を問われ、一度死に絶えた。
     今の零は、傲慢ではない。だから、今の零は手の届かない範囲まで無責任に助けようとはしない。今の零は、人を助けるのを強制されることも、人を助けず糾弾されることもない。今の零は、もう自由だった。今は全力で己を高めることに自分の力を使える。それは信じられないくらい肩が軽かった。「みんな」はこんなに軽い肩で自分の人生を歩んでいたのかと思うと、羨ましいと思った。
     それからは、自分を擦り減らさないよう、相手を傷つけずに済むよう、零は老人のように振る舞った。過度に期待されずに済むのも、人を助けるために己を犠牲にせずに済むのも、息が楽だった。
     だが。今、すぐそこに──パーテーションを挟んだすぐ隣に、英智がいる。静かな部屋の中の暗闇が、大きな目で零をじっと見てきている気がして、零は寝転がったまま床を見つめた。
     
    「なぁ」
     
     誰かの声が聞こえた。暗闇に響くその声は、酷く聞き覚えがあった。
    「楽にしてやろうか」
     声は、パーテーションを挟んだ向こうから聞こえてくる。零は弾かれるようにパーテーションの方を振り返って起き上がった。
    「苦しいんだろ。俺が楽にしてやるよ」
     パーテーションの向こうで、英智の上に馬乗りになる黒い影が見えた。こめかみを見せるように掻き上げられたウェーブがかった髪が揺れて、見覚えのある顔が顕になる。
     零は自分の目を疑った。それは、正真正銘、朔間零だった。かつての傲慢で優しい身の程知らずな魔王陛下たる自分の姿。たとえ暗闇といえど、見間違えるはずはなかった。憐れむような鋭い紅い瞳が、暗闇の中でギラつきながらベッドに寝転がる天使を見つめている。
     零は、ここが夢の世界だと他人事のように認識した。だが、重たくかび臭い空気が肺に充満していく感覚は、やけに現実味があった。気分が悪い。
     境界線の向こうで、かつての自分が馬乗りになったまま英智に顔を近づけた。
    「可哀想にな。俺の言葉で、ずっとこうやってうなされてたんだろ、おまえ。2年間もご苦労なことだよ。偉い偉い。よく頑張ったな」
     魔王の指が、英智の細い首に巻き付いた。
    「もう苦しまなくていいぜ。今、楽にしてやるよ」
     血が通っていないと錯覚してしまうほど人間離れした雪のように白く指が、英智の息の音を締め付けて酸素を搾り取っていく。
     零は何かを言おうと口を開いた。だが、声が出なかった。パーテーションの外側で、身体が硬直してしまう。心臓が速く脈打って、金縛りのように両肩に何かが重たくのしかかってくる。零はかつての自分が英智の首を絞めるのを見ていることしかできなかった。
     英智は自分の命を徐々に擦り減らしていく両手に己の指を巻き付けると、その手を包み込み、力なく笑った。
    「僕のこと……殺したいくらい、君が憎んでるのはわかるよ。それだけのことをしたのだから、当たり前だね。理解、できる」
     零は小さく唾を飲んだ。もう一人の零は、その言葉を聞くと冷たく目を細めた。
    「へぇ。随分分かったようなこと言ってくれるんだな」
    「……うん。分かっていてやったからね。呪われて、当然だ」
     英智は最低限の気道を確保するように酸素を掻き集めつつ、魔王の指を宝物を扱うように弱く握りながら震えた唇を開いた。
    「でも……。でも、悪いけれど、僕は今死ぬわけにはいかないんだ」
    「そうかよ。そうだろうなぁ? おまえはこれからも、名前も顔もよく分かんねぇ奴らを救わなくちゃなんねぇんだもんな? 俺の代わりに」
    「……救うなんて、滅相もない。僕は、僕のやりたいようにやっているだけだよ」
    「ふぅん」
     零は興味なさげに返事をすると、指に力を込めた。
    「で? 何で被害者加害者おまえの事情なんか考慮してやんなきゃなんねぇんだ?」
    「うん……。それも、分かっているよ」
     英智はそう言うと、苦しげに口から息を漏らした。零がさらに力を込めたのだろう。生きていくための酸素を言葉を紡ぐことに使うように、英智は「けれど」と芯の強い声を上げた。
     
    「けれどね。僕は、死ねない。僕は、謝らない。僕のすべきことは、きっと……それではないから。だから……僕は、楽になりたくなんて……ないよ」
     弱く咳き込みながら残った少ない息を掻き集めるようにして、英智は眉を下げて必死に絞り出すように言葉を紡いだ。
     想いが篭った言葉を聞いて、零はパーテーションに指をかけた。
     
     人に傷つけられ、裏切られ、恩を仇で返されたものの、零は今でも人間が好きだった。愛し愛され、人知の及ばぬ神様じみた──あるいは人間を不幸にする魔物じみた扱いをされても、確かに存在していた些細な幸せだった日々を思うと、人間を嫌いになどなれなかった。パーテーションの向こうで苦しんでいるであろう英智も、人間だ。正真正銘、自分と同じ人間。今、己の「手の届く範囲」に英智がいる。
     自分は、何もしなくていいのだろうか。こうやって、また見ているだけで、全てが後の祭りになってしまっていいのだろうか。
     
    「……助けなくて良いのかよ」
     耳をつんざくように聞こえた言葉に、零は何も言わなかった。
     こんな状況になっても、水色の透き通った瞳は、零の方を少しも見なかった。ただ真っ直ぐに、二年前からずっと己にかけられた重たい呪いに向き合っている。押しつぶされそうになりながらも、その瞳は決して目を逸らそうとはしなかった。
     暗闇の中で、零には今の英智が少しだけ眩しく見えた。英智が自分の助けを求めているようには思えなかった。助けを求めていない人間を助けるのは、果たして助けたと言えるのか。そもそも助けるとは一体何なのだろう。
     「頑張れば」手の届く範囲にいる夢ノ咲学院を、自分は見て見ぬふりをした。これ以上自分を擦り減らして頑張りたくなかった。それは、やはり二年前の英智の言うとおり間違いだったのだろうか。自分を擦り減らしてでも、自分を対等に扱ってくれない愛しくも愚かな顔もよく知らない誰かのために、夢ノ咲で行動すべきだったのだろうか。英智のように。
     そんなことを考えながら自分と英智をじっと見つめた後床を見つめて黙り込む零を見て、魔王陛下は「まぁいいや」とつまらなそうに溜息をついた。
     そしてそのままゆっくり英智に向き直ると、片手を首に添えたままもう片方の手の甲で英智の白い頬を撫でた。
    「おまえ、本当可哀想だな。あいつ、おまえのこと見捨てるってよ」
     英智の顔が見られない。英智はこんな自分を見てどう思うのだろうか。
     英智は何も答えなかった。静まりかえった部屋で、もう一人の零が小さく笑った。
    「可哀想だよな。俺もおまえも。……なぁ、可哀想な奴同士、傷の舐め合いでもしようぜ」
     もう一人の零は、首に巻き付いた指を開いたパジャマの隙間から滑り込ませ、鎖骨を撫で上げた。長い指は、英智の首筋を通り、両頬を捕まえて撫でる。それに眉を顰めた英智を一瞥すると、零の手はゆっくりと英智の細い両手首を彼の頭上で纏め上げ、枕に押し付けた。
    「…………」
     英智は黙ったまま顔を歪めた。もう一人の零は笑った。
    「おまえ、顔だけはかわいいし、優しく慰めてやるよ。よしよし。今から全部忘れさせてやるから、安心しろよ」
     不敵に微笑んだ唇が、英智のそれと距離を縮めていく。真っ暗な闇の中だというのに、零には英智の顔が、はっきりと見えた。
     強い蒼の瞳が戸惑うように揺れ動き、薄い桜色の唇は強ばっている。暗闇の中で白い磔台に広がる金色の髪が何も動かないのを見て、零は小さく口を開けた。
    「やめてくれんかの」
     小さい声でありながら強く地を響かせる声に、魔王陛下はこちらを見て笑った。
    「ははっ。……これは止めんのかよ」
    「目の前で合意のない性行為が行われようとしておったら、止めるのは当然じゃろ」
    「それが自分を卑怯な手口で不当に貶めた奴でも、か?」
    「…………」
     再び黙る零に、魔王は再び呆れたように大きく溜息をついた。
    「夢だし本当に死ぬわけではねぇとはいえ、殺されそうになるのは助けねぇのに、犯されそうになったら助けんのかよ。おまえ、こいつのこと殺してぇの?それとも、ヤりてぇの?」
     零は何も答えなかった。魔王は「じゃあ」と頬を掻きながら言葉を続けた。
    「聞き方を変えてやろうか。おまえ、こいつに楽になってほしいの?それとも、こいつに苦しんで死んでほしいの?」
    「……天祥院くんが楽になりたいのかどうかを決めるのは、天祥院くん自身じゃ」
     零は重たい唇を開いた。
     
    「天祥院くんが何も言わぬから、天祥院くんの心の内はもはや想像することしかできぬが。天祥院くんを苦しめておる原因の一端は、我輩にある。我輩自身が呪いの言葉を吐いた以上、天祥院くんが楽になるのかを決めるのは我輩であるべきではないじゃろ。あの時は呪っておいて、今更もう楽になっていいなんて、虫が良すぎる」
     今度は魔王陛下が黙った。零は自分と同じ紅く優しく光る瞳を見つめて言葉を続けた。
    「そんなものは、優しさでも仲間思いでも何でもない。我輩の、自己満足にすぎぬ。天祥院くんが、自らの意思でかつての我輩の言葉を引きずって苦しみ続けると決めたのなら……我輩は、止めぬよ」
     もう苦しまないでほしい。そんな思いがないわけではない。共に過ごすうちに情が移ったのかもしれないが、英智がどのような思いで、どのような覚悟で革命を起こしたのか、今では少しだけ理解できる。
     自分たちを傷つけた者の事情など知らないと一蹴することは簡単だ。だが、英智たちは、悪魔よりも多く人を殺した聖書の中の血の通わぬ天使ではない。英智たちは人間である。自分たちと同じ、人間だ。そして、人間である以上、零には英智の心の根底に渦巻く重りのようなその感情を無視することはできなかった。重たい罪悪感に押しつぶされそうになっている姿を見てなお、責め立てる気にはとてもなれなかった。
     助けるのも許すのも、一歩間違えれば無責任な自己満足となりうるからこそ、零は、少なくとも英智相手には、そのどちらもしたくはなかった。
    「それが、天祥院くんに呪いをかけた、我輩の責任じゃ」
     話しながら、零は、英智とは別の十字架を背負いながら英智とこれからもこの部屋で過ごす覚悟を決めていた。どれだけ縋られたような気分になっても、どれだけ許してやりたくなっても、どれだけ手の届く範囲に英智がいても、決して手をのばすようなことはしない。それが零の意思だった。
     暗闇で紅く灯る零の瞳に、もう一人の零は「ふぅん」と再びいかにも興味なさげに答えた。そして、何事もなかったかのように立ち上がると、身体ごと零の方を向いた。
    「……おまえも、楽になりたくねぇんだな」
     小さくそう言うと、心優しい魔王陛下は頭の上で手を組んだ。踵を返しながら手をひらひらと振ると、玄関にスタスタと歩き出した。
    「まぁ、それがわかったなら良いか。じゃ、そういうことだから、お邪魔虫はもう帰ってやるよ。あとは、慰め合うなり殺し合うなり愛し合うなり、ご自由にしろよ」
     背を向けた零に、英智が「待って」と声をかけた。

    「そういうことってどういうことかな。殺さなくて良いのかい? 僕のこと。ここで殺しておかないと、また悪さをするかもしれないのに」
     真剣な表情でまくし立てながら自分を見つめてくる英智に、魔王陛下はおかしそうに笑って零の方を見た。
    「さぁな。あとはそいつに聞けよ。じゃあ」
    「あっ……」
     英智が一瞬だけ零の方を見た瞬間、魔王陛下の姿は部屋から消え去っていた。彼の残し香か、一度だけさらりと風が吹いて、英智と零の髪を弱く揺らす。二人は顔を見合わせると、それぞれのベッドの縁に、向かい合わないように座った。
     
    「……何で、止めたんだい」
     沈黙を破ったのは英智だった。零は「嫌がっておったじゃろ」と小さく答える。英智は乾いた笑いを吐いた。
     
    「別に。嫌なんかじゃなかったよ。君に抱かれるなんて、光栄じゃないか。君に抱かれたい人間はこの世にごまんといるだろう。……あのまま、性欲でも殺意でも何でもぶつけてくれれば良かったのに」
     夢の中とはいえ首を絞められたばかりだというのに、なんてことないような顔をして話す英智に、零は眉を下げた。
    「……あれは、我輩ではないぞい」
     ベッドに背を向けて部屋全体を遠く見回すように座りながら口を開く零を一瞥すると、英智は、ふふっと微笑んだ。
    「分かっているよ。ここが夢の中だってこともね」
    「そうかえ」
     零は喉が乾いたのう、と言うとベッドから立ち上がり、ベッドサイドのランプを点けた。オレンジ色の柔い明かりが眩しい。その光に目を眩ませながら、備え付けの冷蔵庫へと向かいながら「おぬしも何か飲むかえ?」と聞くと、「君と同じ物でいいよ」と素直な小さな声が背中越しに返ってくる。零は水の入ったペットボトルを2本掴むと、「いくぞい」と言いながら1本英智の方へ放り投げた。
     綺麗な放物線を描きながら、ペットボトルが英智の真正面へと向かっていく。英智は「ちょっと」と言いながら両手で難なくキャッチした。
    「乱暴だね。急に放り投げなくても良いだろう」
     呆れたように目をジトリと細める英智を笑いながら、零は「ナイスキャッチじゃ」と明るく声をかけた。零の顔を一瞥すると、英智は俯いて手の中のペットボトルのキャップを見つめた。
     
    「朔間くん」
     零の方に目を向けないまま、英智は口を開いた。

    「礼を……言うべきかな」
     水のことではないとすぐに分かった。零は首を振った。
    「要らぬよ。我輩が勝手にしたことじゃ。おぬしは何となく分かっておるじゃろうが、我輩はずっと、ただただ自分がしたいことをしておるだけじゃよ。そういう生き方しかしておらぬ。じゃから、礼を言われても困るのう」
     いつもの調子でそう答えた零に、英智はゆっくりと顔を上げると、静かな暗闇の中で「そうかい」と静かに答えた。
     
    「……僕もね。あれこれ理屈を付けていても、本当は、どれも僕がそうしたかっただけだったんだ。結果的に学院のため、業界のためになったとしても、結局、僕はいつも『そうしたい』僕のために行動しているだけなんだ」
     だんだん小さくなっていく声が、零の耳にはっきりと届く。弱々しい音色の小さな声は、まるで英智の心の欠片がポロポロと床へ零れ落ちたようだった。
     零が何も答えないでいると、英智は「なんて」と自嘲気味に明るく声を出した。
     
    「泣き言を言っている場合ではないね。革命の犠牲にした『君たち』に、情けなくて顔向けできないよ。今日のことは、できれば見なかったことにしてほしいな」
     暗闇の中でオレンジ色のぼんやりとした輝きに照らされた金色の髪を耳にかけると、英智は透き通ったオレンジ色を纏った水色の大きな瞳を零に向けた。

    「僕は、僕自身の行動に責任を持たなければいけない。だから、僕はこれからも僕のできることに力を尽くすよ。結局のところ、僕にはそういう生き方しかできないからね。これが、僕だよ」
     英智はそう言うと、不敵にニヤリと微笑んだ。その笑みは皇帝陛下然としていて、凛とした輝きを放っていた。つられて零も笑みを浮かべた。
     今の自分はきっと、英智と同じ表情をしているだろう。そう思うと、何とも辟易する。零はペットボトルのキャップを開けると、横に伸びた唇に冷たい水を流し込んだ。枯れてひび割れた大地が、潤っていく。それが心地良くて、零は瞳を閉じた。
     ダンボールの中で雨に打たれた子猫のような小さな声は、人間に手を差し伸べられることを求めていなかった。子猫は早速自分で茶色の大きな壁をよじ登って、広い世界へ歩き出したらしい。
     零につられるようにして、英智も思い出したかのようにキャップを開けると、ペットボトルに口付けてコクコクと喉を上下させた。満足のいくまで飲んだのか、ふぅ、と一息つく英智に、零は小さく笑った。普段はいかにも高級そうなティーカップで優雅なアフタヌーンティーを嗜む英智が、今は何だか年相応の人間らしく見える。
     ──何じゃ。意外と、かわいいところがあるのう。顔以外にも。
     そう思いつつ笑いながらまた一口水を飲むと、自分を見て笑う零に気づいたのか、英智はコホン、と咳払いしてばつが悪そうに零を見た。
    「何だい」
    「いいや? ミラーリングみたいじゃなと思ってのう? おぬし、我輩のこと大好きかえ」
     指摘されて無意識に零と同じ行動を取っていたことに気づいたのか、英智はピクリと眉を動かしてニコリと笑った。
    「そうだね。つい同じ動きをしてしまったみたいだ。僕、朔間くんのことが大好きだからね」
    「それはそれは。光栄じゃ。嬉しいのう。我輩も、天祥院くんのこと大好きじゃから」
     そのまま、無言でニコニコと微笑みあう。数秒間微笑みあっていた二人だったが、やがてどちらからともなく無表情になった。
     
    「……やめよう」
    「そうじゃな。我輩ピュアじゃし、どこぞの誰かさんと違って嘘をつきなれておらんから、大好きなんて心にもないこと言わされて辛かったぞい」
    「ふふふ。僕も、どこぞの誰かさんのように、偶然水を飲むタイミングが被っただけで相手が自分のことを好いているだなんて身の程知らずなことを思えるほど、高い自己肯定感を持った素晴らしい人間だったら良かったのだけど。そうではないから、とても胸が痛かったよ」
     笑顔で紡がれる嫌味に、零は心の中で苦笑いした。
     ──全く。1言ったら10返ってくるんじゃから。
     呆れた表情を送る零を一瞥すると、英智はサイドテーブルに持ったままだったペットボトルを置いた。鼻歌を歌い出しそうな表情で零の方に背を向けると、スルリと己のベッドの毛布の中に入っていった。
     零も英智の様子を見てサイドテーブルにペットボトルを置くと、ランプを消し、いそいそと毛布の中に入った。再び広がる暗闇の中で、英智に背を向ける。
     沈黙。ついさっきまで会話していたこともあり、何となくいつもよりも気まずい。どうしたものか、と首を動かさないように英智の方を見ると、視線の先──パーテーションの向こうの暗闇で、英智がもぞもぞと動いたのが分かった。
    「…………おやすみ、朔間くん」
     英智からその言葉を聞いたのは、これが初めてだった。生活リズムが違うこともあるが、何となく言いがたかったこともあり、まともにそんなことは言っていなかったような気がする。零は壁を向いたまま笑みを浮かべた。
    「おやすみ、天祥院くん。……今度こそ、良い夢を見れたら良いのう」
    「……君もね」
     初めてまともに交わす「おやすみ」は、何だか気まずくて、照れくさい。これが、これからは普通になっていくのだろうか。
     零はゆっくりと紅い目を閉じた。
     
     その日の夜。深い暗闇の中。上品で完璧な笑顔の裏に、重たく暗い何かに足を取られ、押しつぶされそうになりながら藻掻く誰かの姿が、寝たはずの零の前にぼんやりと浮かんだ。固く閉じられた何かを隠そうと、気高く強い言葉を放つ天使が、そこにいた。その姿は酷く朧げで、今にも消えてしまいそうだった。
     天使は血染めの白服を纏い、錆びたレイピアを引きずりながら何も言わずに零を無表情で見つめると、自らの翼にレイピアを突き刺した。
     重たい水音を撒き散らしながら、何の迷いもなさそうに自らの背から翼を刈り取っていく。やがて血を流す背から2つの翼を剥ぎ取った天使は、零の方を見ないままレイピアを零に放り投げると、痛みが広がっているであろう身体を諸共せずにスッと美しく立ち上がり、蜃気楼のように暗闇の中に紛れていった。
     どんなに赤黒い血にまみれても、どんなに深い闇に押しつぶされそうになっても、きっとこの天使は、自分で這い上がってこれるのだろう。どんな手を使っても、どんなに時間がかかっても、必ずこちらに追いついてくるのだろう。あんな馬鹿みたいに大きな翼などなくとも。
     零は、天使然とした人間のその力を信じようと思った。それが、傲慢に人を愛した零の責任で、零の罪で、零の罰だろう。
     零は天使の落としたレイピアをそっと拾い上げると、まだ生温かい赤い血が付いた剣身を指の腹でなぞり、優しく抱きしめた。
     天使の名は、天祥院英智。先程の綺麗な天使は、二年前の彼だった。零のたった一人の同室相手であり、こちらが暗闇からすくい上げなくたって、自分で暗闇から這い上がってこれる数少ない零と対等な敵である。
     零は血のついた指先をじっと見つめると、宝物を扱うようにもう片方の指で慈しむように撫で、ぎゅっと握った。

     
     ぐらり。意識が歪む。強烈な眠気が襲ってきて、零はいつのまにか戻ってきた寮の部屋のベッドへとまた潜り込んだ。英智の方を見ると、ちょうど英智はこちらを向いて寝ているところだったらしく、彼の美しい顔が目に入った。あんなに見ないようにしていたパーテーションの向こうが、今はこんなにきちんと見ることができる。零は肩が軽くなるのが分かった。
     夢の中だというのに、自分の意志でペットボトルの水を飲んだり、ベッドに寝転がったりレイピアを拾い上げたりできるだなんて、何とも奇妙だ。マトリョーシカのように幾重にも重なった夢を見ているのだろうか。このまま意識を委ねたら、今度こそきちんと寝られるのだろうか。
     そんなことをふわふわと考えていると、明日が少しだけ楽しみになる。
     明日は、英智に「おはよう」と言ってみようか。いつもはそんなの面と向かってきちんと言ったことがないから、英智はきっと何かしらリアクションを取ってくれるはずだ。零は英智が明日どんな顔をするか想像するだけで、頬が緩んだ。
     手を伸ばして助けることはしないが、共に水を飲んだり、対話したりすることくらいはできる。パーテーションで互いの境界を守りながら共に同じ時を過ごして、コミュニケーションを取ったその先に、眩い何かがあると信じて。零はこれから先普通に飛び交っていくようになる「おやすみ」と「おはよう」の間にまたがる境界線じみたパーテーションが、心なしか薄く近くなったような気がした。
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