無力化したねじれの回収をLCAに任せ、疲労した体を引きずるようにして依頼人へ報告に向かう。依頼人は企業ではない一般の人間で、最初に顔を合わせた時と同じ不安そうな表情を貼り付けたまま、自宅で待っていた。私たちが顔を見せると、彼は多少なり驚きの表情を浮かべる。もしかすると私たちが仕事を放り出して帰ってしまったとでも思っていたのかもしれない。
依頼人の家はごく一般的な住宅に見えたし、飛びぬけて裕福そうな雰囲気もなかった。おそらく出せる報酬も多くはない。協会や事務所でなく、まだ知名度の低いリンバスカンパニーに依頼してきたくらいなのだから、藁にもすがる思いだったのだろう。
〈まあ、そういう訳で……原因のねじれも回収できたし、人間が消失するようなことはもう起こらないはずだ。……と、伝えてくれるか?〉
私が事の経緯と依頼が完了した旨を報告しても、結局相手には伝わらない。隣に立つホンルに翻訳してくれと頼むと、彼はにっこりと笑ってそれに応えた。
企業の人間が相手ならばファウストに翻訳を頼むのだが、複雑な思惑がなさそうな一般人ならば、人当たりのよいホンルのほうが適役だ。ホンルもすっかり翻訳が板につき、要点を掻い摘んで過不足なく依頼人に伝えてくれる。
「――なので、ええ、原因のねじれはダンテ様の指示で回収しましたから、もう事件は起こりませんよ~。良かったですね」
「ああ……ありがとうございます! 私が出せる程度の報酬では、協会も引き受けてくれなかったのに……なんて義侠心に富んだ方なんでしょう。あなたは恩人です!」
〈お、おお……〉
もう安全であることがホンルの口から伝えられると、依頼人は感激した様子で私の手を取って距離を詰めてきた。結構な勢いに圧され、思わず一歩下がる。
もちろん、彼の言う燃えるような義侠心によって仕事を請け負ったわけではない。依頼人が大金を詰もうが、はした金で仕事を投げてこようが、上が命じてくれば私たちには仕事を請ける以外の選択肢はないのだ。リンバスカンパニーは資金に困っていないらしく、研究対象であるねじれの回収が最優先なようだし、たまたま利害が噛み合っただけに過ぎない。
とはいえ、まるで聖人のように評価され持ち上げられて、悪い気はしない。この依頼人は最初から協力的で、それでいて含むところもなかった。裏切る心配がなく素直な依頼人というだけでかなり良い部類に入る。しかもちゃんと私を代表として扱ってくれるし。多少かける言葉も好意的になろうというものだ。
〈いや、こちらも仕事だからね。あなたも全面的に協力してくれたし、みんなあなたみたいな依頼人なら助かるんだけど……あなたの依頼なら、また受けても構わないから、声をかけてくれ〉
依頼人にはカチコチ音にしか聞こえない言葉をかけ、ちらりとホンルを見る。私の期待に反し、ホンルはすぐに私の言葉を伝えようとはせず、悩むように首を傾げた。
「う~ん……」
言葉を言い淀んだホンルが私に顔を寄せ、依頼人には聞こえない声量でこっそり囁いてくる。
「あの、ダンテ様。最後のは伝えなくてもいいですか?」
〈え? あ、ああ……伝え方はあなたに任せるよ〉
私が頷くと、ホンルはどこか安堵したような色を瞳に浮かべ、依頼人に向き直った。
「そんなに気になさらないでください~。僕たちも仕事ですから。って、ダンテ様はおっしゃってます」
ホンルが淡々と事務的な用件だけを伝える。もう一度熱烈な謝意を伝えてきた依頼人の手を振り解き、挨拶もそこそこに帰路へとついた。
〈さっきの言葉、どこかまずかったかな〉
バスへ戻る道中、ホンルに問いかける。ファウストは度々、私の言葉を管理人としてあるべき言葉に置き換えて訳すが、ホンルはあまり私の意を曲げて伝えるようなことはしない。それだけに、先の言葉はホンルが翻訳を躊躇うほど良くなかったのろうか、とどうしても気になってしまう。
「まずいってことはないんですけど、ただ……伝えたくなかったんです」
思ったよりもシンプルな理由に、え、と戸惑う声が漏れる。
「あの依頼人さん、なんだかダンテさんに個人的な好意があるように見えたので……ダンテさんから歩み寄るようなことをあまりしてほしくなくて」
〈そう……だった?〉
たしかに最初から協力的で、好意的ではあったけど。薄利で依頼を受けた相手の機嫌を損ねたくなかっただけじゃないだろうか。あるいは本当に個人的な好意があったのなら、それは私にではなくて、直接言葉を交わしたホンルに対してなのではないか。
「すみません、やっぱり駄目でした?」
私の沈黙を不機嫌と受け取ったのか、ホンルが眉尻を下げて問いかけてくる。
〈いや、構わないよ。大したことじゃないし〉
私たちのように巣から巣へ移動しながら生活している人はあまり多くない。二度同じ巣へ行ったこともないから、今回の依頼人に再び会うこともないだろう。ホンルの言う好意の真偽がどうあれ、もう関係のないことだ。伝えなかった言葉も、その場限りのリップサービスみたいなものだし。それよりも、普段あまり自分を主張しないホンルが、嫌なことを嫌だと言ってくれたことのほうが大事だった。
私が間髪入れずに答えると、良かった、とホンルが表情を緩める。それから、バスに戻るまでいいですか、と問いかけてきたかと思うと、答えも聞かずに私の手を取って握ってきた。