すきと“好き”バレンタインからほぼひと月が過ぎ、シャンクスは妙にそわそわしていた。バギーから貰った手作りチョコの味が忘れられず、それ以上に、あの日のバギーの照れた顔が何故か頭から離れない。
「おれも、バギーに何かお返しないとな」
船員たちに相談を持ちかけると、意外にもロジャー海賊団の大人たちはニヤニヤしながら反応した。それぞれが華やかなリボンや包装紙に包まれた箱や袋を、どうだとばかりにシャンクスの前に掲げる。
「え、え、ズリいよ!いつの間に!」
シャンクスは大きな目をさらに丸くした。大人たちがバギーにホワイトデーのお返しをちゃんと用意してるなんて知らなかったのだ。自分は何も持っていない。
「おれ、何も用意出来てねェ!」
焦って叫ぶが、ギャバンには「何か食い物でも渡しとけ」と適当に肩を叩かれ、レイリーに「気持ちがこもってりゃ何でもいいだろ」と笑われただけだった。
バギーに何か特別なものを贈りたい。バギーが喜ぶ顔を想像するだけで胸がワクワクする。とはいえ、自分の手先はバギーほど器用じゃない。菓子作りなんて無理だ。それに買い物に出るにも島に寄港する予定はまだ先。結局、シャンクスは悩んだ末、バギーに何かあげたいという気持ちだけで突っ走ることにした。
その夜、見習い部屋には可愛らしい歌声が響いていた。青い髪を梳かしながら、バギーが海賊の歌を口ずさむ。大人たちから何を貰えるかが楽しみなようで、シャンクスのこともチラリと見て、「お前も、何かくれんだろ?変なもんじゃねェよな?」とワクワクを隠せないようだ。
「おう!楽しみにしてろよ!」
ポケットに忍ばせた製作途中の贈り物を握り緊め、ニカリと笑って見せる。大人たちに負けたくなくて頭の中はぐるぐるしていた。
前日ともなると、二人とも興奮を抑えきれず、布団に潜り込んた後もなかなか眠気はやってこない。寝返りを打つ度、見習い部屋には布が擦れる音が響いていた。
「おい、バギー!起きろ!ホワイトデーだぞ!」
いつの間にか眠りに落ちていたバギーは、まだ日も登りきらないうちから、シャンクスに肩を揺すられ無理矢理起こされた。
「うるせェ……何だよ、朝っぱらから……」
目をこすりながら不機嫌そうに顔を上げると、シャンクスの手に握られた物が目に入った。それは、クシャリとした紙と、小さな貝殻に紐が巻き付いた何か。
「なんだそれ?ゴミか?」
「ゴミじゃねェよ!おれが作ったんだ、バギーにやるよ。バレンタインのお返しだ!」
シャンクスが得意げに差し出したそれを、バギーは胡散臭そうな目でじっと見つめる。
――よく見るとそれは、雑に折られた手紙と、小さな貝殻に麻紐が結ばれた手作り感満載のペンダント。紙を開くと、そこには殴り書きのような字でこう書かれていた。
『バギーのチョコ すっげェうまかった おれ すっげェうれしかった ありがとう
バギーだいすき! シャンクスより』
「……は?何だこれ、……変なの!変!」
――バギー大好き、大好き。
バギーは変と言いながらも、顔がみるみる赤くなっていく。シャンクスの字は下手くそで、貝殻の紐は雑に結ばれ、正直「贈り物」と呼ぶには微妙な出来。それでも、バギーはずっとドキドキしていた。本当は嬉しかったが、どうしても恥ずかしさが勝ち、何度も変だと繰り返す。
「変じゃねェよ!おれ、ちゃんと気持ち込めたんだぞ!バギーのチョコだって手作りだっただろ、凄く嬉しかったから、おれだって頑張ったんだ!」
「あれは義理だってんだ!す、すきとか書くかよ普通!」
「ほんとのことだ!バギーだっておれのこと好きじゃんか!チョコがハートだった、だからおれも――」
「うるせえ!」
シャンクスが立ち上がって大声で言い返すと、バギーは叫んでクマのぬいぐるみを投げつける。痛えと喚く声が聞こえたが、かまわず部屋から飛び出した。
甲板の柱に凭れ,涼しい潮風を浴びる。熱かった頬の火照りが引き、頭も次第に冷静になっていく。
「……ったく、下手っぴ過ぎて何の形かも分かりやしねェ、こんなんでおれが喜ぶと思うなよ」
ツンケンとした言葉とは裏腹に、歪なフォルムの貝殻の紐を首にかける。小さな貝殻は、シャンクスがどこかの浜辺で拾ってきたものだろう。特別なものじゃない。だが、よく磨いたのか、貝殻の表面は虹色、パールのようで、胸元で動くたびに朝日を浴びてキラキラと輝く。バギーはその煌めきにうっとりと目を細めた。
脳裏に浮かんだのは、レイリーさんに相談したあの日のことだった。
『バギーの『好き』は、ただの仲間や友達って言葉で片付けられるもんじゃない。けど、シャンクスはまだそれに気づいてないんだろうな……。』
――女の子は早いな。
胸の病気だと思って泣きながら相談したら言われた言葉。優しく撫でられた頭がとてもくすぐったかった。
シャンクスの好きとおれの好きは、きっと違う。同い年でも早熟な自分と違ってあいつはまだまだガキだ。オーロの大人達への好きと、チョコレートへの好きと、変わらないだろう。
「好きとか、簡単に言うなよ……」
バギーが甲板から見習い部屋へ戻ると、シャンクスはクマのぬいぐるみを抱えて壁に凭れ、何もない空間を眺めていた。バギーが声をかけた途端ぱっと振り向く。
「かわいい!」
バギーの胸元で揺れる貝殻のペンダントを見とめると。シャンクスの口元には陽だまりのような優しい笑みが広がった。
「似合ってるな、バギー!」
折角冷ました頬がまた熱くなる。きっと鼻程に真っ赤だろう。
「まぁ、……悪くねェよ。ちょっとだけな」
指先で貝殻を玩び小さな声で呟いたバギーに、シャンクスは満面の笑みを浮かべた。
「ほんとか!?やったぁ、バギーが喜んでくれた!」
「よ、喜んでねェ!悪くねェって言ってんだ!」
バギーが慌てて否定するも、シャンクスはすでにデレデレと緩みきった顔でバギーに飛びつく。その様子を窓越しに見ていたレイリーとギャバンは、顔を見合わせてニヤリと笑った。
「まぁ、あいつららしいな」
「だな。あの貝殻、ハートだってよ」
下手くそだな。大人達が声を抑えて笑う中、バギーはシャンクスとじゃれ合いながら、首にかけた貝殻をそっと握りしめた。
夜も更ける頃、見習い部屋でバギーは一人、ベッドに寝転がりクシャクシャの手紙をぼんやり眺めていた。
――毎夜、シャンクスが小さな何かをゴシゴシと磨いている後ろ姿。ランプを小さく灯し、一生懸命磨くその背中が微かに震え、細かい作業に集中している様子に周囲の空気さえも静まり返る。ふと向ける横顔は真剣そのもの。時々違うなと唸り独り言をつぶやきながら、何度も手を止めてはまた磨きをかけて。布団の陰で息を潜め、シャンクスが何をしているのかを不思議に思いながらも、バギーはその磨く音を子守歌に静かに眼を閉じた。
思い出しただけで、バギーの口元が緩んで小さく笑いが漏れる。
貝殻にはナイフで削ったらしい粗い穴が空いていて、紐の結び目はでかくて歪で、笑えるほどの出来栄え。……だが、不器用ながらもシャンクスは一生懸命作ったのだろう。見るたびに増える手指の絆創膏はこの為だったのかと、バギーは胸がジンと熱くなった。
「バカシャンクス……」
呟きながら、ベッドの下から取りだした小さな宝箱を開く。そこにはキラキラしたガラス玉や珍しい形の石が詰まっている。バギーは手紙と貝殻のペンダントを中に仕舞い、宝箱の蓋をそっと閉じる。その箱ごと抱き締めると、胸にぽかぽかとした温かさが広がった。
シャンクスの、何も隠していない素直な言葉が、ふっと、バギーの心にジワリと染み入る。けれど少しだけ、胸が締めつけられるような感覚。
「早く、大人になりてェな……」
ぽつりと呟いた言葉は夜の波音に消えていく。
その夜、バギーは隣の布団に潜り込み、久しぶりにぐっすりと眠った。
終わり