「類ー!遅くなってすまない!」
忙しなく玄関へ飛び込み、しかし律儀に靴を揃えて司は大声でリビングへ叫んだ。稽古が長引いてしまい予定よりも少々遅い帰宅となってしまった。類は気にしなくていいよと笑うだろうが、司はそれでも約束を違えてしまった自分を許せはしない。
開け放った扉の先、つけっぱなしのテレビの前。ソファーに腰掛けて舟を漕いでいる愛しい人の姿に司は思わず顔を綻ばせる。そうして静かに歩み寄り背後から覗き込むと、その膝の上で夢中になってテレビを眺めている小さな体。
「ただいま、ありす」
司が呼べば、少女はぱっと目を輝かせて類の膝の上で手を叩いてはしゃぎだす。その動きに目が覚めたのか、類がうぅんと唸りながら振り返った。
「あぁ、司くん……おかえりなさい」
「ただいま、類。遅くなってすまない」
「いいや、僕の方こそ出迎えられなくてすまなかったね」
「構わん、ありすの世話で疲れていたんだろう?いつもありがとう、類」
すぐに夕食の準備をするからなとキッチンへ駆けていく司を、類は少女を腕に抱えて追いかけた。どうやら野菜を入れすぎないよう監視をするつもりらしい。親になったのだからいい加減その偏食を改善してほしいものなのだが。
「ところで類、体調はどうだ?」
野菜を小さく刻んだスープを煮込みながら司が問えば、類はうーんと苦笑いしながら我が子に頬擦りをした。
「やっぱり少し熱っぽいかな」
「ふむ、時期的にもそろそろだしな。いつも通り、一日くらいは実家でありすを預かってもらえるから無理するなよ」
「うん、うーん」
「類?」
腕の中できゃっきゃっとはしゃぐ子どもを見下ろしながら、類は困ったように司へ背を向ける。
「ヒートの度にこの子を預けてしまうのも、いい加減申し訳ないなぁと思ってね」
「……そんなことはない」
「その上でやってるのが司くんと交わることなのが余計に罪悪感でね」
「それは……仕方ない」
そもそも定期的とはいえ発情期を迎えた愛しい番が、健気に作り上げた巣で自分を待っているのを目の当たりにして堪えられるαがいるわけがない。ヒートをなるべく早く収めるためにも必要な行為だ。なにより昔から未だに遠慮がちな彼の本音を聞き出せる、二人にとって重要な交わりの時を司は蔑ろには出来なかった。
「君のご家族の、迷惑になっていないといいのだけれど」
「何度も言っているが、そんなことは決してないぞ。父さんも母さんも孫と遊ぶのを楽しんでいるし、ありすは咲希に懐いているもんな?」
さき、と名前を聞いた途端に少女があぷあぷと台詞にならない声を出して笑う。よほど彼女のことを好いているらしい。
「オレの家族はΩについても理解がある。……だから類、図々しいΩが無責任に子を産んで息子を誑かしていると思われてしまうかも、なんて考えるな」
「………本当に、君には隠し事が出来ないね」
うっすらと涙を浮かべた顔を娘の髪に埋めて類が呟く。慰めようとしているのか、少女が手を伸ばして類の頭を撫でようとするのを微笑ましく見守りながら、司も類の頭を撫でた。妊娠中もそうだったが、類はΩ特有の症状に見舞われると精神的にも不安定になりやすいきらいがあった。今回もヒートが近い故の不安だろう。熱を解き放ちさえすれば、またいつも通り彼らしい笑顔を見せてくれるはずだ。
「さぁ、もう夕飯が出来るからな。しっかり食べて備えるとしようじゃないか」
「……うん、ありがとう司くん。ありすも、ありがとう」
ああそういえば、とすっかり涙を引っ込めた類がすすすと司に身を寄せ、くすりと笑う。
「備えるといえば、司くん。明日の帰り、買ってきておいてね」
「ん?」
「ほら、ヒートの度に一箱使い切っちゃうから」
スープを注ごうとしていた空の椀がごとりと落ちる。類の腕の中で驚いたらしい娘が、不思議そうにゆったりと首を傾げた。
「類ーー!!ありすの前でやめんか!!」
「おや、これは失礼」
さぁ夕食にしようねとありすを連れて類が背を向ける。ちらりと覗く項に、交わる時が来たらまた思いきりそこへ噛みついてやろうと司は心に決めた。