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    ichizero_tkri

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    ichizero_tkri

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    12/12頒布の将参(🌟🎈)同人誌の書き下ろし分の、🔞シーンをカットしたものをこちらに再録します。
    行為を匂わせる描写はありますが、18歳以下の方もお読みになれる全年齢対応編集版になっています。

    ◆それから愛は未来を唄う


    「──うむ、良い報告書だ。ありがとう、下がっていいぞ」

    部下の一人から差し出された報告書に、ツカサは微笑を携えて頷く。ありがとうございます、と返した部下は深々と頭を下げ、その傍に控える元参謀にも和やかに会釈をして執務室を去っていく。未だ慣れないながらも、ルイも小さく頭を下げる。

    かつて──大臣に道具として飼われていた頃は、こうも心穏やかに職務に励むことなどあっただろうか。それを労わるように頭を下げられることなど。ツカサにこの心身を捧げ、仕えるようになってからもう随分と経つが未だ、慣れない。──というよりは、落ち着かない、気恥ずかしいという言葉の方が相応しいのかも知れない。

    一人静かに戸惑うルイを横目に、ツカサは先刻受け取った報告書に再度視線を落とす。黒い油の研究経過報告書。あの大臣が、ルイを遣わしてまで奪おうとした理由もわからないでもない。どうやらルイは、現存する大臣の部下の中でもとりわけ実力のある人物であったらしい。それだけ早々に心を殺して操り人形になることを選択した結果なのだろうと思うと、手離しに褒めてやれる気分にはなれない。いつか見た夢の、幼い姿の彼を思い返す。あんなに小さな頃から、家族という拠り所を失い一人苦悶の中生きてきたのだろう。ツカサはその顔に痛みを浮かべる。この幼子の道筋に思いを馳せる度、同等と呼ぶには傲慢な感情に胸が痛むのだ。

    だからこそ、幸せにしなければと思う。この、ひどく欲浅く健気な幼子の望むものを、全て与えてやらねばならないと。傍に在れたならそれだけでと、ツカサを幸福でいさせてやれるならそれでいいと、自らの幸福など露ほども換算しないこの幼い子を、誰より幸せに。

    「……ツカサさま?」

    不意に名を呼ばれ、うん?とツカサは顔を上げる。見れば、筆を置いたルイが怪訝にこちらを見やっていた。

    「ルイ、どうした?」
    「……いえ、何か難しい顔をされていたので。私で役立つことがあれば、お話を窺いますが……」
    「ああ、なに、少々考え事をな。……ありがとう、ルイ」

    手にしていた書類を、そっと机へ下ろす。最近は、黒い油の研究拠点へ向かうとルイも僅かながらそれに手を貸している。本人は仕込まれただけの知識だと謙遜するが、恐らくは奴に躾けられた以上に努力をしていたことだろう。ルイの助力によって、黒い油の研究は順調に進んでいる。

    城の研究チームが、ルイをこちらにと欲する気持ちもわからないでもない、とツカサは腕を組む。最近になってルイをツカサの部下ではなく研究者として都へ戻すべきではないかと提案されたのだ。ルイが望むなら、それもいい。けれど、ツカサは簡単にはそれに頷けない。きっとルイはそれを望まない。奴らの言うそれは、ルイをかつての大臣のように道具として使い潰そうとするためのものだ。罪を犯した過去を持つことを盾に、都合のいいように飼い殺すのだ。そんなことを許せる男ではなかった。

    ──けれど、もし。ルイがそれを望み、受け入れるのだとしたら。

    (……その時、オレはどうするべきだろうか)

    ルイが望むならそのように、なんて信念は自分が思う以上に脆く情けない意志だった。

    ずっとこの子の傍にいてやりたい。毎日が幸せで仕方ないと笑えるようにしてやりたい。ルイが迷うのなら自分がその手を引いて、自らが不安に陥るのならルイに支えてほしいのだ。ツカサは、まだ全然ルイを幸せに出来ていないと、そう信じていた。

    思案に耽るツカサの耳に、窓の向こうからコンコンと物音がした。聞き慣れてしまったそれにまさかと振り返れば、満面の笑みで木の枝に跨って窓を叩き楽し気にこちらを呼ぶ少女がいた。

    「おや、もうそんな時間でしたか」

    ああそうだ、とツカサは思い出し壁掛けの時計を一瞥する。昼下がりを指す時針は、俗にいうおやつの時間を知らせている。今日はこの時間にこの森の少女が、遊びに来ると約束していたのだった。つい仕事に夢中になってしまったなと、ツカサは広げていた書類を纏めて執務机の引き出しへと押しやった。機密事項に当たるそれらをツカサが片付けたことを視認して、ルイは掛けられた鍵を外して左右に窓を開いた。

    「えへへっ、こんにちわ!」
    「こんにちは。窓ではなく玄関から入るよう、申していた筈ですが」
    「早く将校さんと参謀さんと、お茶したくってぴょぴょーんって来ちゃった!」
    「……まぁ、構いませんが。紅茶の準備を致します」
    「ああ、待てルイ。オレが淹れよう」

    落ち着かない気分のままエムと接しては、見抜かれ指摘されてしまうだろう。気分転換は必要だと、備え付けの調度品の中から慣れた手つきでティーカップとお気に入りの茶葉を探し出す。初めこそ手伝おうとしていたルイだが、ツカサに座っていてくれと促されて仕方なくエムの待つソファーへ腰かけた。エムは楽しそうに、町の人たちに分けてもらったんだよと甘い香りのクッキーを取り出して笑った。それに応じるように、ルイも笑う。いい香りです、美味しそうですねと、幼い子の面倒を見るように。

    (……笑っている)

    かつては、精巧に作り上げた笑顔の仮面で対峙していた。この手で解放してやってすぐは、笑うことさえ慣れないようで不安げに口元を緩ませることもあった。けれど、今は。ひどく優しく、なにを憂うこともなく微笑んでいる。

    (馬鹿だな、オレは……何を迷うことがあるというんだ)

    ルイが笑っていられる選択があるなら、それでいいじゃないか。

    ここにいることで、自分の傍にいられることでルイが笑っていられるならそれでいい。ルイが新たな居場所へ向かうことで幸福を探し当てられるのなら、それでもいい。

    ツカサが願うのは、ルイの幸福なのだ。

    この子の心はひどく幼いが、自らの意思を大事に出来る。自分がどのように在りたいか、誰の傍に存在したいのか考えることが出来る。自分で選択出来る。それを信じた上で、この子がこの子の為に選べるのなら。

    (オレはそれを……尊重し、応援してやらなければな)

    ツカサはトレイに注いだ紅茶を並べ、親しげに話す二人の元へ戻る。この笑顔が守られるよう、自分が彼を支えるのだ。


    * * *


    「ルイ、準備は出来たか」

    外出用の仕事着を身に纏い、ツカサはルイに与えた私室の扉をノックする。はい、と焦ったような声の後、いつもの外出着を着込んだルイが顔を覗かせる。今日は森へ向かい、黒い油の研究拠点へ赴く予定だ。心成しかルイの足取りは軽い。余程研究経過を眺めるのが好きらしい。元々勤勉な性格なのか、興味のあることにはとりわけ意欲を注ぐ性質なのか。どちらにせよ、ツカサはルイが黒い油へ向ける興味が健全なもので良かったと安堵している。かつて与えられた命令のように、後ろ暗い理由での興味でないことがこんなにも喜ばしい。

    「申し訳ありません、お待たせいたしました」
    「構わん。さぁ、行くぞ」

    そう告げてツカサが森へと先導する。もうすっかり通い慣れた森の奥への道を、しかしルイは常に新鮮なものを見るように歩く。曰く、自然の作る表情は毎日変わるものなのです、と。それに倣いツカサがここを通る度周囲に気を配ってみれば、なるほどルイの言う通り森は少しずつその姿を変えているのだとわかった。

    生い茂る緑は常にその姿を悠々と揺らすだけではない。一日毎に落ちる葉が増え、獣や虫に食まれ、季節の移り変わるのと比例して顔色を変えていく。森の民の意向を尊重して過度に整備を行っていない道の路傍に咲く花は、いつ芽吹いたものだろう。枝の先で羽を休める小鳥たちの居場所は、その日その日で位置も異なる。

    この毎日のように表情を変える自然豊かな光景は、これまでの奇跡の結果で残されているようなものだった。森の民と町の民が手を取り合うことを選択しなければ生まれなかった景色。大臣の策略からルイが逸脱することを選択しなければ消されていたかも知れない景色。そしてツカサにとっては、ルイがその変化を指摘してくれなければ、きっと気付くこともなかったのだ。

    随分と、守りたいものが増えてしまった。自身の変化を自覚しながらツカサは森を進む。ルイが、木々に触れてはもうじき寒い季節が来るのでしょうねと呟いたのに頷いて、彼に温かい服を買い与えてやらねばななどと思い耽る。ルイの私物は元々あまりに少なく、ツカサの監視下に入る際に処分したものを含めたとて雀の涙ほどのものだ。大臣から買い与えられたもので思い入れもないというのだから、ならば今度は自分が贈り大事にしたいと思ってもらわねばならない。

    「漸く花畑に着いたな。……はは、ここはいつ来ても美しいな」

    到着した花畑に、ツカサは目を細めて呟く。ちらりとルイを見やれば、彼も同じように目じりを下げてええ、本当にと微笑んでいた。大臣からの強襲を受け、決別を選んだ運命の場所は、怪我から回復したばかりのルイにとっては痛みの残る景色でもあり、しかしツカサへの忠誠を享受され、尊いばかりの花々が咲き誇る、これ以上にないほど愛しい空間だった。今やもう、あの日の惨状を思い返し震えることもないらしい。愛おしそうに花々を眺めるルイに、こちらが見惚れてしまいそうだとツカサは視線を逸らした。今はまだ、職務中なのである。

    さぁ目的地はここから更に奥へ進んだ洞窟の近くだと、二人は再度森を進む。そうして暫く、漸く辿り着いた洞窟の入り口にはツカサの部下たちが警備として佇んでいる。ツカサの姿に反応し敬礼をした後に、その内の一人が彼を呼び止めた。

    「将校どの、来客が奥へ進んだのですが、ご連絡は受けていますでしょうか」
    「来客? ……いいや、私は聞いていない。身分と所属の確認は?」

    表情を険しくして問うツカサに、部下は勿論控えておりますと走り書きの紙面を差し出す。そこに記されたのは二名の軍人の名前。その片方に、ツカサは嫌なほど見覚えがあった。

    ルイを研究員に、と忌々しくも提案したあの男の名だ。ツカサは無意識に眉間に皺を寄せながら、もう一つの見慣れない名前に視線を寄越す。所属は、件の研究班の長。なるほど、男に連れられ研究経過の監察とおそらくはルイへの探りを入れに来たのだろう。研究長の方は純粋な好奇心や経過の確認を楽しみに訪れたのだとしても、さてかの男の思惑は如何ほどのものだろうか。もしも強引にルイを奪い悪意の鎖に繋ぐ腹積もりなのであれば、自分は。ぎゅうと力のこもった手に、温かい指が触れる。ツカサがハッと顔を上げれば、困ったような笑みを浮かべてツカサの顔を覗き込むルイの姿があった。

    「……将校どの。眉間に皺が寄っております。将校ともあろうあなたが、そうも激情を露にするものではありません」
    「……すまん」
    「何を憂うことがあったのかは存じ上げませんが、……必要とあれば、私はあなたの為に尽力する所存。どうか、私などで良ければ頼っていただきたい」

    切なさと自信を混ぜて微笑むルイに、ツカサはああと微笑んだ。

    「そうだったな。心配せずとも、必要であればルイの力を借りる。お前こそ、私のことでそうも不安げな顔をするな」

    オレと共に在って恐れることなど、なにもなかったろう。小声でそう告げれば、ルイはふっと眉を下げて本当にずるい人と零した。

    警備の部下にありがとうと礼を告げて、ツカサはルイを連れて洞窟内を進む。薄暗い道を進んでいけば、やがて空洞へと辿り着く。そこには見慣れた研究員たちのテントが張られており、ルイにとって見慣れない身なりの整った軍人が二人いた。ツカサの表情が僅かに強張るのを、ルイは見逃せなかった。なるほど、どうやら彼にとって警戒すべき相手らしいと、ルイも集中して相手を睨む。二人の来訪に気が付いたのか、振り返った軍人たちはそれぞれ全く別の輝きを目に携えてこちらへと歩み寄った。

    「これはこれは、将校どの。お元気そうで何より」
    「……来訪の連絡は受けていない。何用で参られた?」
    「これは失礼。私の予定が詰まっていましてね。急遽決まった視察でしたので、ご連絡が遅れてしまいました」

    背の高い方の軍人が恭しく頭を下げる。こちらが研究長だろう。一方で濃く髭を携えた男は、侮蔑を灯したような目でルイをじろりと一瞥する。その視線の意味に気付かないルイではない。なるべく心を殺していた方が良さそうだ、とルイは一つ瞬きをして参謀の顔を被る。もしこの仮面から自力で抜け出せなくなったとしても、ルイにはツカサがいる。ちゃんと連れ戻してくれると、信頼がある。

    「あなたが城の研究長か。お初にお目にかかる、この町と森の監督を任されている将校のツカサだ」
    「ええ、お会い出来て光栄です」
    「本日は私と研究長で、黒い油の視察に参りました。先程ここの研究員に話を聞きましたが、調査は順調なようですな」
    「ああ、研究長のあなたが派遣してくれた研究員は優秀だ。私としてもとても助かっている」

    事実と共に感謝を述べれば、研究長はとんでもないと謙遜をする。全ては彼らの努力と、指揮官とも言える将校の手腕の賜物だと微笑む。ツカサはほんの少し警戒を解く。どうやら彼からは悪意を感じない。なればここへ訪れたのは、純粋な責務のためか。

    「将校どの。私は本日、もう一つご相談がありましてここへ参りました」
    「……承知している。ルイのことだろう」
    「……私、ですか?」

    ルイが抑揚を殺した声で呟く。研究長は静かに頷き、軍人はふんと鼻を鳴らした。

    「あなたを、城の研究班へ招き入れてはどうかと提案されまして」
    「……え?」
    「あなたがこちらの研究に助力していただいていることは聞いております。その成果が著しいものであることも」
    「お前の知識は必ず研究の糧になるだろう。都の発展のため、そしてこの国のために役立てるべきだ」
    「………ぇ、っと……」

    仮面はいとも容易く剥ぎ取られてしまった。予想もしていなかった勧誘の言葉に、ルイは意味を理解出来ない幼子のように言葉を失い狼狽えるばかりであった。

    「私……私、は……」
    「……ルイ」

    無理をするなと、ツカサの手がその背を撫でる。蒼白の顔に、研究長も眉を下げる。

    ルイは、考えたこともなかった。これから、ツカサ以外の誰かに仕えることになるなど。再度都のどこかに戻ることなど。他者に自分が用いられることを、ルイは未だ恐れているのだと自覚した。ツカサの為に存在することなど、ただの一つも恐ろしくなどないのに。

    実力を買われ、認められて命じられている。従順な道具としては、それに頷かなければならない。けれど、ルイは。自我を与えられ、自由を知り、愛を求める許可を得た、ただの人間のルイは。

    「……………申し訳、ありません……私、今すぐに、答えを出すことは………」

    頼りない手が、自らの服を堪えるように握り締める。俯き答えられないと逃げたルイに、軍人は荒々しく地面を踏んだ。

    「研究長直々の誘いを蹴るとは、気は確かか? 罪人にそのような権利があるなどと思いあがっているか、哀れな!」
    「っ……!」
    「貴様……ッ」

    舌を打ち、ルイを庇うように一歩前に出たツカサは我慢ならないと腰に携えた剣の柄を握る。たった一瞬さえあれば、それを引き抜きこの男を切り捨てることなど容易だろう。将校として、それが為してはならないことだとわかっている。だが、ルイを愛してしまった一人の男として、ルイを侮辱されることは自身の果たすべき責務よりも優先すべきことだと思えてしまったのだ。

    鋭い警戒を見せるツカサと傲慢に鼻を鳴らす男との間に、優雅な立ち振る舞いで研究長が割って入った。お互い気を落ち着けなさい、と優しく告げながらその奥のルイにも微笑みかける。ルイはそこで漸く、自らの呼吸が止まりかけていたことに気が付いた。どっと深く息を吐き出すと、途端に手が震え始めた。このままではどうにも立っていられないと、ツカサの背に縋った。弱弱しく彼の服の裾を掴めば、今にも剣を抜かんとしていた手がゆっくりと背に回る。迷いもなく迷子の手を捕らえたツカサは、自身のそれでしっかりとその頼りない温度を包み込む。

    「事前の連絡もなく突然誘いをかけたのはこちらです。答えを今すぐ急こうとは思っていませんよ。……我々はこの後すぐに都に戻りますので、返事はいつか。文を送っていただければ、それで構いませんよ」
    「…………私、は……」
    「……研究長。お心遣い、感謝する。この通りルイは少々不安定なんだ。今日の所はこのままお引き取りいただけると助かる」
    「ええ、勿論。混乱させてしまいましたね。さぁ、我々は帰りましょう」
    「……そうですね。お騒がせしましたな、将校どの」

    いい返事をお待ちしています、などと宣う男に、ツカサは意識の外のままルイの手を強く握った。その温度があるおかげで、ルイはその声音に怯えずに済んだ。

    「……ルイ。オレたちも戻るぞ」

    将校の一人称から戻ったツカサに促され、ルイは漸く彼らの足音がはるか彼方へ遠ざかっていたことに気が付いた。その指先から緊張が解け、掴んでいた裾が逃げていく。自由になった指先を自身のそれで絡めれば、ルイは安堵を頬に浮かべて息を吐く。

    そうして繋いだ手に導かれるまま館へと戻る。出迎えた部下の少女は二人のただならぬ様相に何かを察したのか、後で夜の軽食を執務室に届けておくねと微笑んだ。部下の気遣いに礼を告げて、ツカサはルイを連れ執務室の奥の私室へと戻る。平時の彼らしくない乱雑な動作で羽織を脱ぎ、それから反比例するようにいやに丁寧にルイの上着を脱がせ、柔らかなベッドへと腰を降ろさせる。

    「ルイ、……大丈夫か?」
    「……はい、……いえ、申し訳ありません。まだ少し、混乱しているようです」
    「無理もない。……予測していたのに、突然のことで驚かせてしまったな。オレの方こそ申し訳ない」

    ルイは静かに首を横に振ると、控えめにツカサの手を引いた。隣へ、と促されているのだと察し、ツカサは音を立てぬようゆっくりと腰掛ける。僅かに揺れるそれに、ルイはほうと安堵の溜め息を吐く。

    「……ツカサさまは、ご存知だったのですか?」
    「……軍事会議で、話には出ていた。だがオレが断っていた。お前には……まだ酷な誘いだと判断してな」

    だがな、とツカサは眉を下げて笑う。

    「ルイ、お前が望むなら行ってもいいんだぞ」
    「っ……!」
    「オレはお前が幸福であることが一番の望みだ。そのために都へ行くというのなら、……俺に引き留める権利などない」
    「私は……」

    絡んだ指が、強く強く繋がれる。震えるそれに、ツカサは自身が痛みを感じてしまっているかのように顔を顰めた。迷い、悩ませることなどしたくはないのに。怯えることなく毎日を幸せに過ごしてほしいのに。どうしたって痛みを避けて生きていくことなど出来ないと理解はしていても、それでも。

    「……ツカサさま、私は……」
    「……ああ」
    「私は……あなたの、傍に……けれど、……わたし、は」
    「ルイ。……焦ることはない。逸る気持ちに圧されて選んでしまっては、いずれ悔やむことになる。……出来るなら、お前の心から望む道を選んでほしいんだ」

    無論そのためであればオレはいくらだって力を貸そう、と微笑みツカサはルイの身をその腕に抱く。ルイにとって、世界で一番安心出来る場所。不安のなにもかもを捨て、ただ身を預け呆けてしまうことを許される自分だけの居場所。

    「疲れたろう。今日は……もう休もう」
    「……はい」

    まずは心身を癒やすことが先決だと、抱き締めた体躯と共にツカサは寝転ぶ。その体温に包まれ目を閉じながら、ルイは唇を噛む。
    こんなにも温かくて優しい、幸福な空間に存在することを許されているのに、どうしてそれがこんなにも胸を締め付け苦しめるのだろう。


    * * *


    筆が進んでは歩を止める。暫くぼんやりと呆けた後に、ルイは我に返って筆先を紙面に滑らせる。あれからもう数日が経っている。それなのにこの体たらくだと、ルイは静かに肩を落とす。ふとした時に心臓が震え、かけられた誘いに指が止まる。まるで先に行くことを、迫る明日を恐れるように。

    「……ルイ」
    「………」
    「ルイ。聞いているか?」
    「……え、はい、どうされましたか?」
    「………」
    「将校どの?」

    握っていた愛用の万年筆を置いて、ツカサは立ち上がる。今日の書類が多くなくてよかったと安堵しながら、目線を合わせるべく床へ膝をつく。その俯いた仄かに影をおびる表情が、初めて彼が発熱した頃のもののようだと思った。

    「書類仕事ばかりしていて少し目が疲れた。お前さえよければ、散歩に付き合ってくれ」
    「……フフ。私はあなたの監視の下生きることを許された罪人ですよ。あなたが行きたいと思うならば、そのように手を引いてください」
    「……残念ながら、オレは王命よりお前の意思を尊重したいようでな」

    愚かな軍人だと笑ってくれと告げて、ツカサはルイの手を引いた。導かれるままに、ルイは椅子から立ち上がり彼と共に執務室を後にする。進んでいない仕事は、明日にでも片を付けてしまおう。

    どこまで歩こうか、とツカサが問う。どこへでもと、静かにルイは返した。

    好きな景色はたくさん見つけた。彼と出逢ってから、たくさん知った。それを彼と共に眺めに行くのもきっと素敵だろう。けれど、ルイは本心からどこだっていいとも思えた。ツカサがいるなら、どんな焼け野原も美しい花畑に見えてしまう。そこが、どんな地獄だったとしたって。

    もし、もしも。彼と離れて一人になった時、この目にその地獄はどんな風に映ってしまうのだろう。
    悍ましいその地の底で、自分は一人で生きられるだろうか。
    生きなくては、ならないだろうか。
    そこに意味は、あるだろうか。

    「……思ったよりも空気が冷たいな。日が沈むのも早くなった」
    「……そうですね。肌寒くはありませんか、ツカサさま」
    「問題ない。お前こそ、手が冷えている」

    これはきっと、気温のせいではないだろう。そう思いながら、ルイは首を横に振る。あなたがその手で繋いでくださっているおかげで、十分に温かいですと。

    「……本格的に寒くなってきたら、お前にはたくさん防寒具を買い揃えてやらなければな」
    「防寒具ですか? ……寒さには慣れていますので、無用な出費はなさるものではありませんよ」
    「無駄かどうかはオレが決める。……オレがお前を温めたいと思っているのに、無駄なものであるはずがないだろう」

    かつて、厳冬の中庭に繋がれ一晩放置される罰を受けたと語った幼子の慣れなんて、信用には
    足らない。この自分の傍に置く限り、寒さを堪え震えるなんて経験二度とさせるまいとツカサは繋いだ手に力を込める。

    自分の傍に、居てくれる限りは。

    ──このまま、この子を連れて逃げてしまおうか。そう思ってしまう心がないわけではない。ツカサは、何よりこの子に執着してしまっているから。だが、彼がそれを望まないことも知っている。だからそんなことは決してしないのだけれど。

    「──ツカサくん!」
    「む、……リン?」

    呼び止められ振り返れば、小さな体で慌ただしくこちらへ駆けてくるリンの姿が見えた。どうかされたのですかと問うルイに、リンはきょろきょろと二人を交互に見やってえぇとうーんとねと口籠る。

    「……構わない、言ってくれ」
    「う、うん。えっと、お客さんが来てるんだけど……」
    「来客、ですか?」
    「んーと、その……ルイくんに用事があるって……」
    「……!」

    あの狸が待てもせず押しかけてきたのだろうか。眉間に皺を寄せるツカサの傍らで、ルイは声を飲み込んで眉を下げる。返事を急かされてしまうだろうか。答えられないまま手を引かれてしまうだろうか。そう思うと、急に足が震えてきてしまった。

    「……ルイ。行こうか」
    「……、…はい」

    覚束ない足取りのルイを導いて、ツカサは歩いてきた道を戻る。時間をかけて辿り着いた館の扉の向こう、そこにいたのは来客に応じているカイトと、見知らぬ老人の姿があった。少なくとも軍属の者ではないだろうと安堵し肩の力を抜く二人に、老翁はゆっくりと振り返り朗らかに表情を緩めてみせた。

    「お待たせして申し訳ありません。将校を務めております、ツカサと申します」
    「ああ、あなたが……では、そちらが」
    「……ルイ、と申します」

    ツカサに促されるままに会釈をして名乗るルイに、ああ、この子がと男は笑う。知り合いだったろうかと視線を投げるツカサに、ルイは困惑したように眉を下げる。どうやら知らぬ相手であるようだ。

    「ルイさん、幼少期のことは覚えておいででしょうか」
    「え……」
    「私の妻は昔家政婦をしていまして。隣国のとあるお館に勤めておりまして──その姓を、カミシロ、と」

    ひゅ、と息を飲む音がする。

    「私も、何度かまだ幼いご子息にお会いしたことがあります。ああ──面影は消えぬものですね」
    「っ……」
    「遠方へ出掛けた際に事故に遭い、行方不明になられたと聞いておりましたが……こうして元気なお姿を拝見出来て何よりです」

    お館に戻られなかったのには、きっと深いわけがあるのでしょうと老人は微笑む。それに答えることも出来ないまま、ルイは俯く。確かに、幼い頃の朧気な記憶の中には、手際と面倒見のいい家政婦がいた。たくさんの忘れたい物事に押し潰されてもうその光景の殆どを思い浮かべることは叶わないけれど、両親からも信頼されている人物だったことを覚えている。

    「もし良ければ──少しでもいい、街に戻っては来ませんか?」
    「……もど、る……?」
    「お館はカミシロ様の親族の方が管理なされています。妻ももう歳ですから家政婦の仕事は辞めましたが……どこかで生きているならば、お会いしたいものだと、何度も申しておりましたから」

    あなたさえ望めば、お館の権利もあなたに移りましょう、と老翁は善意からそう告げる。その言葉の殆どが、最早ルイの耳には届いていなかった。

    ルイの五感に届いたのは、錯覚。視界の端に何処かへ引きずり込もうとする数多の手の幻覚が見えて、五指の先が凍る。鼻を差す血の匂い、耳鳴りに似た号哭の音。それらの幻が、ルイの理性を侵そうとする。

    「──ッ、ごめんなさい!」

    それが恐ろしくて、ルイは強く強く瞼を閉じて何もかもを投げ出さんとばかりに幼稚に吠えた。それから心優しき老人に一瞥を寄越す暇もなく駆け出し、その場から逃げ出した。将校の名を呼ぶ声すら無視して、慣れた道の先にある執務室に飛び込んだ。その光景がほんの少し心を和らげる。この部屋が、今のルイにとって日常だった。温かくて優しくて、些細な幸福と為すべきことを与えて貰える、この一室が、ルイの毎日だった。

    誰も彼もが、知らない自分の話をする。

    未だ自身にとって恐怖の根付く都に存在する研究室も、記憶も曖昧なほど遠い過去の家族で暮らした家も、全て知りもしない誰かの話だ。まだ見ぬ童話に描かれた、名前も知らない主人公の物語。そこにいるのがお前なのだと語られたって、未来も過去も知らない彼には、現在に在ることを許されたばかりの幼子には、そんなもの。

    与えられた私室に飛び込み、鍵をかけてその場に蹲る。どうして涙が溢れてしまうのか、どうしてこんなにも胸が苦しくなるのか、ルイにはわからなかった。

    ただ、提示された未来に在るだろう興趣も。
    最早記憶も薄れた過去に散りばめられた平和も。

    今自分が与えられている幸福と天秤にかけてしまわなければならないことが、ひどく悲しかったのだ。

    「──ルイ」

    ノックの後に、彼の声。肩を震わせながらしかし、その声には応じなければと懸命に口を開く。漏れ出た小さな返事は、すっかり涙に濡れて慄いていた。

    「……先程のご老人は、突然に押しかけてすまなかったと謝っていた。今夜は、町の宿に泊まっていくそうだ」
    「…………はい」
    「……ルイも驚いてしまったのだろうが、彼も困惑していた。お前を追い詰めるような思惑など微塵もなかったと」

    今晩は休んで、明日お前の気持ちが落ち着いたなら一緒に謝りに行こう。癇癪を起こした子どもを相手にするように柔らかな声で諭すツカサに、ルイは悲哀に濡れたままの声で応じた。

    「……突然、たくさん悩まなければならなくて、混乱したな」
    「……はい」
    「……オレは今、ルイの傍についていたいが──お前は今、一人で気持ちを整理したいだろうか」

    こちらを気遣っての言葉に、ルイは逡巡の後鼻を啜り申し訳ありませんと呟いた。

    「一人で……考えます、……ちゃんと、答えに迷えば、ツカサさまを頼ります。今は……今は、あなたを見たら、あなたに全て、甘えてしまう」
    「ああ、わかった。オレは執務室にいる。……ここにいるから、自由にしていてくれ、ルイ」

    声が遠ざかり、微かに椅子を引く音がした。執務机に戻り、静かに自分を待っているのだ。ルイをそれを理解して、扉を背に膝を抱えて蹲った。
    考えても考えても、わからない。傾けることはおろか、その天秤に抱えた物を乗せてしまうのが正しいのかすら。

    誰も何も、触れてくれなければいいのに。ただずっと、この狭い世界でずっと、愛した人と共にいられたらそれだけでいいのに。誰も侵すことなく、二人の空間が永久に続いていたらそれで十分だったのに。

    僕たちは、それだけで幸せなのに。


    * * *


    こつん、と扉の向こうから音がしてツカサは伏せていた顔を上げる。一瞬それがルイの私室からしたのかと思ったが、意識を集中させようとすれば再度廊下に繋がる方の扉からこつん、こつんと音がした。部下からのノックにしてはどこかたどたどしいと首を傾げながら、ツカサは立ち上がり警戒を崩さないように扉をうっすらと開いた。

    「あっ、将校さ~ん!」
    「……ミク?」

    薄暗い廊下にはエムやネネとよく行動を共にしている、森の少女の姿があった。二つに結んだ髪を忙しなく揺らしながら、ちゃあんと正面の扉から入ってきたよと鼻を鳴らす。そういえばこの少女も、エムという見本に倣って窓から訪ねてくることが度々あったのだった。やれば出来るじゃないかと褒めてやれば、ミクはその場でくるくると三回転を決めて飛び跳ねた。

    「……それで、何か用だったか?」
    「あっ、えーっとね……あれ、参謀さん、今日は一緒じゃないのー?」

    参謀さんに会いに来たのに、とミクは悲し気に眉毛を下げる。ツカサはすまないなと肩を落とした。

    「ルイは……今、少し考えなくてはならない時期でな」
    「かんがえる~……?」

    うぅんと大仰に体ごと傾けて考え込む少女に、ツカサは小さく笑う。エムといいネネといい、森の少女たちは恐ろしいくらいに純真で、その強さにほんの少し肩を預けて頼ってみてもいいのではないかと思わせる、不思議な魅力があった。

    「……これからのことや、昔のことを、整理しなければならない時期なんだ」

    司はぽつりぽつりと吐露した。ルイの置かれている現状を、彼にとって正しい選択が出来るよう見守りたい自らの心境を。もしそこに旅立ちがあるのならば、笑って歩いて行けるようにと願いたいのだ、と。聞き届けたミクは、心なしか長い髪をへたらせながら将校の服の裾を摘まんだ。

    「──参謀さんは、将校さんがだぁいすきなんだね」
    「え?」
    「だって、……悩むのは、将校さんと一緒がいいって最初の想いが、ずっとずっと参謀さんの心にあるからなんだよね」

    少女の目に涙が灯る。今にも溢れんとするそれに狼狽える将校に、ミクはまっすぐに視線を向けた。少しでもその想いを、間違えて判別させてはいけないと。

    「過去も未来も──参謀さんは、全部将校さんと一緒がいいって思ってるんだと、ミクは思うのだ!」
    「……!」
    「だけど選ばなきゃいけないから、でも選んだら一緒にいられないから……だから、だから……うぅ~上手く言えないよぅ」
    「……いや、十分だ」

    あの子の人生は、一度途切れてここでもう一度始まったのだ。

    ルイにとって過去も未来も存在し得ない。彼の視界に在るのは、現在だけだ。自らを愛し、その手を引いてくれた将校がいる世界が、彼にとっての全てなのだ。そんな形の分からないものと漸く手に入れた自分の世界とを天秤にかけたとして、この愛しい日々を犠牲に進むことなど選べないのだ。だからきっと、苦悩に囚われているのだ。

    けれどそれを良しとして、あの子を真に幸福になど出来るのだろうか。

    ならば、一番初めにその手を取った自分が為すべきことは、ただその背を送り出すことなんかじゃなくて。

    「ありがとう、ミク。……一つ、光明が見えたように思う」
    「ほえ? ほんと?」
    「ああ、ルイと話さなければ」

    ツカサは足早に踵を返し、ルイの私室の扉の前へ佇む。一度二度深呼吸をして、意を決したようにノックを送る。

    「ルイ、オレだ。……ルイ?」

    掛けた声に返答はない。眠ってしまっただろうかと捻るノブは鍵によって阻まれているようで、ツカサは常に携帯している合鍵を取り出し鍵穴へと差し込んだ。室内で何かあった時にすぐに様子を確認出来るよう携帯しておく、とは本人へも許可を取っていたものだ。

    ガチリと音を立てて密室を解放した扉を手前に引けば、ぶわりと風が吹き込む。乱れる前髪の隙間から、大きく開け放たれた窓がその目に映った。まさか、と駆け寄れば、いつか彼が病み上がりの覚束ない身で実行しようとした光景がそこにあった。繋がれたカーテンが窓の外へ垂れ地面まで辿り着いている。室内にあの子の気配はない、それをツカサが間違えることなどあるはずもない。ならば絶対に、彼はここから外へ出たのだ。

    「ど、ど、ど、どうしよう~⁉ 参謀さん、どこ行っちゃったんだろうっ、探さなきゃ……!」
    「……待て、ミク」

    ツカサは執務室に戻ると、荒々しく自身の羽織物に袖を通し廊下へと歩みを進めていく。

    「──心当たりはある。他の誰でもない──オレが迎えに行かなくは」


    * * *


    手持ちのランプに火を灯し、ツカサは暗い森の中を歩いた。昼と夜とではこうも景色が違って見えるのだなと、微かに囀る虫の音に緊張を覚えながら奥へと進む。目指すは一つ、あの子の好きな花畑。前へ前へと急ぐ足はしかし、心なしか重く心臓を引き摺るかのようだった。高鳴る鼓動は一つの過ちも犯してはならない緊張感と、愛しい子に会えることを今か今かと望む馬鹿らしいほどに人間臭い執着と愛情のせいだった。

    果たして辿り着いた先に、彼はいた。花畑のなか、色鮮やかなそれらに埋もれるようにして座り込んでいる。その傍らにはツカサのそれと揃いのランプ。視線は手にした分厚い本のその紙面へ注がれている。あんな頼りない光の中で、ツカサが与えた空想の物語の世界に、大好きな花々に囲まれながら耽っている。今にも消えてしまいそうに儚い、とはこのような様相を指すのだろうなと、ツカサは足音を殺して傍へ歩いた。

    「──ルイ」
    「…………ツカサ、さま」

    名を呼べば、漸く返事が聞けた。それにまずは大きな安堵を覚えながら、ツカサは隣にいてもいいだろうかと彼へ伺いを立てる。きっと彼が断わることなどあるはずもないと、理解しながら。案の定ルイは、罰を待つ幼子のように表情を曇らせながら頷いた。

    「こんなところでは読みにくかっただろう」
    「……申し訳ありません、勝手に館を離れるようなことを……」
    「構わない。お前にとって必要なことだったのだろう」

    俯いたまま、ルイはこちらを見ようともしない。或いは、その資格がないとさえ思っているのかも知れない。常に側に仕えるという使命を破った彼のこの行為は、脱走と呼ばれてしまえばその通りなのだ。

    そしてそれとはまた別に、きっとルイはまだ答えを導き出せていないのだ。その最中でツカサの目に射抜かれてしまえば、それに甘えてしまうと。ツカサは肩を竦めた。少しは我が儘が言えるようになって、甘えることも上手になったと思っていたけれど、まだまだのようだ。肝心な時にこそ肩を預けてもらえないのなら、積み重ねたものに確かな意味などないじゃないか。

    だからツカサは、それを切り捨てさせてなるものかと、本を握るままの手に自身のそれを伸ばし重ねた。微かに震えるそれは、寒さ故だけではないのだろう。

    「……ルイ。少し、オレの戯言を聞いてもらえるか」
    「……?」

    僅かに顔を上げたルイに、ツカサは穏やかな微笑を浮かべて言葉を続ける。

    「オレは、ルイにとって最も幸福な道を応援することが望みだ」
    「………」
    「だが、だがなルイ──オレは本当はもっともっと、我が儘なんだ」

    一方的に繋いだ手に力を込めた。この手が二度と離れないでくれればいいと、ずっと前から心の底から願っていた。

    「ルイ、オレはお前を愛している。何より愛しいと思い、誰より幸福にしたいと願っている。お前がその道を選べるならこの手を離すことも致し方ないと、言い聞かせて此処にいる」
    「……ツカサさま」
    「だがそんなのは──ただの、弱い男の強がりなんだよ。本当はっ……お前の描く世界の中にオレがいればいいと、いるべきだと。ルイの幸福はオレがいい。ルイの過去にも未来にもオレが寄り添いたい。オレは──オレはルイと、永遠に共にいたい」

    落ちていた視線がゆっくりと持ち上げられる。ツカサの蜜色の双眸を視界に捉え、そこに込められた想いが紛れもない真実なのだと理解して──幾ばくかの月日を経て今再度道に迷っていた幼子は、漸く帰る場所を見つけたかのように涙を流した。

    「それでも、ルイが選ぶ道を捻じ曲げるつもりなど微塵もない。だから、お前がこの先何処へ行くと選ぶとしても──オレはそれを受け入れる。そして、……会いに行く」
    「え……?」
    「会いに行こう、何度でも傍へ行く。お前が選んだ道の先に堪えがたい地獄が存在するのなら、オレが救いに行こう。お前が孤独に苛まれ呼吸が出来ないのなら、オレがお前の酸素になろう。何があっても、必ず傍に行く。会えない時がどれだけ続こうと、絶対にお前に会いに行って、どんな障害があろうと──必ず、お前を幸せにする」
    「………ぁ、……ぁ……っ」
    「だから……もう、迷わなくていい。お前の世界に何が待ち受けていようと、オレがいる。いつでも、お前が帰ってこれるように」

    涙に濡れた顔が揺らぐ。震えの止まらない体躯を、ルイは迷いもなくツカサの腕の中へ押し付けた。飛び込んだ体温の持ち主は躊躇い等微塵もなくその腕でルイを包んだ。鼓動が二つ、共鳴するように重なって感情を煽る。

    天秤など、必要なかった。全ての答えは、初めから此処に在った。

    「──ぅ、ぁっ……、あぁっ……! ツカサさま、つか、っう、あぁ……!」
    「ああ、ルイ。愛している。もう──帰り道に迷う必要はない。お前が何処を目指そうと、帰る場所は──オレは、いつでもお前の傍にいるよ」


    * * *


    館へ戻り、ツカサは真っ先に涙で目を真っ赤にさせたルイを風呂へ放り込んだ。あれでいてプライドの高い彼は泣き姿を晒したままでいるのは苦手だろうと、風呂場でそれが収まることを願い一人心配になりながらもルイの帰還を待った。十数分して風呂場から戻ってきたルイの目は変わらず赤かったが、しゃくりあげる音はすっかり止まっていた。落ち着きはしたらしいと湯で火照った頬を撫で、自分もすぐに湯浴みを済ませてくるから待っていてくれと告げてツカサも手早く風呂を済ませた。烏の行水程度の簡素な湯浴みにはなってしまったが、今宵は一秒でも長くルイをこの腕に抱いていたかった。

    逸る気持ちに急かされて浴室を後にしたツカサはしかし、私室内にルイの姿がないことに恐怖を覚えた。まだ気分が落ち着いていなかっただろうか、またどこかで一人膝を抱えてはいないだろうかと走った緊張はしかし、すぐに解かれることとなる。隣の部屋、執務室から微かに物音がした。警戒して音を立てずにそこに繋がる扉を開けば、いつもの席に腰掛け机上で何か作業をする恋人の姿があった。

    「……ルイ」

    呼べば、ルイは静かに振り返る。まだ赤い目元が痛々しいが、同じくらいに愛おしい。ツカサさま、とどこか舌足らずに応じる声に安心しながら、部屋で待っていろと言ったろうとツカサは怒りの欠片もないような甘く優しい声音でルイを咎めた。

    「申し訳ありません。……気持ちが固まっている内に、済ませてしまいたくて」

    そう告げるルイの手元には、小さな封筒が一つ。しっかりと封のされたそれの宛先は、都の研究所だ。ツカサは小さく息を飲んだ。覚悟は、伝えた通りだ。けれどいざとなると、やはりどうにも自分は弱いようで今すぐに彼の手を取って遠くへ逃げてしまいたくもなる。将校としての責任とルイの幸福を願う気持ちとが、辛うじてそれを留めてくれる。

    「……どのように、返事を?」

    本来は彼が話してくれるまで待つべきなのだろうがと、ツカサは自責をしながらも口にする。ルイは小さく微笑んで、手にした封筒を机上へ下ろした。

    「──僭越ながら、お断りの文を記しました」
    「……!」
    「……フフ、面白い顔をされていますよ、ツカサさま」

    それでいいのかと聞きたいのでしょう、とルイは腰を落ち着けたまま、机からツカサへと姿勢を正し笑う。

    「故郷にも戻りません。研究所にも……遠い未来で行くことにはなるかも知れませんが、少なくとも今はここにおります」
    「……本心から、それを望んだんだな?」
    「ええ、勿論。……行けばきっと、私のような者も少しは役に立つのでしょう。そこに住まう民の幸福に繋がることも、贖罪も果たせることでしょう」

    でも私は我が儘なのです、とルイは笑った。ツカサは目を丸くした。この子は、こんなにも無邪気に破顔する子だったのか、と。多くを知った気になっていても、まだ未知の表情を隠し持っているのだと。ツカサは傲慢にもその全てを自らの目に焼き付けていたいとさえ思った。

    「私が幸せにしたいのは──ツカサさまなので」
    「……ルイ」
    「私にあなたを、幸せにさせてください。あなたが私をそうしてくれるように。そしてそれが永劫続くと誓い合えた時には──私はあなたの傍を離れることなく、新たな世界に踏み出してみようと、そう思います」
    「……っはは、今誓っては、すぐに離れてしまうか?」
    「今はまだ、私が誓いを返せません。もっと、あなたを幸せにしたくて仕方ないのですから」

    恩を返すには、過ごした日々は足りなすぎますと彼は言う。ツカサはただ微笑む彼を抱き締めた。生涯なんて、とうにくれてやる気概でいたのに。そんな風に甘えられては、一生では済ませなくなってしまう。愛して、愛して、蕩けてしまうほどに愛し尽くしてやらなければ、ルイから貰う分の幸福を与えてやれないではないか。

    抱き寄せた頬に手をやって、弱い力で上を向かせた。椅子に座るルイの目線は隣に立ち並ぶ平時よりも低く、縋るように上目遣いで見つめられては静止など最早効くはずもない。擦り合わされた額と逸らさず交わされる視線に意図を察したルイの瞼が、受け入れますと答えるように閉じられる。ツカサはそれに満足気な笑みを浮かべて、柔い唇に口付けた。仄かに甘いような味わい。同じ石鹸の香りが混ざって鼻腔を擽った。酔って溺れてしまいそうだ、と食んだ唇の隙間から舌を捻じ込めば、僅かな抵抗すらなく迎え入れられる。

    普段のルイならば、微かに肩を震わせて懸命にツカサの蹂躙に応えるのだけれど。ああ、これは、そうか。ルイも今、それを望んでいるのか。暫しルイとの接吻を堪能し、ツカサはゆっくりと名残惜し気に唇を離した。それを合図とするように開いた双眸には、ぽつりと火が灯っている。その意味が分からないほど、ツカサは経験の浅い男ではなかった。

    「……ツカサさま」

    ルイの頬を包むツカサの手に、彼のそれが重なる。弱く、しかし確かな意思を持って縋りつくように指に力が入る。

    「──抱いて、ください」

    ああ、本気だ。そこには重ねた罪悪感から成る贖罪の意思も、奉仕精神から身を捧げようとする意図もない。ただ、本心から。理性を放り出した本能の奥底にある愛と劣情から、その身を暴かれることを望んでいる。

    「──待たせて、すまなかったな」

    けれど漸く心から望まれたことが喜ばしいと、ツカサはその手を引いて愛しい人を私室へと連れ込んだ。


    * * *


    ゆらり、ゆらりと微睡みから意識が浮上する。さらり、と髪を撫でる掌を感じて、ルイは薄っすらと目を開く。視界に肌色が映る。隙間のないように触れ合う体温に、ああ、と愛おしさが溢れて瞼を持ち上げる。間近に捉えた、自分だけに向けられるこの慈愛に満ちた表情が、ルイは大好きだった。

    「おはよう、ルイ」
    「おはようございます、ツカサさま」

    朝の挨拶に応じれば、額にキスが一つ落ちる。頭を撫でていた手が背に回り、未だ鈍痛の残る腰に落ち着いてゆっくりと揺れる。痛みを宥めようと這う掌を受け入れながら、ルイは窓の外へ視線を向ける。空は、すっかり明るい。あの幸せな夜は夢だったのかと思うほど、呆気ないくらいにいつも通りの朝がそこに在った。

    ただ、しかし。この体の異質とも呼べよう痛みが夢ではないと証明している。その煩わしささえ愛おしいなんて笑ったら、ツカサは申し訳なさそうに頭を下げるだろうか。

    「ルイ、体の方は?」

    どうやら思考を読み取られていたらしい。ルイは眉を下げて、腰と後ろが少々痛む程度ですと告げて身を起こす。察してくれたツカサがそれを支えてくれて、二人は揃ってベッドの上に起き上がる。

    「……昨日の老人だが、昼頃には発つそうだ。もう少し休んで、歩けそうなら挨拶に行こう。……伝えたいことも、たくさんあるだろう?」
    「……はい。そうですね」

    まだ少し、意識がふわふわとする。海の中を漂っているようだと、その緩やかな波に身を預けるようにツカサに寄りかかればその腕に包まれる。ああ、愛おしい。世界で最も愛しい人から幸福を与えられた一夜の後の、世界で最も安心出来る場所はどうにも格別のように感じられた。

    「……フフ」

    ああ、あの老翁へ別れの挨拶と感謝を述べる前に。たった一人の愛する人に、真っ先に伝えなければならないことがあるのだった。

    「ツカサさま」
    「ああ、どうしたルイ」
    「私に、あなたを愛させてくれて──ありがとうございます」

    過去も未来もと、契ってくれたことへの感謝を。あの日から変わらず、求めた愛を与えてくれたことへの恩を。自分が誰かを愛していいと、愛せるのだと教えてくれたあなたへの、心を。

    「……はは、礼を言うのはオレの方だろう」

    さらりと頭を撫ぜた手が、うなじをたどり背を擦る。それから割れ物のようにゆっくりと腕に抱き、負荷のかからないようにと再度ベッドへ横たわる。まだ眠いのですか、と問おうとすれば、それを遮るように触れるだけの接吻が与えられた。

    「……もう少し休んでいよう。落ち着いたら起きて、彼に挨拶へ行くぞ」
    「……はい。私も、そうしたいと思っていました」

    もう暫く、このまたとない心地好い朝を過ごしていよう。彼との日常はこの先両の腕には抱えきれないほど待っているとわかっているけれど、あの大事な夜を経た朝は、今日しか存在し得ないのだから。

    「──心から、お慕いしています、ツカサさま」
    「ああ──オレもだルイ、愛している」

    囁き合って、二人はそっと唇を重ねた。


    ――――――――――


    ◆そして迷子は愛と生く


    「結婚しようか、ルイ」
    「………………………………………頭でも沸きましたか?」

    一言目に断りの台詞は出せず、絞り出した辛辣な問いかけにツカサはくすくすと笑った。つまりオレと婚姻を結ぶのを拒みたいわけではないようだとからかえば、ルイは少々混乱しただけですと目を逸らす。実際問題、後にも先にもこんなにも愛せた人などいないわけで、そんな相手から結婚を申し込まれれば嬉しいに決まっている。

    「将校どのが気の迷ったことを話されたとなれば、王や部下のみなは悲しまれますね」
    「確かにみなを不安にさせるのはオレの望むところではないが、オレがお前と添い遂げたいと思う気持ちは誰であっても咎められるものではないからな」
    「……お戯れを」

    そう思うのかと笑う声がルイの左手を取る。きらりと光る指輪越しに微笑まれてしまえば、それを間違いだとは指摘出来なかった。

    「結婚しよう、ルイ」
    「……私のようなものを選ぶのを、周りが認めるはずはありません」

    自分は裏切り者の元罪人だ。表沙汰になっていないだけで、将校たるツカサへ負担を強いる行為も犯してしまった。こうして共に在るだけでも恵まれているのに、傍で愛されているだけで満たされているのに。そんな尊い契りが、周囲からの祝福を受けることが、認められるとは思えなかった。

    「やはり、オレとの結婚自体は拒まないと見える」
    「……私はあなたをお慕いしておりますから」
    「ああ、とんだ殺し文句だな」

    周囲の容認や祝福などどうでもいいし、なにも王に認めさせてまで関係を公的に結ばせたいわけでもない。まぁそれでも妹やよく目をかけていた弟のような隣人は全力で祝ってくれるのだろうがと考えながら、ツカサはルイの薬指に口付ける。

    「ルイは広い家が好みだろうか? 最近は黒い油の研究も手伝ってくれているし、実験や作業が好きなら専用の部屋も用意しなくてはな」
    「私の話を聞いていましたか、あなたは」
    「寝室は今も既に一つのようなものだからな、今より大きなベッドを用意しよう。──激しくしてしまっても問題のないものにしなくてはな?」

    ぼんっと顔を赤に染めながら、濡れた目でルイがツカサを睨む。その様子さえ愛らしいとツカサは目を細めて話を続けた。

    「いつかはこの町を統治する仕事も、別の者が引き継ぐだろうからな。そうなればやはり、都で住まいを探すのがいいか」
    「な、……あ……」
    「これまでの仕事ぶりが正式に評価されていれば、或いはお前の監視も解かれるかも知れん。いつか誘われたように、研究室へ招かれることも有り得るだろうな。そしたら離れる時間が増えてしまうが──二人が帰る家があるならば、常に共に在るという契りは破らないだろう?」

    ルイはすっかり頬の赤さを引かせて、驚いたように固まっていた。彼の言う結婚が、そんな優しい意味を持つだなんて思わなかった。けれど、それは確かに、永遠を共にと誓うプロポーズに違いなかったのだ。

    「城に近いと頻繁に呼び出されて面倒かもしれん、市場の近くで探そうか。ああそれとも、市民街の方が適しているか? あそこの噴水広場は、花が美しいからな」
    「………本当に、……あなたという人は………」
    「嫌か? オレと結婚し、共に暮らすのは」
    「……馬鹿な人。この任が解かれる保証もないのに、今から家をお探しになるつもりですか?」
    「お前とオレが一生を過ごす家だぞ? 今からじっくり時間をかけて吟味すべきだろう」

    ルイは僅かに、その手を握り返す。たっぷりと注がれる愛には、まだ慣れない。けれど、受け止め方は理解している。それに浸り、溺れて、融けていくことを許されているとわかっている。

    「……庭が欲しいです」
    「庭?」
    「ええ。そこに、……私たちの花畑を、作りませんか」
    「ああ──それは素晴らしい提案だ、ルイ」

    私から望むのはそれだけですとルイが笑う。相変わらず欲の浅いやつだとツカサが笑えば、彼は静かに、しかし幸せそうに首を横に振った。

    「いいえ、ツカサさま。帰る家があって、そこにあなたが待っている──それ以上に求めることなどありましょうか」
    「……はは、それを謙虚だと言っているんだがな」
    「おや、そんなことはないのですが。だって、一番欲しいものをずっと傍に置きたいと申しているのですよ。……愚かなくらい、欲張りではありませんか?」

    これが本音なのだから恐ろしいとツカサは肩を竦める。いつまで経っても彼にとっての一番はツカサなのだ。なにか求めるものを選ぶ時、最初にツカサを選ぶのだ。だからこそ、決して離れてしまわないように、彼と自分が帰る場所を用意したい。

    「──ルイ。オレと、結婚してくれるか?」
    「はい、ツカサさま──あなたに、永遠を誓わせてください」

    待ち望んだ答えに、ツカサはルイを思い切り抱き締めた。

    「婚約指輪を、用意しなくてはな」
    「指輪ならもう頂いていますのに、また買うつもりですか?」
    「これはオレからの愛を示すためのものだったからな、婚約指輪とは少し違う。しかしそうだな、お前が望むなら指輪の代わりになるものを婚約の契りにしようか」
    「私は別にこれで……あ、……いえ。それならば、二人で買いに行きましょう。私も、あなたに贈りたい」
    「ああ、それはいい。二人で選ぼう」

    ちゃんとやりたいことを言えて偉いと言わんばかりにツカサはルイの頭を撫でる。さてなにを贈ろうか。改めて指輪を選んでもいいし、新しいピアスを贈るのもいい。二人の家に置く調度品も選びに行かなくてはならない。花のことはツカサは詳しくないから、ルイが必要とする道具を買い揃えなければ。

    ああ、なんだか、なんだかとても。

    「──幸せだなぁ、ルイ」
    「……はい。幸せです、……ツカサさま」


    * * *


    「困った、どれも似合いそうだ」
    「折角の美しい装飾品たちに失礼な言葉ですよ」

    休暇に訪れた装飾品店の中で吐き捨てるルイに、ツカサは肩を竦める。仕方ないだろう、だって自分の愛しい人は、この世の何より美しく、どんな装飾品もその色香を強調させるものなのだ。

    「……あ、」
    「ん? ……これがいいのか?」

    立ち止まり、ガラス棚の向こうに視線を釘付けにしたルイが小さく声を漏らす。ツカサがそれにつられて視線を向ければ、そこにはターコイズブルーの美しいピアスが展示されていた。どこか見覚えのあるような、と一瞬思案して、ツカサはすぐに答えに辿り着いた。愛しい子の、藤色の髪に混ざる房によく似た色だった。

    「あ、いえ……綺麗だなと、思っただけです」
    「そうか。ルイにとても似合いそうだ」
    「どれを見ても、そのように仰るではありませんか」
    「どれも本心なのだがな」

    だがこれは一等似合いそうだ、とツカサは棚を開くとそれを手に取って、ルイの耳へと翳してみせる。動いてはならないと息を詰めるルイに、ツカサは至極満足そうに微笑みを浮かべた。

    「ああ、やはり。この店に並ぶどの宝石よりも、よく似合うじゃないか」
    「……あなたがそう言うのであれば、そうなのでしょうね」
    「当然だ、誰よりお前の美しさを心得ているのはこのオレだからな。……是非、これをルイに贈りたい。いいだろうか?」

    愛おしそうに目を細めて問うツカサに、自分に断る権利も意思も初めからないのだけれどとルイは肩を竦め、彼が手に持つそれの片割れを手に取った。

    「……それならば、ツカサさま。私もこれを、あなたに贈らせていただきたい」
    「これを? オレに……?」
    「ええ。……片方ずつ、というのは、許されないでしょうか?」

    ああ、まったく。ツカサは破顔する。一体全体誰に許しを請おうというのか。神も民も関係ない、選ぶのはお互いしかいないというのに。もしもそれを理解した上でツカサからの許しを得たいというのなら、とんだ笑い話なのだ。初めから、ツカサがルイの願望に否定を突き付けるわけなどないのだから。

    「嬉しいに決まっているだろう、ルイ。二人で片方ずつ、身に着けよう。いつでも互いのことを想っていられるようにな」
    「……! はい、……ありがとうございます」

    ああ、この願いが聞き届けられた瞬間のルイの、愛らしい表情と言ったらない。永久にただ傍に在り続けたいだとか、庭に花を植えたいだとか、そんな陳腐で容易な願いさえ、叶えられればそれは全て彼にとってのかけがえのない幸福となってしまうのだ。


    * * *


    「えーと、や、や……やめる、と、きも?」
    「フフ、はい、合っています」
    「やったぁ! よぉーし、……す、こや、か…なる、ときも!」
    「……上手に読めるようになりましたね」
    「えへへぇ、ほんとう?」

    なんて微笑ましい光景か、とツカサは掌で目を覆った。いつまでも眺めていたいのに、虜になっていては焼き付けた景色に目が焼き切れてしまいそうだなんて思考が逆上せる。どうやらよっぽど浮足立っているらしい、とツカサは自認した。

    来たる日の為にとエムに言葉の読み方を教えながら幸せそうに目を細めるルイの傍らには、同じく難しい顔をしながら手にした紙面を睨んでいるネネの姿。森で生きてきた彼女たちには、町の民が書く文字は少々難しいらしい。

    「……あのさ、少し気になったんだけど」
    「どうしました?」
    「……これって、神様に対して出逢わせてくれてありがとうとか、そういうのを伝える言葉なんでしょ?」
    「一般的にはそのように定義されていますね。……私の常識がおかしくなければ、ですが」

    ちらりと不安気にこちらを見やったルイに、ツカサは額に当てていた手を降ろしてにこりと頷く。式場に赴いたことも神父の言葉を聞いたこともないが、神の導きによる巡り会いに感謝を告げ、愛を誓う台詞であることは間違いない。

    「でもあんたたち、別に神様とか信じてないでしょ」
    「……信じていないわけでもない。好きじゃないだけだ」

    なにせ自身の最愛の子に傷多き道ばかりを与えた愚か者だ。崇めるべき創造主たる存在だとしてもその采配に感謝を告げるつもりなどないし、自分たちが巡り会い手を取り合い愛し合えたのは、他ならない自分たちが選んだ結果だ。

    「いや、あんま変わんないでしょ……」

    そんな立場なのにちゃんと誓ってあげられるのとネネの瞳がツカサを捉える。なるほど確かに、神に二人の愛を誓えというのは少々気が乗らないかも知れない。形式に従って頷いてみせようと思っていたけれど、果たしてそれで本心から永遠を誓えるだろうか。他ならないルイ本人にならば、愛も永久も心も誓い、明け渡してしまえるのに。

    「むむ~? ……じゃあ、二人のための言葉にしたらいい?」
    「え?」
    「えーっと……将校さん、じゃなくて……つかさくんは、るいくんをずーっとだいすきだってちかいますか!」
    「え、エム……」

    流石にそれはどうなの、と臆した表情を見せるネネに、ツカサはくくっと喉を鳴らして腹を抱える。少女と対峙するルイは、きょとんと目を丸くしたまましかし、すぐにそれを綻ばせて微笑んだ。

    「ああ、ああそうだな。オレたちにはそのくらいでいいかも知れんな」
    「けれど、よろしいのですか? 形式を崩して良いものか、私は詳しくないのですが」
    「なに、どうせ式場を借りるわけでも都に届けを出すわけでもない、オレたちのためだけの婚姻の儀だ。誰に咎められようと構うものか。そうだろう?」
    「……神が聞いたら、きっとお怒りになりますよ」
    「好きなだけ怒鳴らせておけばいいさ。今まで散々お前を苦しめてきたことへの仕返しといこう」

    真にお前を愛し尽くすためなら神だろうが何だろうが敵にしたって構わないさ、と男は笑う。なんて罪深い程に愛されてしまっているのだろう、と彼の愛した人は眉を下げて笑った。

    「ふふ、それじゃあ、二人専用ってことで文章を考え直さないとだね」
    「わーい! あたし頑張るね、将校さん参謀さん!」
    「ああ。そろそろ暗くなる、森の方まで送っていこう」
    「あ、私が行きます」
    「そうか、……気を付けて行くんだぞ」
    「ええ、わかっていますよ」

    心配性な言葉を軽く笑い飛ばして、ルイは少女たちを連れて館の外へと出る。もうすっかり赤く染まった空を一瞥しながら、思いの外冷たい空気に微かに身を震わせながら歩く。

    「……えへへ」
    「エム? どうしたの、にこにこして」
    「え~、えっへへ、なんだかぽかぽかなの!」
    「……ふふ、そうだね」

    不意に足を止め、振り返った少女の目に自身が映るのを感じながらルイは首を傾げた。どうかなさいましたか、と問う声にいつかの冷酷さはない。心さえ失くしたような、操り人形のようなあの様相はもうどこにも。

    「……あんたも、良かったね」
    「……? 将校どのとのことですか?」
    「まぁ、そうかな」

    私の目から見てもあんたは道が分からなくて涙ぐんでいる子どもだったよ、とは言わずに、ネネはただ静かに微笑んだ。

    だから、せめて。

    「……帰る家が見つかって、よかったね」
    「……ええ、……そうですね」

    かつて迷子だった青年は、至極幸せそうに顔を綻ばせた。


    * * *


    ふ、と意識が浮上する。随分と懐かしい夢を見たとルイは体を起こす。もう何年も前の、あの花畑での細やかな結婚式の記憶だ。自分が多くの人に囲まれて愛を誓うのは羞恥心の方が勝ってしまうと渋ったせいで、極僅かな身内や親しい人たちだけを集めての密やかな式だった。

    ベッドから降りると、ルイは部屋の鏡の前に立ち耳朶のそれを確認する。最愛の彼から贈られた、誓いのターコイズブルー。いつまで経っても変わらぬ美しさを放つそれに、ルイは目を細めて笑う。暫くそうして幸福感に浸っていれば、リビングの方から朝食の香りが漂う。今朝は彼が当番だったなと、ルイは洗面所に向かい顔を洗ってから、誰に見られても恥ずかしくないと身なりを整えてもうすっかりと歩き慣れた廊下を進んでいく。

    この家へ身を移したばかりの頃はどうにも落ち着かなくて、この二人だけの城がいやに広く感じていつまでも彼の傍に引っ付いてしまったものだ。彼は、それを可愛らしいと愛でていたけれど。

    「──おはようございます、ツカサさん」
    「ああ、おはよう、ルイ」

    式の記憶よりも幾分か落ち着きの増した表情に見惚れながら、ルイは静かに頭を下げる。おいでと手招かれてルイは素直にその隣に並ぶ。手元の皿には殆ど野菜が乗っていなくて、ルイは上機嫌に美味しそうですと笑う。ツカサは困ったように笑って、もう少しちゃんと食べてほしいんだがなと笑う。これでも、ツカサが心底から縋ってくるから譲歩して少量の野菜ならば口にするようにはなったのだ。

    「腹が減っているだろう、すぐに食事にしよう」

    運んでくれと告げられて、ルイは素直にそれを食卓へと並べる。二人揃って椅子に座って、いただきますと手を合わせた。

    「今日と明日は非番だったよな、ルイ」

    サラダを一口頬張って、ツカサは正面に座るルイへ問う。小さく刻まれた野菜を迷いながら口に運んで、ルイはこくりと頷いた。

    「研究室自体が休暇になりますので」
    「そうか。俺も今日は夕方までには戻れる」

    す、と伸ばされた手がルイの口元を拭う。そこに付いてしまっていたパンの欠片を取り去って、ツカサはうっとりと恍惚に顔を綻ばせて笑った。

    「なるべく早く帰る」
    「……夕食は何になさいましょう」
    「お前の好きなものを」

    作れる元気を残してやれるかはわからないがな、とツカサが笑うから、ルイは未だに慣れないと頬を赤く染めながら残りの野菜を彼の皿へと押し付けた。

    「こら」
    「遅れますよ、将校どの」
    「……るい」
    「…………早く帰ってくるんでしょう。出るのが遅れたせいで帰ってくるのまで遅くなる、なんてことになったら僕は許しませんよ、……ツカサさん」
    「……はは、ああ、ちゃんと時間通りに帰ってくるとも」


    * * *


    出掛けに腰砕けになるまでキスをされたのは許さない、と一人憤慨しながらルイは一通りの家事を終える。二人だけが暮らす一軒家は決して狭くはないが、もうすっかり掃除にも慣れたものだった。

    「……よい、しょ」

    庭に出て如雨露を片手に広がる花畑を見下ろせば、無意識の内に微笑が浮かぶ。花の香りにつられて虫が蜜を吸いに訪れる度、ツカサが僅かに顔を青くする様を思い出して一人ひっそりと笑う。

    「……みんな元気そうですね」

    風に揺れる草花を指先で撫ぜて、ルイはほうっと目を細めて笑う。植えた当初は無事に咲くか不安もあったものだが、二人で試行錯誤を繰り返し懸命に水をやるうちにどうにか美しく咲き誇ってくれた。二人で選んだ、色とりどりの花々。芽が出ては喜び合って、つぼみが出ては浮足立って、萎れた葉には気を落として。そうして紆余曲折を経て二人で育てた、二人だけの花畑。二人の家だけに咲き誇る、密やかな花園だ。

    まるで幸福の象徴のようだ、とルイは膝を抱えてそれらを眺める。慎ましい我が儘一つをツカサは丁寧に聞き届けて、全てを叶えてくれる。

    この花園だけじゃない。たとえどの道を歩むことになっても共にと誓ってくれたように、二人が帰る家を改めて選んでくれたり、ルイの幸福は自分がいいと主張した通りに常に寄り添ってくれたりと、溺愛に浸った毎日だ。こうして将校のツカサが町の統治の任を解され都勤めに戻り、より忙しない日々を過ごすようになっても、ルイが永久を信じ都の研究所に所属を決意するようになっても、変わらずに。

    「……あ、郵便の確認をしないと」

    陽光と水を浴び煌めく花畑に別れを告げて、世話道具を片付けるとルイは玄関の外にあるポストへ駆けていく。そろそろ届くと言っていた筈だと浮足立ちながらそれを開けば、期待通り少し皺のついた封筒が一つ。手に取って室内へ戻り、もうすっかり座り慣れたソファーに腰を降ろし慎重に封を開ける。

    「……フフ、字が上手になりましたね」

    まだ拙い文字からは、あの森の少女の溌剌さが窺える。みんな元気に仲良くしていると、紙面いっぱいに描かれた文字は前回届いたそれよりもずっと読みやすいものに成長している。二枚目をめくれば、こちらも拙いながらに落ち着いた小さな文字で手紙が綴られている。新たに着任した統治者とも上手くやっていけているらしい。穏やかな獣と共に元気に飛び跳ねる少女と、それを横目に呆れたように笑う少女の姿を思い浮かべて、ルイは静かに微笑を浮かべる。

    来月の休暇には二人であの町へ赴く予定だ。何か都の土産を持っていけば喜ぶだろうか。明日には二人で何か選びに行くのもいいかも知れない。──腰が、痛くなければだが。

    「……何も、期待しているというわけではありませんけれど」

    だが今宵は深い夜になるだろう、という確信がルイにはあった。


    * * *


    市場で購入した食材を確認しながら、今夜作る予定の献立にルイはふっと笑う。外見だけなら美食家にも見えるのになと、当然の様な顔でディナーに豚の生姜焼きを所望してきた彼を思い出して道すがらルイはくすくすと笑う。久しぶりに作るけれど上手く出来ればいいなと、付け合わせのサラダは一人分だけ彩り良く作らなければと思案しながら帰路を辿る。

    市場を抜けていけば、漸く市民街に出る。上機嫌に歩いていけば、遠くに噴水広場が見えてくる。その周囲に咲く花に見惚れていれば、その近くで躓いた子どもがこてんと転げた。

    「あ……」

    途端に涙ぐむ少女の元へ、ルイは無意識に駆け寄る。大丈夫ですかと声をかければ、少女は小さく小さく頷いた。見れば膝を軽く擦りむいている。手に抱えていた食材の詰まった紙袋を傍らに下ろして、携帯していた絆創膏とハンカチを取り出す。噴水の水で軽くそれを濡らして傷口を洗い、そうっと手にした絆創膏を彼女の膝へと貼り付けた。

    「……はい、これで大丈夫です」
    「……ありがと……」
    「いえ、お気になさらず。……お母さまは?」
    「………」

    きゅうっと唇を結んだ少女に、成程迷子か、と納得してルイはその頭に手を伸ばす。あの人がしてくれるように、ゆっくりとそれを左右に撫でて大丈夫ですと微笑んだ。

    「きっと迎えに来てくださいますよ。それまで一緒に待っていましょうか」
    「……うん」
    「ふふ、いい子です」

    素直に頷いてはくれたけれど寂し気に俯いたままの少女に、何か手持ちはあっただろうかと紙袋を探る。取り出した小さな小瓶いっぱいに詰まったそれは、つい美しい星のようで彼に贈りたいと思い購入してしまったものだったが致し方ないなと噴水の傍にしゃがみ込む少女へ差し出した。

    「甘いものはお好きですか?」
    「……うん」
    「では、どうぞ。美味しいですよ」

    固い蓋を外してから手渡せば、少女はおずおずと自身の掌にその中身をころりと転がす。煌めく小さな金平糖を、少女は目を輝かせて口に含んだ。途端、涙を浮かべていた双眸がきらりと瞬いた。

    「おいし……!」
    「ふふ、よかったです」
    「……ぜんぶ、たべていいの?」
    「構いませんよ。……ああ、でも。夕食が食べられないとお母さまに怒られない程度になさってくださいね」
    「うん」

    一粒一粒、大事そうに頬張ってにこにこと笑う少女はもう、膝の痛みを感じてはいないらしい。迷い子としての不安感も多少は拭い去れただろうか。そうであったならいいな、と思いやりながらさて母親はどこぞにいるのだろうかと辺りを見渡せば、遠くから駆けてくる女性の姿が見えた。恐らくは彼女のお母さまだろうと安心して少女の肩を軽く叩く。

    顔を上げた少女はぱっと表情を明るくさせて、小瓶の中身を零してしまわないようにと気を付けながら走り出す。母親の腕の中へぴょんと飛び込んだ少女の姿に、ルイは歩っと胸を撫で下ろした。
    ぺこりと頭を下げた母親に会釈を返せば、少女も振り返り大きくこちらへ手を振る。その口が、遠くからでもわかるほどはっきりとありがとうと紡いだのを視認してルイは紙袋を抱え直す。

    「──ルイ」
    「……!」

    不意に呼ばれて振り返れば、噴水の傍へ小走りに駆けてくるツカサの姿があった。お戻りでしたか、と微笑めばこんなところで逢えるとは奇遇だなと穏やかな笑みと共に返される。

    「……迷子か」
    「ええ、そのようです」
    「そうか。……帰るべきところに、帰れたのだな」

    それは何よりだ、と笑ったツカサの手が、ルイの空いた手に重なる。当然のように指を絡めて、外ですがよろしいのですかと問えば構うものかとさっぱりと告げてツカサは繋いだ手に力を込めて自身の方へとその体躯を引き寄せる。簡単によろめいてしまったりはしないけれども、傍に来いと力を込められたならばルイがそれを拒絶出来よう筈もなかった。

    「荷物、持とうか」
    「いいえ、大丈夫です。……それに、任せてしまっては手を繋いでいられません」
    「……はは、確かにその通りだ。ではこのまま、オレたちの家へ帰るとしようか」

    素直に頷いて、ルイは絡まる指にそっと力を込める。何かを答えるわけでもなく、ツカサは掌でそれに応える。言葉を交わすでもなく、静かに寄り添って歩いていればツカサの指先が自身の手を撫でようとするのがわかった。望まれるままにと受け入れていれば、それが自身の薬指を、そこに煌めく指輪を愛おしそうになぞり始める。

    「……ルイ」
    「はい、どうされました」
    「はは、なんでもない」
    「……ふふ、おかしな人」
    「前からだろう?」
    「ええ、本当に。僕は振り回されてばかりです」
    「そうか、オレにはお前がそれを喜んでいるように見えていたのだがな」
    「……おかしい上に、ずるいお方ですね」

    誉め言葉として受け取っておこう、と夕焼けが差し暗がりを増していく小道を行きながらツカサは笑う。角を曲がればもう、自分たちの家だ。二人が帰る場所。迷うことなく辿り着ける最愛の城だ。

    繋がれた手が一度離れ、鍵を取り出し開錠する。先に入れと扉を開いて手招いたツカサの左耳に、揃いのターコイズブルーがちらりと光った。

    「ただいま」
    「おかえりなさい」

    玄関で交わされるありふれたただの言葉に、蕩けた表情を晒す最愛の子をツカサは抱き寄せる。道すがら我慢を達成しきれた自分は褒められて然るべきだな、とその右耳へ唇を寄せる。自分と同じターコイズブルーの鎮座する耳朶へ口付ければ、微かな甘い声がルイの唇から漏れる。

    「ん、……夕食が、先です」
    「……いけないか?」
    「…………意識が飛んでしまっては、あなたに食事を作ってあげられません」
    「……………ああ、うん、それは困るな。すまない」

    年甲斐もなく頬を赤らめ離れるツカサにくすりと笑って、どれだけ誘っても手を出してこなかったあの頃とは随分変わったのだなとルイはピアスを撫でる。それから荷物を片手に廊下の奥へ逃げようとするツカサの裾を引いて、幸せそうに目を細めながら言う。

    「……食事や湯浴みを済ませて、夜になったら──そしたら、あなたの思うままにしてください」
    「……そんな風に誘われては、止められんぞ」
    「ええ、僕もそう望んでいます」

    少し挑戦的に笑みを浮かべてみせれば、後頭部を引き寄せられて唇が重なる。夜に、と言っているでしょうとルイが小さな声で咎めれば、これくらいは許される範囲だろうとツカサは喉を鳴らして笑った。

    「──ルイ、愛してる」

    脈絡もなく紡がれる愛の言葉は、抱えきれずに思わず零れ落ちてしまった声のようでルイの胸をぎゅうと締め付ける。最愛の人から贈られる告白が愛おしいわけがないと、そしてそれはツカサもきっと同じことなのだと、いつからか臆することを辞めた心のままにルイは柔らかく融けた声と共に頷いた。

    「はい、お慕いしています、ツカサさん」

    その左手の指輪が、互いの耳朶に預けた誓いのピアスが、きらりと光る。秘めた想いを、曝けた想いを形にするように輝く。

    健気で純粋で愛おしさに溢れたその姿が眩しくて仕方ないと、ツカサはルイを体ごと引き寄せて再度唇を重ね合わせた。

    「は……、さて、夕食の準備をするか」
    「ふふ、はい。すぐにご用意しますね」

    幸せを唄う足音だけを残して、二つの影は彼らだけの愛の巣へと進んでいった。
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    💖💖💖🙏🙏💖🇱🇴🇻🇪🇱🇴🇻🇪💖
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    Replies from the creator

    ichizero_tkri

    DONE12/12頒布の将参(🌟🎈)同人誌の書き下ろし分の、🔞シーンをカットしたものをこちらに再録します。
    行為を匂わせる描写はありますが、18歳以下の方もお読みになれる全年齢対応編集版になっています。
    ◆それから愛は未来を唄う


    「──うむ、良い報告書だ。ありがとう、下がっていいぞ」

    部下の一人から差し出された報告書に、ツカサは微笑を携えて頷く。ありがとうございます、と返した部下は深々と頭を下げ、その傍に控える元参謀にも和やかに会釈をして執務室を去っていく。未だ慣れないながらも、ルイも小さく頭を下げる。

    かつて──大臣に道具として飼われていた頃は、こうも心穏やかに職務に励むことなどあっただろうか。それを労わるように頭を下げられることなど。ツカサにこの心身を捧げ、仕えるようになってからもう随分と経つが未だ、慣れない。──というよりは、落ち着かない、気恥ずかしいという言葉の方が相応しいのかも知れない。

    一人静かに戸惑うルイを横目に、ツカサは先刻受け取った報告書に再度視線を落とす。黒い油の研究経過報告書。あの大臣が、ルイを遣わしてまで奪おうとした理由もわからないでもない。どうやらルイは、現存する大臣の部下の中でもとりわけ実力のある人物であったらしい。それだけ早々に心を殺して操り人形になることを選択した結果なのだろうと思うと、手離しに褒めてやれる気分にはなれない。いつか見た夢の、幼い姿の彼を思い返す。あんなに小さな頃から、家族という拠り所を失い一人苦悶の中生きてきたのだろう。ツカサはその顔に痛みを浮かべる。この幼子の道筋に思いを馳せる度、同等と呼ぶには傲慢な感情に胸が痛むのだ。
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