アメリカへ恋人に会いに行ったら女と浮気していた.
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久しぶりに恋人に会うために弾丸旅行で1人アメリカへ来たが、まさかこんな事になるとは思いもしなかった。
恋人である沢北栄治は高2の秋頃、1人渡米した。
バスケットボールにおいては天才的なヤツだったから、“先輩”としては特段驚きはしなかった。
……でも“恋人”としては、かなり堪えた。
年に1回会えるか否かの遠距離恋愛はまだ17〜18歳の俺達では苦しいものだったが、時代と共に連絡手段も増えだんだん慣れていった。
でも、直接会って触れて話せる機会は本当に少なく、旅費もバカにならないので今でも頻繁には会えていない。
だから貯金を崩して、親に少し援助をしてもらって、サークルの顧問に休みをもらって、こうやって会いに来たのに。
何度か訪れた事のある恋人の家のドアを鳴らすと、数十秒してドアが開いた。かったるそうにドアを開けた沢北は上半身裸で、俺の知らないキスマークを大量に付けた状態で、俺の顔を見て呆然としている。
少し目線をずらすと沢北越しに見える廊下には女性の服や靴が散乱した状態だ。
「……、え、は、……え?」
「……帰る」
全てを理解した時には、沢北の「ちょっ、ちょっと待って!!」の声も、顔も、もう何もかもが無理で走って逃げた。
――――――
「え、やべぇ、え、きょ、今日来るって言ってたっけ、えっと」
寝起きの頭じゃ何も機能できないのに、無理矢理フル回転させる。久しぶりに見た愛おしい恋人は、俺の大好きな可愛い笑顔ではなく、驚きの後、無表情に大きな絶望を隠した様な顔だった。分かってる。きっと可愛い笑顔で俺の名前を呼んでくれるはずだったんだ。それを、俺がそうさせてしまった。
走って行ってしまった恋人の背を追おうとするも、この状況をまずどうにかしなければ……と、とりあえず一晩限りの女を叩き起して家から出し(ビンタ食らったけどそんなんどうでもいい)、シャワーを浴びて、びしょびしょのまま服を着てから家を出た。
ダメだ。謝罪できないまま、あの状態のまま、日本に帰してはダメだ。
でも、走って行ってしまった背をすぐに追えなかった事もあり、松本さんは付近をどれだけ探しても見当たらない。タクシーに乗った?もう空港?でも飛行機にはすぐ乗れないはず、そう思いながら車を持っている友人に連絡を取るために道の脇に座り込む。
道路を挟んだ目の前の路地裏に柄の悪そうな男が溜まり酒を飲んでいるのか、はたまた薬をやっているのか異様な目付きで喧嘩をしているのが見えた。
……もし、もし松本さんがあんなのに絡まれたら……。
嫌な汗が吹き出る。心臓が痛い。早く抱きしめて安心したい。たくさんたくさん謝りたい。震える手で友人の携帯番号を押した。
――――――
「これからどうしよう……」
沢北の家から少し(3kmほど)離れた公園のベンチで独り言ちる。さっきからうるさい携帯は電源を切り、頭を抱えた。正直こんな事になると思っていなかったため、ホテルすら取っていない。だって、毎回沢北の家に……。
咄嗟に逃げて来たけど、アレってやっぱり浮気……だよな?無理矢理……な訳ないよな、ヒョロい男ならまだしも、俺より筋肉もある男だし……。
……やっぱり、女の方がいいんだ。
ジワジワと視界がぼやける。何だよ、それなら最初から言ってくれよ。何であの時俺に告白したんだよ。何で早く別れてくれないんだよ。俺は、もう、お前しか……。
1人なると悪い癖でつい考え込んでしまう。昔からそうだ。あのインターハイの後もずっとこうなってしまって、深津からよく怒られていた。
……、もう日本に帰ろう。アメリカに居たって仕方ない。沢北とは今話せる状態じゃない。そう思って伏せていた顔をあげると、すぐ目の前は白いジャージだった。
ビックリしてそのままチャックを沿って上に目線をあげると、丁度さっき思い出していた、あのインターハイで才能が開花していた1年コンビの片方……。
「……サンノーの、6番……?」
「る、流川!?」
流川楓が俺を見下ろして首を傾げていた。
「え!?な、何でここに!?」
「……?俺もアメリカでバスケしてる」
「いや、それは知ってる。すごいな、お前も上手かったもんなぁ……」
あの時の記憶が鮮明に甦る。まぁ湘北のエースである流川を相手していたのは沢北だったが。
「流川はこの辺のチームなのか?」
「……ス。……えっと、……何でここに?……沢北はどしたんスか」
「……あー、知ってるのか?俺達の事」
そう問うと、「ス。耳にタコができるくれー聞いた」と呆れた顔で言うもんだから申し訳なくなった。
「……、まぁ、ちょっといろいろあってもう帰る所なんだ。……周りを見ず走って来てしまって……、すまないが空港の方向だけ教えてくれないか?」
「……沢北は?アイツが見送りしねーのはオカシイ」
「……、まぁ、そんな時もあるんじゃないのか」
「……。涙出てるけど」
言われて気付いた。みっともない。「いや、これは涙じゃなくて、」と誤魔化そうにも、なかなか止まってくれない。
流川が俺の肩に片手をぎこちなく置き、もう片方の腕で俺の顔をゴシゴシ拭いてくれる。
「、す、すまない、大丈夫だから、、ふふ、痛えよ」
「……別に。泣いてる理由、分かる。タブン」
流川が「アイツ最近遊んでる」とボソッと呟く。
あぁ、やっぱりそうなんだ。
「……とりあえず、もう日本に戻るよ。お前に会えて良かった。アメリカでも変わらず頑張れよ」
そう言って別れようとすると、方に置かれていた流川の手に力が入った。
「、?どうした?」
「……1on1しろい」
……は?
・・
所変わって流川の留学先の寮にお邪魔している。
理由はバスケをするための服や靴を借りるためだ。
「これとこれ、サイズは……」
「……うん、大丈夫そうだ。ありがとう、荷物も置かせてもらって……。と言うか俺でいいのか?」
「?、あんたあのサンノーのエースだったろ。前に三井サンが言ってた。強かったって」
それを聞いて俺は複雑な気持ちだった。嬉しいけど……
「……でも俺はアイツを止められなかった。過去に鮮明に残る深い傷跡だよ」
「……」
「まぁその後の大会で挽回できたし……俺も良い勉強になったと思ってる。今は同じチームだし、頼もしいしな」
そう笑って言うと、流川もフッと笑った。
「この寮の裏にコートある。早く」
キラキラした目で俺を見る。何だ、すげえクールなヤツかと思ったら可愛い所あるんだなぁ。
・・
流川との1on1はとても楽しく、勉強になるプレイや逆にアドバイスしたり、お互い問題点など出し合ったりフェイントの練習をしたりと、実に有意義な時間だった。
沢北の事も本当に全部忘れて笑った。やっぱり俺もバスケバカなのかもしれない。いつの間にか日も暮れて当たりが薄暗くなっていた。
「、やべえ!流川!この辺ホテルあるか!?」
「?あんまり見た事ない。何で」
「……いつも沢北の所に泊まらせてもらってたから、今回もホテル予約してなかったんだ。もう飛行機取れねーだろうし急いで探さないと……!」
シャワーを浴びて談笑していたが、ホテルを予約していない事を思い出し急いで荷物を片付ける。このまま野宿だけは避けたい。
そう思っていると、流川に腕をグッと掴まれる。
「?、何だ?どうした?」
「俺んち、泊まれば」
まさかの提案に目を見開く。
「え、でも明日も練習だろ?申し訳ないよ」
「明日は昼から。それくらいにセンパイも一緒に家出ればいい」
「……、すまん、正直とてもありがたい……。お邪魔してもいいか?」
「ン」
とりあえず野宿は避けられた様でホッとした。「じゃあ飯は俺が作るよ!何が食いたい?」と言うと、速攻で「和食」と返って来て声をあげて笑った。
――――――
「どうしよう、どこにもいない、どうしよう」
空港にも、付近のホテルにも、どこを探しても松本さんの姿はなかった。携帯に連絡しても出ない。
「一旦落ち着けよ、」と朝から車を走らせてくれていた友人・宮城が背中を撫でてくれるが、そんなもので落ち着ける訳がなかった。
「落ち着けるかよ!!!!……、むりだ、どうしよう、」
手当り次第、友人と日本に居る先輩達に連絡を入れている。まだ誰からも発見の連絡はない。
「俺にあたるなよ」と宮城が疲れた様に言う。
「、ごめん、でも、松本さん、おれのせいで、……ゔぅ〜ッ……、やまりたのに、どおしよ、」
「……、とりあえず飯食え小坊主。お前そんなんじゃセイジョーなハンダンできねーだろうが」
「……だな。沢北、とりあえずこれ飲め」
電話で招集した桜木と宮城が補給ゼリーを渡してくれるが、全く飲む気にならない。水も喉を通らない。
全部俺のせいだ、調子に乗って、声かけられたらそのまま寝て、大切な恋人に見られて、後悔して、何してんだろ……。3人からも散々「そろそろやめとけ」「恋人居るのにフセージツだ」「どあほう」と言われてたのに……
「そういや流川電話出ねーな」「寝てんだろ」と言う会話を横目に、もう何十回目かになる電話を松本さんにかける。お願い、お願い出て、謝らせて。もう一回、抱きしめさせて。
――――――
「ごちそうさまス。美味かった」
「あぁ、お粗末さまでした。たくさん食べたな!」
流川は久々の和食だった様で、ウメーと言いながら食べてくれた。いつも1人で作って1人で食べていて感想もらう事がなかったので普通に嬉しい。
「じゃ、茶碗片しとくからシャワー浴びてこいよ。ごめんな、ご飯の前に先にシャワー入っちゃって……」
「……いや、それは別にいい。飯作ってもらったし……、」
「本当にありがたいよ。だからこれくらいさせてくれ」
「……ス、」
シャワーに行った流川を見送って、茶碗を洗う作業に移る。そもそも料理しながらある程度片付けしていたので、そんなに時間はかからなった。
茶碗洗いを終え、流川が上がる前に……と荷物整理をしようとした所でバッグに入れっぱなしだった携帯の存在に気付いた。
……沢北、心配してるだろうか。……いやでも朝の光景が忘れられない。……一応、沢北以外からの至急の連絡があるかも、と電源を付けた途端、履歴の更新が始まり音とバイブが止まらなくなった。
「え、え、え、ちょっと、」
「、何の音スか、」
風呂から上がったのか、流川を眉間に皺を寄せながらこちらを見る。
「いや、携帯の電源を付けたら……」
「……あぁ。履歴」
「そ、そう、え、これ止まらないのか?」
「全部更新されるまで止まらないス、たぶん」
「え、ええ〜、」
そんな会話をしていたらピタッと止まり、安堵の息をつく。
チラッと見た限り沢北の名前ばかりで嫌な気持ちになった。ほっといて欲しい。
「……電話しないんスか」
「……いや、まー、う〜ん……。今はしたくないな」
「……ス」
「ほんと……なんか、すまない。あ、食後にと思ってゼリー冷やしてるから食べてくれ」
「!、ン」
流川はのしのしと歩き冷蔵庫を開けてゼリーを食べている。結構冷やしたから冷たくて美味しいはず。
ルンルンしている(様に見える)流川とは真逆で、俺ははぁ……と重いため息をこぼす。これからどうしよう。話し合い……は、したくない、今は無理だ。冷静では居られず感情的になってしまう。もともと明日の夕方帰る予定ではあったし、昼ここを出て空港でちょっと買い物をしてからそのまま日本へ帰ろう。うん、それがいい。
1人頭の中で明日のスケジュールを決めてうんうんと頷居ていると、ピリリ!と携帯が鳴った。ドキリと心臓が跳ねて嫌な汗が吹き出る。こんなに「沢北」の文字を見るのが嫌な事は初めてだ。
そっと画面を見ると、そこには「沢北」ではなく「深津」と出ていた。深津!?
「も、もしもし!?」
「、やっと出たピョン……、はぁ〜、良かった……」
慌てて電話に出ると、深津が少し怒った声で「もう!心配したピョン」と呟いた。
「?何の心配だよ」
「……お前沢北の家出てったピョン?沢北が「どこにも居ない〜どうしよう〜」って泣きながら俺達に連絡してきたピョン。今どこ居る?大丈夫か?」
「あ、え、深津達に!?」
「ン。話は全部アイツから聞いたピョン。お前は何にも悪くないピョン。大丈夫だから」
深津は優しい口調でどうする?帰って来るか?迎え行くピョン、と電話越しに慰めてくれる。ジワジワとあの光景を思い出し、涙が出てきた。
「、ふか、ッ、おれ、」
「今どこピョン?まだそっち居るのか?」
「、ウン、沢北の家を出て、途方に暮れてた時に流川に会って……」
「……流川?」
「ん、そんで泊まらせてもらってる」
電話で伝えながらチラッと流川を見るとウトウトと船を漕ぎはじめていた。
「、あ!流川眠そうだから、とりあえず明日また電話する!沢北には……今は会いたくないから……言わずに日本に帰ろうと思う」
「……、まぁ、いいピョン。とりあえずまた連絡くれピョン。……本当に話し合わなくていいのか?」
「……、」
「……松本。俺達はお前の味方ピョン。……でも一応伝えとくと、アイツめちゃくちゃ泣いてたピョン。自分責めて今でも探し回ってるピョン。生きてるってだけでも、連絡入れてやってもいいんじゃないか?」
気を遣う様に深津が「……まぁ、俺は何があっても松本派だピョン」と優しく言う。
前からそうだ、深津はずっと俺に優しい。たくさんたくさん助けられた。
俺は「……無事って報告だけ、しておく」と伝えバイバイをして電話を切る。
また重いため息が出てしまう。どうしても“ドアを開けた時の光景”が消えない。変な冷や汗が出て、手が震える。
でも、深津が言っていた“自分責めて今でも探し回ってる”沢北を思うとやっぱり情がわく。でも……、、
そうもだもだしていると、眠そうにしていた流川が「貸せ」と俺の携帯を奪いスピーカーモードでどこかに電話をかけはじめた。
突然の事で呆然と流川を見ていると、ワンコールで「松本さん!?!!!?」と大声が聞こえ誰にかけたのかすぐに分かった。
「松本さん!!?!どうして、ッ、いや、今どこに……!!」
「あ、えっと、」
「無事ですか!?!怪我は!?!!」
「け、怪我はないし、ちゃんと安全な所にいる……」
「……ッ、それなら、良かった……。俺、本当に、……ご、ごめなさ……」
電話越しで沢北のグズグズ鼻をすする音が聞こえる。
相変わらず泣き虫な男だ。いつもなら「泣くなよ」と笑って言えるのだが、やっぱり俺はまだ沢北を許せない様だ。
「……、今は、何も話したくない。本当はお前に告げずに帰ろうとしてたけど……深津に言われたから……」
「……、深津さんに言われた…から?」
「今回は一旦、日本に帰る。……気持ちを整理したい」
「……気持ちを整理って、なに」
「……、、」
「……松本さん。嫌だよ、俺……絶対別れない……」
ゾッとするほど低い声で言う沢北に少し恐怖する。もはや鼻をすする音もしない。携帯を握りしめているのか、パキ……と音までする。
何も言えずに携帯画面の“沢北栄治”の文字を見つめていると、横から流川が近付いて携帯を取った。
「……じゃあ何で浮気したンだ」
「……え!?!流川!?何で!?!」
沢北は大層驚いている。そりゃそうだ、安全な所=後輩である流川宅だとは微塵も思わなかっただろう。
沢北側から「ぬ!?キツネ!?」「あ〜……電話出ねーと思ったら……」と聞こえ、恐らく桜木と宮城が居るのだと分かった。
「……オイ流川。その人俺の恋人だって知ってて家あげてんの?」
「そもそも泣いてる恋人放ったらかしにするのが悪ぃ」
「……、とりあえず、松本さん迎え行く。お前とは少し話がしたい」
「……いや、今から寝る。今日はもう来るな、どあほう」
そう言って俺にポイッと携帯を投げた。沢北はまだ何がワーワー言っているが、お構い無しだ。
「うるせー。電話切れ」
「あ、おい……、ン、」
沢北に何か話そうとするも、流川から口を手で塞がれ電話を切られる。
「一旦日本帰ってから考えろ」
「……、そうだな。頭がグチャグチャだ……」
「……寝る。ベッドでかいからたぶん2人寝られる」
俺の手を引いてベッドに行こうとする流川を止められず、2人でベッドに入る。
大きいと言ってたから男2人横になれるが、やっぱり狭い。
「……流川、俺やっぱりソファーで……」
「……ぐー」
「……寝てる……」
既に深い眠りにつく流川を横目に、「ま、いっか」と電気を消して自分も目を閉じる。
今、人の温もりに触れてとても落ち着いている事を自覚しながら、流川に今日何度目かになる感謝をした。
――――――
「うるせー。電話切れ」
「あ、おい……、ン、」
やっと電話が繋がったと思った愛しい恋人が、まさかのまさか後輩の家で匿われ、しかも電話を切る直前にキス(定かではないがあの鼻に篭もる「ン」はいつもキスした時に松本さんから出る声に酷似していたのでたぶんガチでキス)をされていた。
「……あ〜、エット……沢北?」
「まさかあのキツネがな〜……、小坊主の恋人を寝取るとは……」
「いやそれ。いや〜……まさかのまさかだったな!」
2人が俺に気を遣わず、ワハハ!と笑ってるが1ミリも笑えない。え、何わろてんねん。
「……今から流川ン家に行く……」
「いやもう寝るって言ってたし、今回は引いた方がいいだろ」
「マー、今回に関しては100%小坊主が悪いしな」
だーれも俺の味方は居ないんだ。あ〜そうですよ、俺が全部悪いです……。本当に……本当に俺が悪い……。
2人に肩ポンと共に「今日はとりあえず飯食って寝ろ」「明日の朝ちゃんと謝りに行こうぜ」と言われ、ゆっくりゼリーを口に入れる。でも良かった、安全な所で、怪我もしてなかった。本当にそれだけは良かった。そう思うと止まってた涙が溢れた。
明日朝から謝りに行こう……。そして許してもらえたら、また松本さんと一緒に朝を迎えたい。
――――――
顔にあたる陽射しで目を覚まし、ゆっくり瞼をあける。
隣の流川は未だグーグー眠っている。……朝飯、作ろうかな、とベッドから降りて簡単に身支度をする。
簡単な白ご飯、味噌汁、だし巻き玉子、焼き魚を料理し終えた所で流川を起こしに寝室へ向かう。
「流川、飯作ったけど食うか?」
「〜、……、、」
「また和食食べたいかと思って魚焼いたけど」
「……、いい匂いする……。食う……」
「ん。じゃあ顔洗って来いよ、用意するから」
流川がのしのしと洗面台に向かったのを確認して、ご飯を用意する。昨日めちゃくちゃ食ってたからな……と少し多めに茶碗へ入れようとした時、玄関のチャイムが鳴った。
「流川、流川ー?」
「……はみはきひへる」
「あ〜歯磨き。俺出るぞ?」
「ン」
エプロンをしたまま「はい、」と玄関を開けると、目を見開いて固まる大男3人が居た。
「あ、……、さわきた」
「……、エット、……あ、謝りに……きまシタ……」
「……」
「……」
「……」
シーンとした地獄の時間は、家の主である流川が「……入れば」と言った事で終わりを告げる。
「、でも、流川、」
「……どうせいつか来る、それが今ってだけ」
「、うん……、」
流川に諭されて玄関から離れると、後ろから「え、夫婦かよ」「、!違うから!俺の松本さんだから!」という会話が聞こえる。意味が分からない。
・・
流川宅の小さなテーブルに俺と沢北が向かい合って座り、流川は俺の・桜木と宮城は沢北の後ろに座った。
「……、ま、松本さん、……エト……エト、こ、この度は申し訳ございませんでした!!!!!!」
机に両手を付き、ガバーッと頭を下げる。
「お、俺、調子乗ってました!!!!バスケが順調で女の子からもチヤホヤされて……!!!!ワ、ワンナイトだけならって遊んでました!!!!本当に申し訳ございません!!!!!」
……クソ野郎すぎる。何だそれは。
その気持ちは俺だけではなく、流川も桜木も宮城も同じ様で「クソだな」「最低野郎」「どあほう」と野次が飛ぶ。
「な、何も言えません。俺はクソ最低野郎のどあほうです……」
「当たり前だ」
「だから止めたのによ」
「どあほうすぎる」
4人でワチャワチャしてるのを静かに見る。
俺は……あの時の光景を忘れて、また沢北と楽しく笑い合えるのだろうか。沢北は、俺以外の女の子を抱いて、また俺で興奮するんだろうか。
ゴチャゴチャと頭の中で考える。
考えて考えて考えて、でも結果は「分からない」だった。
ふと周りが静かになった事に気付き、いつの間にか下を向いていた顔を上にあげると、涙が頬を伝う。あ、いつの間にか泣いてたのか。
3人がギョッとした顔で俺を見ている。
「、ま、ま、松本さん、」
「……さ、沢北は、……もう俺じゃダメなのか……?」
「分からない」だからこそ、全てを聞いてみようと思った。
「沢北は女の子を抱く時に、俺の事は1ミリも……思い出さなかったのか?」
「女の子を抱いたその手で、俺を抱く気だったのか?」
「女の子を抱いた後、俺の硬い男の体を抱けるのか?」
「俺は……もうあの光景を忘れられない……」
「あの光景を忘れて、お前と笑い合える日が来るとは……今は思えない」
沢北の顔は見られず目線を少しだけ落とし、机に付かれたままの手を見ながら言う。
段々と指先に力が入っていく様子を眺めながら。
「、待って、すみません、本当にすみません、」
「今でも、あの光景が甦る。気分が悪い、やっぱりまだお前と話し合えない」
「ま、待ってください、本当に松本さんを愛してるんです、嫌だ、離れたくない」
「じゃあ……、じゃあ何で俺を裏切るんだよ!!!!」
シンとした部屋に俺の怒鳴り声が響いた。
周りの3人は“あ、これふざけちゃダメなヤツだ”と理解した様で、横から口は挟んでこない。
「、ま、松本さん、ご、ご、こめんなさ、」
「いや、俺も怒鳴って悪い、すまん。……流川も、ごめん。近所迷惑だよな」
「……いや、それは大丈夫ス」
1番年上の俺が泣いて怒鳴って、段々と恥ずかしくなってきた。何か本当に話し合い無理だと気付き「……やっぱり一旦日本に帰る。今から」と立つ。
「、ま、松本さん待って、待ってください!」
「沢北すまん、やっぱり今の状態じゃ話し合いは無理そうだ」
「松本さん、お願い、お願いします、別れたくない……」
「……、俺も、お前の事は好きだよ。楽しみにしながらアメリカに来るくらいは」
「松本さん、」
「でも今は……一旦距離を置こう。3人ともいろいろありがとう。沢北とこれからも仲良くしてやって欲しい」
自分の荷物を片しながら誰とも目線を合わせずに言う。
この空気から逃げたかったし、泣き顔を見られたくない。
昨日簡単に荷物を整理してたおかげで数十分で荷物整理はおわった。
「流川、1日泊めてくれてありがとう。本当に助かった。バスケも……すごくすごく楽しかった」
「……松本サン」
「ご飯、一緒に食べ損ねたな……。4人で食べてくれ。少し量は結構少なくなると思うけど」
「……、ス」
「2人もすまない、俺達のいざこざに巻き込んでしまった。ご飯作ったから、温めて食べてくれ」
「、あ、はい……」
「……、う、ウス」
「……、じゃあ……すまん。また」
捨てられた猫の様な顔で俺を見つめる沢北の顔を、俺は一瞬だけ見て、特に何も言わずに流川宅から出た。
目を瞑り深呼吸をする。タクシーを拾うために大通りに出る事にする。
1度だけ、玄関を振り返ったが……開く気配はなかった。
――――――――
「……うわ、鮭うま」
「……」
「……」
「……」
「……和食、久々に食うな」
「……」
「……」
「……」
お通夜だ。当たり前だ。気を利かせて宮城が何か言ってるが、誰も反応しない。
飯が勿体ないからとりあえず食おうとなったが、一切飯の味がしない。
「……沢北、今回は……お前が100%悪いのは分かってるよな?」
「……」
「松本サンは、“考えたい”みたいな感じだったろ。……それを止めてまで謝り倒すのはちげーと、俺も思う」
「俺も花道と同じ考えだ」
宮城と桜木がそう言うが、頭が回らないせいか何も考えられない。
「……、松本サンは、俺のロードワーク中に会った。ベンチに座ってボーッとして」
静かに食べていた流川が突然話だし、それが出会った経緯だとすぐ分かり耳を傾ける。
「お互いすぐに分かった。でもあの人と初めて会った、あのインターハイの時と比べると……小さく見えた」
「……」
「すぐにピンと来た。…お前の悪業を知ったと」
鮭の身を上手に箸で解しながら流川は続ける。
「……ボロボロ泣いてた。あの最強山王のエースが」
「……ッ」
「あの時、負けた後もあんな弱い顔してなかったのに」
「俺は松本サンの事を全然知らねー。……でも、お前は、松本サンが唯一弱みを出せるヤツだったんだと、思う」
俺の中の松本さんは、いつも前を向いて、最後の最後まで希望を捨てず、心の強い人だ。
キラキラ輝いていて、俺も松本さんに負けない様に歯を食いしばってついて行った。
……俺は本当に最低野郎だ。
持っていた箸がカラカラと音を立てて床に落ちる。
俺が食べたくて食べたくて仕方なかった手作り料理は、俺ではなく流川宛に作られていて、しかもそれに今は涙を落とす事しかできない。食べられなかった。
「……今は心から精一杯謝るしかねーだろうよ」
桜木はポツンと呟き、以降誰も話す事なく静かにご飯を食べた。この4人で食べる食事で、こんなにも静かなのは初めてだった。
――――――――――
「……そうか、ピョン。空港まで迎えに行くピョン」
「……いや、悪いからいいよ。とりあえず報告だけしときたかっただけだ」
空港に着き航空券を買った頃、丁度深津から「大丈夫ピョン?」とメールが入っていたから電話をした。
「いや、それは気にするな。とりあえず何時頃にこっち着くピョン?」
「……明日の17時半頃だ、」
「ワァ!丁度暇ピョン!ナイスタイミングピョン!」
明るくそう伝えてくれるが、どう考えてもサークルの時間帯だし嘘っぱちバレバレでクスクスと笑う。
「……いつも。ごめん」
「、?何がピョン?」
「、甘えてばかりで、高校の時から、ずっと、俺はお前に甘えてばかりで」
心から信頼をしている友の声を聞くと、段々と涙が溜まるのが分かる。無意識に強がってはいたが、本当に本当に堪えた。苦しかった。
グズグズと鼻を鳴らす俺に対し「松本、まだ泣くなピョン。そっちで泣いたら抱きしめてやれないピョン」と冗談を言い笑わせてくれる。
「早く帰って来い。俺はいつまでも…お前を待つよ」
変な語尾も付けず、真剣にそう伝えてくれる。
溢れる涙で、鼻声で「ウン」としか返せなかった。
アメリカは、やっぱり俺の大切な人を奪っていく。
日本に……、深津の元に、今は早く帰りたかった。
続く?