太陽から雷霆へ◆◇◆
「インドラ」
不意に届いたその声に、雷霆神は思いきり顔を顰める。
それは神々の王が今まさに下界に降り立ち、我が威光(テージャス)を振り撒きながら、人理修復等という大それた事を成そうとしている人間を、酒の肴に見物しに行かんとしているところだった。
ついでに英霊として召喚された我が息子の様子を窺おうという気も無くは無かった。
決意したものの己の膨大過ぎる霊基を調整には予想外に時間がかかり、やっとのことで現界にあたって相応しい依代を作り出したところだ。
正直、この瞬間を今か今かと待ちわびていた。しかし、神々の王たるこの神(オレ)がそんなに必死になって現界したがってると思われるなど在ってはならない。
「……神(オレ)はこれから物見遊山に出かけるところだったが、別段急ぎの用でもない。よって神(オレ)を態々呼び止め、神(オレ)の悠久なる時を奪わんとする理由位は聞いてやる。……何の用だスーリヤ。」
「お前がそのように饒舌に語るという事は余程待ちきれんと見える。とすると神(ワタシ)は用件を手短に済ませる必要があるな。」
スーリヤと呼ばれた美丈夫の神は、一切の悪意無くその端正な口角を上げた。
しかし、男の一連の行動はインドラにとって挑発にしか映らない。しかしあくまで平静を努める。
「おい、急ぎの用ではないと言っているだろう。神(オレ)がそのような……」
「息子の元へ行くのだろう?」
核心を突かれた神は瞬間言葉に詰まる。
「……!、……何も、その為だけに行くのではない。そろそろ天上で杯を傾けるのも飽いたのでな。なに、神々の王の気まぐれ、暇潰しといったところか」
「そうか。いずれにせよ神(ワタシ)がお前を止める謂れはない。愛する息子の活躍、存分に見届けるがいい。ただ───」
───何故此奴はいつも神(オレ)の話を聞かないのか。
インドラは密かに額に青筋を立てたが、それすら悟られるのも癪なので閉口する。
そも、この男との口論ほど無意味なものはない。幾度と無く干戈を交え、それが盛り上がり過ぎて互いに別の形で熱をぶつけ合う間柄にもなれば、それなりに慣れてくるというものだ。ただ、毎度このような態度を許せるかと問われれば、答えは否だが。
そんなインドラの様子を知ってか知らずか、スーリヤは途中で言葉を切ると音も無く眼前へと降り立った。
インドラは瞬き一つせず、自分より少し低い位置にある男の顔を睥睨する。
「サーヴァントとして現界するならば、いずれ戦神として戦うこともあるだろう。であるならば」
ふわりと空気が揺らいだ瞬間、陽炎のような瞳がぐんと近付いた。
首に腕を回され、柔らかで暖かい唇に呼吸を奪われる。
───何を考えている。
そう思うと同時に、唇よりも熱い舌が口内に滑り込んできた。探るような動きに呼応して此方の舌を絡ませてやれば、歓喜するかのように更に縋りついてくる。そんな殊勝な仕草を取られれば此方も興が乗るというもので、乱雑に後頭部を掴むとより深い箇所まで侵入し、奴よりも長く熱い舌で口内を蹂躙してやる。
「…………ッ、ふ、はぁ、イン、ドラ……。」
耐えきれなくなって離れた唇から切なげな声で名を紡がれる。否応無く情欲が掻き立てられる、が───。
「……インドラ、どうか忘れてくれるなよ。例え雷霆が何処の空を翔けようとも、太陽は常に頭上に在り続ける。」
低い声音でそう告げると、スーリヤは最後にちゅうと音を立てて唇を吸ってからあっさり体を離した。
「……貴様、何が言いたい。」
すんでのところで御預けを喰らったようで、インドラは不機嫌を隠そうともせずに眉間に皺を寄せた。
スーリヤはインドラの質問にふむ、と暫く何かを考えるような素振りをした後、
「そうだな。有り体に言えば、『浮気は許さない』
か?」
至って普通の、いつもの飄々とした態度でそんな事を宣った。
インドラは一瞬だけその碧眼を瞠らせると、すぐに呵々と笑った。
───貴様にそのような事を言われるとは!
「……貴様に神(オレ)が縛れると思うなよ。」
インドラはそう言い残すと、神象アイラーヴァタを顕現させて瞬く間に去っていった。
「それもそうだな。」
残されたスーリヤは独り言ちる。
───心のままに空を翔けるがいいインドラ。貴様のその輝きに希望を見出す者が、貴様の訪れを待っているだろう。
───何よりも人間(ひと)を正しく愛する彼の神に、祝福を。
スーリヤはインドラが消えた空間を、慈愛と憧憬を込めた瞳で見つめた。
途中、ちょっと空にヒビが入ったのが見えた気がしたが、悠然たる太陽神はただその様子を照らすのみにしておいた。
───了───