第二夜 こんな夢を見た。
目覚めると、僕は四方を白い壁に囲まれた部屋の中にいた。窓はなく、向かって正面に扉が一つあるだけ。腰掛けているのは一人用の、これまた白い革張りのソファである。他に目に入るめぼしいものといえば、天井近くに取り付けられたスピーカーと、その下にあるデジタル時計のみ。時計といっても、時刻を確認するものではないようだ。見つめる僕の目の前で、光る文字盤の数字が一秒ごとに減っていく。おそらくだが、なにかの残り時間を示しているものと思われた。
強張る体を起こした途端、部屋の照明が一段階明るくなる。人感センサーでもついているんだろうか。どうでもいいことを考えていると、まるで僕が起きるのを待っていたかのようなタイミングで、壁のスピーカーからノイズ混じりの声が聞こえた。
「岸辺露伴さん」
高すぎず低すぎず、艶のある心地よい声だった。どうやら相手は若い男らしい。どこかで聞いたことがある気もするが、あまりに音質が悪くて判断がつかなかった。
ソファから立ち上がった僕は、あえて呼びかけには答えないまま、扉の前へと歩み寄る。ドアノブを捻ってみるが、内側でガチャガチャと金属同士のぶつかる音がするばかりで、いくら力をこめても最後まで回らなかった。鍵がかかっている。
諦めて手を離したところで、スピーカーから再び声が響く。
「貴方は、これから出される問いに『はい』か『いいえ』のいずれかで答えなくてはなりません」
わざとらしいまでの棒読みだ。ますますきな臭い。課題を果たさなければ、ここから出さないというわけか。
「それでは、質問です」
こんな大掛かりな仕掛けまでして、一体どんな無理難題を出されるのだろう。自分でも気がつかないうちに、僕は拳を握りしめていた。緊張と期待が限界まで膨らんでいく。
「岸辺露伴さん――貴方は、東方仗助のことが好きですか?」
……は?
「『はい』と答えた場合、ただちにドアが開き、隣の部屋で待つ彼に会うことができます。『いいえ』と答えた場合は、」
「オイオイオイオイちょっと待て、なんだその下らない質問は!」
「……ええっと、アンタ自分の置かれた状況分かってます?まずは最後まで聞こうって気はねーんスか」
呆れたような笑い声と共に、急に砕けた話し方になった。加えて、この人を舐め腐った態度。仗助だ。スピーカーの向こうにいるのは、あのクソッタレで間違いない。
全てが馬鹿げている。こんな、まるで結婚式の誓いみたいな――自分で例えておいてなんだが、考えるだけで寒気がする――問答に、どうしてこの僕がまともに答えなくっちゃあいけないんだ!
「えーッ、なにがそんなに嫌なんスか。俺のことが好きだって認めるだけっスよ?」
「考えるまでもない、君のことなんか大ッ嫌いだ!」
「嫌よ嫌よも好きのうち、昔の人はいいこと言いましたよねぇ」
「貴様……!」
マイク越しに、やれやれと言わんばかりの深いため息が聞こえる。
「仕方ねぇなぁ……素直になれない露伴センセーのために、この俺がちこっとだけ背中を押してあげますよ」
「お前、いい加減に」
「七月十九日、月曜日、ぶどうヶ丘総合病院」
開いた唇が凍りつく。指摘された日付に、心当たりがあったからだ。
「俺の病室まで見舞いに来てくれましたよね、一回だけっスけど」
「お前、起きてたのか……」
その日、確かに僕は仗助の病室へ足を運んだ。平日で、見舞客が少なそうな時間帯をあえて選んだから、今もよく覚えている。静かに眠る男の顔を眺め、立ち去るまでに要した時間はほんの数分。絶対に、誰にも気づかれていないと思っていたのに。
「いや?ここでセンセーの反応見るまで、確信はありませんでしたけどね。でも、黙ってあんなお高ぇお見舞い品なんか置いてくような奴、俺の知ってる限りアンタしかいねーよなぁって」
僕としたことが、こんな見え透いたカマに引っかかるとは。してやられた悔しさに歯噛みしている僕へ、男は更に畳み掛けてくる。
「それにアンタ、これも知ってますよね?「ミルクありで砂糖は二つ」。ホントよく覚えてるよな、大っ嫌いな奴のコーヒーの好みなんてよぉ」
相席をねだられたカフェでの記憶が蘇った。子供舌のくせに格好つけて、この男は必ず一口目をブラックのままで飲もうとする。後から強請るくらいなら初めから頼んでおけと、僕から店員に追加で注文したのだ。揶揄ってやったつもりが、迂闊だった。
「まぁだ認めねぇんスか?それじゃあコイツはとっておき。一週間くらい前、雨の日の夕方、おんなじ傘に入ってる俺とお袋に、アンタ後ろから声かけてきたよな?振り返ったら妙にホッとした顔してたけど、アレってもしかして、俺に女でもできたんじゃあねぇかって――」
「うるさいッ!」
最早聞くに耐えなかった。肩で息をしながら怒りに震える僕をよそに、仗助は「まぁまぁ、そうカッカしねーで」などと至って涼しい声で宣う。
「お詫びにいいこと教えてあげますね。どっちにしても、時間になったらセンセーは外に出られるんスよ」
「……ハァ⁉︎」
「あ、俺のこと責めるのはナシっスよ?初めにちゃあんと言おうとしたのに、聞かなかったのはアンタのほうなんで」
抜かせ。絶対にわざとだと思ったが、指摘するのも馬鹿馬鹿しい。
どっと力が抜けた僕は、体を投げ出すようにしてソファに腰掛けた。時計を見ると、ここから解放されるまであと残り一分をきっている。
「で、いい加減腹は括れました?」
「だから、はじめから決まってるって言ってるだろう。僕は君のことなんか、」
「嘘つき」
男の声色が変わった。それまでのふざけた調子から一変、常にない冷ややかさに息を呑む。
「あーそうそう、まだ最後まで説明してなかったよな。アンタが認めてくれたら、また俺に会えます。でも、どーしても認めねぇっていうなら、俺はアンタの前にもう二度と――」
その先は、言葉にすらされなかった。
「あと三十秒です。センセー、答えを」
有無を言わさぬ口調に肌が粟立つ。指先はどんどん冷えていくのに、手のひらにはじっとりとした脂汗が滲んでいた。一秒、また一秒と、残された時間が少なくなるにつれ、心臓の拍動が激しさを増していく。まるで正反対の叫びが心にこだまして、引き裂かれそうに痛かった。そうだ、違う、伝えたい、知られたくない、絶対に、認めてはいけない、この僕が、まさかこんなクソッタレを――。
あと残り、三秒。
「……僕は、君のことが」
乾いた電子音が鳴り響く。審判の合図だ。