第九夜 サゲ、事の顛末、エンディング。場合によって呼び名はさまざまだが、ある日突然、この世のあらゆる物語からオチというオチが逃げ出してしまった。全ての創作者にとって、これはまさに悪夢のような事態である。どれほど綿密にストーリーを練り上げたとしても、オチがなくては台無しだからだ。やがて世界中の作家たちが、自らの作品のオチを捕まえるべく奔走しはじめる。もちろん僕も例外ではない。別に新しく描き直してしまってもいいのだが、かつての僕が心血注いで生み出した渾身のラストを、何処の馬の骨ともしれない奴に掻っ攫われるのは癪だろう?
「アンタ、そんなとこで何してんスか?」
僕が公園の木に取り付けられた鳥の巣箱を漁っていると―僕の生み出した作品のオチはどれも、一筋縄ではいかない場所に隠れたがる傾向があるのだ――近所のクソッタレ、もとい東方仗助が声をかけてきた。初めのうちこそ無視を通していたものの、諦めの悪い男は何度もしつこく呼びかけてくる。仕方がないので、僕はしぶしぶ木から降りた。
「一体僕になんの用だ?見ての通り、君の相手をしている暇はないんだが」
「そこをなんとか、ちこっとだけ時間もらえません?俺と一緒に探してほしいもんがあるんスよ」
「なんだ、勿体ぶらずにさっさと話せ」
僕の頭についた木の葉を払いながら、男はまるで笑い泣きのような、なんとも言葉にしがたい表情を浮かべる。
「実はその、この話のオチがどっかに行っちまったらしくて」
「ハァ?」
続く仗助の話をまとめると、こうだ。ここは僕たち二人の行く末を書いた小説の世界なのだが、此度の騒動で、そのオチまでもが行方不明になってしまった――。
オイオイオイオイ勘弁してくれ、大したセンスも技量もない奴が、安易にメタフィクションなんて手法に手を出すものじゃあない。いずれ収拾がつかなくなって頭を抱える羽目になるのは、火を見るよりも明らかだというのに。
まぁ、いずれにしても僕の知ったことではないが。
「一人で探せ、そんなもの」
「もうとっくに探したっての!この町のどこにもいねーんスよ」
その場を後にしようと背を向けた僕に、男はなおも追い縋ってくる。
「ホントに大丈夫なんスか、俺にそんな大役任せちまって。別にいーけどよぉ、これってアンタの人生もサユーするモンダイなんじゃあねぇの」
「ム」
「ほらな、アンタ絶対後悔するって。後から『こんなオチ、僕は認めない!』なぁんて言われても、俺は責任持たねーっスよ」
「……確かに、言われてみればそれもそうだな」
そんな風にして始まった世界中を巡るオチ探しの旅は、想像していたよりも幾分マシ、いや、むしろ心が踊る場面ばかりだった。大自然が生み出した巨大な岩のオブジェ、大瀑布にかかる虹、赤道直下で見る満天の星空。この世で一番嫌いな男の隣で見た、この世のものとは思えないほど美しい景色を、多分僕は生涯忘れることはないだろう。本題から外れるので詳細は省くが、正体不明の隕石の謎を追ったり、灼熱の砂漠で極限状態のサバイバルをしたり、水の都でギャングの抗争に巻き込まれたりと、漫画のネタになりそうな得難い体験もできたしな。
だが、肝心のオチは一向に見つからない。
「ナァ仗助、杜王町に戻ってみないか。灯台下暗しって言葉もあるくらいだ。もう一度よく探せば、案外近くに潜んでいるかも――」
「……露伴、コレ」
そういって男が差し出したのは、コルクでしっかりと栓をされた、手のひらサイズの小瓶だった。はたして、その中に詰められているものは。
「本当はとっくに見つけてたんス、この話のオチ。これでアンタとの旅が終わるんだと思ったら、俺、どーしても言い出せなくなっちまって……」
ガラス越しに透けてみえる、僕らの物語の結末は――遠目からでも分かるくらいに、ひどく澱んだ灰色をしていた。衝突にすれ違い、別離に未練。およそ考えうる限りのネガティブな要素がこれでもかと詰め込まれたそれは、いわゆる「バッドエンド」に分類される類のものなのだろう。
仗助はまるで、叱られる前の犬みたいにしおたれている。震える右手から小瓶をひったくった僕は、迷わずその栓を抜いた。
「えっ」
驚きの声をあげた男の目の前で、瓶の口から勢いよく飛び出したオチが、あっという間に道端の草むらへと消えていく。恐ろしく逃げ足の速いやつだ、一体誰に似たんだろうか。
そこからしばらくの沈黙を経て、やがて仗助がぽつりと呟く。
「露伴……なんで」
「今日この日を迎えるまでに、一体どれだけの時間と手間がかかったと思ってるんだ。その結果得られたものが、こんな安っぽい三文小説みたいな幕切れだなんて冗談じゃあない。こんなオチ、僕は断じて」
続くはずだった言葉は、勢いよく抱きついてきた男の胸の中へと吸い込まれていった。
そんな訳で、この話にはまだオチがない。仗助いわく「とびっきりのハッピーエンドで締めるんで、どーんと任せてほしいっス」とのことだ。
発言を翻すのは本意ではないが、例えどんなラストシーンを迎えたとしても後悔はない。君の隣で見る景色がそう悪いものでもないってことを、僕はもう、充分すぎるほど知ってしまったからな。