第三夜 こんな夢を見た。
ある日突然、全ての生き物の胸元に、謎の結晶が現れた。はじめは誰もが気味悪がって、まさか新種の病気じゃあねぇかなんて噂が囁かれ始めたが最後、あっという間に世界中がパニックになる。あらゆる分野の学者による――その裏ではもちろん、例の財団も動いていたらしいが――研究が進められた結果、そのハート形の結晶は「愛」であることが分かった。
この結晶は、持ち主がどれだけ愛を受け取ったか、あるいは与えたかで変化する。たとえば誰かから愛されると、ソイツの「愛」は重くなる。逆に誰かを愛してやれば、その分だけ軽くなるってわけ。あ、これはあくまでも「愛」の重さを心が感じてるだけだから、質量そのものが変わるわけじゃあないぜ。ちなみに、ここでいう「愛」ってのは、なにも恋愛的な意味合いのものだけとは限らない。親子愛に友情、尊敬や憧れ、飼ってる動物への愛着なんかも「愛」としてカウントされるそうだ。まぁ流石に、重さの感じ方に違いは出るみたいだが。
さて、ここで問題だ。貰うと与えるのバランスが極端に崩れたら、その「愛」の持ち主は一体どうなる?
「ぐッ……お、重……ッ」
その答えは、今の俺の姿を見てもらえれば分かると思う。起きる、飯を食う、ガッコーに行く、風呂に入る。全てが億劫で仕方がない。どうにも体が重くて重くて、腕一本動かすだけで恐ろしく体力を使うからだ。「愛」が結晶化してからというもの、俺はなにをするにもこれまでの倍の時間がかかるようになっちまった。慌てて医者に診てもらったが、なにか特別な異常があるわけでもない。つまり、単純に「与えるよりも貰う愛の方が多いだけ」って話だ。これが原因で死ぬようなことはないらしいが、このままいくと、いずれまともな日常生活は送れなくなるだろう。
お袋や康一はもちろん、はじめは「モテる男はツレーなぁ」なんて笑っていた億泰でさえ、こまめに俺の体調を気にかけるようになった。ここのところ毎日、有名俳優やモデル、プロスポーツ選手なんかの引退発表が、新聞の一面やニュースのトップを飾っているからだ。どうしたって他人の興味を引く職業だから、与えられる「愛」の重さも、一般人のそれとは桁違い。文字通り「重責」に耐えかねて、というわけだ。そんな彼らの姿を見ているうちに、俺がああなっちまうのも時間の問題じゃあ、と思ったらしい。心配してくれるのはありがたいが、笑えねぇ話ではある。
そりゃあ、嫌われてるよりは好かれてるほうがいいけどよぉ、ものには限度ってもんがあんだろうが。心の中で悪態をついたところで、不意にとある男の顔が頭に浮かぶ。ここ杜王町で一番の有名人である、漫画家の岸辺露伴先生だ。康一の話によれば、アイツの描く漫画を、それこそ世界中にいる読者が楽しみに待っているらしい。一方で、自己中で、他人のことなんか歯牙にもかけない我儘な男が、誰かに愛を捧げる姿なんて想像もつかなかった。おそらくだが奴の「愛」も、俺のとは比べものにならねぇくらいその重さを増やし続けているに違いない。仕方ねぇ、ちこっとだけ様子を見に行ってみるか。
そうしてやってきた放課後、重い体を引きずってわざわざ奴の家まで回り道をした俺が見たものは――涼しい顔で、庭木の手入れをしている露伴の姿だった。
「なんだ仗助、僕になんの用だ。また小遣い稼ぎがてら人の家を燃やすつもりなら、ここはもう間に合っている。ぜひ他のところをあたってもらいたいね」
「いやいやいやいやちょっと待てって、アンタ、体は何ともねーんスか⁉︎」
そのまま家の中へ引っ込もうとする露伴を引き止めて、俺は何故ここにやって来たかを話した。しばらく仏頂面で聞いていた露伴が、深いため息と共にその口を開く。
「どうやらだいぶ失礼なことを考えていたらしいが、いつものことだ、そこは置いておこう。君は何か勘違いをしているようだけれど、僕は、僕の漫画を読んでくれる読者のことを『尊敬』しているんだ。最新話を今か今かと楽しみにしてくれている彼らには、その期待に応えるだけの面白い作品で報いる必要がある。読ませてやろうなんて作者が驕りたかぶるのは論外だが、どうか読んでくれませんかと読者に媚びへつらうようでもいけない。こういうのは、どちらかに過分があっても不足があっても駄目なんだよ。世界がこんな風になる前から僕はそれを実践しているし、この先世界がどうなろうと変わるつもりもない」
滔々と語る露伴を見ているうちに、俺の体にかかる負荷がまた増した。咄嗟に噛み締めた唇の端から、堪えきれなかった呻き声が漏れる。
俺の事情を察したらしい露伴が、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。
「そういう君の方こそ、さっきから随分と辛そうじゃあないか。人のことを心配している余裕なんてあるのかい?」
「面白がってんじゃあねーッ!こっちは死活問題なんスよ!」
実のところ、俺はちこっとだけガッカリしていた。露伴のことが気に掛かったのは確かだが、多分俺は、俺と同じように苦しんでいる奴が他にもいるってこの目で確認したかったんだろう。改めて考えると、あんまり趣味がイイとは言えねぇよな。なんだか一気に気分が落ち込んだ俺へ、男は更に手酷い追い打ちをかけてくる。
「死活問題ねぇ……まぁなんだ、君、見てくれはいいからな。頭は空っぽ、見目だけは上等な美貌の男が、顔の見えない不特定多数からの『愛』に潰されて死ぬ。なかなか洒落の効いてるストーリーで面白いんじゃあないの?」
「テメー、喧嘩売ってんのか……?」
「だからさ」
ずい、と体をこちらに寄せて、男がこちらを見上げてくる。至近距離で目が合って、俺は咄嗟に口を噤んだ。
ぴっと立てた人差し指で、露伴が俺の胸のど真ん中をとんと突く。
「それが嫌なら見つけることだな。君だけの、実のある愛って奴をさぁ」
ぎゅっと唇を引き結んだまま言い返してこない俺に、男はすっかり満足したらしい。カッハッハ!と高らかに笑いながら、今度こそ露伴は家の中に入ってしまう。一人でぼけっと突っ立っていてもどうしようもないので、しばらくしてから俺もその場を後にした。
帰り道で、俺はずっと考えていた。さっき露伴の家であったこと――急に近づいた体温、くっきりと鮮やかな木と土の香り、悪戯っぽく光る若葉色の瞳、俺だけの愛。同じ場面とセリフが、何度も何度も頭の中で再生される。言葉にできないむず痒さが、熱い血と共に俺の全身を駆け巡った。まるで雲の上を歩いているみたいに、足元がふわふわして落ち着かない。この感情に名前をつけるとしたら、きっと。
なんだか、急に体が軽くなったような気がした。