夜につかまる「風邪だね。最近無理しすぎてたんじゃない?君は真面目過ぎるから。ちゃんと夜眠れてた?」
軽い口調で笑いながらも手はテキパキと薬を合わせる。人間性に少々問題があっても、腕は確かな人だ。
「…無理をしていたつもりはないし、夜もちゃんと眠っていた」
こんな誤魔化しは全く無意味なのに。
「そっか。とりあえずはそういう事にしておこうか」
それ以上何も言うつもりはないらしく、薬を合わせる音だけが響いた。
「まぁ、ちゃんと薬を飲んでしっかり休んでおけば2、3日中には元気になるよ」
薬を置いて、出ていこうとする彼を呼び止める。
「…今…南の魔法使いへの依頼は…」
「え?何?側にいて欲しいの?」
「違う!そんなわけないだろう!」
「あははっ、分かってるって。レノなら今ミチルたちと出かけてるよ。すぐ帰るように知らせる?」
「いや、それならいい」
ふ〜んというような顔をして、今度こそ彼は出ていった。
一人になった部屋は驚くほど静かだ。
カーテンから漏れ出る光でかろうじて昼間であることが分かる。
とりあえず薬を飲み、眠ることにした。
コンコンとドアをノックする音がする。
どうやら自分は眠っていたらしい。
「開いているよ」
ガチャリと音がしてネロが顔を出す。
「先生、具合はどう?何か食べれそう?」
「…スープかおじやなら」
「ん、了解」
手を振りすぐに部屋を出ていく。
静かになった部屋を見回す。カーテンの隙間からわずかに見える橙色の光。少し冷えた空気。
夕方になっていたようだ。
「おまたせ。オニオンスープにしといた。あとこっちはヒースとシノから」
「シュガーか」
「二人とも心配してたぜ。明日はおじやでいいか?」
「多分食べれると思う」
「じゃ、俺はこれで。食器は明日取りにくるよ」
ついでにとレモンの入った水差しとグラスを置いてネロは出ていった。
スープを飲んで、薬を飲んでベッドの中で横になる。
熱があるせいか、じわじわと関節が痛い。
このまま眠ってしまえばいい。汗をたっぷりかいてしまえば朝になったら熱もきっと下がっている。
静かな部屋に寂しさを覚えるのはきっと熱があるからだ。
だって自分はずっと一人でいる方が好きだった。
カーテンの隙間から漏れ出る光は見えなくなった。
うつらうつらと短い眠りを繰り返す。
子どもの頃を思い出す。
熱を出した晩、なかなか眠れなくて朝までがとても長く感じたこと。
人の気配を感じられない夜は何だか不安だったこと。
それでも心配をさせたくなくて、つらくても母親を起こすことはできなかったこと。
汗をかいたせいか喉の乾きを覚えてグラスに手を伸ばす。目測を誤ったせいか、力が入っていなかったせいかゴトリと床にグラスが落ちた。
(…あぁ…)
多分、すぐにくる。
ぼんやりと床に落ちたグラスを眺めているとノックの音がした。
「ファウスト様」
「…開いてるよ」
失礼しますと断りながら彼が入ってきた。
暗い部屋の中では闇に紛れて彼の髪がよく見えない。紅い瞳がこちらを見る。
「どうしたの?急に」
分かっているくせに聞いてみる。
「物音が…何か落ちる音がしたので気になりまして…」
「グラスを取ろうとして落としたんだ。頑丈だったみたいで割れたりはしていないみたいだ」
「そうですか」
拾い上げると(珍しく)魔法で綺麗にしてから水を注ぎ、こちらに差し出した。
「御身体の具合は?」
「…楽になってきた」
「グラスを落とすのに?」
全く意味のない言葉は即座に切り捨てられた。
受け取った水を一気に飲み干してグラスを返す。
「…たまたまだよ」
「魔法を使わなかった時点で体調が回復してきたとは思えませんが」
「……」
自分の事には無頓着なくせに、こっちの体調にはひたすら厳しい。昔から本当に変わらないなと思いながら、椅子を指した。
「そんなに気になるのなら側にいれば?」
「…よろしいのですか?」
紅い瞳がわずかに揺らぐ。
何となく、分かっている。彼が躊躇う理由は。
「君さえ平気なら、別にかまわないよ」
気付いてない風を装って、返事をする。
「…失礼します」
悩んだ末に付き添う事を決めたらしく、椅子を枕元に持ってきて座った。
緊張した表情が面白くて思わず手を伸ばした。左手を掴み額に当てさせる。
「あぁ、君の手が冷たく感じるな。やっぱり熱があるのか」
「ファウスト様!」
「何?」
「…いえ…とにかくお休みになられた方が」
強張った顔でぎこちなく言葉を紡ぐ。
するりと掴んだ手をほどかれた。
「君が見ていて嫌な夢だったら起こしてくれて構わないよ」
「…あなたが魘されるようなものだったら起こします」
冗談のような口調で話すと、今その事に気づいたような顔で返事をされた。
やっぱり気にしていたのは僕の厄災の傷の事じゃない。
熱のある僕と夜。
多分、彼は思い出すんだ。
火刑の後の事を。必死で僕を看病していた時の事を。
大抵、夜に火傷の痛みと熱でうなされていた事を。
それは彼にとって苦い苦い記憶に繋がるから。
それでも結局君は側にいて、心配そうに僕を見ている。
あの時もそうだった。少しでも僕が顔を顰めると、痛む所をさすったり冷やしたりすぐに何とかしようとしてくれた。
真っ暗な小屋の中で、闇に溶け込むような君の髪が側に見えるといつも安心した。
手を伸ばして今度は頭を撫でる、手触りのいい少し太めの黒い髪。
「暗いから君がどこにいるのか分かりづらいな」
「ファウスト様!」
「君は信じてくれないみたいだけど。本当にあの時間は僕を癒やしてくれるものだったんだよ」
少し困った顔で僕を見る。嘘のつけない彼らしく、信じているとは言えないらしい。(じゃあ、どうしてその後自分を置きざりにしたんだと思うのは当然だろう)
とりあえず左手を差し出す。
キョトンとした彼の顔が可笑しい。
「眠れるまで手を握っていてくれないか?」
「俺でよろしければ」
大きな手が左手を包む。冷たく感じる辺り、やっぱりまだ熱は下がっていないらしい。
「…熱がある時の夜は何だか長く感じるんだ」
「…はい」
「…日が昇って夜が明けるのがとても遠くて」
「…はい」
「…明るくなると何だかホッとしていた」
「…はい」
僕がポツポツと話すのを相槌をうちながら聞いている。
穏やかな紅い瞳がこちらを優しく見つめている。
闇のような黒髪は、視界に入るとどんな時でも安心した。
結局、最後には彼を頼ってしまうのだ。
絶対に自分を助けてくれるであろう彼を。
じわじわと眠気が襲ってくる。眠りに落ちる時の浮遊感の中で優しい彼の声が聞こえた。
「おやすみなさい。ファウスト様」