主の思考と従者の思考「そんなわけがないだろう!」
ファウストの大きな声が響く。
少し困った顔で賢者はそれを正面から受け止める。彼女に対して怒っているわけではないことが分かっているからだ。
「役にも立たなかった忠誠心!?そんなわけないだろう!僕はいつもそれに助けられてきたのに!それにレノの姿を見たくないなんて思っていない!」
抑えようとしても抑えられないのだろう。変わらず大声が響く。さすがに心配になって止めようとした時、黒い影が先に動いた。
「でもレノックスはそう思ってるんだろ?あんたの普段の態度を考えれば当然じゃないか?」
「…っ!!」
淡々としたシノの言葉にファウストは言い淀む。自覚はあるようだ。
気まずそうに目を逸らすファウストにシノは遠慮なく追い打ちをかける。
「最初レノックスに対して疎ましそうな態度をとったり、避けたりしてたから、あんたはあいつのことが嫌いなのかと思ってたぞ」
「…っ!彼のことを嫌うなんて…そんなことあるわけがないだろう!」
「そうとれる態度をとっていたが?」
さすがにそろそろフォローしないとマズいだろうか。ヒースも心配そうにこちらを見ている。どうしたものかと考えていると賢者が口を開いた。
「でもレノックスはファウストが自分のことを嫌っていないことは分かっていましたよ。好ましく思っていることも理解していると」
「そうなのか?主人にあんな態度をとられていたのに怒らないなんて、あいつは心が広いな…」
「長い付き合いみたいだから、レノックスはファウスト先生の事をよく分かっているんだと思うよ」
「口ではキツい事を言ってても、ホントは優しいですからね。ファウストは」
ヒースも加わり、ファウストのフォローをする。少し納得のいかない顔のシノとヒースがあれこれと話をしだした。
やれやれとため息をつくファウストに、そっと賢者が小声でささやく。おそらくシノとヒースには聞かせたくないのだろう。
「…あの…レノックスは未だに自分がファウストを追い詰めてしまったって…思っているみたいなんですけど…」
「追い詰めたって…もしかして療養生活のことか?」
「…そうですね…」
「何でまだそんなことを思ってるんだ…。きみに悪いところなんてないって言っただろう…」
(…あ〜。多分そんな言い方じゃ羊飼いくんは納得しねぇな…)
ファウストは良くも悪くも上に立つ資質を持った人だ。
今は仕える存在があるから従者というポジションでいるが、シノもそうだろう。
ヒースにだってもちろんある。それがなければどれだけ教育を受け、訓練されようが身に付く筈がない。穴の空いたスプーンで桶に水をいっぱいにはできない。
逆に自分は上に立つより、そのサポートに徹する側だ。(一時的な指示はできるし、一応戦略も練れるが)
おそらくレノックスも同じタイプだろう。
そして自分と違い、並外れた忠誠心を持っている。
その辺りをファウストは分かっていない。
まず彼は主を責めたりしない。何かあっても責任は自分の方にあると考えるだろう。
おそらくファウストの言葉は違う受け止め方をされている。
「…先生。多分それ伝わってねぇよ」
「何故だ!?」
やはり驚くほど思考が主人側だ。
レノックスはファウストに言われたとしても、自分に悪いところなどなかった、なんて思わないだろう。
きっと彼はファウストの方に非があったなんて思わないし認めないだろう。
主の間違いは正そうとするが、主へ責任は押し付けない。
「ん〜…多分、済んだ事だし気にしなくていいよ、くらいの意味合いで受け止めてるんじゃないかな…」
「どうしてだ!?レノは何も悪くないんだぞ!どう考えても悪かったのは僕だろう。何で自分が悪いと思うんだ!?」
「先生の従者だからだろ?羊飼いくんは主人の方に非があるなんて考えもしないんじゃないか?」
「そんな…」
そんなこと考えもしなかった、という顔でファウストが呆然とする。
たしかに彼はファウストの事に関して、驚くほどに察しが良かった。言わなくても何でも分かっているみたいに。
だからこそ言った事を正しく理解してもらえていない、なんて考えてもいなかったのだ。
「何だ、ファウストは従者の気持ちが理解できないのか?」
「シノ!ファウスト先生に失礼だろう!」
いつの間にかシノとヒースも会話に混ざってきた。
「従者は主の命に従うものだ。自分が受けた命に対しての責は自分にある」
「主が間違った命を出してたらどうなるんだ…」
「主の間違いを最後まで正すことのできなかった自分の責だな」
「…そうならないためにも、いつでも正しい選択ができるようにたくさんの事を学んでおきたいと思ってます」
「君なら大丈夫だと思うよ、ヒース。自信を持っていい」
「当然だ。ヒースは完璧だからな」
いつものような会話の流れになってきた。
どうやら何とかなりそうだ。
「ま、羊飼いくんとちゃんと話をしろってことだよ、先生」
「そうみたいだな」
パンッと肩を叩くとファウストは吹っ切れたように笑った。
シノはニヤリと笑い、ヒースと賢者も安心したように笑っていた。
「ではファウスト。気を付けて」
「ああ、必ずレノックスを連れて帰るよ」
「くれぐれも無茶はしないでくださいね。ファウストもレノックスも私の大切な友人なんですから」
「わかっているよ。心配しなくていい」
心配する賢者にファウストは少し困ったように笑った。
お願いしますと律儀に彼女は頭を下げて、浜辺へ向かう彼を見送った。フィガロたちの術の準備も終わった頃だろう。
隣室の心優しい羊飼いと、驚くほど真っ直ぐな年下の友人との関係が良い方向に変わることを柄にもなく祈った。