珈琲南向き2階の2LDK。
下の階には賑やかな家族が暮らしている。
屋敷か野宿かの生活をしてきた俺達にはそのどちらでもなく丁度良い暮らしだった。
陽の射し込む部屋に起き上がった自分の影だけが伸びて、まだ寝息を立てている竜三の顔を少しのぞき込む。
少し空いたカーテンの、レースの柄が頬に落ちているのをしばらく眺めてから手を伸ばした。
短く揃った睫毛を撫ぜても起きる様子がなかったので、起こすほどの用事もないしと自室に溜め込んだ読み物を取りに行く。
俺があまりに毎晩竜三の寝床へ遊びに行くものだから、自室は倉庫と化していた。
隣にいると構ってしまいたくなるので、そのまま読み耽ることにしよう。知らないうちに竜三が起きていたほうが嬉しい。
活字を追うと時を忘れてしまう性分であるが、この日は昼になろうという頃にリビングから少しの気配と香ばしい珈琲の匂いがしてきた。
読んでいた頁に栞をかけ、ぱたんと閉じてから使っていないベッドに放ってリビングの戸を開けた。
「竜三」
「おォ、悪い。昨夜は遅くなっちまったからな。」
寝癖の付いた髪をかいて起床の遅さを詫びてきたようだ。俺がいつも、休日は長く過ごしたいと駄々を捏ねるからだろうか。
「良い香りだな。」
「何?いつも興味ないだろ。煎茶派だとか言ってよ…仁も飲むならちゃんと挽けばよかったぜ。」
ミルを回す動作をしながら手元のドリップコーヒーを一口飲む。無精髭もぼさぼさの頭も愛おしくて額をごつ、とぶつけた。
「ぃ…って。おい、こぼれる。」
「お前が挽くなら尚更、淹れてくれ。」
「今から?」
俺、飲んでるのに…とじっとりとこちらを見たが、にこにこしてる俺に諦めたのか「いいよ、座ってろ」と相変わらずマグを片手に器用に戸棚から木製のミルを取り出す。
竜三は俺が頼み事をすると、はいはい若様のご用命とあらば…なんて、百合の真似事を挟んだりしながら世話を焼く。「お前のそれは頼み事じゃなくて甘ったれだ」とよくこぼしているが、竜三が言うならそうなのだろう。
ミルの横にフィルター、豆、口の細いケトル、ドリップケトル用のヒーターを其々ぜんぜん違うところから引っ張り出してきてキッチンカウンターへ小気味よく置いていく。
テーブルへつくと竹のランチマットが目に入り、これは今日どこかで手料理にもありつけそうだと嬉しくなった。基本、この男はなにかにつけて準備がせっかちなのだった。
てきぱきと物事をこなす竜三を見るのは楽しい。かりかりと豆が割れていく音が終わる頃に、じゅわ、と湯が沸く。
こういう工程と工程の合わさる瞬間を上手に作るのも見所だ。
不器用な性格からは想像のつかない手際の良さで1人分の珈琲があっという間に出てきた。
湯呑みでないと落ち着かない俺の為に、いつぞや竜三が選んでくれた取っ手付きの焼き物。
「ほい。お待ちどう。」
「ありがとう、竜三。ふふ、熱いな。」
「火傷すんなよ。」
想い人の手作りならばなんでも嬉しくてすぐに口をつけてしまうのを何度も見ているからか、常温以外のものについてはいちいち身を案じてくる。
今日はそこに、訝しげに眉をひそめた竜三が一言付け足した。
「お前、俺が働くのを見世物だと思ってないか?」
案の定、舌先がじっと熱に灼ける。
今更気がつくとは鈍い男だ。
少し唇を舐めてから、また口をすぼめて口をつける。
「うーん…思ってる。」
飲み下すといい香りが広がって、そのまま適当に返事をした。
大げさな溜息の後に「お前…」と目をつり上げるその顔も、好きだ。