婀娜の香 お前、花屋じゃなかったよな?そう言われた意図がわからなかったが、一先ずそうではない事は確かであり、現代では少々出世した程度の会社員であるため、否定した。なぜかと問えば、俺から花の香がするというのだ。
「花?鉄ではなくか。」
鉄ぅ?と素っ頓狂な声を上げた竜三は犬みたいに鼻をこちらへ近づけて、俺の肩のあたりを嗅ぐ。大型動物に抱く独特の愛おしさを感じてつい頭を撫でそうになったが、竜三が続けて話し始めたので慌てて欲望を引っ込めた。
「しないな。誰に言われた?」
職場で…と答えると、それを聞いた竜三は体臭がわかるほど近づいてくるそいつは何者だ?と顔をしかめたが、嫉妬している自身を恥じたのか「まあいい」と仕切り直した。実際のところは廊下で肩がぶつかった際に少しの謝罪と挨拶をして、そのまま軽い世間話をした時のことであって、竜三の想像するようななにかは無い。嫉妬の部分は予想に過ぎないが、慌てて取り繕ったところを見るに概ね当たっているだろうと思うと胸がきゅんとして、締め付けられた胸の感じが辛いときのそれと似通っていて反射的に別のことを思い起こした。
「前世の血の匂いは、今も消えないのかもしれん。」
「俺にはしないと言ったろ?」
「竜三も、あの血腥い最中に居たではないか。鈍っているのではないか?」
「ふん…じゃあ俺の汗臭〜い体を嗅ぐか?鉄の臭いなんてしないぜ。」
鼻を鳴らして余裕の表情をした竜三の首筋に近づいて一息すると、わ、と小さく悲鳴を上げた。こそばゆいのだろうがわざとしたことだ。匂いを気にするより興奮が先立ちそうになりながら、ぐっと堪えて集中する。竜三の高い体温を感じたあとに、青葉のような樹木のような自然でほっとする香りがした。
「汗でも鉄でもないではないか。」
「ふうん。じゃあ何だ?」
話してるうちに興味が移ったのか、視線を手元の雑誌にやりながら話す竜三に自分から始めた話のくせに、と憤りを感じる。
「もう少し、調べが必要だな。」
「ん〜もう駄目。金取るぞ。」
「減るのか?」
「減るわ。馬鹿。」
すっかり飽きた竜三というのは、度々こうして適当に俺をあしらうがその全てが一等諦めの悪い俺には無効であることを忘れている。減るというなら潤してやろうではないか。ふくよかな首筋にべたりと舌を這わせて項の生え際まで舐め上げる。
「ひっ…!おい!!」
体温が上がると体が香るのは当然のこと。自分から始めた話を勝手に終わらす愚行への罰としては妥当だろう。早速湿度を帯びた髪の匂いを、熱に色づいた耳の裏をわざと呼吸の音をさせて吸う。やはり初夏の芽吹きのような匂いがしてくらくらした。
「ぁ…!まだそれ、やん、のかよ…!」
「俺の気が済むまでな。」
「ふざけ、ン゙ … ゃ…!!!」
持ち上げた腕をつうとなぞって、脇の下の茂みに鼻をつけると力一杯抵抗される。読んでいた展開へ、そう簡単に体を離せないようもう一方の腕を背中の方へ回して押し付けた。そのまま恥じらう姿を楽しんで、またひと吸いする。びくりと仰け反ると押し当てた腕が捻られて痛みに震えている。
「痛ッ…た…!嫌だ、…いや、だ!じん…やめろって…!!」
「緑の匂いが心地好い。」
「ン……はぁ…??…みどり??」
先程感じた香りの詳細を説明して見せると、にわかに信じ難いという顔をする。本人は単なる汗の臭いだと思っているのだからそういうものなのかもしれない。後ろ手にしていた腕を開放してやり、横へ座りなおすと竜三がぼそりと言う。
「俺にはイヤな臭いにしか感じないけどな。」
「ううん…遺伝子が遠く惹かれ合う者は
相手を非現実的な良い香りに感じ合うこともあるという。」
竜三の耳がぱっと赤くなったのを見逃さなかったが、本人はなんでも無いように「何だその話は」と変な相槌を打つ。
「遺伝子、ねえ。」
もうすこし追い詰めてやりたくて、にじり寄って目を見つめた。キスしてやりたくなったが一拍置く。
「竜三は、俺の匂いが花だと思うのだろう?」
わざと丁寧に言ってみせた。
「…あ?あ、… そ、そうだったかもな。」
すこし見開いた竜三の目が、次には何もないとこへ泳ぎだして白々しく返事する。横を向けば項まで赤いのが見えてたまらなくなった。
「ふ……ん、ん…!!!」
噛み付くように唇を奪うと、行き場のなくなった竜三の息が鼻から漏れて甘い声になる。一層香るあの匂いに頭がぼうっとなった。
「は、ぁ、竜三。俺はお前の首筋や胸がたまらなく芳しく感じる…。」
舌を絡めて吸い付いたり、歯の奥まで舐め回して引き抜いたりして、竜三の唇がぬらぬらといやらしく光った。匂いで俺を伴侶みたいに思った竜三が綺麗で愛おしくて無茶苦茶にしてやりたくなる。
「ば、かい…え……!」
子を為すわけでもあるまいし、遺伝子は子孫の問題だろうと最もなことを言う眼の前の男を、俺はわからせてやらねばなるまい。為せぬからこそ終わることがないという無慈悲さを。