フロイドの抜けた穴は、想像以上に大きかった。モストロ・ラウンジでフロイドと同等に料理できる者はジェイドしかおらず、そのジェイドを厨房に立たせると必ずキノコを料理に仕込もうとするせいで、僕以外この馬鹿ウツボを抑え込めず、スタッフが泣きながらVIPルームに駆け込んでくる回数が増えた。
料理スキルを上げさせるために、厨房担当のスタッフを積極的にマスターシェフの講習に送り込んでは勉強させ、なんとかモストロの運営を続けていたそんな折、バイトに来ていたラギーさんが、帰り際に「そうそう、アズールくん、レオナさんにアンタの事連れて来いって言われてんだけど」と僕に伝えてきた。
「なんかあったんすか?」
レオナさんがアズールくんに用事があるなんて、一体何事だとラギーさんに不思議がられた。
……対価。このふた文字が頭よぎり、僕は顔の表情を崩さぬまま曖昧に笑って誤魔化すしかなかった。
モストロ・ラウンジの営業終了後。僕はサバナクローの鏡を潜り、イエローの寮章がはためく寮を進む。一等大きな部屋のドアを開ければ、尊大な態度をしたレオナ・キングスカラーが「ようやく来たか」と大きなあくびを一つついた。
リドルを安全に義父に引き渡す為に、僕はこの学園では三人と契約を結んだ。
ひとりはカリム・アルアジーム。カリムさんからは、あの金銀財宝がうず高く積まれた金庫の中、魔法石が付いたアクセサリーを大量に借りた。
「アズールには普段から世話になってるからな、対価なんて別にいいぜ!」と言われはしたが、タダより安いものはないと、どうにか対価を考えさせれば「じゃあ、今度の宴に参加してくれよ」といつもの笑顔でそう言われ、僕はもちろん頷いて了承した。
次にイデアさんだ。イデアさんからは、推しのライブ限定カラーのグッズを買ってきて欲しいと言われた。通販では買えない上に、現地の人混みにどうしても揉まれたくない出不精な彼らしい対価に、僕は二つ返事で頷いて、S.T.Y.X.製の認識阻害の特殊なコートを二枚借りることができた。
そして、一番重要な陸の闇をも見通せる眼と、どんな相手であろうと振り切れる飛行技術、そして……どれだけ魔法を使っても簡単には尽きない強力な魔力。それを借りた相手が、目の前でふんぞり返った、レオナ・キングスカラーだ。僕をここに呼んだと言う事は、僕が払う対価が決まったんだろう。
「おい、タコ野郎、お前に支払ってもらう対価……決めてやったぞ」
泣いて喜べと、シュっと投げて寄越されたA4の若草色の封筒をなんとか両手でキャッチして中を見れば、とんでもない事が書かれてあった。
「良かったなぁ、三年に上がる前に、インターン先が決まるなんざ、お前が初めてだろう?」
そこに書かれてあったのは、夕焼けの草原でお荷物扱いを受けていたエネルギー部門の名前だ。
「は? これは??」
「お前が涙を流して支払いたかった対価は、そこで汗水流して働いて払ってもらう。その部門は、ウチでも年々予算が減らされ、そのうち無くなるんじゃ無いかとさえ言われてる弱小部門だ。そこで成果を出し、利益を上げろ」
まさかこんな対価を要求されるとは思っても見なかった。レオナ・キングスカラーが向かうインターン先、その中の一番お荷物とされる新エネルギー開発部門は、夕焼けの草原の地下深くにあるとされ、発見当時は世界的にも大々的なニュースとなり、その新エネルギーに飛びついた資産家は、こぞって莫大な投資を行い、国も多額の研究資金を投入した。
が、そうやって持て囃された事業も、何十年経っても何の成果も上げられず、掘削するにも思い切り固い岩盤と、魔法に反応し誘爆する可能性のある新エネルギーに国もお手上げだった。そして、取り出せないエネルギーなど無いに等しい、投資先にも縁を切られ、国にも予算を削られている、そんな部署のはずだ。
こんな状態の場で利益を出せなんて、バカも休み休みにしてほしい。
顔を上げ、レオナを見た。その顔は、出来ないなんて言わないよなぁ、と舐めた顔をしている。そうやって僕のプライドを刺激すれば、僕が首を縦に振るしかないことが分かっているんだ。あまりにレオナの筋書き通りで悔しくて、手にした書類に力がこもり、くしゃりと音を立てた。
あぁ、いいだろう。やってやろうじゃないか!!!
「分かりました、その対価お支払いしましょう」
とは言ったものの、寮の自室に戻る僕の足取りは重かった。地質学なんて、殆どかじったことがない。人魚が陸の生き物の地層になんて一マドルにもならない事に興味が湧くはずがない、だがエネルギー資源は株価の変動にも繋がってくるので多少の知識はある、いやそれでも企業で働く、いや違うな、底辺企業の業績を上げるまでの知識は今の僕にない。
インターンまで一年と少し、この企業の業績も含め徹底的に知識を頭に詰め込むしかないと、僕はスマートフォンをタップして先行投資だと、今後必要になるであろう書籍をネット通販で片っ端からカートにぶち込んで購入ボタンを押した。