「では行ってきます」
「ああ、ここから近いと行っても気をつけてね」
「「かあさん、いってきます!」」
アズールに手を引かれ、家から十分ほどの市営公園に向かうアスターとサミュエル、三人の後ろ姿を見送り、ボクは家の中に戻った。
今日は本当なら四人で公園に出かけるはずだったのに、ボクの体調が悪いこともあって、アズールが二人を連れて行き、ボクは家で留守番することになった。
「三時のティータイムには帰ります、だからそれまでは大人しく寝ていてくださいね」と言われていたが、熱もそれほど高くない。後は焼けばいいだけのクッキーを焼くぐらいはいいだろうと、予熱していたオーブンに、クッキー生地を並べた天板を入れて焼き上げる。
数週間前の水族館以来、ボクはアズールに対してほんの少し壁を作ってしまうようになった。アズールは頑張って二人の父親として振る舞っていてくれているが、あの時の夫人の言葉が、傷ついたサミュエルの顔が頭から離れない。
きっとこれからサミュエルが大きくなるにつれて、サミュエルの外見はフロイドに良く似てくるだろう。父親と慕うアズールにも似ず、父親そっくりのアスターと外見を比べられるサミュエルの事を考えたら、胸が苦しくて仕方がない。
これはどうしようもないことだ。そう分かっているのに、どうしてもあの時もフロイドの顔が頭をよぎる。
その稚魚を見て、オレのこと、ずっと一生考えて、憎んで生きてよ……
あの時の怒りで歪むフロイドのあの顔が、あんな顔をさせてしまったボクの愚かさが傷となって、ふとした瞬間に痛みを訴えた。
ずっと後悔の連続だった、たくさんの人を傷つけて、子供たちにも苦しい思いをさせた。それでも、手放せなかった……ボクの大切な宝物、アスターとサミュエルの二人を手放すなんて無理だ。
だからボクは、この痛みを一生背負って生きていかなければならない。たとえ、アスターとサミュエルを傷つけることになっても、ボクにはもう、二人を手放すなんて選択肢を持てないのだから……
考え込んでいると、少し焦げ臭い匂いがして慌ててオーブンを開ければ、クッキーにはいつもより少し焦げ目がついた。本当に、最近のボクはダメな母親だ。
時計を見ると三時前、もう焼き直している時間はない。ボクはため息を付きながら、粗熱の取れたクッキーをお皿に盛りつけた。
その日に限って、アズールたちはなかなか帰ってこなかった。もう時間も四時前だ、いくらなんでも遅すぎる。
もしかしたら、anathemaの人間が接触してきたのか? と考えればゾッと血の気が引く。心配になってアズールのマジカメの番号にに電話を掛けるが、何度掛けてもアズールは電話に出ない。
やっぱり探しに行こうと、置き手紙を書いて、カーディガンを羽織り鍵を掴むと、玄関が大きく開く音がした。
「アズール、ずいぶん遅かったね。何かあったの?」
疲れ果てた顔色のアズールが、アスターを抱えて帰ってきた。何があったんだと驚いたら、アズールが床におろしたアスターがボクにしがみついて泣いた。どうしてサミュエルの姿が見えないのだろうか?
「サミュエルの姿が見えないけれどどうしたの」
ボクの問に、アスターがウワァっと声を上げ、ボクにしがみついて大声で泣いた。
「かあさん、サミーが……!」
「サミュエルがいなくなりました」
「なっ!?」
二人が何を言っているのか分からない。床にぺたりと座り込むと、顔を上げたアスターが、こぼれ落ちる涙を何度も手の甲で拭いながら、ボクに説明してくれた。
「サミーはね、お父さんがジュース三つも持つの大変だからって、勝手に行っちゃったんだ。ぼく、止めたのに……そしたら、その後すぐお父さんだけ帰ってきて、サミーには会ってないって」
「……二人をベンチで待たせて飲み物を買いに行った時に、偶然ジェイドに会いました。それをサミュエルが見てしまったのかも知れません。あの子は、自分の出自を疑っていましたから」
「ぼ……ボクの……せいだ」
こうやって二人に何も言わず、嘘を重ねた結果がこれだ。ボクの身勝手さが、サミュエルを傷つけたんだ。
「リドルさん、僕は今からサミュエルを探しに行きます」
ガサガサとサミュエルの部屋を漁ったアズールは、飛行機のおもちゃを持ってきた。それは、アズールが初めて二人に贈った誕生日プレゼントだ。
「それ、サミーの宝物だ!」
アズールは、紙に五芒星の魔法陣を書き、その中央にサミュエルの飛行機を置いた。これは、ナイトレイブンカレッジで一年生の時に習う、捜し物の魔法だ。
「Roque,pilatos,zotoas,tritas,chrysatanitos……!」
呪文とともに魔法陣が淡く光り、紙が魔法によって飛行機の形に折り畳まれ、窓の外にふわりと飛んでいった。
「サミュエルを連れ帰ります、リドルさんはアスターと待っていてください。もしかしたら入れ違いになるかもしれないので」
「分かった、どうかサミュエルの事をたのんだよ」
「わかっています、帰ってきたらきっとお腹が空いていると思うので、あたたかい夕食でも作って待っていてあげてください」
サミュエルの飛行機を握りしめたアズールは、急ぎ足で家を飛び出した。その背中をアスターと見送りながら、魔法の使えないボクは、どうか二人が無事に帰ってきますようにと祈ることしかできなかった。
昔ならきっと、直ぐに捜し物の魔法を使うことを思いついたのに、ボクは今、思った以上に魔法というものから縁遠くなっていた。
「さぁ、お家に入ろう……大丈夫だよ、サミュエルは絶対にお父さんが見つけて連れて帰ってくれるから」
「うん」
家に入り、泥と汗で汚れたアスターにシャワーを浴びてくるように言えば、アスターは大人しくバスルームに向かった。新しい服やバスタオルを用意してバスルームの椅子の上に置き、気持ちを落ち着かせようと、はちみつ入りのホットミルクを作った。
「かあさん、おふろ入ったよ」
こっちにおいでと手招きして、アズールよりも少し赤みがかった、赤紫色の光沢を帯びた銀髪をタオルで拭いて、ドライヤーで乾かしてあげた。
「ほら、ホットミルクだよ、少し身体が冷えているから、これを飲んで」
アスターはそれに、一口二口と口をつける。そして、意を決したように、ボクに話を切り出した。
「かあさん、サミーは家族だよね?」
「そんなのあたりまえじゃないか!」
「ならなんで、サミーの髪の色は、とうさんとも、かあさんとも違うの? ぼくも見たんだ、サミーそっくりの大人の人、髪の色も同じだった……あの人は、誰?」
アスターもサミュエルも物心ついた時からとても聡い子だった。普通の歳の子よりも理解力も数段上、勉強しかしてこなかった昔の自分よりも彼らは心が豊かな分、見える世界が広いように思える。
だからこそ、そんな彼らに隠すのは、限界なんだ。
「アスター、よく聞いてね?」小さな頭がコクリと頷く。
「君たち二人は、ボクがお腹を痛めて産んだ大切なボクの子供たちだよ。もちろんお父さんも、二人のことが大好きだよ……それだけは、絶対に信じて欲しい」
「ぼくも、かあさんと、とうさんのことも、サミーの事も大好きだよ」
ありがとうと、ふわふわした頭を撫でる。
「サミュエルによく似た髪色をした彼は、サミュエルのもう一人のお父さんの、双子の兄弟なんだ」
「もう一人のお父さん?」
「そうだよ、サミュエルにはお父さんが二人いるんだ。サミュエルの髪の色が違うのは、そのお父さんの血が入っているからなんだ……わかるかい?」
「たぶんわかる……じゃあ、サミーとぼくは兄弟で、かあさんと、とうさんと、ぼくとサミーは、家族で間違いないってことでしょ? サミーは、かさんと、とうさんが大好きだから、一人だけ違ったら嫌だって思ってたんだ。でもよかった、サミーもちゃーんと、家族だったんだから……ん? かあさんなんで泣いてるの??」
「ごめんね……ボクが、弱かったから……二人を不安にさせてごめん……!」
ぎゅっとアスターを抱きしめると、アスターは「かあさん、ちっちゃな子みたい」とフフっと笑い、先程ボクがしたように、小さな手でボクの頭を撫でてくれた。
「大丈夫だよかあさん、とうさんがサミーを見つけて帰ってきてくれるから……だから、泣いちゃやだよ」
「うん、うん、ごめんね……ありがとう……二人がボクの宝物で、巡り合うことが出来て、本当によかった」
抱きしめた身体から、ミルクとはちみつの柔らかな香りがした。
それから二時間後、日が沈んだ頃。アズールに抱き抱えられたサミュエルが、アズールにしっかり抱きついて肩に顔を埋めグスグスと泣いて鼻水をすすりながら帰ってきた。
「サミュエル、かあさんとアスターに、言うことがあるだろ?」
「勝手に、いなくなて、ごめんなさ、ごめ……うぁーん!!!」
アズールがびーびーと泣くサミュエルを床に降ろすと、アスターが抱きついて怒鳴った。
「ばかサミー!! かあさんを心配させちゃダメだろ!!」
「あやまったならもういい、ほら泥だらけじゃご飯も食べ得られないだろう? リドルさん、先にサミュエルとお風呂に入ってきます」
行こうと、アズールがサミュエルの手を取れば「いいなぁ! ぼくもとうさんとお風呂に入りたい!!」とアスターが頬を膨らませサミュエルをうらやましがる。
「えへへ、いいでしょ」アズールを独占できて嬉しそうなサミュエルに、アスターが「ぼくも、もっかいお風呂入る!」と駄々をこねて、結局いつもの様に三人でお風呂に向かってしまった。
「お風呂から上がったら、直ぐにご飯にしよう。用意しておくから」
アズールにそう言うと、分かりましたと声が聞こえ、ボクはいつもより少し気合を入れて夕飯用にと仕込んでいた食材に火を入れた。
気合を入れて作った料理は、お腹が空いていた三人の胃の中にすぐさま消えてしまった。
寝る前に、サミュエルがアズールのところに来て、嬉しそうに抱きつけば「おやすみサミュエル」とアズールが小さな額にキスする。
「ずるいサミー!」というアスターの頭を撫でキスをすれば、嬉しそうな顔をして、二人は手を繋いで寝室に走っていった。
ボクが二人を寝室に寝かせリビングに戻り、考え込むアズールの隣に座った。
「あの子……サミュエルに『自分は本当に二人の子供か』と聞かれました」
「ボクもアスターにサミュエルは家族なのかと聞かれたよ」
「なんて答えたんです?」
「二人、父親がいると……サミュエルの容姿が違うのは、もうひとりの父親の血だと……キミは?」
「僕は……他の誰が何と言おうが、お前の父親は僕だと言いました。あなたに結婚を申し込んだときは、二人をここまで愛しいと思うなんて想像がつかなかった。でも、日々成長していく二人を見ていて、僕は、リドルさんとの契約なんて関係なく、彼らの父親で有りたいと……そう、思った。思ってしまった……!」
頬を少し赤くし、本心を口にしたアズールに、ボクは嬉しさから抱きついた。
「今日ほど、キミがいてくれてよかったと思ったことはないよ。アズール……」
顔を上に向け、目を閉じる。ボクを抱きしめるアズールの心音が早くなるのを皮膚越しに感じた。
「リドルさん、本当にいいんですか?」
「いいよ……ボクの全部、キミにあげるよ」
その言葉に、唇が深く重なり、ボクはソファーに押し倒された。
「好きです、リドルさん」
何度もボクを好きだと言うアズールに、ボクは身体の深くまで彼の熱で埋められ、ボクはきっとこのまま、アズールを心の底から好きになって、家族四人幸せに暮らせる日が来るんだとそう思った。
その日、アズールに抱かれたボクは、フロイドの事を思い出さなかった。